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偽国戦記  作者: ブレヒトさん
幕間
34/131

聖女ナスターシャ

ライラの使い魔が悪魔であることをカイは知る。

そのとき、マーテルとアーティファ、二柱の女神の諍いに現世が巻き込まれる。

蛇人神ホクマに助けられたカイたち。

ホクマは、諍いがカイに関係があるのではなく、ライラがその中心であるとカイに告げる。

 サラの涙交じりの怒声が響き、世界は帰ってきた。

 レオーネがサラをなだめすかす。

 オーギュントは、サラに謝るようブリギッタに言うが、とうのブリギッタはとぼけている。

 そして、ライラは戸惑っているのか、辺りを見回している。

 カイの体感では数分の出来事。しかしアーティファの世界ではどれだけの時が流れていたのか定かではなかった。いや、時間など流れていなかったのかもしれない。アーティファの世界は、瞬間と、永遠が同義であるから。


「どうしたライラ?」


 頭に手を置くと、ライラはカイを見上げた。涙が浮かんでいる。


「誰か、優しい人に抱かれてた気がしたの。でも、何処かに行ってしまった・・・」


****


 魔術の施された皿には、羊肉のワイン煮込みが盛り付けてある。上に、さやのついた豆が添えられ、彩りを与えている。付けあわせの、こんがり焼き色のついたパイはサクッとさわやかで、単調になりがちな肉の食感を飽きさせない工夫である。

 ライラが誰よりも早く食卓に付き、ナイフとフォークを握り締めて、食事の許可を待っていた。今にも齧り付きそうなその様に、ブリギッタが小言を言った。


「礼儀正しく待ってなさい。まだ、もう少し掛かりそうよ」


「冷めないかな?」


 ブリギッタが髪をかき上げる。


「この皿には、私の魔術が掛けてあるの。冷めないわよ」


 ブリギッタはこの屋敷に来て、まず始めに食事に注文をつけた。レオーネの作る料理の改善点を数え上げ、より精進するように叱咤した。かと思えば、涙目になるレオーネを上手く慰め、早速翌日にその成果を味わいに来た。そして、たっぷりと味わった後、さらなる改善点を挙げるのだった。

 彼女はとても金持ちだったから、毎日ライラを連れて、豪華なレストランで食事を取っていた。清貧を国是とするグラナトゥムにあったときも、食事には妥協しなかった。とてもグルメだったのである。皿に関しても美味しくいただくためで、料理が冷めてしまうことがどうにも許せなかったのである。さらにブリギッタは、レオーネの才能を伸ばしてやることに躍起になってもいたから、勝手に調理器具をそろえてやろうとしていた。きっと断られるだろうが、彼女が気にするはずが無かった。


「まだかなあ。腹減ったよ」


 オーギュントは、情けない声を出して、腹をさすった。彼は屋敷にもぐりこんで以来、二、三日に一度は決まって食事をするために顔を出していた。最初はサラと仲良くなるためであったが、いつの間にか、レオーネの作る家庭的な料理が楽しみになっていた。生まれてこの方宮廷に住み、マルブに来てからも、学生や研究者が集う食堂で食事を摂っていたから、家庭料理に触れる機会には恵まれなかったのだった。


「デュルイの御子息がなんて声出すのかしら。もっとしゃんとしたら?」


「なんだよ。別に良いだろ。ここは王宮じゃあないんだし」


 そう言って、ライラと笑いあった。


「レオーネ早く!」


 ライラが声を上げると、サラがパンをかごに入れて食卓に置いた。朝、レオーネが早く起きて、今晩のために焼いたものだった。


「無茶言わないで頂戴。六人分も作るのよ。しかも大食らいもいるし」


 そう言って、ライラとオーギュントをねめつける。


「ちょっとは、こっちのことも考えて」


「ごめんなさい」


 食事のことになるとライラは素直だった。そしてオーギュントにとっては、サラの言うことは絶対だった。


「ごめん、ごめん。でも、あの子、嬉しそうじゃない?」


 ブリギッタが言うとおり、レオーネは彼女たちが来るようになってから、毎日朝が明けるのが楽しみな様子であった。朝早く起き出し、パンを焼いて、その日のメニューを考える。みんなの好きなものは何なのか。嫌いなものは何なのか。どうしたら、もっと食べてもらえるだろうか。悩んだすえに作った料理を、昼、夜には誰かしらが来て、食べて感想を言ってくれる。こんなに充実した一日を過ごしたことは無かった。レオーネは本当に毎日が楽しみだった。


「それはそうだけど」


 サラが言いよどむ。


「でも、夜遅くまで勉強して、さらに料理までしているのよ?ちょっと心配だわ」


「メイドを雇うべきね。オーギュントも私も食費を出しているんだから、雇えないの?」


「ちょっと厳しいわね。グラナトゥムの姫様に仕えるメイドよ?有能だけじゃ駄目なの。確かな身分と忠誠を示してもらわなければ」


 レオーネが、エプロンをはずしてやってきて、サラの言葉に複雑な顔をしている。


「そんなの、城から派遣してもらえばいいじゃないか」


 オーギュントが何でも無いかのように言ったが、サラもレオーネも頷かなかった。レオーネのことを最も疎ましく思っているのは、グラナトゥム公国の宮中に仕えることを誇らしく思っている使用人たちであったのだから。彼らの理想とする王室に、レオーネはそぐわない。


「そんな話は後で良いだろう?腹がへったから、食うぞ」


 カイはそう言って、テーブルに山盛りのサラダを置いた。

 ライラが、急かし、皆が席に着いた。六人分も椅子が無かったが、それは物置にあったものをカイが直して、それなりのものに仕上げた。サラとブリギッタ、そしてレオーネは礼儀正しくマナー通りに振る舞う。しかし、ライラ、オーギュントは今にもがっつきそうな様子で、かごに入ったパンを勝手に取り出した。


「貴方たち、いい加減にして」


 ブリギッタのこみかみに、青筋が立つ。


「カイを見習いなさい」


 そのカイといえば、以外にマナーを守っておとなしくしていた。


「いいから、いいから。戦場じゃ、マナーなんて誰も気にしないよ」


「ここは、戦場じゃないの」


 サラの言葉に、オーギュントは、急に居住まいを正した。完璧な姿勢、微笑を湛えて向き直った。

 小さなせきをして、頭のスイッチを入れ替えた。


「いただきましょう。今日のこの糧、その犠牲、全てに感謝し、豊饒の神マイアに祈りを。そして振舞ってくださるグラナトゥムの姫君、レオーネ殿に感謝の言葉を」


 口調まで変わって、ざっと巡らすその視線は、人を軽々しく寄せ付けない。支配者階級だけが持つ、有無を言わさない静謐な強制。


「はい。どうぞ、ご堪能ください。御口に合うかどうか判りませんが、これが我が家の精一杯。皆様をお迎えするのに、これ以上のものは御座いません。わたくしどもの心づくし、どうか、お受け取りくださいまし」


 レオーネも、それにならい返礼する。述べる口元に威厳が浮かぶ。けれども、いやみは無い。純粋に客人をもてなす、そのためには彼女の地位も名誉も道具となる。謙譲するのは言葉だけではない。その視線、振る舞い、微笑みが彼女の思いとなって、場を制する。それもまた、王族たる彼女のカリスマだった。居丈高に見下ろして、強制するだけが人を導くのではなかった。

 どんなに、虐げられていても、聖女の血は隠せない。

 親しげにおどける騎士も、見上げられるには理由がある。

 サラもブリギッタも、レオーネとオーギュントが何であるか、身分の差、血の持つそれを痛感せずにはいられなかった。彼女たちと肩を並べられるはずが無いのだと、今この時はかりそめなのだと、胸を焦がした。


「オーギュント、なんだか気持ち悪い。いいから早く食べようよ」


 ライラが口を尖らせ、テーブルを叩く。


「ええぇぇ。気持ち悪いって、お前・・・」


「まったく、なんだそれは。いちいち面倒な」


 そして、空気は変ずる。


「そうですね。ここは王宮ではないですし、慣例に従うのも変な感じがしますし」


「早く、早く」


 ライラが言うと、サラとブリギッタもいつもの表情に戻った。

 そう、生まれは違っても、ここはレオーネの屋敷で、彼女は友人が欲しかったのだから。そして、ここは魔術機関マルブで、国の目は届かないのだから。


****


「サラさん、サラダを取ってください」


「はい、どうぞ」


 オーギュントがサラからサラダを受け取る。景気良く皿に山盛りにして、フォークを突き刺し、口に入れる。さらに羊肉をたっぷりとソースにつけて大口で食べる。幸せそうに咀嚼して、飲み込む。ワインの芳香とサラダのみずみずしさがマッチして、濃い目の味でもしつこく感じない。


「やっぱり、レオーネの料理は美味しいなあ。食堂で食べるよりずっと」


「ありがとうございます」


 レオーネがはにかむ。


「そうね、レストランで食べるより食が進むわ。特別な食材は使っていないんでしょう?どうしてかしら?」


「特別なことは無いと思いますが・・・」


「本当よ。そうじゃなきゃ食べにこないわ。お世辞なんて、私たちに意味ないしね」


「レオーネ様が作っているからだろ?味が優しいんだ。そのために大分多くの手間をかけている。食べやすい大きさに切り、裏ごしも欠かさない。皿の一つ一つの味付けも、俺とオーギュントでは異なるように、よく相手を考えられている。なかなか、出来ることじゃあない」


 カイの言葉に、ブリギッタはスープを一口、続いてライラの皿のスープを一口飲んだ。


「言われてみればそうね。それに、懐かしい感じがするわ。家庭的な料理だからかしら?でも、あなた、よくそんなこと分るわね。意外と良い家の出なのかしら?」


 テーブルにひじを突いてカイの目を覗き込んだ。

 サラとレオーネが息を呑む。カイの生まれ、聞いてはいけないと思い、聞かなかった。はぐらかされる度に、関係が深まるに連れて、それはタブーになった。間に罅が入ることを二人は極度に恐れていた。


「・・・姉が作る料理と似ているんだ。普段作るものも、奇を衒ったものも、何処か優しくて、穏やかにさせてくれる」


「カイ、お姉さんがいたの?」


 オーギュントとパンを取り合っていたライラが口を挟んだ。オーギュントもまた、手を止めてカイを見た。視線が集まり、カイは首をかしげた。


 このくらいはいいだろう?姉上、マーテル。


「ああ、難しい人だよ。名を、桔梗(ききょう)という」


****


 カイは、ソファで横になっていた。

 ブリギッタとサラ、そしてライラが並んで皿を洗っている。

 

 試してみるか。


 カイは悪魔との会話用のチャンネルを開こうとした。かつて天上に在ったとき用いていたもので、力を封じられた今は繋がるかどうか分らなかったのだけれど。


(・・・貴様、何者だ?黒騎士ごときが私との念話をつなげられるはずが無い)


 頭の片隅に声が響いた。万全と言うわけではなかったが、近くにいるのならば問題はなさそうだった。


(答えろ)


 声は、抑揚がなく、ただ淡々と述べた。しかし、澄んでいる。若い女性の声であった。


(つまらないことは気にするな。少し話そうじゃないか)


 カイの首下に見えない刃がしのびこもうとする。それを破邪の力で受け止める。


(おいおい、主の友人の使い魔に物騒なことをするなよ。主が友人なら、使い魔もそうあるべきだろう)


(・・・)


(なんとか言ったらどうだ?ナスターシャ)


 ナスターシャと呼ばれた悪魔の気が大きく乱れる。ライラが驚いて、ナスターシャに呼びかける。どう説明したのか、ライラは笑顔でカイを見た。そして皿を洗うためにシンクに向き直った。


(すっかりライラの保護者だな。まるで母親のようだ)


(何故だ。私の名を知るものは、あの子だけのはずだ)


(どういうことだ?)


 ナスターシャは答えない。カイは推測した。


(お前の魔術だな?主以外の記憶を操作したな?)


(・・・そうだ。私はこの子の家に仕えている。代替わりするたびに元主の記憶から私の名を消す。それが契約の条件のうちの一つだ)


(なるほど、便利なものだ)


(貴様の番だ。私の質問にも答えてもらおう。何故私の名を知る?友人であるからには、対等でなくてはならないだろうが)


(対等、か)


 カイは含み笑いをもらした。ナスターシャは静かに殺意を膨らませる。


(お前を縛り付けたのは、サイレスか?マーテルか?いや、違うな、アーティファ、あのバカ女だな?)


 ナスターシャの動揺はすさまじいものがあった。ライラは危うく皿を取り落としそうになり、心配そうにカイを見た。それに笑いながら、手を振って答えた。


(何故・・・。まさか、貴様、眷属か?)


(正気か?眷属が神々の名をぞんざいに口にするなど。弾け飛んでしまうぞ。それよりも、お前は何故ライラを守る?見たところ、力の大分部分を失っているようじゃないか。そうなってまで、現世に在ることにこだわったのか?)


(私が此処にこうして在るのは私の意志だ。初めは現世に在ることに拘泥していた。しかし、いつのころからか、人に染まった。彼らを愛おしく感じるようになった。ことに、ライラは、この子だけは共に在りたい、そう思う。笑うか?)


(まさか。そうでなくては、アーティファは愛し子にお前を付けない。それに、お前はかつて人だったとき、誰よりも慈悲深かっただろうが?聖女ナスターシャ)


 静寂が二人の間に満ちた。ナスターシャの苦悶が、封印したはずの過去がよみがえる。

 かつて人であった彼女、ただ美しく、純朴だった。隣人の幸せを願い、貧しき人々に尽くした。

 しかし、彼女の施しは嫉妬を生んだ。彼女は、穢され、助けたはずの人々の欲望に殺された。誰も助けてはくれなかった。叫び続ける彼女に侮蔑の言葉を浴びせ、嘲笑った。

 そして、慈悲は反転する。世界を呪い堕天した。自身を辱め殺した者たち、見殺しにした者たち、彼らが頼る者たち、目に映る全てを滅ぼした。現世こそが地獄であると証明するために、可哀想な男娼の少年騎士を主として、大陸を這いずり回った。

 彼女と少年の力は圧倒的だった。世界に絶望した二人は、手を取り合って、互いに励ましあいながら、地獄を表現し続けた。


 みんな僕を苦しめる。僕の与える苦しみなんて、ただの衝撃。心を裂かれるそれに比べれば、なんのことはない。

 だから、もっと耐えて見せろ。


 痛いの?私はもっと痛かった。だから、もっと、嘆いて、叫んで、楽しんで。

 私の絶望まで堕ちてきて。


 だけど、どうか、お願いします。

 誰か、僕を/私を、殺してください。


 剣聖メリザンドとマルティス騎士団に討たれるまでに殺した数は幾千だろうか?いや、きっと万を超えるだろう。


(知っていたのなら、教えて欲しい。可哀想なあの子は、ハルベルトは、無事、天に昇ったのだろうか?迷わなかったろうか?)


(ハルベルト?あのガキが、確か、××××××××××、××××××××××××××××××××××××)


 かき消すノイズと共に、怒声が響いた。


(ちょっと、カイ!あんたなにしてくれてんの?人の眷属にちょっかい出して!どうして大事なこと言っちゃうの?それ、契約の一つなのよ!そんなことも分らないの!?)


(・・・お前がそれを言うのか?先にレオーネに手を出したのはお前だろうに。あれの髪の毛一本、爪の垢、愛液の一雫にいたるまで俺の物のはずだが?)


(はあ?あんたがこうしている間、うちの人が戦に出てるんですけど!)


(・・・あんた、帰ったんじゃなかったのですか?)


 異なる声が響く。マーテルの呆れた声が世界を震わす。口調は穏やかだが、怒りがある。


(だって、カイが!)


(知るか)


(いいですから、とりあえず一旦帰るのです。これ以上何かしたら、どうなっても知らないですよ?)


(ああ、もう!マーテルちゃん、ちゃんと後始末しといてよね!)


 騒がしい闖入者は、何処かに行ってしまった。どうやら、世界は止まっていたらしい。時計の針は進んでいなかった。しかし、ナスターシャは、全てを聞いていた。


(眷属などと、まさか、神であったとは)


(剣神だ。今は力を失っているが、レオーネを招くためにこうして出張ってきた。まあ、こうして説明したところで、お前の記憶にとどまるかは分らんがな)


(それは、どういう・・・)


(俺が神だからだ。行きすぎた干渉は全てマーテルに是正される。この会話も、お前の戸惑いも、ハルベルトの行方も、あれが許容しなければ、全て淡雪のごとく消え去る。それが神の力だ)


(耐え難いな)


(だろう?だから、神などに関わらないほうがいいのだ)


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