神語り 1 -九尾-
なにより気になったのは臭いだった。
鉄のような臭気が鼻の奥をガツンと突き上げて、吐き気がこみ上げてきたけれど、口を腕で覆ってなんとかこらえた。
なにが起きているのか良く分らなくて、目を凝らしたら、砂塵が目に入ってきて痛くてたまらない。
僕はなにをしていたんだっけ。
視線の先に誰かの腕が転がっている。
剣を振り上げた誰かがそれに足を取られて体制を崩した。そこに別の誰かがやってきて、正面から手斧で斬りつける。
一瞬の悲鳴を上げた男に、さらに振り下ろす。
何度も、何度も、何度も。
すがる手もろとも切裂いて、動かなくなったのを見た男が満足げに笑ったとき、その喉に剣が生えた。
血を噴出して、敵を殺した歓喜の中で殺された。
殺した男が笑って、僕も、笑った。
殺された男もまた、笑っていたのだった。
剣戟の音が聞こえる。魔力の破裂する音がこだまして、でも、なにより笑い声が響いていた。
僕は頷いて、満面の笑みを浮かべて剣を握る。
だって、罪深い魂が一つ消えたのだから、喜ばしいことじゃないか。
ヒトは、神のために存在する。
それなのに僕たちはこんなにも穢れている。
ならば、僕たちは生きていてはいけないのだ。
罪にまみれた存在なんて、同じく罪を負った存在を消し去るため以外に生きていて良いはずがない。
殺して、殺されて、それでこそヒトは神の御心を体現する。
魔力を高めて、大きな声で叫ぶ。
僕は、ここだ。
ほら、汚らわしいヒトが、生きているぞ!!
神が待っている。
僕たちの死を。消滅を。
振り向いた誰かに斬りかかった。
よしっ、確かな手ごたえ。
死んだ!!
やった、僕が殺した!!
僕が罪を一つ消したんだ!!
・・・あれ?
痛い、腹が、焼け付くように、なんだ、これ?
目を下ろすと、腹から腸がこぼれていた。
あいつめ、こんな、くそっ、悪あがきしやがって!!
僕はまだ戦えるはずだと、折れそうな心を叱咤して剣を構えようとするけれど、手が上がらない。足は一歩も前に出てくれない。
もう、僕は神のために戦えないというのか。
目の前に、誰かの剣がある。
・・・そういえば、僕は、ヤーヘン、ケルサス、どちらの旗の下で戦っていたんだっけ?
そんなことすら思い出せないまま、僕は、僕たちは死んだ。
****
「ああ、なんて気分が良いんでしょう」
そこかしこで、強者たちが死んでいる。
救う手段がありながら、弱者を見捨てる屑どもが痛みに喘ぎ、臓物を振りまいている。
「素晴らしいわ」
思わずつぶやいてしまった。
この胸の高鳴りを言い表すにしては何とも味気ない言葉だけれど、万葉の修飾を尽くしては、かえって俗っぽくなってしまう。
「ああ、この狂演が世界中に広まってくれればいいのに」
九尾の狐、エンジェル・ボイスは切に願う。
「でも、焦ってはいけない。きっとすぐに喜劇は世界を覆いつくす」
-魔晶が、神の業が、この手の中にあるのだから-
狐は前を向く。
涙をこらえて、黄金の髪を風に乗せる。
彼女の神を喜ばすため、懸命に最高の歌と舞を捧げ続ける。
-神は応えてくれる。
こんなにも純粋なのだから。
世界のために、こんなにも頑張っているのだから-
『それは、どうかな?』
「え?」
狐の耳にノイズが走った。
『貴様の頼みにしている魔晶、それを生み出したのは、誰だ?』
「!!」
リズムが乱れた。
-ありえない。私の結界を貫いて声を届かせるなんて、出来るはずがない!!-
鼓動が、早鐘を打つかのように逼迫する。
-私の舞台が穢される。そんなこと、許せない!!-
冷酷に響く声に向かい耳をそばだてた。
『ケルサスの民よ、王の命を思い出せ。貴様らの振る舞いは私の意思に反している!!』
狐の魔力に抗う力強い声が響いた。
『絶対神マーテルは、貴様らを救わない。
ならば、私が貴様らを救って見せる。そして、救われた貴様らが、我らが神、嘆くマーテルを救うのだ!!』
それは、恵をもたらす水の青、突き放す空の青、ケルサス王ルーメンの魔力だった。
「ルーメン、あなたなの!?」
エンジェル・ボイスは地面を強く踏んで、高く跳躍する。
清冽な笛の旋律が音階を上げ、軽やかだった太鼓の音が荘厳さを際立たせてずっしりと響く。
狐は、紅い月光を満身に受けて呪力を高め、戦場に響く声を妨害しようと、兵たちに罪の重さをささやき、唄う。
「何を迷う?
お手前様は汚らしい。弱い女、子ども、老人を殺して遊んだのでしょう?楽しんだのでしょう?
贖罪を果たしたければ、罪人を殺すために、私と共に踊ってくださいな」
琵琶がかき鳴らされて、兵たちは耳を押さえてうずくまった。
しかし、そこまで。
どうしてか呪詛は増幅されない。
魔晶は応えない。
『我が民に告げる。
陣形を整えろ、運命に抗え。
生きるために、友を守るために戦うのだ。そして、他ならない神のために。
我等は邪悪に身を染める。マーテルの信徒たるがゆえに、マーテルに逆らうのだ!!
神を、マーテルの涙をそそぎ、まほろばを、我等の手で!!
The will of the gods(神の意思を)!!』
ケルサスの兵たちが、目を上げて声の主を探す。
生きていて良いのかと、すがりつく。
「なにを言って・・・、そんなの冗談じゃない。
法則は刷新された。この者たちは自由意志で殺し、殺されることを選んだ。
神の御前で、誓ったんだ。
それをいまさら反故にしようなんて、そんなことが許されると思っているの!!」
エンジェル・ボイスの呪詛が、うなりを上げる。
夜空で輝きを放っていた魔晶をからめとって、己の色に染めようと迫る。
けれども、魔晶にあらかじめ秘められていた、ルーメンの術式が発動する。
呪う山姥の邪法の内にルーメンの水の魔力が流れ込んで、呪いの血文字に青が混じる。
「どうして、神の力を借りた私が、あなたなんかに!!」
『ヒトを信じたのが貴様の間違いだ』
「私はヒトなんて信じていない!!」
『神の律法から演繹すれば、ヒトは死を選ぶと思ったか?
馬鹿な!!
そんなにも聞き分けが良いのなら、世界はこんなにも腐ってはいないだろうが!!
あざとく生き汚く、見上げる神をも嫉妬する、それがヒトだろうに!!』
「それを、あなたが言うの?
ヒトの王!!
確かに私はヒトを信じているかもしれない。
でも、今のヒトは駄目、穢れている。それはマーテルのせいよ。マーテルがヒトを救おうとしないからよ。
ヒトには限界があるの。神が救わないというのなら、私たちがヒトを変える。新たなる法則を求め、ヒトの限界を引き上げようとしているの!!
あなたも同じではないの?
それゆえに堕ちた。そして別の神に拾われた。
違うの?『哄笑し、崇め誇る黄金の羊』!!」
『ヒトそのものを変える?ご立派なことだ。俺は貴様とは違う』
ルーメンの魔力が反転する。
マーテルから授かりし守護の魔力が、灰色に、なにものにも規定されることを拒む混沌に変化する。
『俺は、ヒトに絶望しているんだよ』
ルーメンはエンジェル・ボイスを嘲笑った。
そして、兵を、敵を、愛する臣民を。
両手を広げ、呪いに染まったルーメンは黄金の仮面を被る。
その瞬間、王の魔力に扇動されたケルサス兵の死にたくないという思いが、閾値を越えた。
『贖罪だと?
こいつらが許されると思っているのか、狐。
冗談じゃない、笑わせるなよ』
ルーメンは、赤色の月を見上げる。
声を震わし、呪詛を唱えた。
-その女は、豊な髪をして、あらゆる者を、曙のようにまぶしがらせた。
夜のように慰めをもたらして、その美しい体の全体を統べる諧調は、あらゆるすべてを嘆息させた。
だが、おお、なぜなのだ。
彼女は、こじきになってしまった。
人々は、懇願し縋る乙女を蹴り飛ばし、彼女が狂ってしまうまで罵った。
彼女の美しさよりも、堕ちる彼女の浅ましさに慰めを見出し、犯し、貪り、食い尽くした。
ごろつきどもよ!!
井戸端で、彼女を貶めた女どもよ!!
梅毒に冒された彼女を見捨てた聖職者どもよ!!
笑え、笑うのだ!!
悪徳の華に、悪魔でも遠慮するような罪の泉を沸きあがらせるのだ!!-
ルーメンの言霊が、魔晶に響く。
エンジェル・ボイスの呪いに拮抗する邪悪さでもって、侵食する。
『神よ、福音を。
貴女の愛を試し、救われ、それでも嘲る我らに、憎悪という愛を!!
貴女の使わした聖女を侮辱し、姦し、殺した我らに救済のお言葉を!!
それでも、我等は無限に至るまで貴女に悪徳を奉じるだろう。
救いの数だけ、咲かせ、御覧いただこう。
悪の華(Les Fleurs du mal)を!!』
震える大地。
極大の呪いがぶつかりあって、エンジェル・ボイスの支配力にひびが入る。
エンジェル・ボイスの伴侶である魔物使いの力によって、ヤーヘンとケルサスの戦いから退いていた亜人たちにも戦場の狂気が伝染する。
戦闘で疲弊した生き残りを殺すために力を溜めていた亜人たちが、魔物使いの支配に逆らって戦場になだれ込んだ。
「どうして!?あなたの力が魔晶に込められていたとしても、こんなこと・・・、!?
これは、まさかパンデミック!!
この陣形、あなた、パンデミックを引き起こすために、わざと兵の損害を大きくしたのね!!」
『それだけでは、ホアンの力を借りた貴様には到底及ばない。
しかし、ここには炎の公方、カグツチの神気も満ちている。
神の法に逆らう力を貴様が産み、ヒトに授けたのだ、狐よ』
エンジェル・ボイスによって眠りにつかされていた、三つ首の竜人が半覚醒状態のまま咆哮を上げる。
『自由意志だ。それは、神の法則を乱す邪悪の理にほかならない』
ブレスが吹き荒れる。
怒り、嘆き、そして歓喜。神を恨み、それでいて世界に生存することを寿いだがゆえに誕生した法則が世界に傷跡を刻み付ける。
「贖罪に向かう意志に、生への希望を吹き込んだのね。
神を救うという理想で、生きることへの渇望を引き出した。
それを可能にしたのは・・・」
『そうだ、古竜の人格、歓喜だ。
あれもかつては神だった。いかに力が弱くとも、その力は絶大だ。
己の種族への劣等感に苦しみ、火の神カグツチに奉仕することができなかった人格は、ことのほか神への思いが強い。神のためならば、その意志は己の罪をも誤魔化して、覆いつくしてしまうほどに。
ヒトの意思決定の過程は快と楽が優先される。たとえ、絶対である神が贖罪を望んだとしても、ヒトは自分勝手に解釈し、己の都合の良いように変えてしまう。
貴様は、下らない罪の意識だぞ引き出さないほうが良かったのだ』
「馬鹿にして!!
あなたは、ヒトが神を救えるだなんて、微塵も思っていない。それなのに、あなたの理想のために虐殺の片棒を担がせるなんて。
ヒトの魂を侮辱するな!!」
『滑稽だな。甘すぎる。だから貴様は呪いを上手く扱えないのだ』
「私は私の理想(地獄)を表現し続ける。贖罪の道すら与えないあなたに、何を言われても響かないわ」
ルーメンは苦笑する。
見下しながら、言葉を放った。
『本当に可愛い女だ。貢物でもくれてやろうか?』
エンジェル・ボイスの表情が消えた。
視線が揺れて、脳裏にかつてヒトだった頃の記憶がよみがえる。
-歌姫よ、これを、どうかお納めください。この宝玉は貴女の胸でこそ輝くものです-
-まあ、素敵。このような一品は見た事がありません。何処から?-
-蛮族を討伐した際に、かの族長の娘が持っていたものです。降伏しても手を離そうとしませんでして、随分苦労しました。さぞ、大切なものだったのでしょう-
-え?-
-これは蛮族の手には余るもの。あのような汚らしい娘が身につけていて良いものではありません-
-・・・その娘は?族長の娘だったのですから、丁重にお迎えしたのでしょう?-
-ご冗談を、そんなわけはないでしょう!!蛮族ですよ?!
何時までも手を離そうとしないものだから、手を切り落としてやりました。その後は、兵共が欲しがるものですから、慰みものにくれてやりましたよ。
まあ、戦場の習いというものですな!!-
-・・・・・・・-
-もちろん御手にしている宝玉は、ちゃんと清めていますとも。しかし、そのままでも良かったかもしれませんな。あの娘の苦しみが深いほど、その恨みが宝玉の輝きとなりましょうから-
-そう、ですね・・・-
つぶやいた私の顔は、どんなだっただろう。
ただ、噛み締めた唇から流れた血の味だけを覚えている。
白昼夢から覚めたエンジェル・ボイスの瞳が、森林の闇に染まる。
狐耳が屹立し、九本の尾は逆立つ。爪が長く伸びて、小さな口から牙が覗く。
「ルーメン、あなたは自分の理想のためにヒトの魂を侮辱し、私の神を道具にした」
-そして、なにより、私の呪いの起源を抉った-
「その黒く染まった腸引きずりだして、喰ろうてやる」
静かに、それでいて厳かに。
噛み締めた唇から流れた血を口紅として彩って、エンジェル・ボイス、舞姫は縁神ホアンの獣性を纏う。
遥かなる神の座で、藤棚に囲まれた一軒家、ホアンの寝所の障子が開いて、黄金の眼が暗闇の中に浮かび上がった。
『来い、化け狐。
貴様にはもう利用価値がない。
邪魔だ。
殺してやる』
迎え撃つルーメンの眼前に、騎士が並ぶ。
ケルサス王宮の十二ある騎士団、その中から選びぬかれた精鋭が剣を掲げる。
マーテル真教の総本山であるケルサス王国に伝わる魔術が、今、絶対の戒律を破りあぎとを開いた。




