終章 崩壊と、再誕に向かう聖戦(ジハード) 2
ライラは、呆然と空を見つめていた。
星の輝きすら覆いつくすほどに密集した天使の大軍勢、砕け散った月を背に朽ち果てた宮殿がたたずんでいた。
宮殿の奥に御座すのは、戦女神ヴァルキュリア。
神の世界への介入。
神の計画から外れた現世を、強制的に正道に戻す乱世の幕開け。
神に許された大虐殺。
それは同時に、ヒトが神へと最も近づくとき。
ヒトが神へと、その存在と願いを示し得るときでもある。
「なんで、今さら」
神聖グローリアの王族のみに伝わる口伝に、神への祝詞があった。
-戦女神が下す聖戦の号令を待て。
その時にこそ、楽園は築かれる。
すぐそこに御座します絶対なる神に、祈りを届ける唯一の機会であるのだから-
「でも、もう、みんな死んでしまった!!」
あの日、首都が邪教徒の呪いに沈んだ日、グローリアは愛する家族と共に燃え尽きてしまった。
勇敢な騎士団と優しかった民は、恨みと嘆きと憎しみに墜ちてしまった。
今さら神が降りてきたところで、何になるというのか。
願いを、わたしたちの楽園を築くみんなは、もういないのに。
「ライラ、まだ終わってはいない」
ライラに馬首を並べ、コールが言った。
「この穢れた現世においても世界樹の恵みは生きている。冥界の門は未だ閉じられてはいないのだ。
しかし、願いは聞き届けられないだろう。祈りは届かないだろう。グローリアの慈愛は、絶対神自らが否定したのだから。
つまり、戦女神がもたらす乱世に我らの居場所など無い。神たちが望んでいるのだ、我らの死を、屈服を!!
そんな戦女神の傲慢を、我らグローリアは逆手にとってやろう。
かつて大帝国が神に挑んだときの英雄たちは、冥界の底で喘ぎ、戦火を待ち望んでいる。
ならば、もう一度だ。
見せつけてらやろうではないか。我らの痛みを。苦しみを。嘆きを。
ヘルズ・ゲートを開き、英雄たちを現世に呼び戻し、ヘブンズ・ゲートによってアーティファの慈愛と、アルファスの剛毅を再び神に示すのだ。
もう、神がグローリアを救おうとはしないのだとしても、我らが決して諦めることがないのだということを、何度でも何度でも示し、神の計画が摩耗するまで抗ってやろうではないか!!
我らが諦めなければ、戦争は終わらない。そうだろう、戦女神の眷族よ?」
ヤーヘンの追撃からケルサス軍を守るために捨て駒にされた智天使の一族。その族長の子を身に宿したマリヤ。彼女が乗る馬車を引く馬が、にやりと口元を歪めてコールを見た。
「ははあ、僕がレッドライダーだと知っていたのかい?戦争を具現する戦女神の眷族だということを?
アーティファとアルファスが憎み、滅そうとして滅せなかった僕を懐に入れるというのか。
諸悪の根源である僕を!?」
憎いくせに、とゲラゲラと笑って、さもおかしそうに蹄で地面をたたく。
「うるさい」
ライラを乗せたオオトカゲから若い女の声がして、笑い転げる赤馬を前足で踏みつけた。
鬣が五色に燃えて、二本の黄金の角が生えた。
麒麟、聖獣に進化したエルフの僕は、グローリアの茨をまとう。
「僕にそんな偉そうな口を聞きやがって、誰だ?
・・・え、ぺ、ペイル・ライダー?」
「神の侵略が始まる。圧倒的に殺して、絶対善の威風を示す覇の血道が築かれる。
歴史を先に進めるために。
そうよ、ホワイト・ライダーが、反救世主、第一の騎士が来る。王冠を頂いた支配する王が、この世界を劫火に焦がし、ただマーテルのみによる平和をもたらすために。
反救世主は、マーテル以外の神を排除するわ。異教徒を滅ぼし、寺院は打ち倒されて、聖職者は柱廊に吊るされる。
それは、この鳥籠の世界が創られたときからの計画の一つ。多神教から一神教に統合され、やがて神に背を向け破滅に至って世界は炎上する。そして、また世界は初めから繰り返す。私たちもまた、次の破滅のために、最初から繰り返す。
でも、あんた許せるの?そんな計画、あんたの戦女神は、本当に納得しているの?」
「知らないね。僕は人殺しの才能のあるやつを見つけて、ヴァルハラに行けるように助けるだけさ」
寝ころんだまま、レッド・ライダーは、器用に耳をほじる。
「そうね。味方に騙されて、智天使を召喚するための人柱になった、あんたのかつての主人のようにね」
ペイル・ライダーが嘲笑った瞬間、赤い馬体から炎が巻き起こり、鉄が擦れ合う甲高い音が響いた。
「・・・おまえ」
レッド・ライダーの耳に赤子の鼓動が聞こえて、馬車の中でマリヤが魔力の胎動にうめき声をあげた。
「あんたは彼に魅かれた。その生きる意志と、寄り添うために戦う強さに。
そして、彼の大切なものを守るために主を偽ってまで、彼を呪いで満たして悪魔にしようとした。生きて欲しかったから。
でも、彼は悪魔になってまで生きることを選ばなかった。信仰に魂を捧げ、塵となった。
そんなことをしても、神は見向きもしないっていうのに」
本当に、馬鹿。
「てめえに、何がわかるってんだ!!
ヒトの無知をあげつらって良い気になりやがって!!」
鉄火の赤を瞳に宿し、戦の化身は立ち上がった。
「ああ、僕は卑怯だ。憎しみを増大させてから適当な救いを作り上げて、ヒトを死に向かわせる。場合によっては、殺人に快楽すら忍ばせて、争いを拡大させる。
僕は、悪魔にも劣る下種野郎さっ!!
だけど、お前にだけは言われたくないんだよ!!
いやらしく病毒まき散らし、あらゆる意思を挫いてしまうお前には!!
善人も悪人も、後悔の間もなく命の断崖に立たせて、問答無用に幕引きを図るお前にだけには!!
ヒトの生きた証すらまとめて殺し尽くす、おぞましい『死』の化身が!!」
「ったく、相変わらず女々しいわねえ。いえ、雄々しいと言ったほうが良いのかしら?
これだから雄っていやなのよ。
いいから手伝いなさい、戦争の騎士。使ってあげるって言ってんのよ」
赤熱と化したレッド・ライダーの怒気を軽くいなす。
「跪いて感謝なさい。我が神、アーティファは慈悲でもって世界を導く。
輪廻転生。
現世で叶わなかった幸せを、来世で約束する。
血濡れの騎士、あんたの背負う力無き者らの恨み、ルクサーナ王女の曼陀羅は捉えているの。
あんたが引き起こした戦争のせいで不幸になった命にも、救いはもたらされる。戦争を起こすことに意味はあって、殺されることにも意味はある。良いことずくめじゃない」
麒麟が吠えて、ライラ、最後のエルフはレッド・ライダーから曼陀羅に流し込まれた恨みの波動の激しさに、絶叫した。
血の池地獄から這いずりだした亡者の、救いを求める祈りが空を割って、あまりの必死さに天使が後ずさる。
-おお、天使よ、どうかお助け下さい-
ライラの魔力が世界樹の若草色に染まって、一筋の閃光が空に放たれた。魔晶がつくる光暈を突破して、砕け散った。
まるで花火のように。
しだれて覆う枝葉のように。
それは、まさしく徴だった。合図だった。
四大陸の各所で光柱が立ち昇る。
世界に潜む、かつての支配者、大帝国の僕たちが覚醒する。
彼らは、アーティファとアルファスが神へとなった際、現世に残したきた戦士たちである。
いつの日か、この世界を絶対神から救うためにと封印した眷族であった。
彼らは、彼らが信じる神に祈る。
戦士たちの体を、美くしい碧の髪が血に汚れるのに構わずに洗ってくれた慈愛の巫女に。
世界を変えるため、戦いを嫌っているにも関わらず剣を取ってくれた、気弱で醜いオークに。
現世から無限光年、次元すら飛び越えた神の座で、か細い祈りを聞きつけた一級の神、法則神である二柱の世界に、現世への道が創られた。
- あはははははっ!!-
燦燦と輝く太陽の下で、哄笑が響きわたった。
-やった!ようやくだ、時は満ちた!
私たちの足掻きと渇望、恨みを晴らす時が来た!
愛の絶望がこぼれ出る。
世界樹は飢えて、おぞましいマーテルの使途の血肉を求めている!!
レッド・ライダー、ぺイル・ライダー、あんたたち、何をしているの?
頭が高いわ。地べたに這いずりなさいな。私の足を舐める権利をあげる。
聖巫女アーティファの名において命じる。さっさとマーテルの下僕、ケルサスを滅ぼしなさい-
恐ろしくも愛らしい、エルフの女王の声が大地の奥底から響く。
ペイル・ライダーが跪いて愛おしそうに鼻を鳴らす。
-今こそ、私たちの楽園を-
妻の狂喜に、暴力の神は目を開いた。
-誰も傷つくことのない愛の園。流れる血よりも笑顔が見たい。罪がなければ、罰もなく、そんな楽園を、私は創りたい。
レッド・ライダー、ペイル・ライダー、君たちにお願いするのは間違っているのかもしれない。でも、どうか力を貸してほしい。戦神アルファスは、他に頼れるものが居ないんだ-
弱気で、それでも重く、心振るわすオークの声が、寄り添うように天から降りかかった。
レッド・ライダーの脳裏に、かつて血の涙を流しながら戦場を見つめていたオークの苦し気な嗚咽が響き渡った。
力強い至高の美の居丈高で叱咤する愛が、黙示録の騎士を包みこんで尻を蹴り上げる。
弱々しくても、誰よりも血にまみれた男の縋りつく勇気が二頭の肩を抱く。
頼られることによって沸き上がる勇壮が、愛でもって狂わせられ、黙示録の騎士たちは二柱の目指す楽園に心奪われた。
ヴァルキュリアの眷族であり、戦争を引き起こすためにヒトを唆す、流血を象徴する獣は神聖グローリアの軍門に下ったのだった。
レッド・ライダーの力を曼荼羅に取り込んだライラ、真名ルクサーナの耳から魔力が漏れ出し、まるで耳がとがったように見えた。
同様に、黒かった髪が魔力の碧に染まる。それでも足りないと、長く腰まで伸びる。
背負った曼陀羅が神気を帯びて、衣服を弾き飛ばす。
厚みを帯びて、新たなる衣を形創る。
精霊装甲『マイトリー・ウパニシャッド』。
かつてアーティファが大陸を統一したさいに纏い、マーテルによって消滅させられた倒神の衣。
黒い袈裟に碧の髪が流れ、大きく開いた背には、曼陀羅の光輪が来るべき世界を映す。
肩から掛けられた数珠の一粒一粒が、極大な魔力を秘めた魔石であり、前髪を留める髪飾りは輪廻を飛び越えて現世を見下ろす世界樹の枝葉。
胸元を飾るべき宝玉は、しかし、ただの石でしかない。けれど、ただそこにある武骨な石の有様こそが、『空』を埋める。
世界樹の意思を無限に吸い上げて魔力と成す、それ自体が世界樹である衣だった。
ルクサーナは、呟いた。
-輪廻転生-
ペイルライダーの手綱を、かつての聖女である悪魔、ナスターシャが引き絞り、麒麟は後ろ脚で立ちあがる。
目の前で、腹に左手を当てたマリヤが右手を伸ばす。
麒麟が言う。
「わたくしは、ペイル・ライダー。世界に破滅をもたらす四騎士の一人、『死』の騎士、青白き馬、『疫病』。
死に至る病、絶望を、今こそ輪廻への契機という祝福に変えてみせましょう」
マリヤは、恍惚とした笑みを浮かべて、腹をさする。
「お帰りなさい、愛おしい人。
私の所に帰ってきてくれて、ありがとう」
肉体の有限、魂の波動の反響、存在の悪夢、母という他者に触れて、その奥に、神という絶対他者を知る。
手を伸ばし、それでも神には届くことがないということを知って、赤子は絶望する。
そして、思い出す。
命の限り求めても、届かなかったと。応えてはくれなかったと。墜ちた先の暗黒を。
レッド・ライダーが首を垂れて、マリヤを背に乗せる。
その体躯は盛り上がり、体がうろこで覆われたその姿は、牛のように創建で一本の角を生やす。
獬豸、争いにおいて善悪を判断し、悪を刺し貫く角を持った聖獣は、争いそのものを憎悪する。
けれど、体毛は未だ血の色に赤く濡れている。罪はその身にこそ宿っている。
「僕は、レッド・ライダー。『戦争』の騎士。赤き馬、『流血』。
強者の倫理に縛れた戦争なんて、もうたくさんだ。戦争をヒトのために、開放のために、死にたがりのいかれ野郎どもを追い出すために」
空を駆ける天使たちが、武器を構えてレッド・ライダーを見つめる。
戦女神から離反した裏切り者を滅するために、各々殺気を宿す。
ルクサーナは、再びつぶやいた。
-オーム(聖音)-
まるで、何もなかったかのように、『戦争』の裏切りなど気に留める必要がないとでも言うように、天使たちは、再び視線を四方に散らせた。
静かに目を閉じたルクサーナの前に、騎士たちが首を垂れる。
やがて、朝焼けがきて、戦乱の始まりである太陽が昇っても、彼らは聖巫女に頭を下げ続けていた。
*****
最後のエルフ、聖巫女ルクサーナ。
輪廻転生を法則として持つアーティファの力を得て、現世の一大勢力となる。
暗黒騎士ルドラの死霊魔術に、かつての英雄の魂を供給し、無限の不死の兵団を創り上げる。
彼女たちは、負けない。死なない。くじけない。
かつてアーティファとアルファスという最高の魂を見たゆえに、現世に蔓延る王を名乗る出来損ないどもになぞ、君臨を許さないのだ。
母性という反闘争の本能は、戦争を憎むからこそ冷酷になりえ、シャーマニズムの自然崇拝は、世界を収めるべく無理に導入されたマーテルの理知主義よりも、在るがままに在ることを許容する。ゆえに、他の神々の力を借りることが出来るのだ。




