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偽国戦記  作者: ブレヒトさん
魔晶戦争
120/131

神請い -神恋-

 カイが決死隊と共に特攻する少し前、ブリギッタは草むらの中にいた。

 目の前には、満月の明りも届かない森林の深い闇がある。

 引き締まった風が吹いて、広葉樹の葉が揺れる。葉が触れ合う、かさかさという音が響くが、つかの間、すぐに森の冷気に吸い込まれて、しじまが降りて来た。

 巣を張った女郎蜘蛛がはじっとまばたきもせず、ブリギッタと背後の数十人の兵を見つめる。ふくろうは鳴かない。鹿も、鳥も、木精すら静まりかえって、ただ虫が立てる不規則な草のざわめきだけがあった。

 

 -いる-


 ブリギッタは、魔術が立てる気だるげな匂いを嗅ぎ取っていた。

 

 -ここに、レオーネがいる-

 

 唾を飲み込む音が大きく聞こえた。

 瞳を閉じて、深呼吸する。心を落ち着かせて、目を開く。

 静かにサーベルを引き抜き、背後に集った兵たちに振りかえった。

 声が震えてしまわないように下腹に気を入れて、威厳を保てるように(まなじり)に力を込めて口を開いた。


「ごめんなさい」


 それなのに。精一杯の虚勢を張ったのに、喉から出たのは、そんな卑劣な言葉だった。


 自分が何を言ったかに気付いて、顔が歪む。

 何でもないと示すために、無理に微笑むけれど、続く言葉が出ない。

 嗚咽が喉を駆け上がってきて、こんなはずじゃなかったのに、優雅じゃないと己を叱咤するけど、子どものような泣き声に邪魔をされる。

 

 -なんで-


 視界が涙でかすんで、みんなの目を見ることが出来ない。

 足が震えて、肩が強張って、しゃんと立とうとしても座り込んでしまった。


 土の感触を素足に感じて、急に現実感が沸いてきた。

 私がしようとしていること、それがどれだけ大それたことか、彼らを裏切っているか、考え抜いたつもりで実感していなかった事実が、胸に突き刺さった。


 -私のわがままで戦場まで連れてきて、沢山殺してしまったのに、まだ縋ろうとしている-


 ブリギッタは、レオーネが使い魔カイとの繋がりを絶つために連れてこられたこの場所を、間諜を使って突き止めた。そして、レオーネを救い出すために、退却に見せかけて軍から部隊を引き抜いて、ここにいた。

 シュナイデルの眼があるから自身では命が出せないと言い訳をして、臨時の連隊長で家礼でもあった爺、イヴァンに命を出させた。直接言えないから、嫌な役目を押し付けたのだ。

 かつて、三銃士として大陸中に名をとどろかせた彼の言うことならば誰もが従うだろう。さらにカイの特攻は、レオーネに使い魔を放棄させることでもあり、グラナトゥムの体制維持に反するとも言えたのだから、兵たちは嫌とはいえないはずだった。

 けれども、レオーネを救い出すためにセンチュリオンに逆らったとき、兵が生き残る可能性はゼロだった。

 多く友のを失い、ようやく生き残った兵たちに、死ねと命じたのだった。


 卑劣だ。

 ブリギッタは顔を上げることが出来ずに、そう自分に言い放った。

 戦争に巻き込んだのも、義兄を死なせることになったのも、全て私の我がままのせい。


「ごめんなさい」


 そして今度は、私の情、それだけのためにケルサスを裏切らせる。

 グラナトゥムのためだなんて、嘘。

 グラナトゥムにとって、レオーネさえ生きていれば良いのだから、使い魔のカイがどうなろうと問題ではない。センチュリオンの術は精度が高く、レオーネが危険にさらされる可能性は皆無に等しい。

 それを分っていながら、私はみんなを騙してここにいた。

 カイのために、レオーネがいる天幕に強襲をかけて、怖いセンチュリオンを敵に回そうとするなんて、どうかしている。

 でも、私にはそうすることしか出来ない。

 カイが死んでしまうなんて耐えられない。


「レオーネが死んでしまうなんて、嘘よ」


 でも、嘘を突き通せるほど私は強くなかった。


「ただ、カイが、あの人が居なくなってしまうなんて、私、駄目なのよ」

 

 そのくせカイを失いたくないから、私は最後の決断を、卑怯にもみんなに委ねるのだ。


「助けて、ください。

 カイがいてくれたから、レオーネも、サラも、ライラも、オーギュントも、私も、きっと大丈夫だったの。

 だから、お願いします」


 みんなの前だけでは泣かないと決めていたのに、たとえ飾りであったとしても指揮官である私が泣いてしまったら、貴族である資格が無くなってしまうから。それでは、私の命の下で死んでしまった人たちに申し訳がない。

 でも、私は、どうしようもなく弱かった。


「ふむ。ようやく、素直におなりなった」


 聞こえてきたのは、想像していた罵声ではなく、イヴァンの朗らかな笑い声だった。


「まったく、まだ子どもでねえが、初陣だぞ。こんな無残な戦場に送り出すなんて、ケルサスめ、やっぱりグラナトゥムのことなんぞ、豆にたかる虫くらいにしか思ってねえ!!」


 幼い頃、生まれ育った領地で聞いたひどいなまり。

 顔を上げると、記憶の中で見たとおりの、しわくちゃな顔があった。


「そったなごど言ってもな。わがりきっでだことでねえが。

 だがら、お姫様(おひいさま)を守るだめに来たんでねがすか?」


 別なほうで笑い声が上がった。


 鼻水をすすって、ひどい顔をしているだろうけど、縋るように見上げてしまう。


「ブリッギタ様、オラたちも気持ちは一緒でがんす。めんこいお嬢様の思い人と姫様を助けねえで、なにが忠臣か、なにがマイヤの民か」


 若い騎士が、つたない方言で笑いかけてくれた。


「てほ(嘘)ばりかだる、ケルサスなんぞ主国でもなんでもねえ」「かっー、ラスコーシヌイの、おめえ、ケルサスを一時でも主国と思ってだのが?」「んなわけねえべ、言葉の綾だ!!」

「ごで(亭主)様を見捨てただなんて、あの世でマイヤ様に顔向けできねえ」「んだ、んだ」

「ケルサスめ、むがしは森のながで狩りばっがしとったぐせに、いっつの間にか、偉ろうなったもんだ」「帝国にかぶれぢまったんだ」「マーテル様も悲しんでらっしゃるだ」


 口々に語りあい、快活に笑う。


 どうして、みんな。


「前回の作戦、ケルサスに捨て駒にされた後、以前お嬢様が私に下さったお手紙をみなに読み聞かせました」


「え?」


「あれでカイ様に対する思いをお隠しているつもりでしたか?

 いけませんな。

 読んでいるうちに、頬が緩んで緩んで」


「なっ!!」


 顔が紅潮していくのが分る。


「どうして、そんなことを!!」


「めんこいなあ」

「かかあに初めて送った恋文を思い出してしまったで」

「カイとか、いったか?おらほの御嬢様を手篭めにするなんて、ぶっ殺してやるだ!!」

「なにぬかす、まだ、お嬢様は清いままだ!!」


 腹を抱えて、げらげらと笑う。


「これだから、田舎者は!!」


 立ち上がると、無骨な手で頬を包まれた。

 幼い頃からいつも見守っていてくれていた、優しい目がある。


「お嬢様、お忘れですか?私達はケルサスなんて好きでもなんでもないのです。

 むしろ憎らしく思っている。

 その我らが、どうしてケルサスのための戦争で死なねばならんのですか?

 あすこには囚われた姫様がいる。お救いすることこそ、グラナトゥムの民の務め。憎らしいケルサスに姫様の運命を良いようにいじくられて、我らが黙って見過ごすわけがない。

 私達は王宮の連中とは違うのです。レオーネ様に魔力がないだとか、薄気味が悪いだとか、そんなことはどうでもよろしい。姫様は、マイヤの祝福を受けたグラナトゥムの王族で、お嬢様の大切なご友人であらせられる。そして使い魔のカイ様は、業腹ではありますが、お嬢様の思い人だ。

 お救いしないわけがないではありませんか!!

 センチュリオンの術を止めれば、ケルサスはカイ様に魔晶を使わせることは出来はしまい。ならば、命を賭してでも止めて見せましょう」


 見上げた爺は、みんなは、この戦場に来て一番の笑顔だった。


****


 目に浮かぶ喜びは、ケルサスのために殿(しんがり)を努めたときとは、明らかに違う。

 そのとき彼らは、豪火球に焼き尽くされた友軍を助けるために剣を振るった。まったく正しいけれど、それはあくまで軍人として隣に立つ存在の価値を尊重しなければならないという、消極的なものだ。そうすれば、助けられた彼も自分を助けるだろうという、軍の論理に他ならない。

 しかし、他人を助けるために自分の命を危険に晒すという選択は、果たして一介のヒトとして正義なのか?友軍はあくまで友軍であり、彼自身ではない。その価値を正しく見積もっているのだろうか?戦場という極限状態での短絡的な思考ではないのか?

 答えは得られないだろう。ヒトとしての正義を、いまだヒトは決められていないのだから。

 けれども、信じるもの、自己を同一化したグラナトゥムに従うことに躊躇はない。道徳や論理を超えて、そうしなければ自分ではないのだという、存在意義そのものだからだ。

 魔力を持つものとして、貴族階級の常識に従うこということは他律であるのだ。植えつけられた教育の成果なのだ。騎士、魔術士、領民、そのどれもが結局、仮面でしかない。グラナトゥムにとって、ケルサスを頂点としたピラミッド体制に組み込まれた民であることを支配者が求めて強要した結果なのだ。

 けれど、生まれてこのかた、グラナトゥムの人民として立場を超えて誰もが共通していたのが、豊饒神の使途と言う自意識だった。そこに、階級というものは存在しない。ただ、マイヤという神だけがあるだけで、それこそが、本来の宗教というものなのだ。ヒトが人生を、その意義を刻み込む礎なのだ。


****


「んだがらごぞ、せんちゅりおんの、とぼげ共にグラナトゥムの意気、見せてやりましょうや!!」


 イヴァンは田舎なまりでウインクした。


 ブリギッタは涙を拭う。


「だから、田舎は嫌なのよ。

 自分勝手で、短絡的。

 公式化された言霊も、翻訳して術式に落とし込むのに手間がかかっちゃう」


 -でも、温かい-


 私の在りかた。私の思い。恋慕の情。

 私は確かに、グラナトゥムの第二公女レオーネ・エネルゲイア・グラナトゥムをかけがえなく思っている。たった一つのレオーネという魂を、同時に、それに導かれる私の恋を、手放すわけにはいかないの。


****


 ケルサスの支配は法による支配、利他的な功利主義、君主を頂く民主主義。根底にあるのは、狩りを生業にしていた首長体制。

 とても魅力的だけど、グラナトゥムに相応しくない。グラナトゥムには強いリーダーシップなんて必要ないのだ。

 上と下、統治者と被統治者、距離の近さこそがムラの社会。統治者が困ったときには民に縋り、民が困窮したときには、統治者は蔵を開いてほどこす。合議の場で無礼講で唸って、空気を読んで皆で助け合うからこそ、狩猟民族が想像もできない爆発力がある。決断は遅くても、一度決めたら全員で何処までも突っ走る。それこそが慈母神マイヤが庇護する農耕の民、グラナトゥム。みんなで耕して、みんなで収穫するからこそ、やっていける。

 己の才覚で結果を出して、見栄を張らなければ民の信頼を失ってしまう統治体制なんて、本物じゃない。そこに本音なんて、どこにも無い。

 利己に走ってもいい。借りは出世払いで返せばそれでいい。

 利己を利他に昇華するために理屈をこねるのではなく、利己を利己のまま保存して、どうして良いか分らなければ括弧でくくって、結論を先延ばせばいいのだ。

 迷って、感情に支配される。

 だからこそヒトなのだ。

 原始の政治体制こそが、心を繋ぐ。

 そして、それこそが、グラナトゥムの魔術なのだ。


****


 スカートについた土を払って立ち上がる。


「ほだら、いぐが!!」


 大嫌いだったなまりを口に乗せる。

 みんなが剣を掲げた。

 

「・・・それで、もういいかな?」


 そのとき、森の中から声が響いた。

 イヴァンがブリギッタの前に立ちはだかる。

 

「盛り上がっていたから遠慮していたのだが、いい加減、これ以上は恥ずかしくなってきた」


 若く美しい男が苦笑していた。


「センチュリオンか」


 イヴァンの義足から肉がそげ落ちて、刃が露になる。


「いかにも。どうやってここまでこれたのか知れないが、馬鹿だな。こんなに近づいてばれないとでも思っていたのか?

 グラナトゥムのラスコーシヌイ家子爵令嬢、我が王国の誘いを断った天才。この戦で一等の戦果を挙げた御身を我々が監視していなかったとでも?

 どうやらお勉強ばかりが得意で、本当のところ頭は弱いのか」


 仲間を侮辱されたグラナトゥムの戦意が一気に高まる。

 

「帰れと言ったところで、聞かんだろうな。

 それも、好いだろう」


 男が手を挙げると、巨大な烏が闇夜に降り立った。

 草むらからセンチュリオンの隊員たちが姿を現す。

 

「私の名は、カロリーネ。センチュリオンの副団長を務めている」


 慇懃に一礼するが、その目は喜びに満ちていた。


「まったく、グラナトゥム!!

 力があるくせに、狂王を狂うがままにしていたお前たちを、いつかくびり殺す機会がありはしないかと、私達は待っていたんだよ!!」


 隠しきれない殺意が破裂する。

 センチュリオンの戦士たちが無表情で剣を抜くが、彼らもまたカロリーネと同じなのだと、その魔力の波動が物語っている。センチュリオンであれば当然整えられているべき魔力の波動はまばらで、それほどに深い恨みと憎しみがあった。


「お嬢様、お下がりください!!」


 イヴァンが叫ぶ。

 

 その合間を縫うようにして、剣閃が振るわれた。

 ブリギッタを守ろうと、兵らが駆け寄る。

 けれど、間にあわない。

 力量が違うのだ。

 狂王を無視し続けて戦から離れていたグラナトゥムとは、潜って来た死地も違うのだ。

 ゆえに、その刃はいとも容易くブリギッタに届く。


「馬鹿?この私が?

 そうね、きっとそう」


 けれど、弾かれた。

 結界があるかのよう見えただろうが、そんなものは無い。


「隊形、鳳!!」


 異変を察知したカロリーネが叫ぶ。

 条件反射で隊形を変化しようとしたセンチュリオンの兵は、しかし動けなかった。

 

「これは!?」


「どうして私が、こんなところで潜んでいたと思って?

 その必要があったからよ。みんなが逃げることが出来て、私が術を張れるぎりぎりの距離。

 いざというとき、私一人で貴方たちを相手にするために」


 奇声を上げて大烏が昏倒した。


「私がケルサスにいたころの能力を参照して、伸びしろを計算した上で対策を立てたのね。

 でも、足りないわ。

 ありがとう、地獄を見せてくれて。貴方たち、ケルサスのおかげよ」


「貴様!!」


 カロリーネは顔をゆがめて、ブリギッタを睨みつける。

 その背後には何かがいる。

 恐ろしくて、巨大な何かが。

 それが大烏の意識を失わせ、センチュリオンの隊員達を金縛りに陥らせている。


「ヤーヘンのパンデミック、使われたのは、マルブで観測されたキメラの技術。

 ケルサスに報告したのは私なの、知らなかった?

 そして、その応用であるパンデミック、その発動、過程、そのすべてをヤーヘンは見せてくれた。

 カルブルヌスが対策を講じたおかげで成功しなかったけれど、ヤーヘンはめげずに、何度も何度も、試みてくれた。そのたびに貴方たちケルサスは、丁寧にデータを取って、私の意見を求めて詳細に至るまで見せてくれた。

 おかげで、お勉強が得意な私には全部分ってしまったの」


 -学んだのよ、必死に。

 貴方たちに裏切られて、私の手から零れ落ちてしまった、大事なもののために-


「肝要なのは、意志の統合。

 けれど、ヤーヘンのように死に接したさいの精神の高ぶりを利用するのではリスクが高すぎる。

 ヤーヘンは最大限の成果を求めてパンデミックを目指したけれど、私たちグラナトゥムはもともとの魔力が高いのだから、出力は控えめでも良い。ただ、大魔術を行えるだけの魔力を引き出せればいいの。

 なら、何を使えば良いのか。死に迫るほど深みのあって、それでいて他者を害することに抵抗の無い意志は?

 もう一度言うわ、ありがとう。

 こんなにも、恨んでくれて」


「まさか・・・」


 カロリーネは這い寄る何かの手を確かに感じた。


「人を呪わば穴ふたつ。それも、長い年月を重ねたものであればこそ、洗練されて単調になる。波動は解析しやすくなる。

 裏返すことすら、私には出来るのよ」


 ブリギッタの周囲に、細い魔力の糸が張られていることにカロリーネは気付いた。

 剣閃を弾いたのはそれであり、編まれた軌跡が魔法陣をなしていた。


「カロリーネ中佐。貴方が来ると思っていたわ。

 グラナトゥム出身のすけべじじいの愛妾だったんですって?貴方はそのじじいへの恨みを晴らすために内乱に参加したけれど、グラナトゥムのコラード陛下がルーメン陛下についたことで、そのじじいはグラナトゥムによって粛正されてしまった。貴方は恨みを晴らせなかった。しかも情けないことに、戦場では足がすくんで人を殺すことが出来なかった。

 恨みを晴らせず、殺すことも出来なかった。ただ兵を強化し、癒すことに努めざるを得なかった。共に内乱を戦った兵達は貴方を認めていたけれど、貴方自身はそうではなかった。決して自分を認めることが出来なかった。

 それで今では、すべてをグラナトゥムのせいにしているんでしょう?

 ・・・どうして、そんなことを知っているかって顔をしているわね。

 サラに、貴方に救われたときの話を聞いたのよ。それで違和感を覚えたの。有名人は辛いわね。貴方のことを調べるのに、それほど時間はかからなかったわ。

 貴方、サラを救ってくれたのは自分のためだったのね。もしそこに、内乱に加われなくて悔んでいたケルサス兵がいなかったら、サラを見殺しにしたんじゃない?彼等に親近感を感じて、力を貸したに過ぎないのよね。自分を見ているようで、手を差し伸べてしまったのよね」


「な、何を、言っているんだ、お前は!!」


「ねえ、貴方、本当にケルサスのことを思っているの?そもそも、なんために戦っているの?

 狂王という、友と恨み分かち合う敵を失ってしまって、自分の胸に空いた穴を埋めるために、恨む対象を探しているんじゃないの?」


 カロリーネの顔から色が消える。目の焦点が合わなくなって、膝から崩れ落ちた。


「貴方の内乱はまだ終わっていない。共に戦った友人たちの隣に立つことだけが、自分を慰めてくれる。

 英雄でいるためには敵が必要で、それがグラナトゥム。

 本当は、サラを殺したくてしょうがなかったんでしょうね。グラナトゥムのくせに、可哀想だから。悲劇のヒロインだから。

 そして、カイ。自分がなれなかった本当の英雄、彼もまたグラナトゥムですもの、目の前から消えてくれて随分と気分が良いでしょうね」


「そうじゃない!!

 違う、私は、違うんだ!!」


「副隊長、心を乱してはなりません!!

 あれはブリギッタ・ラスコーシヌイです。あの女の言葉は毒だ。心をつかまれれば、術が、殺意が返されます!!

 天幕に張られた魔術すら解析されます!!」


 叫んだセンチュリオンの兵は、視線を感じて、彼女を見てしまう。

 ブリギッタが妖艶に微笑んでいた。


「部下たちも、そんな貴方の恨みを晴らすために、こうして必要以上にグラナトゥムに殺意を向けている。

 貴方がたが精鋭であるのは、魔力の過多だけではない。先の内乱でより多くの友を、父を、そして息子を殺してきたから。

 正気でいるためには、殺意を操作する必要があったのでしょう。

 哀れみなど感じないように、切裂く感触を切り離して、豚でも斬るかのように心を覆い尽くした。

 正義は自分にこそあるのだからと、英雄なのだからと、手前勝手に正義を誤魔化して生き抜いた。

 羨ましい。そんな贅沢、信じていた味方(ケルサス)の砲弾でミンチにされた私の部下達は、あずかることが出来なかったわ」


「ああ・・・」

 

 センチュリオンの兵たちは歯を食いしばって、ブリギッタを憎む。

 心に抱いた大義すら否定されて憎悪に身を焦がす。

 

「でも、創られた殺気なんて、誘導することは馬鹿でも出来るのよ。

 せめて、本気を見せて」


「「グラナトゥムううう!!」」


 センチュリオンの兵達は叫び、動かない手足を動かそうと悶える。

 挑発に乗って殺意に染まるほど、ブリギッタの魔術に嵌ってしまうことは彼等にもわかっていた。けれども、ブリギッタの言葉は聞き流すことは出来なかった。

 

 -ガキが、貴様に何が分る。

 あの地獄で俺たちが何を見たのか。何を感じたのか。何を殺したのか。

 貴様をこそ殺してやる。

 肉塊すら残さずに、燃やし尽くしてやる!!-


「私は貴方たちのような人を知っている。でも、あの子は恨みではなく、自分の力の無さを恥じて、苦しんだ。

 貴方たちとは違うのよ。

 そして私は憎悪なんてものよりも、情に胸を焦がしている。自分勝手にわがままに、でも、恨みにみんなを巻き込まない。

 恋でみんなを高めるの。青春にみんなを引き込むの。

 私は馬鹿だから、だからこそ、みんなが助けてくれる。

 憎悪なんていうマーテルの法に背いた情ではないのだから」


 月が天上で、藤棚を照らす。

 ブリギッタが恍惚のなかで遥かなる異世界を幻視する。


 -ああ、縁神ホアン。

 恋に踊って、縁を紡いで、ほだされて。

 貴女の情、分けてください。

 我が神、豊饒神マイヤよ、私は収穫に参加できません。

 愛しい人に、会いに行かなきゃならないの。


 狐女は手を叩いて喜んで、楽園で果実を収穫していたマイヤは、そのでたらめで頑是無い願いに呆れ果てた。


「女の重い思い。受け止めて、くりゃさんせ」


『馬鹿な娘じゃ』


『まったく、若い娘はこれだから』


『じゃが(だが)、それでこそ、我が娘じゃ(知、地の聖だ)』


 センチュリオンの恨みの魔力を梃子(てこ)にして、ブリギッタの魔力が飛翔する。

 金色に迸る魔力が、恨みに染まったその場を篝火のように照らす。


 殺意に狂ったケルサス最強を前に、ブリギッタは処女の奔放な色気を振りまく。

 魔力が、神の庇護を受けて神気を帯びる。


「センチュリオンのみなさん、なんて冷たい瞳。

 きっと、この期に及んでも石のような堅固さで、自分たちが正しいと、正義であると思っているのね。

 まだ負けるはずがないと、信じているのね」


 確かに実力差は明白で、貴方たちの魔力は憎しみと恨みにかつてないほど高まっている。

 でも、分かるかしら?

 今、縁神ホアンが、顕現しようとしている。

 恋という縁の接合を求める私に、縁を引きちぎろうとする彼方たちは、絶対に勝てないの。


 金色の髪が舞い上がる。

 剣神に捧げる恋慕の情。

 乙女はより完璧な形を求めるからこそ、悲劇はいらない。

 恋に終わるのではなく、愛に至らねばならないのだ。


 初恋のストーリーは、出会いから運命的だった。貴方は私を殺そうとして、私は泣いた。

 数々の障害を乗り越えて、助けるつもりで、いつも助けられた。

 でも、もたれかかるだけだなんて、プライドが許さない。貴方から私が欲しいと言わせなければならない。

 互いを尊重しあう関係が築かれてこそ、次のステップに進めるんじゃない?


 問題は、恋の対象にこそある。

 彼はXだから、私一人では、駄目なの。あの子が要るの。

 二人で彼を繋ぎとめて、求めに全身でこたえて、愛するあの人を至高に育てる。

 そのために、縁を引きちぎろうとする障害は、排除しなければならない。

 いや、排除されなければならない。


 かつて義兄のために作り出して、未完成だった術は完璧になる。

 その保護術は、彼女のために戦う益荒男どもの意志に己の情を流し込む。


 すごいでしょう?素晴らしいでしょう?

 この愛をめぐる物語、悲劇に終わっていいはずが無いでしょう?


 絹のような手触りで、夜露に濡れて滑らかに、小娘の夢想の恋は、場違いに朗らかだから怨敵を逆撫でる。

 かつて抱いて、内乱という悲劇で諦めるしかなかったからこそ、ブリギッタの情が戦場でも色褪せることなく花開いていることに憎悪をかき立てられる。


「裏切り者が!!」


 -俺たちが、どんなに苦しんで、それを諦めたと思っているのか-


 センチュリオンの兵の怒りは、当然、恋する乙女に届かない。

 背後で闘志を滾らせるグラナトゥムの民には、噴飯ものだ。


「裏切だ?なにをぬかす。グラナトゥムのみんなを殺したのは、貴様らでねえが!!」

「姫をさらったのは、おめえらだぞ!!」

「みんな、おめえ等の術で殺されたたんだ!!」

「おらほの若いの、息子の顔すら見れなかったんだ。楽しみにしてたんだ。それを貴様ら、砲でぐちゃぐちゃにして・・・」


「「それが、マーテル様の法を信じる、ヒトのするこどが!!」」


 ブリギッタのしなやかな指先が、魔力という糸で機を織る。

 センチュリオンに迫る何かが、形を成そうとする。


「くそっ、どうしてだ、私たちは恋人を殺し、幼馴染を殺し、親すら殺した。

 そうしてようやく理想を築く権利を得た。

 それなのに、なんでお前たちが綺麗でいるんだ、グラナトゥム!!」


 センチュリオンが叫んだ。


「綺麗?何処がだ?!

 下郎、分ったような口を利くな!!」


 イヴァンの白髪が逆巻いた。

 かつて狂王によって、家族と友の流した血の海に沈められ、それでもケルサスを許した三銃士の最後の一人は、胸に秘めていた積年の憎悪を(ほとばし)らせた。


「わしらを見捨てたのは、マイヤの愛し児に恨みを植え付けたのは、貴様らケルサスだろうが!!

 あの日、あの時、そして、たった数日前に、わしらは殺されたのだ!!

 貴様らがわしの家族を見捨てて、そして此度は、貴様らのために戦った友を砲弾で消し飛ばしただろう?!

 見なかったとは、言わせぬぞ!!

 あげく、内乱だと?自分たちの王がしでかしたことを、人にまで責めを負わせるな。グラナトゥムなら従って当然と思うことが、貴様らの差別意識、罪だ!!」


 イヴァンの魔力と怒気が膨れ上がる。

 ブリギッタは、地に伏して祈る。

 己の恋路の物語に、グラナトゥムの民の嘆きを混ぜ込んで衣を織る。

 豊土の神にしてグラナトゥムの奉神マイヤへの貢物。なんとも色鮮やかな着物絵巻。恋を遂げようとする乙女の、虐げられそれでも立ち向かうマイヤの信徒の物語。


 -阿毘羅吽欠(あびらうんけんそわか)如来(にょらい)の想念、災いに奉りて、招魂に臥す-

 

 ブリギッタの指先が、複雑怪奇な術式を手繰り寄せて、まだ見ぬ法則を、既存の法則から演繹する。

 深遠に横たわる知恵の泉からすくい上げて、ヒトの為しうる術を超える。


 -大禍、招来-


 マイヤの裏面、冥界の狼王サイレスが雄たけびを挙げて、縁神ホアンが求められた存在を限界させる。


 -金色夜合-


 女と男は、宵闇の中で逢瀬を果たす。

 女と男は運命付けられて、それでいて男は神。

 すなわち、邪魔する者は、神の敵である。


 ケルサス最強のセンチュリオンに立ち向かう男たちに、神域の巨漢、大太郎法師(ダイダラボッチ)が憑依した。


 ****


 辺り一面を覆い尽くす金色の魔力。

 木々の隙間から見守る一人の魔術士がいた。

 その顔立ちはブリギッタによく似て、しかしその瞳には果てしのない憎悪がある。


「そうです、姉さん。ケルサスなんて、皆殺しにしてしまえばいいんです」


 胸元からハンカチを取り出して、風に離す。

 戦場に高く高く舞い上がって、蒼い炎に包まれた。

 燃え堕ちる寸前、ハンカチに記されている言葉が、魔術士の背後にたたずむ男の目に焼きついた。


 -ハナヒラク-


 その男、シュナイデル家次期当主フィルマンは、歯を食いしばって灰が風に消え行く様をじっと見ていた。


「フィルマン卿、あなたのおかげで、花は開いた。

 しかし、まだ始まったばかりだ。僕たちは大輪の花束を求めている。

 根回しをして、姉さんたちをここまで無事にたどり着かせてくれたことには感謝しますが、貴方の償いが終わったわけではない。

 僕は、フラーダリーの嘆きを決して忘れない。無力感に嗚咽する姉さんの涙はケルサスへの起訴状だ。手首と首筋から血を流し慟哭するライラの絶叫は、ケルサスに振り下ろされた断頭台の刃だ。

 貴方がたがどんな弁護を試みようとしていたかは知らないが、今となってはもう遅い。

 ルーメンにどんな考えがあって背徳者どもを生かしておくのかなんて、知ったことか。

 グラナトゥム、『聖宮』はケルサスを見限った。

 レークス様、レナータ様、お二人の築く楽園に蛆虫は目障りなんだよ。消えてくれれば良いけれど、そうでないなら、殺してやる。ぐちゃぐちゃにして、踏み潰す感触を味わってやる。

 もし、邪魔するというのなら、ルーメンと共に歩むことを選択したコラード陛下も、殺してやろうじゃないか」


 振り向くことなく、悪意を隠そうともせずに少年は呪いを吐く。

 フィルマンは何も言えずにたたずんでいた。

 三国の均衡、それだけのために泥を被る。それが、シュナイデル家の役目であり、宿命だった。グラナトゥムとケルサスの関係を維持するために、フィルマンはセンチュリオンを生贄に差し出したのだった。


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