ヘルズ・ゲート
ライラの前に現れたのは、かつて彼女を守護した騎士エーミルだった。
堕ちた彼を救うために、ライラは彼と対峙する。
カイもまたキメラの元に向かい、過酷な戦闘に身を投じる。
次回、5/6 0:00 予定。
奥には一際広い空間が広がっていた。
高い楕円状の天蓋には血がこびり付き、敷石には大穴が幾つも開いている。消音と衝撃吸収の強力な結界が張り巡らされて、その場がいかなる用途に用いられているか、瞭然だった。
その先に、照明に照らされて猿が待っていた。
とぐろを巻き、いくつもある顔は皆呻いている。
前には、良くのりの利いた白いシャツに、茶色のベストを着た男が立っていた。目の下にはくまが出来、頬はこけていたが、顎にはかみそりがあてられ、髪は整えられていた。
「雑魚しか来ていないと落胆していたが、どうやらそうでもないらしい。歓迎するぞ黒騎士」
男の声を聴くと、キメラはうれしそうに地べたを転がり回った。馬の顔は叫んで血反吐を吐き、他の顔も苦悶にゆがんだ。体のあちこちから体液が噴出し、それは瓦解寸前だった。
「・・・・」
「どうした?」
「いや、すまないこちらのことだ。てっきり、知っている奴が主犯だと思っていたのだが、予想が外れた」
「そんなものだ。人生と言うやつは、そんなに劇的に出来ているものではない」
カイは苦笑して、問いを投げた。
「しかし、そうなると解らんな。どうやって憲兵たちを出し抜いた?」
こんな人が溢れるマルブの中心で、どうやってガイゼリックたちの目をごまかした?
出来うるとすれば内部に詳しいもの、そして憲兵のパトロールスケジュールを把握して、それなりの権力を持つ者。
・・・例えばメルキドのような。
「スポンサーが多くいたのだ。そこらのことは彼らがやってくれていてね。おかげで十分研究に専念できた。彼らがどうやって憲兵をごまかし使い魔をさらってきたのか、私は知らんし、知りたくもない」
「罪の意識は?」
額に手を当て、男は考え込んだ。
「これを作るためにどれだけの命が失われたのか、完全には把握していないが、それに見合うだけの物は作れたと思う。しかし、だからと言って・・・」
突然笑い出し、勘弁してくれないか?と言った。
「そんなことは考えたこともなかったし、意味の無いことだ」
「そうだな。妙なことを聞いた、許してくれ。主達への手前、聞いておかなければいけないと思ったんだ」
男は面白そうに微笑み、カイを見つめた。
「君はこれが何か知っているようだな?」
カイは頷き、男に話の続きを促した。
「ご覧の通りキメラは完成した。しかし、完全には程遠い。改良を施さねばならんが、私に残された時間は少ないから、それは後に続くものにまかせるほかない」
カイは男の顔がやけに青白いのを見て取った。
「わずらっているのか?」
「どうやら何かに汚染されたらしい。さらってきた使い魔によるものか、研究によるものかは解らない。だから急いている。後続のためにデータを取る必要があるが、なにぶん時間がない」
「だから逃げ出さずに留まったのか?侵入者をテスト代わりにするために」
「それもあるが、この子の力をこの目で見たかった。病床で報告を待つなど御免でな」
そう言うと、術式を展開した。男の眼前に白い球体が浮かぶ。中心がよどみ、変色し、瞳となった。
「そういうわけで、ぜひとも君にテストを頼みたい。
力の限り戦ってくれ。殺してくれても構わない。君が死んでしまった場合は、残念。次の者に期待するとしよう」
「拒否権は?」
「あると思うか?」
カイは寝転んでいる猿に殺気を放った。
猿は笑みを浮かべて起き直った。
腹が割けて大きな水精の口になり、絶叫した。垂れたよだれは強力な酸なのか、床から煙が上がり、会戦の狼煙となった。
猿が蜘蛛の足で飛びはね、蛇体がカイを薙ぎ払う。
後方に飛んでかわしたカイが地面に着地し、前を向くと、眼前に毒蛙の顔があった。
毒霧が噴射される。
地面をけり、下に滑り込み、キメラの体から伸びていた蛙の首をはねた。
焼け焦げたマントから不愉快な匂いが立ち上り、カイはそれを脱ぎ捨てた。
猿は、その動きに感心したのか口笛を吹いてはしゃいだ。全てを記録すべく、魔術で作り出した目を操っていた男は無表情で戦いを見つめている。
のたくる蛙の首を抜刀の衝撃波で弾き飛ばし、カイは笑みを浮かべて手招きした。
-さあ来い、キメラの力とやら見せてみろ-
キメラのわき腹に、瞳を閉じた、豊かな髪の優しげな少女の顔がせり上がる。
蜘蛛の足が鋭く伸びて、少女のこみかみに突き刺さり、目が開かれた。
何処までも黒く、白目が無い。
少女が泣き叫び、髪が伸び、鋼鉄の針に変わる。
突如それは嗤い声に変わり、幾千ものそれが放たれた。
カイが地面を切りつけ踏みつけると、床の敷石が浮かび上がった。
それを蹴り、盾にする。
針が突き刺さる。敷石が壊れるよりも先に、二枚、三枚と敷石を跳ね上げた。
五枚目はキメラに向かって蹴りつけるが、生えてきた馬の足が敷石を砕いた。
その隙に回り込んだカイがキメラの体に剣を突き刺そうとした瞬間、刺突しようとした箇所が魔亀の甲羅に変質した。
舌打ちをし、蜘蛛の腕を切断しようと体をひるがえしたら、鷹の鍵詰めにわき腹を割かれた。
前面にあったはずの猿の顔が後ろ側に浮かび上がりカイを見ていた。
両者の視線が交錯する。
猿が呵い、カイは哂う。
鷹の鉤爪をつかみ、キメラを地面に引き倒し、片側面の蜘蛛の足をまとめて切り落とした。
間合いをとり、剣を構える。
なんて生き物だろう。手放しに賞賛できる。そして、今、この戦いはなんとも素晴らしい。
切り落とされた蜘蛛の足の代わりに、猿の手、蛙の足、白い女の手、鷹の羽根が生えてきた。
猿は指を一本立てて左右に振った。首をかしげるカイのわき腹を指差す。カイはありがとうと、手を挙げ、わき腹を止血した。
頷きあった怪物二匹は、湧き上がる歓喜を胸に戦闘を再開した。
男は戦いが進むにつれ、冷静さを欠いていった。
ああ、私はなんという偉業を成し遂げたのか。あれの適応力、膂力、元になった使い魔をはるかにしのぐ。使い物にならなかった再生能力すら、この戦いの中で進化させた。感謝すべきはこの好敵手。まさに暗黒騎士。出血量はすでに致死量近くに達しているだろうに、振るわれる太刀筋にぶれは無い。いやそれどころか鋭さは増していく。そのたびにわが子も完成へと近づいていくようだ。そう。生命は死と対面したときにこそ進化する。盲点だった。実験室では図れないものをこうして気付かせてくれた。
目覚めには刺激が必要なのだ。眠りが深いほど、強力で鮮烈なものが。
ああ、わが子はこんなにも立派になった。
カイの腕に毒針が突き刺さる。己の歯で肉ごと噛み切り、口を血で染める。
キメラが裂けた腹に腕を突っ込み、進化に邪魔な内臓を抉り出す。
カイが血を求め、キメラがさらなる試練を求める。
獣が二匹、いや、一匹と群体。
獣の絶えざる闘争心は、己の存在意義が戦いにあるがゆえに。
群隊が示す飽くなきマゾヒズムは完璧への渇望ゆえに。
暴力の宴は終わらない。この世界には彼らしかいない。
どんな存在も、今、このときは、彼らよりも光り輝かない。
激烈に連動する機能美が対峙するのは究極の固体。
完璧に近づくために、群でありながら個というパラドックスを選んだ歪な生命の神への挑戦。
命よりもはかなく、そしてダイヤモンドよりも砕きがたく、彼らの闘争はどんな恋慕よりも激情的だった。
****
壁を走るエーミルを追う真空の刃が、壁に何百もの痕跡を残して舞い踊る。ライラに強化されたナスターシャの魔術、影が肥大し、巨人となりエーミルを殴りつける。足を魔力で極限まで強化したエーミルが一速に巨人の胸元に飛び込み、切り伏せる。消し飛ぶ巨人を見て、ナスターシャが牽制の魔力弾を飛ばし、ライラのすぐそばに降り立った。
「私の魔術を浄化するとは、やはり神剣ベネディクションか」
エーミルは、剣を二人に良く見えるように掲げた。
「はい。かつて貴女を切り伏せた、剣聖メリザンドの聖剣。マルティス騎士団団長が代々受け継ぎ、城が堕ちた際は、我が友、剣聖クリストフが持っておりました。
私は使いこなせませんが、貴女方を殺すのにふさわしいだろうと、私を救った邪教徒から借り受けました」
頭から多く出血し、片腕に刻まれた傷は骨まで見えている。
しかし、エーミルが一言呪文を唱えると、完治とはいかないまでも傷は見る間にふさがった。
「貴女たちの魔術にも慣れて来ました。名残惜しいですが、終わりにしましょう」
ライラに目立った怪我は無かった。ナスターシャも、エーミルの手は熟知していたから同様だった。
しかし彼の刃は、徐々に彼女たちに迫っていた。
エーミルの戦法は両足に施された魔術による体さばきと、視線誘導による間合いの混乱にあったから、足を狙うのが常道かに思える。しかし、当然エーミルもそれを読み、そこに多くの罠を張っていた。
足を狙えば敵の術中にはまると理解したライラ達は、ベネディクションを奪い取ろうとしたが、それも不発に終わった。
経験豊富な強力な騎士相手にライラ達は手詰まりを感じていた。
(このままでは奴の言うとおりだ。しかし・・・)
「では、参ります。せめて苦しまぬよう一太刀でお送りすること、最後の奉公とさせていただきます」
エーミルが消える。これまでの動きが牽制であったことを知ったときには、ライラの眼前にはベネディクションの赤い刃があった。
「!!」
首を刎ねられると思ったとき、エーミルが横に跳ねた。
そして天上から嘲るような嬌声が響いた。
「あら、惜しい」
隻眼の鷲が翼を広げていた。
戸惑い警戒するライラとナスターシャにベルタは一礼した。
「はじめまして。ガイゼリックの使い魔ベルタと申します。遅れてごめんなさいね。ちょっと野暮用がありましたもので」
ベルタの爪で、結界ごと肩を裂かれたエーミルが起き直り、ベルタを睨み付けた。
「畜生が、邪魔をするな」
「そう言われましても、主の命なんだから仕様がないじゃない?」
ベルタが嘆息した。エーミルが肩の傷を治そうとするが、何故か傷がふさがらない。
「無駄よ。私のつけた傷は簡単にはふさがらないの。いくら治癒が得意な騎士だって、どうにも出来ないわ」
エーミルは口元をゆがめ、ベネディクションを構えると、破邪の力が流れ込んだ。
「あら、そんな物を持っていたの?いけずねあなた」
肩をまわして、エーミルが足をさらに強化する。
「私の聖戦に割って入るとは、殺してくれる」
ライラとナスターシャがベルタを見る。
どうするつもり?
「止めてくださらない?私は貴方の願いを叶えに来てあげたのよ」
「戯言を」
ベルタが羽ばたく。羽毛の一本一本が光り、魔力が溢れる。
エーミルがベネディクションを構えて跳躍する。例え天を翔ける鷲といえども、天井があるこの場ではエーミルの足からは逃れられない。
しかし、切っ先が届くよりも先にベルタの魔術が放たれた。
魔力の中心は、つぶれたはずの目。それがベルタの言霊と共に赫々(かくかく)と光り輝く。
「なにっ!」
エーミルが空中を蹴り、間合いを離す。
甘ったるい魔力が満ち、広間が薄く濁った。
強力なジャミングが広場を包んで、外部と隔絶し、まるでそれ一つの世界であるかのよう。
「これで、この場には誰も入れないし、誰も覗けない。何があったとしても、知ることは出来ない」
ベルタの視線の先はエーミルでは無かった。
「・・・」
「さあ、彼に手向けを。ほかならない貴女の騎士なのだから」
(ライラ・・・)
(うん、解ってる。あの人を、エーミルを助けてあげないと)
ライラはかつてのエーミルに思いを馳せ、微笑んだ。
あまり話す機会は無かったけど、お城の外にある花畑に連れて行ってもらったことがあったね。
貴方は周りを警戒して、話しかけても聞いているのか聞いていないのか、生返事ばかりだったから、私、怒っちゃった。
でも、それは心配してくれていたからだよね。
我が儘で意地悪だったから、貴方を困らせて楽しんでたの。
貴方は、精一杯笑わせようとしてくれたっけ。
笑わない私を見て、貴方はとても悲しそうだったなあ。
御免ね。
笑いたかったけど、笑うの苦手だから。
今も、上手く笑えているかわからないけど、貴方を思ってる。
どうして、こんな風になってしまったのかな?
きっと私に勇気が無かったからだよね?
力があったくせに、怖くて使えなかった臆病な私のせい。
けど、もう恐れない。
貴方が見せてくれた苦しみ、悲しみ、怒りが私に教えてくれた。
誰かが止めなくちゃ、止まらない、止められない意思があるんだって。
そうするしかないから、そうしなきゃ死ぬことすら出来ないから、人を傷つけても止まらない。
グローリアを滅ぼした人たちだって、そうだったんだ。
だから、私も勇気を出して、貴方に立ち向かうの。
貴方を止めたいから、死にたくないから。友達が出来たから。
貴方を止めるのは私の努め。
グローリアの王族に生まれついた私が貴方にして上げられること。
怖いけど、逃げたいけど、私が貴方を止めて救ってあげる!!
涙がこぼれた。
エーミルもまた、それが今生の別れであることに気付いたから、涙がこぼれるのを止めることが出来なかった。
彼女が、救ってくれると解ったから。
エーミルは、ありったけの魔力を体に注いだ。
ベネディクションも彼に応えて、限界を超える彼の体がすぐに崩壊してしまわないように、祝福を与える。
-助けてくれるのか、クリストフ-
極限を超えて、かつて無かったほどに力が満ちて、彼はライラに微笑返した。
ナスターシャが言霊をつむぐ。
それはかつて聖女と呼ばれていたときの祈り。
目に留まる全てを慮り、手を取って慰め、共に歩む。
魂引きの愛姫、白銀のレオーネの試作品。
人の一つの完成形。
その魂が、青く光る。
彼女の黒く節くれだった手が、水仕事に荒れた乙女のものに。
抜け落ちてしまったはずの髪が、流れる艶やかな黄金色に輝く。
二目と見られない、悪魔のやせ衰えた醜悪な面貌が肉付き、優しさを湛えて迷い子に微笑みかける。
愛を持つと共に、憎しみも持つ。
その両面が無ければ人ではない。
だから、彼女は完璧な人間。化け物、レオーネとは違う。
アーティファ聖教の高位神官だけが身につけることを許された、白地に大帝国の紋章があしらわれた法衣に身を包み、ナスターシャは聖女として再誕した。
ライラが、聖巫女アーティファの名を持って門を開けと聖女に命じる。
それは地獄の門。
慈愛の女神アーティファが冥界の主サイレスに跪き、サイレスが月に、秩序の女神マーテルに吠える。
マーテルの手で世界は調律され、臣民の望みにアルファスの戦斧が門を叩く。
サイレスの管理下にある悪魔であり、アーティファの眷属でもあるナスターシャが、大帝国の臣民であるライラと共に紡ぐ禁呪。
地獄の門、ヘルズ・ゲートを開き、地獄に迷う者たちを一時的に召還する。
彼女たちの願いにより門は開かれ、一騎当千の騎士共が駆けきたる。
誇り高き神聖グローリアの紋を胸に刻み、掲げる旗には、悪魔ナスターシャを討ち取った証である、首のない三つ首の悪魔の姿が画かれている。
ライラが大好きだった彼女の騎士たち。
エーミルが誇りとしていた、かけがえのない友人たち。
深すぎる悲しみ、未練のせいで地獄に落とされた聖の守護者たちがライラの元に馳せ参じる。
エーミルはベネディクションを構える。
-なんだ、お前たち、地獄に落ちたのか-
涙のなかで、かつて友と共にあった頃のように笑って、救済の意味を知る。
-そうだよな。守れなかったもんな。天国なんかに行ってたまるかよ-
騎馬が迫る。兜の下で、友人たちが呆れているのがわかる。
-私はここだぞ。あの地獄に一人残しやがって、どうしてくれるんだ?-
眼前に刃のきらめきが迫る。
-もう疲れたんだ。憎むのも、愛するのも。だから・・・-
幸福に包まれ、かつてのマルティス騎士団副団長エーミルは最高の終わりを迎えた。




