幸せな夜に
*第二章のあらすじ投稿しました。
第三章第一話です。
この章でメインの登場人物はそろいます。
ガイゼリックとの会見を終えた後、カイはサラに小突かれながら屋敷に戻った。
「でも、よかったです。カイさんが重い処分を受けなくて」
「そうね、ガイゼリック伯が話の分る人でよかったわ。運が悪ければ、軟禁されて査問会議行きよ」
「面倒だっただけじゃないのか?」
「本当に面倒だったら、三人とも追い出されてるわ」
「そうです。わたし達は皆さんの好意から置いてもらっているんです。感謝しなければいけません」
「しかし、十日間の外出不可とは。俺にはとても重い罰なんですが」
「黙りなさい。今度ふざけたこと言ったら、納屋に住まわせるわよ」
「・・・」
サラが言っているのは、処分への不満ではなく、ガイゼリックに対して無礼な口を利いたことであった。しかし、カイにも、それなりの言い分があった。ガイゼリックの使い魔ベルタは、しつこくカイ自身のことを聞き出そうとしたし、ガイゼリックも困らせるようなことばかり意地悪く聞いてきた。とはいえ、ベルタのことは秘密にしろといわれたのだから、言うことは出来なかった。脅しとも考えられたのである。
「レナータに報告してくるから、待ってなさい」
そう言って、サラは出て行ってしまった。
「レオーネ様は、行かなくてよろしいのですか?通信を使用できる機会なんて、あまりないのではありませんか?」
「私には、見えも聞こえもしませんから」
そう言って、レオーネは寂しそうに笑った。
レオーネが言うには、公国との通信には大きな魔力が必要とのことだった。通常の緊急通信ならばそうではないのだが、サラたちが用いるのは盗聴防止の独自のものであったから、送る側受ける側ともにそれなりの魔力を持たなければ情報を得ることが出来なかった。
レオーネは、一度サラに通訳してもらって語りかけたことがあった。しかし、見えないこと、聞こえないこと、手が届かないことがレオーネの胸を締め付け、涙で何も言えなくしてしまった。それ以来、家族に無駄な心配を掛けたくなかったから、挨拶もそこそこにその場に立ち会うことを辞めてしまっていた。
だからここ一年も家族の顔を見てはいなかった。
いつも胸元に忍ばせてある彼らの肖像画だけが寂しさを紛らわせてくれた。どんなときでも彼らはレオーネに微笑みかけ、慰めてくれた。魔術で防護されていた肖像画は、どれだけ涙を滴らせても汚れることは無かった。
「オーギュントとか言う奴は、そこそこでした。まあ、俺には敵いませんでしたが」
「はい?」
「何度も言うようですが、レオーネ様は俺を召還したのです。大したものです。だから、たとえ涙を流してしまったとしても、前の涙とは意味が違っているはずです」
どうですか?とカイはレオーネに問いかけた。
頷き、満面の笑顔を浮かべたレオーネは、スカートを翻して駆け出した。
カイは外を眺めながら、レオーネたちがどんな話をしているのか想像しようとした。けれど、人ならざるカイには出来るはずが無かった。人間が最愛の者たちに語りかけるとき、触れ得ない距離を埋めるためにどんな仕草や言葉を使うのか、見当も付かなかった。
すぐに死んでしまう人間。目の届かないところで、大事なものが壊れてしまう恐怖に彼らはどうやって耐えているのだろうか。
カイはどんなに離れていても、姉神を感じることが出来た。それは神ゆえの力だと思っていた。しかし、そうではないのかもしれない。人に堕ちた今はそう思う。そうでなくては、脆弱な人は生きてはいけないだろうから。
そんな考えに思い当たったとき、不意に寂しさと焦りを感じた。
このまま、レオーネだけではなく、その周囲までが自分の心を占めるようになったとき、自分はこれまでどおり無限の世界、彼らのいない世界で役割を果たしていくことが出来るのだろうか。
世界の果てでの闘争に戻ることに躊躇を感じたとき、泣き笑いしたレオーネがやってきて、カイも来るように言った。
レナータ公女だけではなく、父が母がそして義兄がカイの顔を見たいとのだと、紹介して欲しいと言っていると。
カイは無意識に頷いた。
人の和に加わること、カイから見ればわずかな時間の幸せが、レオーネをこんな風に笑わせるなら。
レオーネはカイの手を取った。
流れ込んできた幸福に、カイもまた笑った。
答えは棚上げのままで、今ある幸福を教授しよう。そう思った。
手を引き走るレオーネの銀髪が、灯りを受けて、揺れて、反射し、眼を刺す。
眩しく感じるのは、そのせいではないだろう。
人の作る、最愛に向けられる無償の愛がそうさせるのだろう。
カイは初めて人々を美しいと思った。
「お姉さまが、カイさんに興味津々なんです!」
レナータ公女が?
まずい、まずいぞ。
サラには黒騎士ではないと言ったが、二人が黒騎士と信じている風だったから、ガイゼリックにもそう説明してしまった。
魔術を使えないことになっている自分が、見えて、聞こえてしまったら?
ふりはするが、無駄に聡いらしいレナータ公女に通じるだろうか。
そして、失礼なことを言われた際、おとなしくしていられるだろうか。
カイは首を傾げたが、うれしそうに笑顔を浮かべるレオーネを見て、なんとかなるだろうと思った。
****
窓の外では、三日月が目を細めて、微笑んでいた。
語らいに不要な風音は、遠慮をしているのか聞こえてこない。
夜気を切裂く蝙蝠の群れも、今宵は翼を休めて木々に垂れ下がる。
ただ幸せな夜だった。
レオーネにとって、ここに来て初めての本当に幸せな夜だった。
だから、邪魔など入るはずが無い。
レオーネの屋敷に通じる道の片隅で、サンサは強化した剣を手に、息を殺してひそんでいた。
目は狂気に血走り、髪は怒りに逆立ち、己を今の境遇に叩き落した少女を狙っていた。
サンサは、決闘騒ぎの後、すぐさま実家との通信を開いた。デュルイの執事が彼に公にしないことを伝えてきたが、それでも機関を経由して実家に知られては立場が悪くなると思ったからだ。しかし、一度は実家と通信が繋がったものの、急に回線が切られてしまった。その後はいくら繋ごうと思っても連絡は付かなかった。その代わりに、廃嫡の知らせを一方的に突きつけられた。機関から、そして機関にいる公国や王国の関係者から、彼の実家に詳しい情報がもたらされたのだった。
グラナトゥム家に決闘を挑み、その尻拭いをデュルイ家の子息にやらせ、その子息も負傷した。彼の助かる唯一の道は、公になる前に手を打ち、決闘がやむにやまれぬ事情で、貴族としてそれしか取る手段が無かったことを証明することであった。しかし、デュルイ家から多額の金銭を借り受けていた彼の家は、デュルイのご機嫌をとることにした。さらに、守るべきであった公国の姫君に対するこれまでの仕打ちを知るに及んで、彼に味方をするものは誰もいなくなった。
レオーネがそのような立場にあることで溜飲を下げていた連中も、サンサのように表立って迫害するような、貴族としての最低限の立ち回りを知らない阿呆に係わり合いになるのは御免だった。
与えられて当然だと思っていた男爵家の栄光は、彼の手から零れ落ちた。父から受け継ぐはずだった領土、娶るだろう何処かの美しい貴族令嬢、数々の武勲、全てが水泡に帰した。自業自得ではあったが、彼はそう考えなかった。全て、あの無能な造花姫のせいであり、自分は嵌められたのだと思っていた。誰かのせいにすることでこれまで生きてきたのだから。
サンサは、機関の学園に入学する際に持たされていた家宝の魔具を持ち出していた。破呪の術式を秘めた宝玉。サラの結界であろうとも、数瞬の間、その効果は失われる。武で名を上げたサンサの家にあって、戦場で魔術師の結界を破るために、祖先が国王から下賜されたものであった。
レオーネが上げるだろう絶叫と、嬌声、自らの手の中で形を変える豊かな乳房を想像して、獣欲をたぎらせた。彼はもはや貴族としての気高さはおろか、人倫さえも忘れていた。手に余る憎しみと魔力がそうさせたのだ。
獣が納屋に火を放とうと火薬を取り出したとき、その手が氷の刃で地面に縫い付けられた。
「-------!」
叫びを押し殺したサンサの目の先に、宵闇の中からブロンドの髪をなびかせた一人の少女が現れた。白銀の胸当には公国の近衛のマークがきざまれている。そして、公国貴族を意味するのマントには、広がる翼を象ったシンボル、それは魔術理論の権威に与えられるものであった。
「ブリギッタ!!」
搾り出すようなうめきをもらすサンサの前に、ブリギッタは立った。
「可哀想に。本当に、どうしようもないほど知性が足りないのね、サンサ」
見下しながら、金色の瞳に侮蔑を込めた。
「ここには憲兵がいたはずでしょう?どうして今夜に限っていないのか、疑問に思わなかったの?」
「なにを言っている!!」
叫びを上げたサンサの眼前に、氷の刃が突き刺さる。ブリギッタの後ろには、黒髪碧眼の少女がたたずんでいた。術式の簡易化による即時魔術。その氷柱の鋭さ、これほどの短時間で作り出せるものはそうはいない。
「貴様か、ライラ!!」
ブリギッタの後ろにいたライラと呼ばれたその少女は、眉を動かしただけで、サンサをまともに見ようともしない。
「監視がいないことで、試されていることに気付くべきだったのに」
「俺に手を出すのか?機関の統治するこの場で?お前たちも無事ではすまんぞ!」
「憲兵が今ここにいない事実、そして私が公国騎士のマントを纏っていることの意味を良く考えてみなさい」
「まさか・・・」
「あの子は優しいから、こんなことは望まないけど、私たちグラナトゥムの貴族はそうではないのよ。
ケルサスの貴族に王室を侮辱された私たちが、貴方を放って置くわけがないでしょ?」
「俺が悪いんじゃない!あの女が!王族でありながら、力を持たないあいつが!汚らしい黒騎士ごときに誇り高き近衛の制服を着せたあの女が悪いんだ!お前だってあいつのことを嫌っていただろうが!」
ブリギッタは唇をかみ締め、泡沫を飛ばすサンサの顔面を蹴り上げた。
ライラが初めてサンサを見た。その両手には術式が展開されようとしていたが、それをブリギッタが制する。
「あなたのような貴族がいたら王国のためにならない。廃嫡で手打ちにしようとした公王陛下の御気持ちを理解しようともしないなんて」
ブリギッタは術式を展開した。公国だけではなく王国にも認められた魔術師のみに許された術。国に背いた貴族に科される刑罰術。魔力剥奪。ブリギッタはサンサに関しての判断を王国から頂戴していた。
「手にかける価値もない」
「や、止めてくれ。俺が貴族ではなくなってしまう。せめて貴族のまま殺してくれ!」
「そう、力あるものこそ貴族。君臨するものの責務は気高く優美であること。王国はあなたを貴族とは認めない。貴族たる栄誉を剥奪します」
サンサの体に黒色の靄がまとわり付く、それはサンサの魔力を吸い上げ、彼と世界との繋がりを断ち切った。
「あなたにプライドというものがあるのなら、自害なさい」
泣き崩れるサンサは、どこからともなく現れた憲兵によって、罪人として運ばれていった。
しかしサンサは幸運であっただろう。カイは外の様子に気付いていたから、ブリギッタが現れなければ八つ裂きにされていた。
そして、一連のサンサの粛清を見つめていたのはカイだけではなかった。
木の上には、行商人の恰好をした碧眼の女が草笛を吹きながら興味深げに眺めていた。
さらに、生い茂る草草にまぎれるようにして、この世のものならざる異形の虫が、蛇が、黒犬が彼を引き裂こうと歪な笑みを浮かべていた。
はるか上空では、巨大な隻眼の鷹が弧を描くように飛び、全てを見届けていた。
ブリギッタはレオーネの家を見た。
漏れ出す暖かな光りに、眼を細めた。
ライラが並んで手を繋いできて、ブリギッタを見上げる。
微笑んで、二人は歩き出した。
碧眼の女はライラの後ろ姿を眺め続ける。
その碧眼には悲しみと愛惜が浮かんでいた。




