召還
月光が伸びてきて、その青白い光りが祭壇を照らした。
静寂の中で一人の少女が祈りを捧げ、背後にはローブに身を包んだ魔術師達がそれを見つめていた。
祈りを終えた少女が立ち上がり、スカートのすそを払った。真剣なまなざしで祭壇を見据え、一つ頷く。
辺りを照らしていたろうそくの火を吹き消して、両手を広げる。
顎を上げて、月の光りを顔に受ける。
思い浮かぶのは公王たる父と母、そして大切な人たち。足元の魔方陣が、鈍く光る。
催されるは使い魔召還の儀、失敗すれば命すら危うい。
それでも、月影さす森の中で、少女はすべてを賭けて術を紡いだ。
***
定式化された言葉を編み、体の中にあるもう一つの目で、世界の底を見つめる。
言葉を紡ぐたび、ゆっくりと沈んでいく。
言葉は光となり、足元の魔方陣に吸い込まれて、薄い光りの帯が立ち上った。
私はじっと辛抱強く求めるべきを求め、心の中で叫び続けた。
額に汗がにじむ。
周囲から憐憫のまなざしが向けられているのが分かる。何一つ成功したことの無い私に誰も期待などしていないし、それが当然だと思う。
でも、それが何だというのか。ここにいたって、もうそんなことは気にしない。私は私の持ちうる限りの力で、それに語りかけるだけだ。
これだけは成功してみせる。
そうしなければ、私を守り続けてくれた人たちに申し訳が立たないから。もう、これしか方法は無いから。
私が私であるその限界まで落ちて、私は世界と交じり合あう。世界を理解し、その律法でもって求めるものを手探りした。
どれだけの時間がたっただろう、数時間か、あるいは数秒か。
ふと、何かが私の意識に触れるのを感じた。これほど深くもぐることは今まで無かったし、世界にもぐった私には時間の概念が無い。危険は大きかったけれど、それが私の限界であり、きっとこれが最後になるだろう。
世界の底で、何かが声にならない叫びを上げる。
「!!!!!!」
とても大きくて恐ろしい、けれども不思議と暖かいそれに抱きしめられた。
取るべき手順を忘れ、私はそれを受け入れて、ただそれの意識に溶け込み、一つになる。
かすかに残っていた私の自意識がもの凄い感情のしぶきにさらされる。
それは喜んでいた。私がそうである以上に。
私は、そっと抱きしめ返す。
待ち続けていてくれたそれへの返答として優しく口づけをする。
瞬間、溶け合った私たちに一滴、血の涙が落ちた。
意識の海に波紋のように広がり、見渡すかぎり、赤く染まった。
-おめでとう、愛しい子-
優しくて慈しむような第三者の声とともに、私はかつてない陶酔に包まれた。
その時、心地よい祝福の凪のなかから、急に引き戻される感覚に自意識を取り戻した。
力がどんどん弱くなるのを感じる。このままでは術は完成しない。急がなくては。
しかし、スペルが途切れ、つないでおいた現世への存在のアンカーが巻き戻されていく。浮上する意識と共に、契約したはずそれは急速に遠のいていった。
(また失敗する。何度めどの失敗かな)
世界の底で、流れるはずの無い涙を流し、途方にくれたとき叫んでいた。
「お願い」
世界の底で、それが私を見上げる。
「私を助けてください」
そして、力の限り、手を伸ばした。
***
ほとばしる閃光とともに、レオーネの意識は体へと戻った。疲労のために膝が崩れ、ひどいめまいがした。
「大丈夫か?」
監督者であるコール先生が起こしてくれた。騒がしかった周囲が、今は波を打ったかのように静かだった。自分の存在意義をかけてのぞんだ召還の儀。出来ることは何でもした。何一つ魔術を完成させることの出来ない自分に唯一残された手段。
(誰かに縋ることさえ出来ないなんて)
本来、見限られて当然であるのだが、レオーネの出自が名門であったことで、こうして機会が与えられた。しかしそれも失敗した。駄目でもともとだったのだから、なんて慰めにもならない。
(だって、全てを賭けていたんだもの。失敗した後のことなんて考えてない)
どうしようも無くて、涙がこぼれた。
「命あってのものですから」
慰めの声と共に、背後で冷笑が漏れた。
(ごめんなさい。お父様、お母様、姉さま。私やっぱり駄目でした)
周囲の貴族の反対を押し切り、許可を与え、根回しをしてくれた家族の期待を裏切ってしまった。
「黙れ!!」
コールが一喝しても、辺りは静まらない。
(サラ、いろいろ手伝ってくれたのに。どうしてかな)
幼い頃から見守ってくれた姉のような、ただ一人の友達。儀式を成功させるために一緒にがんばってくれた。結果を知っても慰めてくれるだろうけど、目元に浮かべるだろう涙を思うと胸が締め付けられる。
(ブリギッタ、あなたにはつらい思いばかりさせて、ごめんなさい)
かつての御付騎士で、友達と思っていたとても綺麗な子。落胆ばかりさせて、愛想をつかされてしまったけれど、今でも心配してくれていることを知っている。また、同じ思いをさせてしまう。
「私、本当にどうしようもない」
つぶやく声に力は無かった。
涙はすでに堪えきれなくなり、嗚咽がこぼれ始めた。
その時、誰かが魔方陣の異変に気付いた。
はじめはかすかに、やがてはっきりと燐光を放つ。
魔力の粒子が盛り上がるように溢れ出て、書かれた文字列が空中に浮かびあがり、激しく回転し始めた。
魔力はこんこんと、泉のように湧き出て、魔法陣の最外縁にぶつかり、はじける波頭のように。
魔法陣内の空間が歪んで超越し、坐します何かが求めに応じて召還される。
レオーネはそれを呆然と見つめる。
コールが声をあげた。
「術が生きている。門が開く。成功だ」
レオーネは立ち上がり、閃光に包まれる方陣の中に、この世界で自分ただ一人のための使い魔の息吹を感じ取った。
***
まばゆい光が収まる。コールが方陣の周りに結界を起動する。周りに居並ぶ見届け人たちは現れる存在を刺激しないように、にじり下がり、レオーネは涙をぬぐって服の乱れを正した。
みなが固唾を呑んで見守るなか現れたのは、貧相なかっこうをした一人の青年であった。
コールは、しげしげと観察眼を向け、見届け人たちは唖然とした。件の青年は、ただあたりを見渡す。
「君は何だ?」
コールは思わず、そう語りかけた。それがきっかけになったのか、見届け人たちは笑いの渦に包まれた。
「これが、使い魔だと。ありえないとは言わんが」
「どう見ても人間じゃないか、それも平民とは」
「どうするのだ」
「レオーネ殿の呪力の表れが、平民か」
「公女レオーネ、彼は、馬の隣にでもつなぐのか?」
その青年、カイは、侮辱されているらしいことがわかったのか、困惑しているようだった。
無理も無い。そもそも、何故こんな身に置かれているのか彼自身全く解らなかったのだから。
***
なんだか、変なところに来てしまったものだ、カイはふらつきながら、目の前の状況を整理しようとした。
目の前にいるやつらは、皆、西方人のようである。髪の色は明るいし、瞳の色もそうだ。身分は高そうだが、年のころは様々で、十代の者から年老いた者までいる。衣服は統一性のある洋装である。宝石を身に着け、細やかな意匠が凝らされていて、とても華やかだ。きっと貴族階級に属するのであろう。しかし、だからといって、初対面の者にあからさまな侮蔑でもって接する習慣はないはずである。そう、聞いている。
戸惑ったカイは、素朴な疑問を口にした。
「なんだ、貴様らは。ここは何処だ。用が無いなら帰るぞ」
それがいけなかったのか、また火のついたような笑いが起こった。憮然として、ふと、どうやって帰ればいいのだろうと思い、なるほど馬鹿なことを考えたものだと頭を抱えた。
そんなとき、笑いの中で視線を感じ、目を向けると銀髪の少女がこちらを見ていた。ただ視線を投げているのではなく、ぎこちなくだが微笑んでいる。
(じゃあ、この少女が?)
しばらく視線は交錯していたが、少女はぱっと破顔した。
なにもかも、許してしまえる笑顔だった。
「静かにしろ!!」
たまりかねたコールは空中に魔方陣を書き、炎の術を展開した。それで、ようやく騒ぎは収まった。
「君、どうやって此処に来た」
「光が地から出ていて、それに触れたら、呼ばれた気がした」
カイはぼんやりと答えた。まだ頭が本当じゃない。
「誰が君を呼んだかわかるかね」
カイは、自分を見つめる銀髪の少女をみた。
深くて蒼い瞳は涙でぬれ、その光りが揺らいでいる。ふと、喧騒が遠ざかり、彼女の小さく柔らかな鼓動が聞こえたような気がした。
そして、自らのそれと重なり合い、一つになる。
「この子だ」
カイは少女を指差した。少女は胸をなでおろしたのか、大きく息を吐いた。コールは頷き、少女のほうを向いた。
「レオーネ君どうやら成功のようだ。つながりは弱いが確かに結びついている。このような例が無いわけではない。後のことは追って連絡する。ひとまず決められた通りに」
「はい、解りました。ありがとうございます。コール先生」
とても澄んだ声だった。聞こえてきた声はか細く、今にも消えいりそうだったのに。
「ええー、こんな平民がここにいていいんですか、どうかとおもいます」
幼さが残る少女がはやし立てた。コールは向き直り、はっきりと言った。
「契約とは神聖にして不可侵のものである。それはどのような状況であっても尊重されなければならない。君達が貴族でありたいのであれば、ないがしろにすることは許されない。理解したかね諸君」
***
皆は、こちらを見、何か言いつつどこかに行ってしまった。残されたカイは少女の様子をうかがった。目が合うと、少女は照れたような顔をした。
白い肌に、大きな蒼い瞳、銀色の髪を腰まで伸ばしている。美しいと思った。儚げだが、それで彼女が弱いということにはならない。
黒いマントに緋色の礼服をまとっている。背は高くないが、姿勢はよく、カイを見上げる瞳には気高さがあった。
唇が薄く開いて、紅い舌が覗く。
「何から、ご説明したらいいか、そうですね。まず、お名前を教えてください。私はレオーネといいます」
「カイ」
短くカイは答えた。意図したわけではなかったが、少しぶっきら棒になってしまった。邂逅の喜びをどう表現していいかわからなかったのだ。
「カイさんですか。私の屋敷にお連れします。いろいろご説明したいことがあります」
レオーネはそう言って、カイに魔方陣の外に出るように促した。方陣があったのは木々に囲まれた祭壇の前だった。魔方陣からもれ出ていた光りは消えていたが、質素で頑健なつくりの祭壇は、月光を浴びて、闇に飲まれることなく青白く浮かび上がっている。背後にはレンガ造りの高い尖塔が遠く。空に雲はない。ただ月が浮かび、肌寒い森の気配が辺りを包み込んでいた。
先にたったレオーネが振り向き、手を差し伸べた。
銀色の髪が風にそよぎ、雪のような肌が月に照らされ、目から一滴、涙がこぼれる。
微笑んだ頬は赤く染まり、吐息で豊かな胸が上下した。
カイがその手を取ると、レオーネは硬く祈るように握り締めた。
「始めまして、私の使い魔」
長いまつげの間から覗く瞳に怯えがあった。使い魔、なるほど、そういうことか。
「始めまして、俺のご主人様」
初めて微笑んで、その手に答えた。




