番外 ビューティー・アンド・ザ・ビースト
次は、5/27を予定しています。
幕間です。
「つまり、失敗したというわけだな?」
水晶から伸びた光りの先で、映し出された若い騎士が言葉を詰まらせた。
「研究の詳細はマルブに渡っていないものの、後始末に送り込んだ騎士は行方不明、工作員の遺体は回収された。さらに、グローリアの姫君はぴんぴんしていて、マルブに邪教徒の関与を知られたわけだ」
「し、しかし、証拠を掴まれたと決まったわけでは・・・。それに、暗殺は邪教徒どもの領分です。我々の関係するところではありません!」
「何処まで馬鹿なのだ貴様は!!それがマルブに、あのガイゼリックに通じるのか!?我ら商会とこの国の繋がりが露見するどころか、邪教徒との密約も明らかにされかねないのだぞ!!そうなれば本部は、この国だけではなく、我らまで切り捨てざるを得ないのが分らんのか!何人殺してもかまわん、さっさと詳細を掴んでこい!!」
顔を青くした騎士は唇を振るわし、調査します、と言って通信を切った。
フェリスは瀟洒な肘掛椅子に座り込み、テーブルに身を預けた。
目を閉じて、これまで自分がなしてきたことを反芻する。
決して褒められたことばかりではなかった。
けれども、自分なりの信念があったからこそ、立ち止まらずに此処まで来られた。
戦災孤児として故郷を追われ、たまたま美しかったから生存を許された。全てそうだとは思わないけれども、運が大きかったのは確かだった。だから運悪く死んでいった同胞たちのために努力した。腐った運命とやらに、逆らってきた。
しかし、それも此処までだった。
商会は決して甘い組織ではない。
自分は才覚と実績があるから死ぬほどの罰を科されることはないだろう。
しかし、知りすぎてしまった部下達はどうなる?
フェリスは立って、窓の外を見た。
雲が早い。
満月が雲間から顔を出し、フェリスを照らす。
風を感じて、耳を澄ました。
聞こえるのは風の音と波の音だけ。
人の声も、鳥の羽ばたきも、動物たちのささやきも、不思議と聞こえてこない。
城から見下ろす海原は、月光の下でも暗黒に沈んでいた。
きっと、全てがこの虚無の中に吸い込まれてしまったに違いない。
フェリスは、通信魔術のために消していた灯りをつけて、部屋に張り巡らした結界をさらに強化した。
ここに至っては、部下を救う手段は一つしかない。
失敗の責任を、責任者である自分が命でもって償うこと。
いかに商会であっても、それなりの地位にいる自分が命を賭して部下の助命を嘆願すれば無碍にはできない。
そう、部下に死という責任を負わせ、おめおめ生き残るなど耐えられることではない。
失敗の責任は指揮官が負うべきものだから。
それが、軍人として生きると誓った私の誇りだから。
権力に翻弄されてきた私の意地だから。
このたびの事件は、野心にまみれた小国と、身の程を弁えない姦婦の野望が引き起こした喜劇として世界史に刻まれなくてはならない。
フェリスは目に涙が浮かぶのを感じた。
涸れ果てたとばかり思っていたのに。
イヤリングを外し、はめ込まれた深青色の宝石を握り締めた。
任務に就くに当たり支給された、自害用の秘術が込められた魔石。
命を奪うだけではなく、遺体からフェリスと言う人間の痕跡を消し去り、捏造された情報に書き換える。
フェリスという人間の足跡は誰も知ることが無くなり、ただ無記名の女の死体だけが残される。
「御免ね、お母さん。お父さん」
革命によって死んだ父と母に詫びた。
「失敗は私の責任だ。お前たちは良くやってくれた。卑怯にも、死を選ぶことを許してくれ」
ここには居ない部下たちに告げた。
そして、灯火の下、死の言葉をつぶやいた。
魔石から黒色の影が伸びて、天上の世界を描いた高い天井を塗りつぶす。
フェリスは、じっと祈りを捧げた。
「どうか、弱きものに祝福を・・・。私達は、ただ平穏を願っていたのですから」
慈愛を司るアーティファ像を侵食して何処までも広がり、美麗に彩られたフェリスの寝室が闇に飲まれた。
影がフェリスという存在それ自体に触れる。
~がある存在だけではなく、~である存在を、フェリスの自我を踏みにじる。
脳が溶ける錯覚に身震いがした。
もがいたけれど、手も足も動いてくれない。
動いているのだけれど、それは本当に自分の手足なのだろうか?
ただ死ぬのではない。私という存在が死んで、消えるのだ。
たかだか二十と数年しか生きていなかったけれど、かけがえのない私が消えてなくなる。
楽しみ、苦しみ、思い出、描いた夢、あらゆる経験が奪い去られて。
これで、おしまい。
消滅を意識したフェリスが少女のように叫んだとき、誰かが立ちすくんで居るのが目に入った。
小太りで背が低い。
頭髪は薄く体は毛むくじゃらで、似合わない赤色の衣を纏っている。
手には花束を持って、小さい目を見開いて口元を引きつらせていた。
猛々しい狼人と人とのあいの子でありながら、いつも気弱な彼のことが嫌いだった。
国政が上手く行かなくて慰めを求めてくる彼を、本当は叱りつけてやりたくてたまらなかった。
その腕に抱かれているときも、自分の悦びよりも、フェリスの悦びを優先しようとするのに腹を立てていた。
けれど、彼がつたない語彙で愛を伝えようとするのが快かったから、力一杯微笑んだ。
(さようなら。こんな私を愛してくれてありがとう。私もきっと貴方を愛していたのでしょう)
彼は弾けたように花束を放り投げた。
しわがれた声で、涙と鼻水を垂れ流しながら無様に詠唱する。
けれど、その声は聞くものの心に深く浸透する。
まるで月に吠える獣の嘆きのように心をかき乱す。
認められない現実に抗うために、彼は牙を剥く。
力を求めて、眠りこけた血を呼びさます。
黒目が収縮し、弱々しかった眼光が森林の王者の威風を宿す。
脂肪にまみれた耳が屹立する。
体が銀毛を纏って、月光に煌く。
口には骨を砕く白牙が、指には肉を切裂く黒爪が。
今宵は満月。
煌々たる月光の下、人狼は真なる己に回帰する。
その獣性に導かれて、獲物を求めて逃さない。
まして、それが彼にとって何よりも愛おしいとすればなおさらのこと。
御伽噺に秘められた、まだるっこしい道徳教育の過程を飛び越えて、野獣は美女を得るために力を振るう。
簒奪の風が吹いて、美女を照らしていた灯火が消る。
部屋の結界がはじけ飛ぶ。
獣は腕を広げて、吠えるように言霊をつむぐ。
人の感情と獣性が混ざり合い、混血だからこそ可能な魔術を形作る。
魔力が月光を形にして、魔法陣が形成される。
それは歪で確かな形を持たない。
格式に照らせば、見るに絶えない。
詠唱のたびに揺らいで、まるでのたうつ蛇のようだ。
けれども、どんな物より荘厳だった。
獣の力強さと、人の意思という弱さが込められたそれを、誰が醜いといえるだろうか?
その力は至高。
贅を凝らした赤色のマントは真紅に染まり、魔術士の大母たるマーテルを象徴する月輪が刻まれる。
その印を刻むことが許されるのは世界にただ一人。
全ての魔術師の頂点である慧聖の称号を授かりし大術士。
当代の慧聖、エト・ウォルフ・エイラート。
その驚異的な魔力は、魔術師一個大隊をもってしても丸一日掛かる術式を、ほんの数十秒でやってのけた。
死の呪いを解かれた美女は狼に捕まり、その愛の重さに、ぬれる瞳をさまよわせる。
狼は、銀髪の大臣、親友で義弟ドミニク以外知ることのない姿を晒したことで消沈し、泣き叫んだ。
おお、最愛の人にこの姿を見せてしまった。
こんなに醜いのだから、きっと叫び声を上げて自分を拒絶するに違いない。
俺は獣だ。
ドミニクに気があるのを知っていながら、肉欲の虜となり、金と権力の力で彼女をいいようにしたのだ。
卑怯でどうしようもない男だから、彼女を抱きとめる資格など無いはずなのに。
それでも、この手は、どうしても愛しい人から離れてくれないんだ。
泣き崩れる獣に、美女がそっと口付けをする。
涙を拭った視線の先でフェリスが微笑んでいた。
抱きしめた腕は、もう弱王のものではなかった。
抱きしめられた女は、もう孤児ではなかった。
醜い人狼は真の王者となり、血で汚れた女は愛と言う貴顕を手にして、二人の物語が幕を開ける。
たとえ、どれほどの障害がもたらされようとも、彼女達は二人で乗り切るだろう。
初めて手にしたものが最善であるから、手放せるはずがない。
引きはがされることを許すはずがない。
神が定めた法の下で二人は駆け抜ける。
群れを率いて王国を築く。
弱きものの楽土を。
そうだ、弱いからこそ強き王者を戴き、群れて抗うのだ。
その先に楽園があると信じるから。
仲間を集めて、生き延びるために戦うのだ。
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港湾都市国家ベスティアは、付近の都市国家を吸収し、数年の後に帝政を敷く。
そして、初代皇帝エト、皇后フェリスは世界史に亜人の解放者として記述されることになる。
後の歴史家は言う。
この世界には、数多くの英雄と呼ばれし者が生まれ死んでいった。
しかし真の英雄とは、彼らのような者を指すのだ、と。




