神語り 5 -九尾3-
月夜の下、藤棚が囲む屋敷の奥間で、月見酒を酌む狐女がいた。
「神降ろしの術に心奪われたか。
優しいのう。誰に似たのかのう。ふうむ、我ではないのう。
となれば、マーテルと桔梗の仕業だろうて」
業腹じゃ、つぶやいて、ぱたぱた耳を動かし首を傾げる。
真っ白な襦袢に、紅葉を散らした打掛をだらしなく羽織って、盛り上がった裾からは無数の尾が生えていた。
「男好きする体じゃのう。
マーテルめ、このように設計するとは、人の娘をなんだと思うておるのか。
あれでは男の歓心をかいすぎる。
ふうむ。ならば、ここで死んでしまっても、いや、死んでしまったほうが良い。あのような世界において置くのは気の毒じゃ」
手酌で酒を杯に注ぐ。
赤い唇を高く向けて、一気に流し込んだ。
白い喉が震えて、強い酒がその肢体に染み渡る。
熱い吐息を吐いて、脇息にしなだれかかった。
「じゃが、そうもいかんだろうよ。
マーテルと桔梗があの娘に課した試練、そんなに容易いものであるはずがない」
****
「させるかよ」
ケルサスの宝剣、『黒漆太刀』による剣閃が、ブリギッタの首を切断しようとしていた刃を弾き飛ばした。
「ダミアン閣下!!」
センチュリオン副団長カロリーネの叫びに、ブリギッタの意識は覚醒した。
「ぐっ!!」
術に強制介入されたために、ひどい頭痛と吐き気に跪いた。
グラナトゥムの兵たちもまた、本来の自分を取り戻していた。
「すまない、遅れてしまった」
ダミアンは微笑み、センチュリオンの兵たちもまた、金縛りにかかっていながら笑顔を返した。
「ダ、ダミアン、中将?」
見上げたブリギッタは、はじけ飛ぶようにして距離を取る。
「ここにいるということは、貴方、まさか!!」
「降伏しろ、グラナトゥム。私の術は完了した。レオーネ公女殿下は返せぬが、今はヤーヘンを討つのが先だ」
ブリギッタは何かに耐えるかのように下を向いたまま答えない。
グラナトゥムの兵たちは、そんなブリギッタを守るように取り囲んではいるが、法師を憑依させたことで消耗は激しく、立っているのがやっとという有様だった。
「ブリギッタ殿、兵たちは拘束させてもらうが、君はレオーネ殿下に付いていてもかまわない。
センチュリオンは誰も死んではいないのだ、その後の処遇については陛下も慈悲を賜るだろう」
「・・・馬鹿にして」
「なに?」
微笑むダミアンにブリギッタは吼えた。
「誰がそんなことを信じる!?
陛下は政変を起こされた。グラナトゥムを贔屓することは、付き従った貴族たちにしめしが付かない。
戦争が終わったら、みんなの首を刎ねるに決まっている!!」
「私が、直にお願いする。それにグラナトゥムはこの戦争の功労者だなのだ」
優しげで、諭すようなダミアンの表情、しかしブリギッタはそこに嘘を見た。
「そんなこと、ケルサスの貴族たちには通じない。むしろグラナトゥムの弱みに付けこめるとなれば、より苛烈な罰を求めるはず!!
フラーダリーがどんな目にあったか、貴方も覚えているでしょう?!
貴方が、今こうして私を懐柔しようとしているのも、そのためでしょう!!」
誤魔化されないし、好きにはさせない。
いかにダミアンが優秀な騎士であっても、パンデミックを利用した私の術を破れるはずがない。
ダミアンが携えているのは黒漆太刀、かつてホアンを信仰する小国を滅ぼした際に、数多くの血を吸って魔剣と化した対ホアン信徒用の刃であっても、顕現した神を調伏できるはずがないのだ。
ブリギッタの言葉に、ダミアンは僅かに姿勢を変えた。剣に手を添える。
「私の術は死んでない。法師はまだ、そこにいる」
破裂するブリギッタの魔力が、深遠に至る。
今度は自分の意志で恨みを辿り、法師を呼び起こす。
しかし、それはブリギッタの命を削る。耳と目から血を噴出して、それでも彼女は詠唱を止めない。
ブリギッタに付き従う兵らも、唇を噛み締めて彼女の意志に従う。
「レオーネを返しなさい!!
貴方たちは、触れてはいけないものに触れている!!」
喀血するブリギッタ。
体を折り曲げて、ぼたぼたと血だまりをつくる。
顔を上げると、従うように森林に潜む闇が形を成す。
法師が、起き上がる。恨みに吼えて、センチュリオンを縛る戒めが強化される。
「ダ、ミアン、閣下、お逃げ、く、ださい」
カロリーネの言葉に、しかしダミアンは口角を上げる。
「それが答えか。ならば、致し方ない。グラナトゥム、ここで処罰する」
「黒漆太刀でも、私の術には届かない。その剣こそが森林の民を傷つけ、裏切ったのだから。
法師は、悪路王は黒漆太刀をこそ恨んでいる」
「そうだな。あるいはこの剣ならば、かつて友情を育んだ敵のことを思い起こさせると思ったのだが、どうやらそれも叶わないらしい。
だから、別の力に頼ることにするよ」
そう言ってダミアンは胸元から、翡翠の石を取り出した。
いぶかしむブリギッタに向かって、副官のイヴァンが声を張り上げた。
「あれは、コギトの勾玉でございます。
対象を洗脳し、意志を誘導します!!」
「そうだ、そして、その対象が誰か、分っているだろう?」
ダミアンの背後で、ケルサスの天幕が閃光に包まれた。
清純で、穢れのない光。同じ清らかさでもサラの鮮烈な魔力とは根本からして違う。
受け入れて、慰める光り。
「これは、似ていても魔力ではない。『存在』、魂の光りだ」
閃光を浴びて、法師の穢れが洗い清められていく。
ダミアンの黒漆太刀が浮かび上がり、秘められていた益荒男の意志が形を持つ。
魂が共鳴して、導きあって、魅かれあう。
悪路王、かつての英雄は好敵手の手を握る。
英雄の助命を嘆願し、地面に頭を擦り付けた好敵手の泣き顔を思いだしたのだ。
-そうだ、決してお前のせいではない。
我らの友情は、はるか都で胡坐をかいている者らなどに、穢されはしないのだ-
詫びる友の肩を抱いて、微笑んだ。
法師もまた、都の者らの未知への恐怖を理解し、本来の姿、森林の守護者へと変化した。
笑みを浮かべ、それを見つめる一人の少女がいる。
一歩一歩、銀の髪をたなびかせて歩み寄る。
両手を広げ、祝福して、安寧を囁いた。
魂の手を引いて、冥界へと送る姫君。
少女が信奉するのは豊饒の神マイヤ、大地とは恵をもたらす大母であると同時に、死者を葬る棺でもある。だから、マイヤの裏面は冥界の神なのだ。その祝福を受けた血筋が、死者を弔うことを役目として持つことは道理である。
「レオーネ!!」
ブリギッタが手を伸ばす。
「駄目、それは貴女の意志じゃない!!
カイを、あの人を、忘れないで!!」
レオーネが顔をしかめる。
しかし、ブリギッタの言葉を遮るかのように、コギトの勾玉から滅我の波動が広がる。
レオーネの表情から、意志の光りが消えた。
昇天する益荒男たち。
見送る法師もまた、風に吹かれて消えてゆく。
涙を流して跪くブリギッタの眼前で、レオーネはぼんやりと佇んでいた。
「これが姫殿下の開放された力か。『存在』、その力の前では全てが平らかになる。
魔力など、所詮、ヒトの無駄な足掻きにすぎないのだな」
悲しげに目を伏せたダミアンの命を受け、法師の呪縛から解放されたセンチュリオンがブリギッタたちを取り囲む。
「残念だ。君には、姫殿下と共にグラナトゥムの未来を担ってもらいたかったのだが」
ダミアンは剣を抜いた。
「姉さん!!」
隙をうかがっていたベネディクトが土の魔術を放つが、センチュリオンの結界に弾かれて、拘束される。
「君たちが見ていたことは分っていた。そこにいるんだろう、フィルマン」
暗がりから、フィルマンが姿を現した。
「何を言っても無駄だろうね」
「貴方には、まだ生きていてもらう。ケルサスに必要だからな」
一瞬、フィルマンはダミアンに殺意を向けた。
しかしすぐに目を伏せる。
「後始末は私の役目だ。・・・どうか彼女たちを苦しませないように」
鼻で笑ったダミアンは、手を挙げてセンチュリオンに攻撃を指示した。
*****
ホアンはつまらなそうに、杯を放り投げた。
「なんとも下らぬ筋書きじゃ。
お嬢ちゃんの力をこんなところで解放するとは、第一、観客がおらんではないか」
崩れた襦袢の裾をそのままに、片足を高く上げる。
つま先を月光に照らして、折り曲げる。
「マーテルめ、我が何をしようとしているか、当然、読み筋であろうな」
忌々しげに呟いて、尾の一本をかき抱いた。
「あやつの思惑に乗るのは、嫌じゃ」
然れども。
ああ、然れども。
「我らの生贄となるのならまだしも、あのような下種どもに、我の可愛い娘が・・・」
たおやかな太ももに力が満ちる。
爪が伸びて、牙が生える。
尾は逆立って、金色の瞳がすぼまる。
-あの場にいる者、全て-
四つんばいになって、獣の吐息が零れた。
「皆殺しにしてくれようかや?」
林が、森が、山が鳴動して、あらゆる場所から尾が生えた。
全てを覆いつくして、無限に至る。
世界が壊れて、香る藤の花。
他世界を侵食して、やがて現世にあふれ出した。
「おうおう、虫けらどもが足掻いておるわ。
こんなものが、マーテルの創った世界か」
紅く染まる月を嘲笑する。
「そんなに、この世界が大事か。甘噛みしただけで砕け散りそうな、この鳥篭が。
・・・ほう、そこで見ているのは、桔梗か。
なんじゃ、止めろと申すか?確かにおぬしまで敵に回しては分が悪い。
ならば、貴様らが生み出した駒で遊んでやるわ」
かつて世界に破滅をもたらした獣は、月を一舐めして、現世を口内で弄ぶ。
げらげら笑って、世界の縁を織り上げた。
****
「お待ちください!!」
センチュリオンの前に一人の男が姿を現した。
「何者だ?!」
ダミアンの声音は緊張をはらんでいた。
無理も無い。誰も男の接近に気付かなかったのだから。
軍服はケルサスのものではあるが、信用は出来ない。
「まずは、術をお納めください」
慇懃に礼をする。
ダミアンは部下に術を解かせた。しかし、戦闘態勢は維持したままだ。
「何処の部隊の者だ。こちらはセンチュリオン、王の剣。貴官には所属と名を明かす義務がある!!」
下士官が叫んだ。
問われた背の高い偉丈夫は、ただ笑みを浮かべている。
背後で部隊は攻撃目標をブリギッタたちから男に変える。
「早く官姓名を名乗られよ!!」
「聞かないほうがお互いのためだと思うのですが、まっ、仕方ないのかな。
私は神聖グローリア所属、デューイ少佐です。
ブリギッタ様とその部隊を引き渡してもらいたい」
兵たちが顔を強張らせたのも一瞬のことで、すぐに落ち着きを取り戻した。
神聖グローリア、アーティファ信教の総本尊であったのは過去のことで、今ではケルサスの力なくしては何もできない。死んだはずの王女が生きていて、しかもエルフであることは彼等も知っていたものの、所詮この戦場では寡兵であり、その戦力はケルサスに比べるべくもない。
「貴官の要求は飲めない。ブリギッタ殿とその部隊の処断は、ケルサス軍内の規定によって行われるべき事柄だからだ」
ダミアンは、ゆっくりと言った。
「なるほど。貴方がたは勘違いしているようですね」
デューイの纏う気配が変わる。
「さっさと、ブリギッタ様たちを解放しろ」
背後に曼荼羅が広がって、より効率的に殺すために骨格が変化する。
「これは要求ではない。聖騎士が下す命令だ」
両者の間に亀裂が走る。慈愛の女神アーティファの裏面、呵責のない殲滅の魔力。
「聖騎士、だと?」
「曼荼羅が見えるだろう?それが証だ。
戦っても良いが、お前らの魔力はもうほとんど残っていないだろう、それで聖騎士の結界が破れるか?
ダミアン閣下だけは元気だが、つまり、閣下を殺せば、それで終わりということだ」
「静まれ。グローリアとケルサスが争っても益などない」
聖騎士、戦場においてはグローリアの聖巫女の代理を務める。聖騎士であるデューイの言葉は、つまり聖巫女ライラの言葉でもある。
守護国であるケルサスは、聖巫女の言葉を尊重する義務を持つ。しかし、だからといって行き過ぎた要求は斥けなければならない。守護国だからこそ、主と従、立場を弁えさせねばならないのだ。
「ここは戦場だ。そしてグローリアはケルサスの指揮下にある。聖騎士であってもそれは例外ではない。
さらに、聖巫女は今だ戴冠の儀を済ませたわけではないのだから、ケルサスと次期聖巫女との間にはなんの約定も締結されていない。
有効なのは、ケルサスが神聖グローリアの保護国であるということと、戦争前にかわした軍関係の取り決めだけだ」
言いながら、ダミアンは部下の魔力量をチェックした。
-負けはせんだろうが、どれだけの被害が出るか・・・-
「それで?
よいか、私は怒っている。我が主が下した命は、御友人たちを保護しお連れすることだ。
それが、どういうことなんだ?
ブリギッタ様は、裏切りの咎で処刑されようとしている。そして、レオーネ様は自我を奪われ、まるで人形のようじゃないか」
人形、その言を聞いてブリギッタの肩が跳ねた。
「随分ななさりようじゃないか、王の剣とやら。
ブリギッタ様が裏切りだと?お前らこそが、そうではないか!!
彼女の姿を見るがいい。こんなに血まみれになって、命すら削って。貴様らが彼女を、グラナトゥムを追い込んだのだろうが!!
鬼畜どもめ。『コギトの勾玉』を知らないとでも思ったか?
何の目的で使ったんだ?言ってみろ!!
その魔具が、どれほどのものか、くそっ、ああっ、それを私の前で!!」
デューイの魔力がグローリアの色、若草色に萌えた。
ダミアンは剣を抜く。
「貴官と勾玉の因縁は知らぬが、・・・私とて、好きでしているわけではないのだ。
しかし、ブリギッタ殿たちには、やはり、けじめが必要だ。
貴官が救うというのならば、・・・やってみろ」
デューイの毛髪が逆立ち、端正な顔は狂気に歪む。
「護国の英雄ダミアン、面白い。
真の英雄、我が父から受け継いだヨカナーンの名において、『コギトの勾玉』の使い手である貴様を斬る!!」
ヨカナーン?、・・・カシウス!?
ダミアンはその名を聞いて、反応が遅れた。
デューイの居合いの一閃が揺らめく。舞い踊って、命を刈り取る。
-残命剣、復讐劇-
「両者、剣を収めよ!!」
狙い済ました魔術の一撃が両者の間に刻まれた。
フィルマンだった。
「ダミアン中将、頭を冷やせ!!
ブリギッタ殿に力を貸したのは、マイヤではない。縁神ホアンだ。
魔力探査を広げろ、エンジェル・ボイスが見ているぞ!!」
「なっ?!」
顔を強張らせたダミアンに対し、デューイは舌打ちをした。
「このまま剣を交えれば、エンジェル・ボイスは貴官を攻撃するぞ。いや、それだけならばまだしも、ここに降臨するかもしれない。
デューイ少佐も、主の命を違えるな、貴官の目的は保護だろうが!!」
「アーティファ信教の聖騎士たるこの私に、センチュリオンの無法を見逃せというのか?」
「貴官の怒りは、養父殿の御家族が『コギトの勾玉』によって殺された件によるものだろう?くだんの一件にダミアン閣下が関係のないことは知っているはずだ。任務に私情を持ち込むな。
レオーネ姫殿下に関しても、このままにはしておかないと約束しよう。私、シュナイデル家フィルマンがその身を預かる」
「そうか、シュナイデル、か」
剣を鞘に収めたデューイがにっこりと微笑んだ。
「伏せろ!!」
ダミアンの一喝がフィルマンの耳に届くよりも早く、デューイはフィルマンの脇を駆け抜けていた。
「証として、貰っておく」
「?」
フィルマンがその言葉を理解できずに眉をしかめた瞬間、右腕が熱を帯びた。
「な、なんだ」
鮮血が目を覆った。
あるべきはずの腕は無く、体が揺れて倒れ伏した。
「貴様!!」
ダミアンが剣閃を放つ。しかし、それはブリギッタの結界によって弾かれた。
「ブリギッタ殿、自分が何をしているのか分っているのか!?」
「馬鹿だって思う。でも、私はもう決めたのよ」
「コラード陛下は許しませんよ」
「分ってる」
自虐的に笑ったブリギッタは、それでも力に満ちていた。
「ならば・・・」
「ああ、言い忘れていました」
デューイが切り落としたフィルマンの腕を弄びながら言った。
「私たちの後ろ盾、『宮』だけではありません」
デューイの曼荼羅が燐光を放つ。
二つの紋章が浮き上がって、それを見たダミアンは驚懼した。
土色、豊饒の紋章。エニシダが枯れて、再生の時が来て、また芽吹く。
冥色、夜に浮かぶ月。三日月に腰掛けたマーテルが両刀でもって己の首を掻き切っている。
それが意味するのは。
「次期グラナトゥム女王レナータ第一公女、その王配でケルサス王弟レークス殿下、グラナトゥムはコラード陛下を廃し、ケルサスから離反します」
「ば、馬鹿な!!」
ダミアンが叫ぶ。
森の奥から吐息が漏れ出る。
気付けば、数十の砂漠の民に囲まれていた。
「我が主、ライラ、真名ルクサーナ様は決意なされた。
聖巫女と悪魔の力、『ヘブンズ・ゲート』と『ヘルズ・ゲート』でもって、グローリアを再興する。
私たち、グローリアは理解したんだ。自由が、竜人が誕生した意味を。
・・・何を呆けている。
ルーメン陛下が望んだのだろう、乱世を。自由を得たヒトがどう振舞うか、戦意外にないだろうが。だから、我らは剣をとったのだ。とらざるを得なかったのだ。
貴様らの王が導いた地獄に付き合うしか、生き残る道はないからだ!!
英雄よ。王の剣よ。民の貴様が弑した狂王、助けたルーメン、果たしてどちらが聖か邪か、天使か、魔王か!!」
-神語り 九尾の章 完-




