神語り 6 -払暁の虎と試練の鬼姫 2-
爆ぜる火の音でサラは目を覚ました。
めまいを堪えて体を起こす。
「ここは、私はどうして・・・」
頭を振って、目頭を押さえた。
なんとか記憶を辿ろうとして、頭に鋭い痛みが走った。
「ぐっ!!」
胃の中のものを吐き出して、血が混じっているのを見て、記憶がよみがえった。
「あなた!!」
火を挟んで反対側にいる魔術士をにらむ。
体の自由を確かめるが、拘束されてはいなかった。
なぜ?
魔術士はため息をついた。
「命の恩人ですからね、縛りはしませんよ」
その必要もありません、と言って、サラの腰にあったはずのサーベルを投げてよこした。
「魔力も尽きているし、立ちあがるのがやっとでしょう?
眠っていたのは、ほんの二、三時間です。あまり無茶をなさらないように」
貴女は、何の脅威でもない。
火に薪をくべる。
枯れ枝でかき回して、ぱちぱちと音を立てる火の中から小さな石を掻き出した。
「飲み込んで下さい。治癒の魔石で、私の腹に収まっていたものです。洗っていませんが、火で消毒されているはずです」
サラは戸惑っていたものの、受け取って飲み込んだ。
「どうして私を助けるの?」
問いかけると、じっとサラの目を覗き込んできた。
「恩人だから、では足りませんか?」
「足りると思っているの?」
視線が交錯する。
「貴女に恋をした、と言ったら?」
サラは眉根をしかめた。
「あなた、そういう趣味なの?」
ヤーヘン筆頭騎士の息子は視線を逸らした。
「やはり、分かりますか」
「浄化魔法で、あなたの深層に触れたのよ。
苦労しているようね」
彼、いや彼女は舌打ちをして、焚き火をかき回す。
「男として育てられましたが、女だからこそ生きているんですよ」
父が謀反の疑いで捕縛された際、母と彼女の処遇が問題となったのだと言った。
ヤーヘン一の剣の使い手で、人望のあった母を殺してしまっては、かえって禍根を残すだろうと。そして、その血を残すために彼女は生かされているのだ。
「それだけなの?えっと、マクシミリアン?」
マギーと呼んでください、と彼女は言った。
それが本当の名だから。
「マギー、マルグリート?」
「はい。政敵が多かった父が、男として国に届け出たんです。
王子は父の意向を知って、工作に手を貸してくれました。王族の力でも借りないかぎり、さすがに性別を偽るなんて真似は不可能だったでしょう」
「女であれば、国内の権力闘争に巻き込まれる危険は大きくなる。だから、男として振舞ったのね。
でも、貴女のお父上を殺したのはその王子ではなかった?」
マギーは口角を上げる。
「その通りです。私は王子を恨みましたよ。中途半端に優しくして、結局父を殺したのですから。
でも、王子がそうしなければ、国が割れていたのも確かです。
ケルサスと戦うか、恭順するか、ではありませんよ。馬鹿げたことに、近代的な技術を取り入れるか、それとも伝統を固持するかで、です。
信じられますか?今にも死にそうなヤーヘンで、周りを犠牲にしてまで伝統にしがみ付こうとする輩が大勢いたんですよ。改革しなければ、飢えて死ぬだけだというのに。
保守派と改革派の争いが暴力に向かうのが避けられなくなったとき、権力はいぜん保守派のもとにありました。国の実権を握っていた王子は、両者の争いを抑えるために、革新派の筆頭だった父の首を差し出しました。父に汚名を着せて処刑することで、互いの矛を収めさせたのです。
保守派も、このままではヤーヘンが滅びることは分っていた。けれど、方針転換するにしても、旗を振るのは自国の貴族でなければならなかった。外様ではいけなかったんですよ。まして、父のように諸国を漫遊していた、カグツチ信徒以外の魔術士なんてもってのほかでした」
「国をまとめるために、王子が汚れ役を買って出たというのね」
「そういうことです。
父だからこそ付いて来た者たちは大勢いて、その彼らは憤りました。けれども、親友であり、一番の弟子であった王子がそうするより他なかったのです。じきに静まりましたよ。
とどのつまり、みんな愛国者だったんです。国を安定させるために余所者の首一つで済むなら、安いものだったんです。父もそれを受け入れました。
父は、生贄となることでようやくヤーヘンの一員になれたというわけですね」
ばかばかしい。
吐き捨てた声に力はなかった。
「王子は私たちを大事にしてくれましたよ。家を辱めようとする貴族たちを処罰して、母の地位を維持してくれた。父の理想を引継いで、改革にも着手した。
父の犠牲のおかげで全てが上手く行っていたんです。
・・・飢饉が起こるまでは」
焚火に枯れ枝を突き刺した。
炎が爆ぜて、マルグリートの肩が震えた。
サラを見つめる瞳が、炎を映す。
「私たちはケルサスに助けを求めました。
しかし、ケルサスが貿易を優先し、ヤーヘンを見捨てたのは御存知でしょう?
王子と父の理想をようやく理解し始めていたヤーヘンの民たちは絶望しました。そして、ケルサスの意思を思い出したのです。
滅び去れと、ヤーヘンの死を望む大国の冷酷さを」
サラは言葉を捜すが、何も言うことが出来なかった。
グラナトゥムは反対したのだと、見捨てるつもりなどなかったのだと心の内で強く思った。しかし、マギーにとってそれが侮辱に等しいことであることに思い至ったのだ。
結局、グラナトゥムはケルサスの権力に負けたのだから。助けることが出来なかったのだから。
「まあ、それでも良いことはありましたよ。
父が死んだことで、私が女であるということを隠すことは難しくなっていたのですが、国が混乱してくれたおかげで、いろいろと、うやむやになりました。私は父の処刑を求めた貴族たちに股を開かずにすんだのです」
「私をこれからどうする気?逃がしてくれはしないんでしょ」
微笑を浮かべるマギーの視線に耐えかねたサラは、話題を変えざるを得なかった。
「正直、迷っています。祖国に帰ったところで、ヤーヘンはもう死んでいるも同然です。『商会』に従うしか生き残る道はないでしょう。
しかし、逃げてしまうことも出来ません。私のために命を懸けてくれる人もいたのですから」
「・・・」
「貴女を連れて帰ったところで、国は貴女を持て余すでしょう。ケルサスを裏切って根絶やしにされたはずの一族、その生き残り。貴女にはファンが多いですから、むやみに処刑することもできない。
本来ならば最大限利用しようとするでしょうが、そんな余裕はないでしょう。面倒なことは先送りして監禁、というのが妥当なところでしょうか。
けれど、そうなってしまえば、貴女は終わりです。ケルサスほど捕虜の扱いに気を配ることはありませんからね」
「手詰まりね。どうせなら、解放してくれない?」
サラが微笑むと、マギーは肩をすくめた。
「そもそも、私はケルサスの意志がどこにあるのか理解できないでいるのですよ。
落ち着いて考えてみれば、私が脱走出来るはずがなかった。それなのに監視が緩み、運よく陣を抜け出せて、貴女を乗せた馬車に出くわした」
「ケルサスが仕組んだと言うの?」
気色ばんだサラの背筋に、冷たい汗が流れた。
「それを確かめていたんですよ。私が陣から消えて、貴女を人質にとったとなれば、ケルサスは追っ手を差し向けるでしょう。トラップを張っておきましたから、近づけば気付くはずです。しかし、ケルサスは動いていない」
「・・・グラナトゥムは?」
「彼らも同様です。しかし、それも妙な話です。彼らが貴女を見捨てるはずがありません。
もしかしたら、グラナトゥムの兵は武装を解除させられたのではないでしょうか?」
「・・・」
「何故、そうなったのか、心当たりがあるようですね。
やはり、三国は一枚岩ではないということですか。少なくとも、グラナトゥムはケルサスを全面的に信用しているわけではない。
ならば、警戒すべきはカルブルヌスですが、幸い彼等の陣は遠く離れている。
・・・そうなれば、やはり貴女を手土産にヤーヘンに帰参することにしましょう。それがケルサスの狙いであったとしても」
「前線を抜けて、長城に辿りつけると思っているの?」
「ケルサスは撤退すると思いましたが、どうやら軍を引かないでヤーヘンを滅ぼすつもりらしい。ならば、どんなに細い糸でも交渉の材料は用意すべきでしょう?私達は、滅びるわけにはいかないんですから」
「だったら、グラナトゥムに行きましょう。私たちは、この戦争には反対だった。きっと、ヤーヘンが生き残る手段だって探ってみせる」
マギーはにっこりと笑った。
「そうですか。うん、どうやら貴女は交渉ごとには向かないようだ」
立ち上がって、サラを見つめる。
「どうして私が自分のことをぐだぐだとしゃべったと思います?貴方を観察するためですよ。
ポーカーフェイスは苦手ですか?嘘をつくときは、まず自分を騙すことです。自分すら騙せないようなら、相手を信じさせることなんて出来ませんよ」
「騙してなんか!!」
「自分でも信じていないのに?無理だと思っているのに?それは騙すこととどんな違いがあるんですか?」
侮辱に等しい言葉を浴びせながら、しかしその視線はいかなる怒りをも見せてはいなかった。
「さあ、行きましょう。逃げようとしても無駄ですよ?
さきほど貴女が飲み込んだ魔石には・・・」
「ええ、魔術がかかっているのでしょう?
好きなときに、炎を解放する」
マギーは、初めて意外そうな顔をした。
「わかっていましたか。では、何故、飲み込んだのですか?」
「拒否しても、無理やり飲み込ませたでしょう?手間を省いただけよ」
「行く所があったのではないのですか?」
「そうね。でも、溜めていた魔力も貴女を救うために使っちゃったし、今の私が行ったところで足手まといになるだけ」
軽く言ったサラの目に、マギーの冷たい視線が突き刺さった。
「・・・なにかあるようですが、まあいいでしょう」
サラは頷いて、焚き火に砂をかけた。
そうだ。悔しいけれど、今の私にはレオーネを助けることはできない。
なら、せめてコラード様の意図を探ろう。
どうしてルーメン陛下はレオーネとカイの繋がりを断ち切ろうとするのか。どうして、コラード様はそれを許したのか。
前線に近づけば分るはずだ。
誰が私たちの味方で、誰が敵なのか、が。
サラとマギーがマントに身を包み前線に向かって歩み始めたとき、彼女たちの背後の草むらがかすかに揺れた。
碧の瞳が浮かび、赤いアネモネの花びらが、散った。
*****
鬼が駆ける。
血生臭い吐息を吐きながら、傍らでは少女が毬を蹴る。
「愉快だよ、腹がよじれそうだよ。
君が来たのか、僕が来たのか、この世の地獄は、そこかしこ」
少女は歌うように軽やかに、闕腋袍をひるがえす。
「君の絶望は甘露のごとく、だ。
もっと足掻いて血に飢えて、君の地獄を僕に見せて」
一心不乱に進む鬼の顔を覗き込んで、ケタケタ笑う。
耳に吐息を吹きかけて、鬼がにらんだときにはもう遅い。進む先で手をたたく。
-鬼さんこちら、手の鳴るほうへ-
鬼が駆けた後ろには切断の跡が残る。木が、草が、動物が、鬼の剣気によって切り刻まれて、残骸を散らす。
斬ろうなんて思っていない。ただ前に進もうと、追いつこうとしているだけだ。
けれど、鬼という在り方が、その焦燥が斬らずにはいられないのだ。
「無様だね!!愛するものを救うためだなんて言っておきながら、こんなにも血に飢えてさあっ!!
夜露にその顔を映してごらんよ、君はそんな顔で彼女に会うというのかい!?」
姫の嘲笑が、オーギュントの摩滅した人間性を煽り立てる。
けれど、それがどうしたと言うのだ。人倫を捨ててまで、追いつかなければならないのだ。
鬼姫の言うとおりだ。再び鬼に墜ちた自分を見れば彼女は悲しむだろう。
けれど、サラが無事であれば、それでいい。
「あはははははっ、君たちが頼る女神なんて、しょせん見守るだけさ。
ヒトが壊れて世界が血の海に沈んでも、ごめんなさいって謝るだけ。
ほんとうに、馬鹿で、阿呆で、頓馬な神さ!!
助けなんてこないよ。奇跡なんて起こらないよ。きっと君は間に合わないよ。
だからさあ、さっさと、そのか細い自我を僕にゆだねて修羅になってよ。
殺戮の快楽に身を浸して、まどろみの中で死んでしまおうよ。
きっと、きっと、それが一番、気持ち良い、・・・うん?」
鬼の姫が急制動をかける。たづなを引かれたように、鬼、オーギュントが唸り声を上げた。
前方に小太りの男が、両手を上げて飛び跳ねていた。
「ええっと、カルブルヌス騎士団国筆頭騎士、オーギュント王子殿下、ですよね?」
おそるおそる近づきながら、敵意がないと、両手をひらひらさせて頬を引きつらせている。
「だれだ?」
鬼は殺意を滴らせ、肩越しに大剣を抜いた。
「えー、あっ、そ、そうです、これを!!」
浴びせられた殺気に固まっていた男は、慌てて懐から一枚の紙を取り出した。
「私は、マルス、と言います」
広げたそこには紋章がある。世界樹が枝葉を広げ、聖なる乙女が微笑む。
「神聖グローリア、・・・ライラ、か」
マルスは満面の笑みを浮かべた。
「ええ、ええ、そうです。私は聖巫女の命を受けて、貴方をお迎えにあがりました。
時間がありませんので、急ぎ私と共に」
「サラさんが敵に捕まった。どうすべきか、ライラの使いなら、分るはずだ」
鬼の証である額の角から流し込まれる狂気に必死に抗い、オーギュントは奥歯をかみしめる。
血の赤色に塗りつぶされようとする自我に縋りついて、声を絞った。
「え?そう仰られましても、私は、主の命に従うだけでして・・・」
マルスは懐からハンカチを取り出して、滴る汗を拭う。
「僕のほうがライラとの付き合いは長い。あの子もきっと、サラさんを救えって言うだろう」
だから、邪魔をするな。
オーギュントの周囲に剣気の刃が広がる。地面を抉って、その激しさに土煙が上がる。
「いえ、あー」
マルスが頬を掻く。
「差し出がましいようですが、オーギュント様、貴方はとても危ういように思えます」
マルスは怯えている。けれど、どうしてだろう。オーギュントは、見透かされているように思えてしまう。
「関係ないだろう!!お前にも、見えているんだろうが、彼女が!!」
指差した先で、鬼姫が草笛を作って遊んでいる。二人を見ると、ピーと鳴らして、笑う。
「何が、ですか?私には何も見えません」
「ふざけていると・・・」
「ああっ!!ほら、ぐずぐずしているから、追いつかれてしまいました」
マルスは、オーギュントの背後を見る。
風が吹いた。目視できる限り三人、ローブを纏った男たちがいた。
「殿下、陣にお戻りください。
そこの者、見逃すゆえ、どことなりも立ち去るがよい」
精霊装甲、カルブルヌスの対神気装備を身に纏った教導騎士団だった。
汗を滝のように流してうろたえるマルスは、両者の間に割って入ろうとするが、教導騎士団の眼光に阻まれる。
オーギュントは大剣を抜き放ったまま動かない。
「陣では神聖魔術士が待機しています。まだ、間に合うのです。どうか、我等と共にお引きくださりませ」
教導騎士団は三名。しかし、彼らが送った情報によってオーギュントを補足した魔術士が数十人は控えているだろう。だからこそ、彼らは姿を現している。
オーギュントはそれを理解していた。
一方鬼姫は、自分のことを決して認識しようとしない騎士たちをつまらなそうに眺めていた。
見てしまえば、従わざるを得ない。神とはそういうものであり、まして鬼姫は最高級の神である。
だから、精霊装甲の力によって認識を歪めて無視している。
「精霊装甲、ね。かつて縁神ホアンが戦神アルファスに与えた神衣を模して作られた神器。
つまらないなあ、そんな模造品で無視できる神なんて三流だろうに。
むかつく。この、僕を馬鹿にしているのかい?」
草笛を折る。鬼姫の目が地獄の赤に染まる。
閻魔に会うか?
指先で地獄を指し示した鬼神雫を、マルスが視た。
その瞳が、深く深く、碧に染まる。
「・・・へえ」
「殿下には、僕が先に声をかけたんですが」
おどおどしながら、マルスが手を挙げる。
「まだいたのか。さっさと、去ね。さもなくば、斬る」
マルスは胸に手を当てる。
うっとりと優しい笑みを浮かべた。
違和感が、騎士たちに這い上がって来た。
「この僕に去れ、と?
いけません。それでは、あなた方が罪に墜ちてしまう。
あなた方に、グローリアを、聖巫女に背を向けさせるわけにはいきません」
「聖巫女、だと?」
叫び、剣に手を伸ばした騎士達の眼に、光輪が広がる。
マルスの背に曼荼羅が、光暈を纏って顕現した。
慈愛に満ちて対価を映し、エルフの思いが包み込む。
「馬鹿言わないでください。僕がそうであること、知っていたんでしょう?」
本当は、僕を斬りたくてたまらないくせに。
騎士は大仰に目を剥いて、両手を広げた。
「ははっ。まさか、ケルサスに許しを得ないでそんな真似、カルブルヌスがしようはずがないではないか。
・・・だが、引かないというのならば、致し方なし。
そうだ、知らなかったのだから、しようがないのだ」
剣を抜く。
「カルブルヌスの剣は、邪道の剣。聖巫女の使いであろうとも、斬ることをためらわぬ」
口の端を上げて、斬ることの喜びに打ち震える。
聖騎士、なんと斬りごたえがあることか。
マルスは、首を振った。
エルフの慈愛は曼陀羅に込められ、発現する。
最後のエルフであるライラがマルスに託した曼陀羅、それは。
愛するならば、汝、逆らうことなかれ。
その絶対令に抗する意思。破壊し、踏みつける暴力の信仰が男たちにはあった。
精霊装甲が、ガチガチと鳴る。
まるで肉であるかのように蠢き、まとわりついて、装者の意思を煽り立てる。
神の意志を遮断する、神域の衣。
その理とは、己の意思を極度に独善的に高め、そのノイズによって神の語りかけをかき消すこと。
「たまらぬなあ。この戦は、狂った魔獣や亜人ばかりが相手で、命を感じることができなかった」
舌なめずりをして、魔法陣が広がる。
精霊装甲の装者は誰でもよいわけではない。
意思が必要なのだ。
神を足蹴にしても気にしないほどの、偏執的で病的な独我論が。
そして、それこそが暴力の神アルファスを信仰するカルブルヌスだった。
「ああ、貴君を斬れるというのならば、いかなる罰をも受けようぞ」
宵闇に染まる世界は、静かに。
動物たちはただ怯え、息づくのは虫どものみと思いあって。
知らぬ間に。
貴方の首をこそ、斬り落とそう。
-シャドウ・ウォーク-
闇と渾然一体となる暗殺術、本来ならば相手に気づかれぬうちに振るう剣を、目の前で操ってみせる。
命をもてあそぶ嗜虐心、そして敵を殺す過程を余さず味わいたいという戦士の悦楽があった。
それこそ、まさにカルブルヌスの剣の奥義なのだ。
たとえ、どんな手練れであろうとも、その世界観に触れてしまえば、足を竦わさずにはいられない。
その悍ましさに、だれも逃れることなどできはしない。
「そうでしょうとも!!」
しかしその狂気を、目の前の小太りの男は、柔和な笑みで挫いてしまった。
大陸最強軍事国家の必殺の間合いが、いとも容易く、振る舞いだけで破られた。
「あなた方カルブルヌスはそうなのです。だからこそ、私はここにいるのです。
さあ、この地獄を御覧ください」
マルスの曼陀羅に前線が映し出された。
亜人が、ヤーヘンが、ケルサスが入り乱れて殺しあう。
まさに地獄。
エンジェル・ボイスの神術によって魔力を剥奪された兵士たちが、恐怖に血と尿をまき散らしながら原始的な闘争を繰り広げる。
なんて、うらやましい。
そう思って、カルブルヌスの戦士たちは見入ってしまう。
「美しいでしょう。汚らわしいでしょう。そして、羨ましいでしょう。
だけど、あなた方は、其処にいないで、此処にいる。
あなた方も、こんなふうに戦えたなら、きっと悔いなく涅槃に行けたでしょうに」
いや、待て、我らはこんなことをしている暇など・・・。
マルスが指を鳴らした。
騎士たちは、夢幻ではない現実から響いてきた音に驚き、思わずマルスの目を直視した。
「ですが」
頷いたマルスの視線の先で、曼陀羅に一条の光が差し込まれて、戦場が蹂躙される。
ヒトの生き残ろうとする意志も、やっとのことで敵を打ち取った努力も、目的すらも虚仮にするかのような圧倒的な破壊がもたらされた。
「これが、神の力です。
あなた方が、無視しようとする、慈悲の暴力です」
曼陀羅に映し出された光景、それが幻覚であることなんて分っている。
けれど。
また、指の鳴る音がした。
「アーティファの愛は有限です。逆らう者には、殲滅の鉄火が降り注ぐ」
目の前の光景に意識が吸い込まれて、感覚に靄がかかったよう。
曼荼羅では、逃げ惑うヒトが塵のように討ち捨てられている。
幻覚だと、作り物だと分っていても、無視することなんてできはしない。
戦うことが生きがいであり、存在証明であるカルブルヌスだからこそ憤る。
こんな戦争、求めていない。
「お怒りはごもっとも。ヒトがこんなふうに死んで良いはずがない。
僕も悲しいです。胸が張り裂けそうだ。
・・・ですが、あなた方に、憤る資格があると思っているのですか?」
叫ぼうと、口を大きく開いた騎士たちに向かってマルスは人差し指を立てる。
指が、鳴る。
「カルブルヌス、あなた方は暴力神アルファスを信仰しますが、そのアルファスに戦う理由を与えたのは慈愛の乙女です。楽園を指し示し、共に歩んだのはエルフの女王です。誰にも愛されることのなかった醜いオークの王に愛を教えたのは、アーティファです。
そう、アルファスは、アーティファを得て暴力の目的を得たのです。
ですが、あなた方はどうなのですか?なんのために剣を握るのですか?
理想がないくせに、ただ、戦うことが好きなだけのくせに。魔術を奪われて、それでも必死に生きようとする彼らと剣を交える資格が、あなた方にあると、どの口が言うのですか!!」
背徳者のくせに。
「っぐ!!」
「っが!!」
精霊装甲から、アルファスの神気が逆流する。刻まれたアルファスの意思が、問いかける。
それで良いのか?
アーティファが愛でもって諭して包み込んだアルファスの破壊衝動。
アルファスの神衣を模倣したからこそ、その伴侶であるアーティファの神気に魅かれてしまう。
模造品だからこそ、排除することができなかった神の意志。
「目を開いてください。私は、聖騎士マルス・カールマルクス・ハインリヒ。
ケルサス王国本国において、アーティファ信教の司祭職を許された一族です。
アルファスを信仰するあなた方は、私たちの輩でもあるのです。
奉仕には報いを。献身という愛が彼を満たす。癒しという浄化が、罪に目的を与える。
さあ、目を開くのです。
地獄を見て、感じるのです」
まるで説教壇の上にあるかのよう。時に激しく、時に眠る赤子に語りかけるように、微笑をたたえて、優しく語りかける。
後光を差す曼荼羅を指差して、祈る。
もう、指鳴りは聞こえない。
意味がないから。
精霊装甲に注入した装者の自我が折れてしまったから、デフォルト設定に回帰してしまった。
それは、アルファスの意思。皆がいたからこそ戦ったのだという群体への奉仕。
サイコパスであるカルブルヌスを縛り付ける利他主義への誘導だった。
「死に行くものらの微笑を見よ。
これが、冥界に向かう者らの絶望でしょうか?
そうなのです、彼等の胸にあるのは、アーティファなのです!!
地獄の先で、転生をもたらす女神、幸福を約束する乙女なのです!!
アーティファは仰いました。苦しみに満ちた生を乗り越えた先には、素晴らしき来世があると!!」
だから。
「罪に生きなさい。懸命に、生きなさい。
私たちの敵となっても、神を恨んでも、罵っても、それはあなた方のせいではないのだ。
そう生きざるを得なかったのは誰の罪か。
その生涯を与えた神の、罪。
だからこそアーティファは、マーテルの御世において、来世の平穏を説くのです。
愛するものと共にある、死の果てにあるカナンの地を示してみせるのですよ」
呼びかけから、詠唱へと。
会話の中に、神への賞賛と教理を混ぜ込んだ、聖職者の説教。
リズムの中に言霊を隠し、催眠状態に落とし込む、あるいは洗脳と呼ばれる。
輝く幻覚が、騎士たちを包む。
アーティファが、アルファスが、信仰が、手に取るように分って。
幻だと、そんな単純なはずがないのだと、理解していても、握りしめた殺気が消えてしまう。
神父の言葉に納得したわけではないのだ。
けれど、慈愛が、アルファスが求めた愛が、精霊装甲を通して流れこんで、もう、私は理想の中に沈んでしまうのだ。
****
「・・・陶酔と、幻覚、か」
気が付けば、どれほどの時間が経っていたのか、オーギュントの姿はどこにもなかった。
「邪術師、羅刹の力、勇力を撃破せよ。アグニ・ヴァイシュナーブラ、羅刹調伏」
小さく祈って、マルスは首から下げたアーティファ信教のシンボル、世界樹の木像に口づけた。
「私は、説法の聖騎士なのです。攻撃なんて出来ない。言って聞かせるだけです。
戦ってしまえば、きっと、一太刀で殺されてしまうでしょう。
ですが、ヒトは言語で世界を構築する。言葉がなければ、ものを考えることすらできないのです」
そんな、儚い存在だからこそ。
-言葉でもって、祈るのだ-
「なぜ、殿下を逃がした。貴君にも、殿下が危機に瀕していることはわかっていたはずだ」
「あなた方では彼を救うことが出来ないからです。
それどころか、あのままであれば、きっとオーギュント殿下はあなた方を殺めてしまっていたでしょう」
そうなると、あなた方自身が感じていたから、私の術に甘んじてかかったのではありませんか?
買いかぶり、だとは言えなかった。
「アーティファ信教において、同胞殺しは極刑です。遺体は打ち捨てられ、祈りすら捧げられない。
信徒でなくとも、見逃すことなんて出来ません」
「借りとは受け取らんぞ」
「それで良いのです。私もカルブルヌスの御威光に逆らうつもりなんてありません。
アルファスとアーティファは二人で一つ、まあ、持ちつ持たれつですよ」
汗を拭きながら、朗らかに笑った。
「十分に距離をとれば、監視する分には安全ですから」
「貴君の調伏魔術が効いているようだが?」
「目眩まし程度ですね。鬼姫の神気に打ち勝ったわけではありません。雫が本気であれば、一瞥どころか、意識するだけで弾け飛んでしまっていたはずです」
あの神は、遊んでいるんですよ。
「来世の祝福を、御身に。
どれほどの業火に焼かれようとも、この祈り、くじくことあたわじ。
『オーム』」
祈りの言葉を口にして、マルスは闇にまぎれた。
その気配が消え失せてから、騎士はため息をついて星天を見た。
「だそうだ、ルシアーノ。・・・承知した。距離をとって監視を続ける。魔術師どもに、せめて対精神汚染の自己防御結界を張らせてくれ。あんなものが相手となれば、精霊装甲が無ければ、すぐに廃人になる」
通信を閉じると、騎士は通信から得たマルスの情報を呼び出した。
「神聖グローリアの神術、『聖騎士叙任の儀』か、元が並み以下の魔術師でもあれほどの魔力を与え得るとは」
騎士は、数十年、死を身近に感じるほどの修練を経てワニ革のように固くなった己の手の平を凝視した。
たまったものではないな、つぶやいた。




