ブルー・スカイ
暗い室内で、灯りもつけずに男は椅子に座り込んでいた。
手には一通の手紙が握られている。書かれていた事実は男を打ちのめすには十分だった。
男は自身に問いかける。
道半ばで、諦めることが出来るのか?
研究は完成しようとしているのに?
あの子が、完全性が実現しようとしているのに?
そもそもこれは誰かに言われたから始めたことではなかったはずだ。たまたま理想を実現するのに都合のよい条件を提示されたから乗っただけで、ずっと前から行動は起こしていたのではなかったか?
ならば、そう、ならば。
男は立ち上がった。
前進し続けるのみだ。
たとえ援助が尽きても、見放されたとしても、私の進むべき道は変ずることは無い。
宿命などクソくらえ、だ。
そして扉を開け放ち、部屋から踏み出した。彼を待つ、愛するわが子の元へ。
****
カイが召還されて数ヶ月たったある日、レオーネはカイと共にガイゼリックから呼び出しを受けた。
サラはカイが何かしでかしたのではないかと不安がっていたが、レオーネはそれに関しては特に心配などしていなかった。召還された頃と違って、カイも険が取れたようで、警邏で親しくなった貴族や憲兵と談笑しているのを良く見る。周囲との関係はとても良いようだし、屋敷内でもサラの言うことを良く聞いて仕事に励んでいる。
レオーネ自身もカイのおかげで、ブリギッタやライラ、そしてオーギュントという友人が出来た。カイに問題があると言われても、困ってしまう。
「それも全て、カイさんが来てくれたおかげです。だから、大丈夫ですよ」
しかし、サラの顔は晴れなかった。
ならば、問題があるのは自分だろうか?レオーネは不安だった。
だから、カイに尋ねずにはいられなかった。
「どういった、御用でしょうか?」
カイはいつもどおり飄々(ひょうひょう)として、
「これといって、何もしていませんから、どうなんでしょうね」
何も気にしていないようであった。
カイがそうなのだから、主である自分が不安がっていてはしょうがない。そう思ってレオーネは、顔を上げて機関の中心部であるガル=マルブに足を踏み入れた。
****
ガル=マルブでは、もう既に春が終わり、学生達はみな、涼しげな制服に着替えていた。芝生に座り込んで自作の魔術の術式を披露しあうものたち、通りかかった教諭に議論を挑むものたち、そして魔術で霧雨を降らせるものたちがいた。
みながみな、自身の魔術ではどうしようもない夏を厭い、そして楽しんでいた。
その中を、レオーネとカイはガイゼリックの待つ百目の塔に向かって歩いた。初めて来たときと違い、レオーネの足取りにはびくついたところが無かった。まるで、そこいらの学生と同じようであった。
というのも。
「ごきげんよう。レオーネさん」
噴水に腰掛けていた少女が、微笑を浮かべながらレオーネに声をかけた。
「ご、ごきげんよう」
照れながら、レオーネは答えた。
いつの頃からか、レオーネは話かけられる機会が増えていたのだから。
「ごきげんよう。クシェルさん」
話しかけられて、陽気になったまま、広場で待っていたクシェルにレオーネは挨拶した。
「レオーネさん。ごきげんよう。あら、ご機嫌がよろしいようですね。うらやましいわ。授業に出る必要が無いから、時間にも余裕があるのですね。私は貴女が遅れて来たせいで仕事がたまってしまいそうですわ」
久しぶりに顔を合わせたクシェルの久しぶりの敵意にさらされて、レオーネは一気にしょげ返ってしまった。あきれ返るカイの視線を気にも留めずにクシェルは赤毛を揺らして先に立って行ってしまった。どうやら彼女はよほど図太いようで、得体の知れないカイにもすっかり慣れてしまったらしい。
****
無機質な廊下を通って、三人は一つの扉の前に立った。クシェルはこちらを振り向きもせずに扉を開けると、自室である秘書室に入った。くるりと振り返り、クシェルは口元をゆがめた。
「お二人がお着きになりました」
「入ってもらえ」
レオーネは緊張と共にガイゼリックの部屋に入った。
隻眼の鷲が描かれた天上のモザイクガラスから光りが差した。
ゴシック調の室内にはサモワールが湯気を立てている。壁一面には、今は見ることがほとんどない紙製の書物が並び、書架の高さは目で追うことが出来ないほどであった。
その下に、執務机に腰掛けたガイゼリックが待っていた。脇にはコールが控えている。ガイゼリックの顔には、険しさがあった。コールはいつもと変わらない様子で、目礼で持ってレオーネたちを迎えた。
「かけたまえ」
そう言うと、ガイゼリックは書類に目を落とした。
しかし、十分たっても、三十分たっても話しかけられることは無かった。レオーネは手持ち無沙汰になり、コールを見たが、忙しそうに空間に書かれた絵巻物の整理をしていた。カイは急に椅子から立ち上がり、書架の前に行くと、レオーネが止めるまもなく一冊の本を取り出した。
「あ、あのカイさん、いけません」
小さな声でカイに注意をしたが、その時ガイゼリックが目を上げた。
「本はいいな。魔術で記されたものと違って記述者の息遣いが感じられる。インク溜まりを見れば、どうしてそこで迷い、筆が止まったのか、思いをはせることが出来る。手書きの書物を探すのも骨が折れるがそれもまた楽しみのうちだ。興味があるのなら貸してあげよう」
「よろしいのですか?」
レオーネは予想外の幸運に驚き、声を上げた。
「なに、構わんよ。書物は読まれるためにあるのだ。ここで埃をかぶっていても意味がない」
顔がほころぶのを押さえることが出来なかった。宮殿でも煩雑な手続きを経なくては読むことが出来なかった原本を、まさかマルブで読むことが出来ようとは思ってはいなかったのだから。しかも有名なガイゼリックの蒐集本を。
「さて、君たちを呼んだ理由だが」
レオーネは居住まいを正した。カイは一冊の本を小脇に挟み、レオーネの斜め後ろに立った。
「少し調べてほしいことがあるのだ。なにぶん手が空いているものが居ないのでな、君たちに頼みたい」
「私たちに、ですか?」
何故、一学生である自分が?
「何故、学生であるレオーネ様が?そういった役職についているものもいるでしょう?」
レオーネの疑惑を感じ取ったカイが言った。
「無論、いる。だが君たちに頼みたい。と言うよりも君たちは活躍しなければいけないのだ。力強い友人は出来たようだが、依然君たちは微妙な立場にいる。風向きとは気付けば変わっているものだ。そして、そのときはもう遅い。そうなる前に評判をあげておけ」
そうだ、カイを召還したからといって、国は自分を持て余している。そしてカイも黒騎士という立場が逆風になるかもしれない。
「お気遣いありがとうございます。是非やらせて下さい。私、がんばります」
レオーネの言葉を受けて、ガイゼリックは頷いた。
「ふむ、詳しくはコールから聞きたまえ。では下がりなさい。カイ君、君は残りなさい」
レオーネは心配そうにカイを見た後、コールと共に退室した。
****
レオーネの姿が見えなくなるのを確認したカイは、ソファにどかっと腰掛けた。
紅茶を入れると、一気に飲み干した。
沈黙するガイゼリックの目を見て、口を開いた。
「簡単に言ってくれるが、危険が伴うのだろう?だから、俺を残した」
ガイゼリックはカイの目を見返した。
「そうだ」
「わざわざ主を渦中に落とせと?」
カイの周囲がざわめき、結界が軋みを上げる。けれどもガイゼリックは顔色を変えない。
「急ぎすぎだ。話を聞け、黒騎士」
カイは微笑を浮かべると、殺気を抑えた。
「やはり手に負えんな。それだけの力がありながら、何故ブリギッタに遅れを取った?」
「俺には俺の都合というものがある。ただし今は、十分力が有り余っている。試してみるか?」
二人の間に緊張が満ちた。天上の隻眼の鷲ベルタが、主と黒騎士が演じる茶番に付き合いきれぬと、高い笑い声を上げた。
(おやめになって。どうして殿方ってこうなのかしら。頑是無い童じゃあるまいし)
「貴様はだまっとれ」
ガイゼリックは気勢がそがれた様子で机上の紅茶を口に含んだ。
「この一軒だが、本当に他に調査出来そうな者は居らんのだ。おそらく研究棟に入る必要がある。そうなると、強力な結界の下で動かざるを得まい。分るな?対象に気付かれないように捜査できるのは、魔術がなくとも動ける貴様だけだ」
「続けろ」
カイは不機嫌さを隠さなかった。
「ここ最近、使い魔が行方不明になる事件が頻発しておる。以前からあった問題なのだが、無視できないほどになってきていてな。マルブは最先端の方術研究機関ゆえ、国の重要な案件を抱えておる。手続きを経れば、大規模な捜査を行うことはできるが、おいそれとはできん。信用問題に関わるからな。情報が漏れるようなことがあれば大失態だ」
「なるほど、それで衛兵が増員されていたんだな?」
「そうだ。しかし、それでも尻尾をつかません。大したものだ」
なるほど、ガイゼリックが手を焼いているのだから、それなりの者が事を起こしているのだろう。ということは、それに見合った危険もあるのだろう。
「君たちに頼みたいのは、あくまで調査だ。ある程度情報が集まればそれでいい。危険が迫れば直ちに中止してもらってかまわない。どうだ?」
カイは苦笑した。評判を良くしろといっておきながら、これか?それで済むわけが無いだろうに。
「そいつらは、使い魔をさらって、何をしようとしている?貴様らの見立ては?」
ガイゼリックは、髭を撫でた。ベルタが目を細めて笑う。
「キメラの創造だ。出来ようはずが無いがな」
「ほう。しかし、そいつらは出来ると思っていると。そして、そのために被害を広げていると」
「そうだ」
「聞いていれば、危険ありきだな。もし要らぬ機密に接した場合、俺達はどうなる?始末されるのか?」
ベルタが嗤い、実体化する。ガイゼリックの手に、隻眼の鷲が止まった。
「冗談言わないで。そんなことをすれば、私たちがグラナトゥムとケルサスに消されてしまうわ」
「なるほど、多少無茶がきく立場にあるのが俺たちか。しかし、それで担ぎ出すには、いささか説得力に欠けるようだが?」
ガイゼリックはため息をついた。
「レオーネ君の国から何かあれば君たちに任せろと依頼を受けている。特にこの件は強い要望を受けていてな。王室ではない。別口だ。きな臭いが断ることは出来まい。わしも個人的にはレオーネ君には好感を抱いておる。こんなことを頼むのは不本意なのだ。しかし、彼女の立場は君が思っているほど良くはない」
カイは眉間にしわを寄せて、これ見よがしにため息をついた。
何ともくだらない。
「なるほど、政治か。であるならば、余計即答は出来ない。俺にとってレオーネ様の身の安全が一番だ」
ガイゼリックはベルタを見た。
「勿論、あなたの言うとおり。主が一番。けれども少し危険を冒せば、後の安全につながりますよ」
「何を言っている?」
「わたくしたちもグラナトゥムの面倒事に巻き込まれるのは嫌。ここは中立だもの。けれど、これを解決してくれれば、いろいろ助けてあげられる。恥を知らずに圧力をかけてきた奴らの情報も手に入ったら、差し上げてもいい。なんなんら、それらを殺す楽しみも付けてあげる。これはわたくしの特権だったのだけれど」
グラナトゥムの面倒ごとならば、サラの耳にも届いているはずだ。ならば。
「とっくに話は付いているんだろうが。ただし、主に危害が及びそうになった場合、相手を殺してしまっても構わんな?それだけじゃない。万が一、貴様らが裏切った場合も同様だ」
ガイゼリックは、大きく笑った。
「それよ。わしが心配しているのは。レオーネ君の姉君はレオーネ君と君の身を案じていたが、まったく、誰の心配をしているのか。首謀者は出来れば生かしたままにしておけ。そうでなければ、後処理が面倒になる」
「それと、褒美はないのか?結局、発端はここの事情だろう?」
「これからは、好きな本を貸してやる。レオーネ君が読みたがっていたのは知っておる」
「この人、さっきは、ああ言っていたけれど、本当は誰にも貸したくはないの。クシェルにも手を触れさせないんだから」
「ふむ。レオーネ様も喜ぶだろう」
「汚してしまっても事故ならば許そう。だが、そうでないならば、決して許しはせぬぞ」
****
レオーネは別室でコールから機関が行った調査の引継ぎを受けていた。カイが出てくるとレオーネはそっとカイを伺い見た。あまり機嫌がよさそうではなかった。やはり反対なのだろうか?即答したのは確かに軽率だっただろうけど、おそらく選択肢は無い。
「カイ君、書類は用意して置いた。君やレオーネ君にも読めるように紙媒体で用意した。機密であるから、紛失した場合に備えて、自動焼失の魔術がかけてある。詳しい説明は彼女から聞きたまえ」
「これだけは、答えていただけますか?」
「何かな?」
「対象は、キメラは完成しているのですか?」
「まさか。夢物語だ」
****
レオーネは上気した胸を押さえながら、サラに事情を説明した。サラはじっと耳を傾けていたが、我関せずと紅茶をすするカイを睨みつけていた。
「あの、サラ、依頼を受けるのは反対でしょうか?」
話の途中ではあったがレオーネは聴かずにはいられなかった。サラは難しげな顔をして言った。
「いえ、反対といいますか・・・。危険が大きすぎませんか?機関が手を焼いているのに私たちが解決しようと思うならば、無茶をしないわけにはいけません。それが解らないガイゼリック殿ではないでしょうに」
サラはカイをじれったそうにカイを見た。
「あなたはどう思うの?」
ぼんやりとしていたカイは、急に水を向けられて、目をしばたいた。
「昨年から使い魔が行方不明になる事件が発生。昨年は一月に一件あるかないかだったのに、今年に入って一月当たり最低でも二件、二月前から今日に至るまでは七件発生。どうやら、キメラ作成の研究をしていると思われる、ですって?」
思われる、に力を入れて、サラはカイに書類の束を投げてよこした。
「正しい発生件数は不明、でも目的はキメラ作成の研究と半ば断定的に書かれていて、それを前提に調査している。どうして分るの?これはいったいどういうこと!?」
カイは、顔を上げた。サラは上気し、眉根を寄せて目が怒りに染まっている。
国許から命を受けているくせに、何をむきになっている?
・・・さては、こいつ担がれたな?
「これは命令だろ、サラ。連絡が来ているんだろう?他にしようが無いのだろうが」
サラは顔をしかめた。
「あなたは、国の命令には従わないんじゃなかったの?いいのそれで?」
「断って欲しいのか?俺を出汁に使うな!」
厳しく言われて、サラは息を呑んだ。
「貴方には分らないわよ!私だって、まさか、こんなの・・・」
「近衛なら、国にではなく、レオーネ様に尽くせ。グラナトゥムは王族の魔術あっての国体だろうが。お前の忠誠はどこにあるんだ!」
サラの視界が、青く染まった。
見上げる空は何処までも青くて、雲は無い。
円を画いて鳥が飛ぶ。
売国奴が!
聞こえるはずの無い声が聞こえた。
動悸がして、止まらない。
めまいがして、いるはずの無い者たちが見えた。
優しかった、顔見知りの司祭が祈りを捧げている。
けれども、私を見る目に侮蔑がある。
ああ、司祭様。
私をそんな目で見ないでください。
私は膝の裏を蹴られて、崩れ落ちる。
跪かされて、髪を掴まれ、頭をたれる。
面前の広場には国民の怒りが溢れて、私をののしる声がこだまして、涙が落ちた。
どうして?なんで?
分らない。
もう、私、壊れてしまう。
私は目を閉じた。
その瞬間、かすかに、首切り役人の肉厚の剣が見えて・・・。
手が握られる。
目の前には、レオーネがいた。
微笑んで、私の罪をそっと覆ってくれる。
そうだ。父は、母は、兄は、貴女たちだから、国なんかじゃなく、大好きな貴女たちのためだったから。
「カイさん。止めてください。サラはいつも私のことを考えてくれています。それは絶対です」
彼女の、これまでに無い非難を受けて、カイは胸がきしんだ。
サラは視線が定まらずに震えていた。
過去のトラウマ、ブリギッタが教えてくれたサラの悲劇。決してそれに触れるなと、サラの忠誠を疑うなと、忠告されていたのに。
どうして、俺は、こんなにも。
「すまない。俺が馬鹿だった」
「いえ、いいの」
言葉は弱々しく、視線は泳いだ。
レオーネがカイを見た。
「確かに危険はあるだろう。しかし、ガイゼリックやコールは最大限の援助をしてくれるはずだ。これがレオーネ様のためになるならば、やるべきだろう」
そして、サラ、お前のためにも。
汚名は決してお前にふさわしいものじゃない。
こんなにも、お前は儚く、美しいのだから。
サラが目を上げて、カイと視線がぶつかった。涙が浮かんでいる。
「本当?機関側がそんなことを?」
「勿論だ。国からの要請とはいえ、実際に持ってきたのは奴らだ。何かあった場合、俺が奴らを皆殺しにするだろうことは、はっきりと伝えてきた」
レオーネが青ざめて、サラは微笑を浮かべた。
「ブリギッタなんかにやられたくせに」
「あれは、あいつに花を持たせてやっただけだ。後々うるさいからな」
「あ、あのカイさん!それは、どういうことですか?」




