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偽国戦記  作者: ブレヒトさん
魔晶戦争
130/131

終章 崩壊と、再誕に向かう聖戦(ジハード)

久しぶりの更新。

続きは、水曜日か木曜、の予定でしたが、来週。

 世界五分前仮説という思考実験がある。

 この世界が五分前に成立したと仮定して、それを反駁することが出来るのか否か、というものだ。

 大多数の者が否定するだろう。実感として認められるはずがないし、経験はそれを許さない。

 しかし私たちは、この仮説を否定する手段を、実は持っていない。

 それ以前の記憶があり歴史もある、といった反論は偽の記憶と歴史が超常なるものによって捏造されたのだと言われてしまえば、何もいうことはできない。神というものの存在があって、その神が私たちを惑わしたとすれば、世界は途端に蜃気楼のようにあやふやになってしまうのだ。

 この世界で神の存在を否定することは出来ない。神の存在は世界の前提だからだ。

 幼子だって知っている。世界は、神を中心として成り立っている。

 そうであるならば、私たちの認識論とは、私たちの認知能力の限界を定めるものであって、世界の限界を定めるものではない。私たちヒトに不明な事象があるのは、私たちが神の能力に至らないからに他ならないのだ。


 では、今現在、論壇では五分前仮説をどう扱っているか。


 神は誠実に違いない。

 ならば、我々の世界は本当のものなのだ。

 なぜなら、私たちはこんなにも神を信じているのだから。


 ハッ、ばかげている。

 神が誠実だと?だから、神は我々を裏切らないと?我々の認識を歪めてはいないと?

 冗談がすぎるだろう。

 あらゆる点で我々よりも優れた神が、私たちのようなちっぽけな存在のためにわざわざ世界を整えてくれるなんて、ヒトを特別な存在だと思い込む傲慢にほかならない。

 神の計画は恐ろしく深いのだ。

 私たちの考えが及ばないからこそ絶対で、思慮の次元が違うからこそ超越者なのだ。

 下らない思考実験を乗り越え、私たちの想像を超えた手段で目的を遂げるからこそ神なのだ。

 それなのに、神を私たちの都合で引きずり降ろすとは。あげく、猫の額ほど狭い私たちの道徳にのっとって前提とするなど、呆れて物が言えん。


 この思考実験の真なる意味とは、神の性質を論じること。神に向きなおる心構えを築くことにある。

 それなのに、これほど私たちに無知と無力を自覚させる機会をお与え下さっているというのに、ヒトは神を振り返らない。神にすべてを投げうたない。

 だから、欺かれ、見捨てられるのだ。

 世界を五分前にやり直した神の真意を、観照することができない。


 戒厳令を敷かれた学園都市マルブの研究棟の一室で、メルキドはカーテンを開け放した。

 邪教徒の前身「神の知」の最後の生き残りは、口元を歪めて窓から空を見上げる。


「この、殺戮を告げる天使たちを前にしても、神の不条理を理解できない」


 その細く暗い目には、空を埋め尽くす軍団(レギオン)が映っていた。


 **********


 紅い月が砕け、闇夜には魔晶が浮かんでいた。

 聞こえるのは殺戮の音。

 光源は、魔晶から発せられるくすんだ水色の光。瀑布のようにあふれ、罪を暴き立てるように兵士らを照らす。

 それでも彼らは殺し合っていた。

 きっと友軍が燐光弾を打ち上げたのだろうと思い込んで、もっと殺しやすくなると胸を高鳴らせる。安心して殺し続ける。


 剣を振り上げながら微笑んで、受ける敵もまたにっこりと。

 だけど、どうしてだろう。

 嘲笑われていると感じだのは。

 鍔迫り合いをしていたケルサス兵とヤーヘン兵、二人は困惑する。

 剣を弾いて、間合いを取った。

 にらみ合う彼らが、空を見て茫然とする。二人同時に腕を下した。

 それは彼らだけではなかった。戦場にいるすべての兵たちが剣を止めて、空を見た。


 光輝く翼が。

 闇夜を霧散する、神を奉じる大軍勢が見下していたのだった。


 同じとき、空を見ていたのは兵たちだけではない。

 ヒトが、獣が、世界の反対側で微睡むオークが、奴隷が、貴族が、虫が、魔獣が、草々さえも、天使たちに満たされた空を見上げた。


 世界中の命が天使を仰いだとき、戦女神が降臨した。


 鮮烈な天上の光が放たれる。

 瞳孔を焦がすほどの熱量は、しかし誰の目をも傷つけない。

 彼女を視て感じろ、嗅いで聞いて味わえと五感すべてに訴えかける。

 母の胎から出た誕生のときより遥かに勝る光が、見上げる者すべての神経を突き刺した。魂を吹き飛ばしてしまう衝撃の中で、あらゆる生命は彼女の現出を認識した。


 ぎっしりと空を埋めた天使たちが左右に分れ、一本の道が開ける。

 そこには朽ちた宮殿があった。

 至るところ血の跡だろう、赤黒く変色し、崩れた柱廊はそのままで、砕けたステンドグラスの欠片が魔晶の光を浴びて乱反射する。

 静謐で、埃一つなく、ただ瓦解していた。

 その奥で傷つき、ドレスアーマーを血に染めた女神が玉座に腰かける。御前には、74柱の天使が侍る。

 玉座の左に黄金の鎧をまとって巨大な剣を背負った獅子頭の天使、右には真っ白なローブに樫の杖を携えた狼頭の天使。彼らは、いかなる聖典、悪魔書にも記されることのない創生の二人の天使たち。

 獅子頭は猛り、狼頭は何ら感情を表すことなく、主の言葉を待っていた。残る72の強大な天使たちは、ある者は嘲り、ある者は悲しみを露わに、ある者はただ目を細めていた。


 玉座に座る女神が手を伸ばす。

 えぐれた肩から血が流れ、真っ白な腕を伝って絨毯に血跡をつける。

 ひび割れ崩壊した魔晶を掴み取り、しげしげと眺め、鼻で笑った。


「他者を視ろ」


 魔晶を見つめたまま、一人ごちる。


「触れ合うことが出来て、語り合うことが出来て、それでも汝らには決して理解できない完全なる異物。私という自我によって吸収されることのないもの、そのすべてが他者。

 貴様らが弄んで傷つけ殺したそれらは、異物であるからこそ価値があった。

 理解できない価値観を学ぶことが生の弁証法。自己を広げ、自我を更新するための契機だったのだ。

 それを、現生の命よ、分っているのか?」


 天上から見渡した。

 苦笑して、ひじ掛けに片ひじをつく。


「殺めるということは、その道を閉ざすことだ。

 理解できないからと他者を尊重せず排他する汝らの世界観は、どうしようもないほどに狭い。

 (マーテル)は定めただろう?殺すなと。排斥するなと。追い出すなと。

 全て汝らのためだった。他者の世界と己の世界を総合して新たなる世界を築き上げ、次なる存在に至るためだったのだ。

 それを、何たること。神の法に背き、己の命を守ることに汲々として排斥するとは。

 まったく、どれほどの時間が無駄になったか。

 死んで詫びろ、と言いたいところだが、汝らには汝らの言い分があるだろう。納得できるものならば、配慮してやっても良い。

 だが、無駄だろうな」


 -汝らの狭い世界では、私の心には響かんよ-


 つまらなそうに見下した。


「汝らが神に依らず定めた法、人定法では『ヒトを殺しても良い』の根拠を、とうてい提示できない。それでは世界の根源たる善と悪を判別することなぞ、荷が勝ちすぎている。

 かといって、この現世をこのまま終わらすことも出来ない。他の神々との契約もあるからな。

 ここに至っては、無理にでも汝らの中から使えるものを選別して、神の奴隷として鍛え上げねばならない。だが、やはり今のままでは我らが求める水準には至らず塵のままだ。我らの眷族にはなるなんて、到底、不可能だ」


 戦乙女は、気だるげに手を振った。

 狼頭の天使が、無限の恒常性を維持した立体的な魔法陣を作り上げる。永遠に変わらない世界を内包するその結界に、神気が宿る。

 あらゆる自由エネルギーを食らい尽くす世界。反竜神(カグツチ)の世界の中心で、狼頭の天使はこぶしを握りしめる。

 灼熱とともに、狼頭は変化する。ヒトの姿を捨てて刃となる。超重力を身にまとい、神槍となった。

 戦女神は、不精につかむ。

 くるくる回し弄んで、玉座から腰を上げる。


「面倒だが、この私が導いてやろう。

 汚らしくて、善と悪、偽善すら見わけることが出来ずに罪を犯し続けてきた汝らに、贖罪と飛翔の機会を与えてやろうというのだ。

 悪徳を善として来た汝らの歴史哲学のすべてを正道に戻す戦乱をくれてやろう」


 うんざりとした表情で、喜べ、と言って髪をかきあげた。


 天使が吠える。

 現世への侮蔑を露わに、殺戮の波動を雄たけびに乗せる。


「遠慮なく狂うがよい。

 悪を知らずに悪を為した汝らに、愛する者の喉笛を食い破る苦みを味合わせてやろうではないか。

 その果てに神意を知れ」


 戦女神の背後に広がる円環の翼が、軋みを上げる。

 回転して、その速度は光速に近づき、魔晶から無限の魔力を吸い上げた。

 翼は宇宙を駆け巡る。

 太陽を剥いで、惑星を消し炭に変える。新たなる惑星を生ぜしめ、端に至って回り込んで、無理矢理に宇宙を押し広げる。

 そして、世界がひずんだ。

 鳥籠の現世に、超越者たる神の法が広がる。

 悪法であっても、法であるかぎりは従わなければならない、無慈悲な戦女神の律法。


「さあ、開戦の号砲を打ち鳴らせ。

 まがい物の神の国を作り上げ、死した先に深淵に至り、悔い改めて絶望に浸れ」


 ヒトを殺して高ぶる。

 凌辱して歓喜に震える。

 悪意に染まる善意こそが戦場の誉れ。

 ・・・なんだそれは、馬鹿なのか?

 汝らの戦争とは、どんなに言葉で飾り尽くしても卓抜した悪徳に他ならない。

 そんな闘争、認められんぞ。


「戦女神、ヴァルキュリアの名において命ずる。

 壊乱せよ、鳥籠の世界!

 生贄を捧げ、神に祈りて背徳の(そし)りを受けよ!」


 戦女神が神槍を掲げ、その白く細い喉を貫いた。

 血が噴き出して舞い上がり、降りそそいだそれはまるで王冠のよう。

 女神は声にならない声で叫ぶ。


 -ホロコースト(現世に顕現せし、すべてを焼き尽くす炎熱地獄)!!-


 *************


 遥かなる神話の時代。

 かつて帝王アルファスと、世界樹の巫女アーティファが(マーテル)に挑んだとき、戦女神は顕現し乱世を告げた。

 弱い者たちをただ守りたいと剣を抜いたアルファスとアーティファに聖戦を押し付けた。

 二人は戦女神を憎みながら縋り、神々の期待通りに世界を統一して神になった。


 戦神アルファス。

 同じく戦を司る神であるヴァルキュリアと違い、彼は弱者の闘争を支援する。

 慈愛の女神アーティファ。

 彼女も同様、同じ慈愛を象徴しながら見守るだけのマーテルと違い、彼女は手を差し伸べて救いをもたらす。


 二人と二柱の違いは、救うことの過程で死を許容するか否定するか。

 現世の命を塵とみるか、救うべき対象と見るか。


 圧倒的な力を持った神々は、その絶対性ゆえに現生の命を見下して冷徹に有用性を判別する。

 アルファスとアーティファの足掻きなど、彼らにとって計画を進めるうえでの必要経費に他ならない。根本悪との戦いを見据え、やがて神に至る二人の力を高めるために戦を起こし、使える魂を回収するための手段でしかなかったのだ。


 そんな無情な神々が、再び戦を宣言する。

 新たなる神である正義の誕生のため、そして剣神の伴侶である二姫の神性を高めるために、現世の命を使い捨てるのだ。

 現世の命など、どれほどの時間を経ようとも正解にはたどり着かないのだから、せめて生贄として役に立ってみせろと、非情な思惑で嘲笑うのだ。


 *******


 天使たちを仰ぎ見るケルサスの王は歓喜の声を上げた。


「予想以上だ!

 新たなる法則がうまれるどころか、神が世界の刷新を認めた!

 こうしてはいられない。戦支度をせねばならない。

 帝国がなんだ、霧の大国がなんだ、我らは今、地獄に生きている!!」


 神術を解いたエンジェル・ボイスは、彼に見下すような視線を投げた後、竜人の下に向かうために魔獣を召喚した。


 それを見た三騎士が臨戦態勢をとる。


「馬鹿ね。こうなってしまった以上、わたしに何ができるというの?

 ヤーヘンは引かざるをえないし、貴方たちも次の戦に備えなければならないでしょう。

 わたしたち邪教徒はしばらく静観させてもらうわ。

 戦女神によって聖戦が発動された。神の恩寵を授かったわたしたちは、覇者を見極めるために力を温存する必要があるのよ。

 あなたたちは己が覇道のため、せいぜい殺し合うことね」


 背を向け歩き出したエンジェル・ボイスは、しかし足をとめ、じっと修道女を見つめた。


「アドバイスしてあげる。

 過去を後悔しても仕方ないわよ。だから、未来を後悔しなさい。もう、貴女には選べる道なんてないんだから。

 視界のすべてに死が満ちたとき、きっと貴女は苦しんで死ぬことが出来るわ。

 誰も助けてなんてくれないんだから、それだけが救いだと理解しなさい」


 修道女の瞳に初めて感情が現れた。助けを求めるように、ケルサス王を縋り見た。

 けれど、彼女の主は彼女に一瞥さえくれなかった。

 

 うつむいて唇を噛んだ修道女の耳に、愛する男の撤退を命じる声が響く。

 しかしそれは、思い出の中の声とはまるで違っているのだった。



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