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偽国戦記  作者: ブレヒトさん
幕間
32/131

女神、二柱

ブリギッタ来訪より、二週間後の出来事

 魔術機関マルブは、敷地内に多くの店舗を持ち、市民に不自由がないように設計されている。しかし、閉鎖的な学術機関であったため、出入りする商人は限られ、求めるものが手に入らないことも多かった。そんな状況に不満を溜め込んだ市民たちは、闇での取引を行うようになっていった。

 しかし、闇市の存在は治安問題に直結する。食料を許せば、次は金属機器に、そして武器、麻薬となる。強い規律の下での生活に息苦しさを感じていた市民達は、容易に欲望に流されていった。

 各国の機密を扱う魔術機関にあって、治安の悪化は大きな懸念材料となるのは当然のことであった。機関は闇市を厳しく取り締まり、加担したものには刑罰を与えることで事態の悪化を食い止めようとした。しかし、重罰化に伴い、市民と機関側の間で溝が深まることとなった。さらに、過度な取り締まりは闇市の地下組織化を促し、取引物品の危険度も増すことにもなってしまった。結果、多くの国家が研究員を引き上げることになり、機関は財源の確保が困難になっていった。

 しかし、十年ほど前、ガイゼリック卿が新たに領主として招聘されると、大規模な規制緩和を実行した。研究の裾野を広げ、使われなくなっていた施設を接収し、新規参入者に低価格で貸し与えた。さらに、軍人であった経歴を活かして憲兵団には規律を与え、部隊を再編した。その一方で、都市内での法を大幅に緩め、市民に娯楽を開放することで、その不満を解消した。

 商取引に関しては、それまで特定の商人だけに与えていた商取引の権利を信頼できる行商にも与え、定期的に市を開くことにした。行商は厳しい審査を受け、持ち込む品々も逐一チェックされたが、機関に所属している各国の研究者は潤沢な資金を持っているものが多かったから、商売人たちには魅力のある市場であった。

 市民たちも、各国から取り寄せられる珍しい品々に満足し、闇市は次第に姿を消すことになった。それを是としない一部の市民や貴族は反乱分子として憲兵に処理された。高級貴族といえども、魔術機関の保持している機密を盾に取られれば、退去せざるを得なかったのである。

 全ては研究機密のためであるという、機関が持つ独特な権力構造は、商売の活性化にも繋がることとなった。研究に差支えが無ければ、治安を乱さなければ、たいていのことには目をつぶったからである。

 だから、各国有数の商人たちが出店を出す機関の市場には、ものめずらしく高価な品々が並び、研究者だけではなく、富裕な貴族達の所有欲を満たす一品も溢れた。そのため、研究に必要なものだけではなく、国許の貴族から注文を受けて買い求める層も出現することになった。結果、大陸のちょっとした、質の高い品物を扱った市場としての地位を確立したのである。


****


 紅い女は、市場がピークをすぎ、行商達が帰り支度をしている中を歩いていた。

 周囲の雑踏には、人だけではなく、蛇人や、子鬼などの亜人が溢れている。

 日が暮れる前に都市を後にしようと、厳しい顔をしたオークが馬車を引き、荷台では肥え太った商人がタバコをふかしている。

 大きな荷物を持った小姓を従えた貴族が、西日の中、足早に家路を急ぐ。

 脇にある酒場では、商売の成果を商神に捧げるべく、商人たちが駆け込み、ぶどう酒の入った杯が宙に舞う。そこに若い憲兵が引っ張り込まれ、断る彼の口元に火酒が押し付けられた。観念した憲兵は一気に飲み干す。歓声が上がり、憲兵は高く杯を掲げて、宴はさらなる盛り上がりを見せた。

 

 そんな大通りを、紅い女は微笑を浮かべて行く。彼女の世界、彼女の人たち、その幸せを眺めながら。

 彼女が向かう先には、小さな露台を片付けようとしている一人の若い女がいた。女は紅い女に気付くと、手を挙げて紅い女を迎えた。

 黒髪に、碧眼の、愛くるしい女だった。


「ここで、何をしているの?アーティファ」


「べつに」


 肩口で切りそろえられた髪を風に揺らして、女は答えた。眼には諧謔が浮かんでいる。


「貴女にかき回されるのは面白くないのだけれど」


「はあ?ここには私の方が先に来てたんですけど。後から来て何言ってんの?」


 アーティファ、慈愛の女神は口を尖らせて、紅い女を小突いた。


「しかも、そんな格好して。馬鹿じゃないの。マーテルちゃんのくせに」


 紅い女、現世の神にして秩序の女神マーテルは、面白がる女神を睨み付けた。見る間に髪が紅から麦色に変わっていく。黒色のドレスは白いワンピースに、顔はあどけなさが残る少女のものになった。


「あんたと話していると、ペースが乱れるのです」


「やっぱりそっちの姿のほうがいい。話しやすいし」


 アーティファは舌を出した。そして、通りすがりの馬車に積んであったりんごを一つ掠め取ると、大口にかじった。


「で、何をしているのですか。レオーネちゃんに変なもの売りつけたりして」


「いやいや、別に変なものでもないし。体にいいし」


 マーテルは疑わしげな視線を投げたが、アーティファはいたずらっ子が何かをたくらんでいるような顔を崩さない。りんごをさらに一口、大きく齧る。


「まあ、いいです。あんたがここにいる理由は想像が付くのです。旦那は知っているのですか?」


「あの人、優しいの」


「はあ、あの豚。自分の嫁ぐらいちゃんと見張っておいて欲しいのです」


「ねえ!人の旦那を豚呼ばわりしないでよ。猪なんだけど!」


「どうでも良いです。取りあえずカイたちには手を出さないでください。そうすれば、たいていのことには眼を瞑りますから。行き過ぎた介入はいけませんよ」


 アーティファの手から、りんごが落ちる。


 季節はようやく暑くなりかけていた。夏を待ちかねた木々が葉を伸ばして、深緑にそまる。行きかう雑踏を見下ろす太陽は、未だ本調子ではないものの、人々に上着を脱ぎ捨てさせるため、しゃにむに陽光を降り注ぐ。小鳥が億劫そうに噴水の脇で毛づくろいして、人が来ては、さっと飛び立つ。少年がそれを見上げて手を伸ばす。


 西日が照り、風が気持ちいい。空には雲が。水が彩る夏がすぐそばに。


 そんな無邪気な黄昏に、世界は壊れた。


「あはははははははははははははははっ」


 気が違ったような哄笑と共に、アーティファから神気が渦巻く奔流となって溢れ出た。

 いや、溢れるなどとは優しすぎる。世界を滅ぼす魔力の大洪水が、その小さな体で爆裂する。あらゆる存在をコケにするかのように、その力は世界を埋め尽くす。

 

 絶大な神の力、名づけられないからこそ、形容できないからこそ、絶対。


 市場に集っていた者達、店に繋がれた番犬、そして世界の裏で寝そべっていた牛飼いの少年も、ありとあらゆるものが制止した時間の中で、その有り様を塗り替えられた。

 国が、大陸が、世界が、アーティファの魔力に侵食されてゆく。

 目に見えない、存在のベールが世界を覆う。

 現世の実在が否定され、彼女のイデアに置き換わる。

 

 全てを洗い流し、滅ぼしたその先に、彼女の楽園が降りて来た。


 それは、かつてこの世界にあったもう一つの大陸。

 エルフの女王アーティファがその伴侶と共に築き上げた、かけがえの無い世界。

 

 世界樹が天を覆い、大地には命が満ちた。

 何処までも見渡す限りの草原に、色とりどりの花が咲き誇っている。

 田畑には軽やかな風が吹きわたり、たわわに実る稲穂が頭を揺らす。

 穏やかな小川のせせらぎを夢枕にしていた動物たちが、一斉に起き直り、再誕の喜びに大地を駆け回る。

 田畑を耕していたオークが、人の生娘を口説いていた小鬼が、魔石を採掘していた人間が、議論を交わしていた蛇人が、あらゆる全てが手を止めて彼らの女王に拝礼した。


 世界は歓喜に包まれ、楽土に生きる喜びを歌い上げた。


 祝福されしは、緑髪、碧眼、最愛のエルフの女神。


 鎮座する玉座に花吹雪が舞い上がり、女神が恍惚と共に世界に口付けをした。


 最も美しく、思いやりに満ちたアーティファの世界は、彼女と共に受肉した。


 女王は視線を転ずる。

 先は、黒色の球体に腰掛ける麦色の髪の少女。


「介入、介入とだと?よく言ってくれたものだ」


 エルフの女王の目に神衣の殺気がこもり、はるかに地鳴りが響く。

 風が吹き荒れ、嵐が来る。

 雷鳴が轟き、空が裂ける。


 嘆きがあった。

 恨みがあった。

 零れ落ちそうな愛があった。

 

 ああ、どうして、私の大事な臣民たち。


「私の国が、グローリアが滅びたとき、貴様が何をした?何をしなかった?

 幼子が汚らわしい剣に貫かれたとき、その血はどこに注がれた?

 夫の遺体にすがりつく幼妻が、慟哭の叫びを上げたとき、その涙は誰が拭った?」


 マーテルは、呪詛を吐く愛の女神を見つめ続ける。


「貴様の治める世界だろうが!

 計画?義務?運命?

 そんなもので、私たちの命をもてあそぶな!」


 かつて現世にあった女神は、愛の嘆きを叫んだ。

 この世界は愛の地獄。思いやれば、幸せを与えるには、征服するしかない。

 たとえ、恨まれようとも、憎まれようとも、楽土建設のため、彼女は夫と共に駆け抜けた。血を流し、涙で濡れても、あまたの犠牲の下、切り開いてきた。

 彼女ら夫婦は誰よりも生ける者を愛したがゆえに、力を求め、神となったのだ。

 だから、宿命など認めない。

 手が届くというのなら、助け、支え、引き起こしてあげる。

 それが彼女の理。

 ただ見ているだけなど、人の生を侮り、永遠を生きる神の驕慢にほかならない。


「なにがあろうと、最後の子は私が守る。邪魔するというのなら、我が軍団の轍としてくれる」


「無駄なことを。たまっているようですね。相手になってあげます。あんたの世界にこうして入ったところで、あんたが私に勝てるわけないのです」


 マーテルの周囲に魔法陣が、彼女の世界が展開される。それは理を越えて、あらゆる事象に挿入される。アーティファの世界を侵食し、書き換える。マーテルに都合の良い秩序がもたらされる。


 確率?

 ありうるならば、問題ないです。


 理由律?

 満たしているじゃないですか、大局で見てください。


 因果律?

 理由を満たせばそれで良いのです。


 矛盾?

 全然してない、操作しましたから。


 超越する神の理が、でたらめな理屈で世界の法則を書き換える。

 あらゆる事象が彼女の手の中で転がされ、望む結末に収束する。


 女王の長く伸びた耳が、緊張に屹立し、ぬれた唇をなまめかしく舌がなぞり上げる。

 世界樹から果てない魔力が注ぎこまれ、エルフの体に刻まれた禁呪が展開されようとする。

 それは、瞬間の中で、永劫に回帰し続ける魔術。


「どうしてそんなに冷たいの?どうして助けないの?みんな苦しんでる!その手で、その力で、その愛で、みんなを助けなさい!」


「言うじゃないですか。私が世界を作っているとき、貴方はいったい何をしていたというんです?」


 人の物差しで、神の行いを計るなと、マーテルは言い放った。

 深遠なる神の計画。

 これしかないのだと、最善なのだと、アーティファを否定する。

 

 解らないわけではないでしょうに、駄々をこねないでください。みっともない。

 いつまで人の気でいるのです?


 その言葉に、かつて存在したエルフ種の慎み深い愛情が今、爆発する。

 ただ愛したものを守り続ける。

 それ以外、気にも留めない。

 愛、深き故の不寛容。

 敵と認めたら、決して、死んでも許すことは無い。

 その刃をとめるのは、彼女の夫のみ。

 そして、彼女が愛するののなかに、マーテルは入らない。

 

 かつて戦場に在ったその思いを、晴朗な美声でもって歌い上げる。 


 ただあの人を。

 強くて、優しくて、気高くて、そしてとても弱かったあの人を愛した。


 あの人が愛したものを、私も愛した。

 そして、私が愛したものを、あの人は愛してくれた。


 それはなんという奇跡なのかしら。


 でも、私だけが幸せなんてずるいんじゃない?


 だから、皆にも幸せになってもらえるようにと思った。

 この幸せは、二人には大きすぎて、この手からこぼれ落ちそうだったから。

 分けてあげたくて、皆にも知ってもらいたくて、私達は歩き出した。


 けれど、どうしてなの?

 全然上手くいかなかった。

 みんな、傷ついて、疲れていたから、幸福なんて信じてくれなかった。

 どんなに訴えても、抱きしめても、一緒に泣いてあげても、みんな最後は絶望した。


 だから、もっと、もっと、もっとがんばったの!

 あの人と二人で、仲間を集めて、百人になって、千人になって、万人になって。

 戦って、戦って、戦って。


 そして、ようやく手に入れた平穏を、なくさないように握り締めた。

 この世界は、すぐにおかしくなってしまうから。

 壊れてしまうから。

 永遠を求めて、戦い続けると決めた。


 これは二人の世界(イデア)だから。

 やっと、叶えた二人の夢だから。


 それを守るためならば、なんにだってなってやる。

 神にだって挑んでやる。

 ねえ、そうでしょう?


 アーティファの問いかけに、彼女の臣民達は変質する。

 小枝でさえずっていた小鳥は、グリフォンの原種となり、幾千のカマイタチをまとって大空を翔る。

 窓辺に寝転んでいた子猫は、炎を纏う大虎となり、質量を伴う雄たけびをあげる。

 人の良いオークが裂帛の気合で持って、はるか伝説の大剣を掲げる。

 人の子は、漲る闘気を鬨の声に乗せ、必殺の陣形を組む。

 子鬼は破呪の小剣を手に、蛇人は禁書を広げる。

 世界の全てが、マーテルに敵意を示し、女王の号令を待ち、開戦を渇望した。

 

 それが最美に住まう彼らの意思。

 素晴らしいから、誇らしいから、全てを捧げると誓ったから。

 愛の女神と共に、果てぬ戦に挑み続けるのだ。


「やってやるわ。たとえあの人が居なくても、屈したりしない!あの子を幸せにしてあげるためなんだから!」


 世界を征服した、まさにそのとき、絶対者は出現した。

 ようやく世界は一つになり、民は安らぎに包まれるはずだった。

 それを神は否と。

 彼女たちを、愛する民もろともに、大陸を薙ぎ払った。

 現世にふさわしくないと、アーティファたちを排除した。

 その神が、憎むべき女が目の前に。


 神の波動がぶつかり合い、神々の黄昏が幕を開けようとしたそのとき、二人の世界が弾けとんだ。


「いったあああああい」

「ぎゃあああああああ」


 二人の女神はもんどり打って転げまわった。


 見上げた彼女たちの前に、二柱の神がいた。

 呆れたように見下ろす、薄紫の紬に身を包んだカイの姉神と、真っ青な顔で真っ黒なタキシードに身を包んだカーニバル、食人の神だった。


「あんまりじゃれあってばかりいると、怒りますよ」


 女はこみかみを抑えながら、世界を修復した。


「ちょっと、何するの!痛いじゃない!」


「何もしていませんよ。私はカーニバルが久しぶりに起きるから、迎えに来ただけです」


 カーニバルは、リズミカルにステッキを振りまわしながら、やたらと紅い唇を尖らせ、なにか口ずさんでいる。


「カーニバルが起きたら、偶然、貴女たちがそこを基点にして争っていただけです。三つの世界がぶつかり、はじけただけのこと。どんなにありえなくても、私たちが争うということは、そういうことであること、忘れましたか?」


 神が争えば、世界が滅ぶ。

 しかし、その時点で世界は滅ぶように定められていない。

 だから、それは邪魔されなければならない。

 ありえないものであっても、その確率、奇跡は同格の神によって引き起こされる。

 ルールとして。


「・・・カーニバル。何で今、この場で起きるのですか?」


 カーニバルは、シルクハットのつばに手をかけ、軽快にタップダンスを踊り始めた。


「聞いた私が馬鹿でした」


 虚ろな人格に、強大な存在感、あるのは理念。果たして人格神であるのかすら確かではなかった。


「仲直りしてくださいね」


 そういい残すと、踊り狂うカーニバルを連れて何処かに行ってしまった。


 アーティファは青筋を立てて地団太を踏んでいたが、急に脱力して、かりそめの人間の姿になった。


「はあ、もう良い。帰る」


「分ればいいのです。悪いようにはしませんから」


「ふん」


 そっぽを向いたかと思うと、急に顔色を変えて振り向いた。


「・・・あのさ、このこと、あの人には言わないで?」


 しなを作りながら、潤んだ瞳で上目遣いをした。


 マーテルは鼻で笑い、中指を突きたてた。


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