神語り 3 -エルフの女王、輪廻転生の理-
「暴食の神カーニバルよ、天測をもとに遠くへ、ここを去って行けよ。
御身がもたらす救いを、我は望まざるがゆえに」
クシェルはつぶやくと、髪を一房切り落とした。
炎にくべて、結界を閉じる。
「結局、私は恨みを捨てきれない」
観戦武官に任命されて、マルブから戦場に向かおうとしたとき、忍び寄る影のように現れた男。
-貴女の恩人を殺したのは誰か、教えてさしあげましょうか?-
メルキド、学園の教授職に携わる者のなかでも、随一の碩学をほこる。
身元が確かでなかったために教授陣からは敬遠されがちであったが、学生からの受けは良かった。けれど、研究所が多くある学園では、身元が保証されていないことは、それだけで追放の理由になる。各国の機密に携わるのだから、学生の気持ちなどいちいち斟酌されるはずがない。
それでも学園長である養父ガイゼリックが学園に留めていたのは、教授たち、そしてその背後に控える国家という権力への反発心から、そう思っていた。かつて国家に裏切られた私にとって、学問の中立性という養父の信念が頼もしく思えたものだ。
しかし、先のキメラ騒動で疑念が芽生えた。メルキドが凶事に関与していることは、学園長の秘書を務め各部隊からの情報に接していた私には明らかなことであった。キメラ研究のスポンサーだと推測されたベスティアから送り込まれた暗殺者が遺体となって発見されたとき、観測された魔力残滓はメルキドのもので、しかも、彼の行動はあらかじめ暗殺者の動きを知っていなければ不可能なことでもあった。
報告を受けた養父は、けれど、何もしなかった。それどころかメルキドは、事後処理の雑事からも外された。彼は今も教授職に就き、なんの責任をとらずに自身の研究に勤しんでいる。
私は養父を問い詰めたが、彼は苦虫を噛み潰したような顔をして沈黙した。
それで私は理解したのだ。養父は信条からメルキドを追放しないのではなく、出来ないのだということを。
何が養父を縛っているのかは分らない。しかしそれは国家ではないだろう。なぜなら、彼は国家という体制を心の底から信用していなかったから。構造が歪なのだと、常々私に語っていたのだ。
ならば、何がそうさせるのか。
クシェルはそこで思考を放棄した。亡き家族のため、そして国を裏切ってまで私をマルブに送り届けて命を落とした騎士たちのためにも、彼女は幸せにならなければならなかった。余計なことを考えて、今ある地位とそれまでの努力を無駄にすることなど出来るはずがなかったのだ。
彼女の一族を皆殺しにしようとした狂王はもういない。けれど、保身からそれを止めなかった者たちは、いまだ権勢を振るっている。だから、見せ付けなければならない。彼らが見殺しにした少女がどれほどの力を持っているか、どれだけのことを成し遂げることが出来るのかを。
そして、いつか、と彼女は夢想する。彼女の力を求めてマルブに来たケルサスの貴族たちに、彼女の本当の名を告げる時を。己の犯した罪を突きつけられた貴族たちの青ざめた顔を、恐怖を。
だというのに、今はまだ振り返ることは出来ないのに、メルキドは過去という餌をぶら下げてみせたのだ。
「今さら仇を知ったところで、なにがどうなるというの。
彼らは命令されただけで、責任は命令したものが負うべきなのに」
けれど、駄目だ。
私の恨みは、迷うことを許さない。
メルキドの目、キメラ騒動なんてものに関与していながら、以前と少しも変わるところがない。後悔どころか、反省すら微塵もなかった。
そんなメルキドの言葉だからこそ、真実なのだと思ったのだ。
だから私は、心の奥底にしまっていた恨みを、引きずり出してしまったのだ。
クシェルが施した魔術は、そのメルキドから預かったものだった。ケルサス、そしてカルブルヌスの陣容のすべてを、あらかじめ指定されていた対象に送る。
メルキドによって最適化されていたから術をかけることは容易かった。丁寧に迷彩までかけてあって、術者はただ、見て聞いて記憶したことを術に刻むだけ。
けれど、それが意味するところはとてつもなく大きかった。
「コール卿、あなた、何を考えているのですか?」
送られた先、いつも気だるげに微笑んでいたコールの眼差しを思い出す。
ただの学者を気取っていながら、その奥にある激情は凄まじい。国を焼かれた恨み、死んでいった人たちを忘れることなんて出来るはずがない。私はそれをよく知っている。
「ライラさん、貴女、本当にエルフだったのね」
いつも、むっつりと無表情でいるくせに、ブリギッタたちといるときにはとても綺麗な笑顔を見せる子だった。
彼女がかたくなに他人を寄せ付けないのは、その生まれと、手首に幾重にも刻まれた刃の跡のせいだろうか。
私にはなにも分らないけれど、貴方たちが邪悪ではないと言い切れないけれど、後悔なんてしない。
貴女たちがそうであるように、私もまた、大切な人たちと共に殺されたのだから。
生き残ってしまった私たちは、死者の恨みを引きずって生きるしかないのだから。
「はあ、私、反逆罪で死刑かな・・・」
クシェルは、術の手触りを指先に感じながら瞳を閉じた。
その口元には微笑が浮かんでいた。
*****
カイが特攻し、エンジェル・ボイスが縁神ホアンの力を得たのと同時刻、強固な迷彩魔術を纏った神聖グローリアの旗を掲げる一団は最前線に向かっていた。
砂漠の民とともに進む楽園の守護者たちは、エンジェル・ボイスの神術を見て足をとめた。
縦隊の中段で、ぼんやりと視線を漂わせていたライラは戦場から流れ込んで来た血の匂いに覚醒した。
「・・・?
なんなの、これ。
なにが、どうなっているの?」
周囲を見渡して、自分が何をしているのか、何処に向かっているのかを知った。
神聖グローリアの紋を掲げ、最前線に突撃かける。
軍略なんて知りもしないライラにも無謀であることは明らかだった。
-どうして私はこんなことを?-
駆け寄ってきた側仕えから現状を聞かされ、ライラは愕然とした。
そんなはずはないのだと、友人たちは前線から逃れているはずだと、頭を振った。
唇を噛み締め、自分自身に潜る。
答えを求めて戦場にいる友人たちの気配を探って、目を見開いた。
「ねえ、レオーネはどうして泣いているの?ブリギッタはなんで戦っているの?
サラは辛いことがいっぱいあったから、もう幸せにならなきゃいけないのに。隣には、オーギュントがいなきゃ駄目なのに。
どうして、カイが、どこにもいないの!!」
まどろんでいたライラが見逃していた友の窮状のなんと苛烈であることか。どれほどの思いを見逃していたことか!!
押し寄せる後悔の波を前に、使い魔に助けを求める。
黄色の瞳が開いて、ライラの肩を枯れ木のような腕が抱く。
安堵してしまった己の脳裏に、友人たちの苦悶に満ちた顔が浮かんでは消える。
かつて聖女とうたわれた使い魔が耳元に口を寄せる。
-ライラは、もう苦しまなくていいの。たくさん、ひどい目に会ってきたじゃない。
目をつむってしまったとしても、あなたを責める人なんていないわ-
そうだ、そうだった。
アーティファ信教の巫女として生まれて、神聖グローリアのすべてを引継いで、未来は幸福であるはずだった。
わたしの背に広がる曼荼羅は楽園を描いて、みんなを幸せに導くはずだったんだ。
でも、何もかもが奪われた。
お父さんは、お母さんをかばって殺されて、お母さんは生きたまま焼き殺された。お兄ちゃんも妹も磔にされちゃった。
一緒に遊んだあの子も、遠巻きに見つめていた男の子も、街の人たちはみんな、みんな呪いに溺れ死んじゃった。
それを、わたしは、蛇人のおじさんに抱えられて見ていた。
力があるくせに、たった一人のエルフなのに。
震えて、泣いて、しがみついて、黒く染まる街から逃げることが出来たことに安心していた。
-君はエルフじゃないか、生きなきゃ駄目だ-
王宮から抜け出した日、転んだわたしに軟膏をくれた子が言った。
-怖かったんだもんね、まだ子どもだし、しょうがないよ-
一緒に花冠を作って遊んだ女の子が寂しそうに笑う。
-あなたの命は、この国、全てを足し合わせたよりも尊いのだから-
お母さんとお父さんが、青白い顔で微笑む。
いつもの風景、思い出の中に本当を閉じこめた誤魔化し。
そうなの。
誤魔化しなの。
そう思えば、わたしは罪に押しつぶされないで生きていけるから。
でも、と立ち止まった。
わたしはいつも愛され守られて、潰れそうになったときにはいつも助けてくれる誰かがいた。
けれど、守ってくれた誰かが苦しんでいるとき、わたしは何をしていたのかな。
風が吹く。黒炎に包まれる風景に、雨雲が立ち込める。
わたしの手を取って遊んだ子たちの顔が歪む。
わたしを助けるために肉の盾となった人たちの、末期の声が響く。
磔にされた兄妹たちの、絶望して発狂する声が地を這う。
お母さん、お父さんの笑顔に隠されていた恐怖が、わたしを責める。
-お前さえ、いなければ-
呪いが旋風となって周囲を駆け巡る。
-そうだ。わたしがエルフだから、攻められた-
耳を塞いで、体を丸めても、誰も許してくれない。
力の限り叫んでも、わたしの声なんてみんなの苦しみに比べたら、とっても小さい。
-ルクサーナ様、貴女は奇跡です。長い間、エルフとなれる王族は居なかったのですから。
でも、今さらではないですか?これまでエルフなんて居なくても十分上手くやっていけてたんです。
それなのに、貴女のせいで僕たちは殺されてしまった。
僕は、いや、みんなエルフなんて望んでいなかった。邪魔だったんですよ、貴女は。
だから、どうか死んで欲しい。苦しんで、僕たちのそれよりももっとひどく-
何度も見た王宮騎士の人が笑って言った。
-ルクサーナ、兄ちゃんは死にたくなんてなかったよ。
お父さんも、お母さんも居て、いろいろあったけど国は安定していた。みんな、幸せだった。
何が邪教徒の気に障ったんだろう?どうして僕たちは殺されなきゃいけなかったんだろう?
おい、耳を塞ぐなよ。恨み言くらい聞いてくれよ。
分ってるんだろう?全部お前のせいなんだよ。
いいか?司祭たちは、お前が生まれたとき、殺すか生かすか迷ったんだ。なにせ保護国のケルサスは狂王のせいで弱体化していたんだから、助けなんてあてにならなかった。
いたずらに邪教徒の目を引けば戦になる。みんな死ぬ。それはアーティファ信教の教義に反するだろう?
だから、お前なんて見なかったことにしたほうが都合は良かったんだよ-
ライラは絶叫する。
それまで見ないようにしていた事実、愛したものが自分を愛してなんていなかったと理解して、心が砕けてしまう。
「あ、あ、あ、う、ううう、ご、ごめんなさい」
碧の目から涙が零れて、曼荼羅がきしむ。
-ルクサーナ、お母さんは貴女が怖かったの。だから、生かしたの-
-父親として失格だ。私は、お前を認めることが出来なかった。お前がエルフであることを隠したのは、愛したからじゃない。恐怖からだ。-
「や、やだよ。どうして、そんなこと言うの?
勝手に居なくなったくせに。
私は死んでも良かったのに。みんなと一緒に死にたかったのに。
や、やだー!!」
小さな体から魔力がほとばしる。悪意の曼荼羅がライラの背後に広がって、黒髪が碧に伸びて逆巻いた。
-なんで、こんな世界にわたしはいるの?-
ライラは死を希求する。
ライラの使い魔である悪魔ナスターシャが頭をふって、冥界の王サイレスが目を上げた。
絶望を抱いたライラが堕ちて行く。
曼荼羅は枯れ落ちて、長い緑の髪は魔女のよう。
深い碧の瞳は色を映さず、愛、エルフのすべてを否定する。
『生ける者は死者の旨をさとれ。愛のために尽くることなき言葉を読め』
朗々たる言葉が響いた。
若い女の声で、からかうように軽く、ライラの取りまく状況を嘲笑っているかのよう。
けれど、その声はライラのすべてをすくい取って、抱きしめてしまう。
『芳香ある風が、もっと芳しくあるように。
願いを求める者たちよ、わたくしに強大な王国を。
わたしくしは、不義を征服したいのです』
ライラの目に巨大な、世界を覆うほどの曼荼羅が広がる。
二重、三重に折り重なって、深奥で横臥するのは形容できない美の女王。
「泣いてばかり。そんなことで、その程度の絶望で、愛を諦めるの?」
折り重なった曼荼羅が叫喚する。
一つの存在が二重に、三重に広がる。
伴侶を殺された父が、憎悪に染まる眼でライラを睨む。
-お前のせいだ、許さない-
かつて、力強くライラを肩に乗せた父が言う。
-おまえのために私は死ぬ。それでいいんだ-
『人は弱い。死の瞬間に何を思ったか、絶望に決まってるじゃない。誰も死んだことなんてないんだから、怖くて当たり前よ。
でも、それだけでそれまでの人生を判断されちゃったら、可哀想でしょ』
-ルクサーナ-
-ルクサーナ様-
-ルクサーナちゃん-
わたしを励ます優しい声。
大好きだったソーマ(神酒)の香りが広がって、両手を広げて抱きしめてくれるのは。
-ああ、そこにいたんだ、お母さん-
-私の可愛い子。どんなことがあっても、私が見守っていますから-
血が怖い。
恨みが怖い。
炎が、死んでしまった誰かの声に震えてしまう。
でも、そんなこと、もう、どうでも良い。
私の頭を撫でてくれたヒトの慈しみが、成長を願ってくれるヒトの眼差しが、友だちと結んだ友情は本当なんだと、気が付いた。
ヒトは脆い。壊れてしまえば、もう直らない。
でも、刻まれた思いは小さな欠片となっても、残るんだ。
わたしたちは、死んでしまったみんなは、曼荼羅の中で生き続けることができる。
アーティファの愛は、女神の楽園は、わたしの曼荼羅に生きている!!
ライラの曼荼羅が命を得る。
アーティファの神気が流れ込んで、神樹の恵みに花開いた。
最後のエルフであるライラは、女王アーティファの理に至る。
そして気付くのだ。どうして、こんなにも素晴らしいアーティファの教えが世界を包むことなく限定されることになったのかを。
ヒトの弱さを受容して、己を呪った父母や民を抱きしめたライラの楽園が、月の女神に否定される。
逆らうことの出来ない劇滅の波動が、曼荼羅を焼きつくす。
ライラは、大きな瞳に両の拳を押し当てて、いやいやと頭を振る。
「これなんだ、グローリアを滅ぼしたのは!!
わたしたちの慈愛はヒトのためにならないって、皆殺しにするんだ!!
それが、こんな世界を実現させるためなの?!」
-マーテル(オルディナ)!!-
ライラの曼荼羅に、大帝国とグローリアを滅ぼした神炎が映し出される。
兵士が、民が、幼子が炎に包まれる地獄絵図が広がって、その嘆きが現実を侵食する。
死にゆく声が重なりあって、神に問いかける。
-なぜだ-
ライラは月に向かって、大きく口を開く。
犬歯をむき出して、瞳は怒りに燃えさかった。
「こんな世界、だいっ嫌い!!」
愛の種族エルフが、髪を振り乱して叫んだ。
「枯れ落ちろ!!」
ライラから噴出した神樹の魔力が、曼荼羅に染み渡る。
エルフの描く理想社会が形を得た。
一面に広がるのは実り良い麦畑。風が吹いて、花の香りと水の匂いが香る。
穢されたはずの子どもたちが、首をもたげた麦の間から顔を出し、かつて兵士であった父は剣を捨てて田畑を耕す。帰ることのない恋人たちの帰りを待っていた女たちは笑いながら牛馬の乳を搾って、口減らしに首を吊るはずだった老いた祖父母は、祭壇の前で祈りを捧げて子らの幸福を感謝する。
長閑だった。風が駆ける空は高かった。神樹の逞しい枝から木漏れ日が差し込んで、争いなんて何処にも無かった。慈しみが溢れて、こうであるべきだという楽園があった。
けれど、瞳を転じてみれば、世界樹の祝福を受けないヒトらは死に絶えようとしている。存在意義すら否定され、生命力を吸い上げられて、世界樹を通して楽園に注がれる。
そう、エルフの楽園は今ある世界を否定することで成り立つ。幸福に預かる民のぶんの不幸を請け負う生贄でもって創り上げられるのだ。
ライラがその法則を完全に理解しているわけではなかった。
けれど、幸福の量が決められていることは知っていた。
神は己が作り出した法則に縛られ、救うことが出来ずに泣いているだけ。世界は神の救いを待ちぼうけながら、ひたすら幸福の権利をめぐって争い続けるしかない。
だから。
「わたしは、わたしのために戦う。
もう、泣かない。
楽園はわたしが創る。わたしが、みんなを連れて帰るんだ!!」
ライラ、最後のエルフはマーテルの世界に見切りをつけた。
聖騎士が立ち上がり、剣を掲げる。
「「神に挑む栄光を!!」」
唱和する声が、開戦の号砲となる。
アーティファとアルファスがそうであったように、救うことのない神マーテルを拒絶して、自らの足で歩むことを決意した。
その決意は神域に至った。
神気が流れこんで、ライラを乗せたオオトカゲが変質し、存在そのものが上書きされる。
それは青白く、病的なまでに緑に染まっていた。
-冥界の主、サイレス様に嫁ぐ姫君よ。『死』は、いつまでも貴女の側におりますとも-
冥界の神サイレスの僕、『死』をもたらす四足獣がライラを背に乗せる。
手綱を握るのは、ライラの使い魔でかつての聖女、悪魔ナスターシャ。
「風が蓮池をいたるところに揺るがすごとく、正にかく汝は、十月満ち足るとき、胎衣ともどもいで来たれ。生まれ出づるものよ、永久に祝福を与えん!!
リグ・ヴェーダ、アシュヴァイン!!」
ライラが、知るはずのないグローリアの神秘の祈りを叫んだ。
-たとえ、今生でエルフの楽園に入ることが出来なくとも、生まれ変わって私、アーティファの下に来て-
それは、神となったエルフの女王の願い。
幸せの総数が定められているのなら、輪廻転生によってその機会を与える。今生の幸福が叶わなくとも、来世での祝福を約束しよう。
エルフの願いを体現するアーティファ信教、その教義は、今を生きる命と来世を繋げて幸福の可能性を広げる。
それこそが、慈愛の女神の祈りだった。
祈りは詔となって、エルフを守護する戦士たちに絶対令を授ける。
エルフの女王アーティファの詔、その真の力は絶対服従ではない。
聞いた者に絶大なる世界樹の力を授けることにあった。
イデアの理念を体現した世界樹と繋がる聖巫女の願いは、すなわちイデア界の目的。
ゆえに、彼女のために戦う戦士は、神兵である。
聖騎士、それはエルフの能力強化を受けうる戦士を示した言葉だった。
****
戦場を見下ろす高台に桃色の髪の少女がいた。その側には、腐りきった一頭の黒犬がはべる。
ライラを見つめる少女は、曼荼羅に描かれた世界樹を見て、その浅黒い頬を恍惚に紅く染めた。
薄い色の唇を真っ赤な舌がなぞって、神樹の威容に打ち震える。
「羅刹が伴侶を渇望し、殺意に酔う。
知聖は母たる狐を知り、魂引きの姫は喪失に喘ぐ」
腐犬の首筋に口付けして、漏れ出す体液を愛おしげに吸い上げた。
「罪と罰の宝剣は正義の手に渡り、真なる姿を得るだろう。
そして皇は知るのだ。己の使命を、宿敵を。剣神が鍛えし神剣、『神語り』の破壊の力を。
ああ、世界は完璧に近づいて、乱世が来る。
あたしは、汚らしい男どもを殺しつくすことができるんだ」
少女の体に刻まれた刺青、淫猥と記された古語が光りを放つ。
戯れに穢されて、戦奴として命を奪うことを強要された暗黒騎士。初代剣聖であるとともに慧聖でもあった少女は感涙し、彼女に覆いかぶさってきた男という邪悪を殺せる喜びを叫ぶ。
「あたしのホトが燃えるように熱い。突き入れられた欲望を燃やし尽くして、あたしは、もう一度生まれ出る」
そのとき、うっとり蕩ける瞳が停止した。
瞳孔が拡大し、色を失う。
鈍い音を立てて肩が外れ、首が真横に倒されて舌が伸びる。足が軋んで股関節が変容し、腰が丸みを帯びて胸が膨らむ。太ももはむっちりと、性器はぬめり気を帯びて男を求めた。
足の腱がねじれて、千切れる。糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた彼女は、男から逃げることが出来ない。
遥かなる太古の魔術。男を喜ばせるために、体の作りそのものを変容させる。
体にかかる負担を度外視したその魔術は、対象者、女を人間とは見なさない。
「フフフ、負負負っ。ワ、ワタクシノ、カラダハ、オ、オキニメスデ、ショウカ?」
喉から勝手にもれ出る声に絶望し、己の皮膚に爪を立て、肉が抉れ血が流れた。
震える細いからだを両腕で抱いて、嗚咽は寒空に響く。
「よくも、よくも、よくも、よくも、あたしを穢してくれたな、男どもよ!!
みんな、殺してやる。父も、兄も、弟も、坊主も、先生も、ガキも、男である限り許してなるものか!!
一滴のこらず血を抜き取って睾丸を踏みにじり、邪悪な肉棒、犬に食わせてやる!!」
殺意で自我を覆い尽くし、剣奴の徴が輝いた。
かつて男を滅ぼそうとしたとき、立ちはだかったのは聖巫女アーティファだった。
オークの王アルファスにしなだれかかって、二人で理想を築くのだと、濡れた瞳で放言した。
自分と同じ女であるはずの美の化身は、あろうことか男女の愛などという快楽への隷属を見せ付けてきたのだ。
-こんなに美しいのに、理知的な眼差しは世界を見通すほどなのに。
男に組み敷かれ、快楽に囚われているなんて!!-
間違っていると、男に惑わされていると、身を投げ出して訴えても耳を貸そうとしなかった。
どんなに愛しても、そびえるほど男の死骸を積み上げても、決して分ってはくれなかった。
ならば力づくでと、帝王アルファスに挑んで敗れ去ったときの屈辱が少女の胸を焼く。
「大好きなの!!あたしが幸せにしてあげるの!!
男なんて皆殺しにしてあげるから、あたしたちを愛して!!」
絶叫が神樹に木霊して、少女の嘆きがイデアの承認を得る。
-時よ、もう一度-
叶えられなかった夢を手にするために。
-悪たる男を殺しつくす肉体を授けたまえ-
暗黒としか称されない光りが満ちる。
男が、女を犯す。そう摂理によって定められた男女の対立構造を否定するために、男を殺しつくすという極論を目指した魂が肉体を得る。
『むしゃぶる肉人形』、『屍に寄り添う売女』、『西の大陸の腐り姫』。
死霊使い、最強の騎士にして最強の魔術士。
現世に堕ちたカイをも超える最強、ルドラ・ネクロノミコン・トゥーラントッドが受肉した。
愛しい女王の目を覚まさせるために、男という存在がいかに邪悪で欲望に穢れているかを知らしめるために、彼女はもう一度繰り返す。
彼女の理は、愛の形式から男という不純物を取り除く。新たなる生を子宮に宿すのではなく、屍を利用することで魂の循環を成し遂げた少女の愛は、男女という愛のきっかけを止揚するのではなく、超越する方法論を極めたのだった。




