古の皇3 -カルブルヌスというもの-
マルブ領領主ガイゼリック伯爵の養女クシェルがワーカー・ホリックに拉致された。
オーギュントがワーカー・ホリックの元に向かっていることを察知したルシアーノは、弟に合流すべく月光照らす森を駆ける。
木々の枝を足場に、飛ぶようにして邪教徒ワーカー・ホリックの元へと急行していたルシアーノは、偵察として先行させていた騎士隊の反応が途絶えた場所にたどり着いた。
大きな木の陰に隠れ、幻影魔術で体を覆って様子を伺う。
鬱蒼と生い茂る木々が緑の侵略に疲れ、ふと立ち止まって腰を下ろした、そんな空間だった。
高い木々が取り囲んで、じっと目を瞑っている。風がなくて、下草はなびかず、触れ合う木の葉の音も聴こえなかった。
その中央に、眩しいほどの月光が照らす中、マントを目深に被った男が佇んでいる。
側には、部下たちが倒れていた。
敵に気付く間もなく討たれたのだろう、誰もが前のめりで、剣を抜いている者はいない。
偵察隊には、無理はするなと、きつく言い含めてあった。自分がたどり着くまでに、ワーカー・ホリックの他に潜んでいる敵がいないか調査するだけ。ワーカー・ホリックがヤーヘン、あるいは亜人と連動しているかどうかを確かめさせるのが目的だった。
ここを通ることを予測した敵に強襲されたのだろうか。
迎撃した形跡すらないということは、彼らを討ったのは魔術だろう。騎士が相手ならば殺気に気付くだろうし、反撃も出来たはずだ。
気付かれないように魔力を練り、視野を広げて周囲をうかがう。
敵が一人とは考えにくい。十人にものぼるカルブルヌスの分隊を一瞬で仕留めるには、少なくとも中隊規模の戦力が必要なはずだ。
「ようやく、来たか」
佇んでいた男が呟いた。
まっすぐにルシアーノの方を向く。
ばれている!!
歯噛みしたルシアーノは木陰から男の前に歩み出た。
サーベルを八相に構え、いつでも春雪を発動できるよう防御を固める。
この周囲に気配はない。ならば、彼らを討った敵は去ったのか。
男から眼を離さないようにして部下たちを探るが、微動だにしない。
間違いなく死んでいる。
やはり、ワーカー・ホリックの手に掛かったのではない。
カルブルヌスの精鋭をこんな目にあわせる者らが、この戦場にまだいるというのか。
じんわりと、手に汗が滲んだ。
「苦しまなかったよ」
優しく安心させるような声音だった。
「え?」
幼かったころ耳にした、とても懐かしい声。
耳にすれば安堵し、その背をいつも追いかけていた。
弟にばかりかまって、私のことをあまり見てくれなかったけれど、大好きだった。目標だった。憧れだった。
彼の隣に立つことを夢見て、厳しい剣の修行に耐え、机に齧りついて軍事のいろはを学んだ。
「そんな、うそだ・・・」
忘れることなんて、出来はしない。
「部下の遺体の前で、殺気を緩めるなよ」
耳元で声がして、ルシアーノは反射的に魔力を爆発させた。
突風が吹き荒れて、男が放った居合いによる衝撃波をかき消す。
首もとを突かれるが、男ともども剣戟で弾き飛ばした。
「奔馬の太刀を自在に使えるようになったか。
お前は少し不器用だったから、心配していたよ」
カルブルヌスの秘剣『奔馬の太刀』を受けていながら剣すら折れず、頭を覆うフードが吹き飛んだだけ。
男はなんでもないかのように微笑んだ。
「どうして貴方が!!」
その太刀筋は根を張ったように重く、羽ばたく鳥のように自由で奔放。
剣を受けて、痺れる腕が物語っていた。
潜んでいる敵なんていない。
偵察隊は、全て彼に殺されたのだ。
叫ぶどころか、きっと彼に気付くことすら出来なかっただろう。
「だが、まだまだだな。太刀筋に自我が残っている。破壊力もスピードも、まるで足りない」
「答えろ!!」
-兄さん-
トドロフ・アデランテ・デュルイ、カルブルヌス騎士団国第二王子。
初陣で死んだと思われていた騎士団国の天才は、朗らかな笑みを向けていた。
「どうでも良いことじゃないか?」
トドロフの体が揺れる。
「そんな余裕はないぞ。
今は、生き残ることだけを考えろ」
剣気が膨らみ、無数の衝撃波がルシアーノの上方から襲いかかる。
それは遥か東方、黒騎士に伝わる技。
「流星剣か!!」
背後に飛びのきながら剣に埋め込まれた魔石を解放し、水の術式を発動する。
振るう太刀筋を濁流と為す。
「それはケルサス王家の濁流剣か?この程度の技を防ぐのに魔石だけではなく、他家の剣技に頼るなんてな」
濁流が流星を飲み込んでいく。
「ならば、これはどうだ?」
流星の中に、一際大きく煌く刃が混じる。
炎の魔力を乗せた彗星が濁流に着弾し、水の流れを穿つ。
「負けるかあああっ!!」
ルシアーノはさらに魔石を発動させ、同時に春雪で体を覆った。
地面に彗星の刃が突き刺さり、地割れのように亀裂が走る。
ぶつかり合う剣閃で大気が淀み、彗星の熱と欠片が手足を傷つける。振るうサーベルの刃こぼれが礫となってルシアーノの頬を切裂いた。
血みどろになって息を切らすルシアーノを、見下ろすようにしてトドロフは腕を組んだ。
「どうして逃げないんだ?」
睨みつけてくる弟に苦笑した。
「不完全な奔馬の太刀のせいで、体中の筋肉と筋を痛めたはずだ。
勝機なんてないのだから、さっさと逃げるべきだろう」
眉根を寄せて、弟の浅はかさを指摘する。
「そんな腕じゃ、もうどうすることも出来ない」
ルシアーノの両腕はずだずたに切裂かれ、白い骨が覗いていた。
「どうして・・・」
「それは、何故生きている、ということか?それとも、何故お前に剣を向けている、ということか?」
いつも兄を見上げていた弟は、音がするほどに歯を噛み締めた。
優しかった兄は首を振って、哀れみのこもった目で剣を抜く。
ルシアーノはトドロフがそれまで剣を抜いていなかったことに、そのとき初めて気が付いた。
背に冷たい何かが這い上がって来た。
「大義を見出したからだ。それと、他にもあるが・・・、お前には関係のないことだ」
トドロフの剣に殺気がこもる。
-死ぬ-
ワーカー・ホリックの剣によって一度死を体験したルシアーノは、自分が確実に死ぬであろうことを理解した。
トドロフの剣が迫り、指先一つ動かすことの出来ないルシアーノの首を掻き切ろうとしたとき、二筋の剣閃がルシアーノの背後からトドロフを襲った。
炎を宿した一撃が首を狙い、雷光のような剣閃が剣を弾く。
ルシアーノの前に、見慣れた背中があった。
「ただいま参りました、ルシアーノ様」
カルブルヌス騎士団国、教導騎士団団長ザイオン男爵がルシアーノとトドロフの間に降り立っていた。
「ザイオン!!」
叫び、ルシアーノは目を伏せた。
「あれは・・・」
「御意。やはり生きておいででしたか、トドロフ様」
姿勢を正し、一礼した。
トドロフは、ザイオンが昔見たままに微笑んだ。
「当たり前だ。この私が暗殺などされるはずがないだろう?
まあ、なんにせよ、懐かしい。
お前には随分と迷惑をかけたようだな」
申し訳なさそうに言う。
ザイオンは両手に持つ両短剣を握りなおした。
カルブルヌス騎士団国に伝わる神器の一つ、罪深き者に死という贖罪をもたらす罰剣ポイネー。
「証拠を残しすぎです。暗殺に見せかけるのならば、痕跡は出来るだけ消しておくべきでしたな。あれでは逆に疑念を抱かせます」
過去に戦術と剣を教えていたときのように方眉を吊り上げて、口元には親しみをこめた。
「十年以上も確証を得られなかったくせに、言ってくれる」
トドロフはザイオンの意図に気付いて、少年のように口を尖らせる。
「手を貸したのは、やはり帝国でございますか」
教師と生徒、その関係は今も続いているのだと。
それでもなお、殺すのだと。
「ああ、ウラニア陛下のために近従を探していてね。
あのお方の理想に魅かれ、招きに応じた」
「兄上!!」
ルシアーノは血を吐き出すように叫ぶ。
「貴方が死んだと聞いて、父上が、母上がどれだけ苦しんだか!!」
-許さない。
昔のままであるなんて。
貴方は、裏切り者なのだ-
「寝ぼけたことをいうなよ、ルシアーノ。我らカルブルヌスは安寧の尖兵。信じたもののために、すべてを投げ打って戦うのが使命だろう?
そのためにカルブルヌスは常在戦場を旨とする。生きることは捨て去ることであり、死ぬことだ。私はカルブルヌスの理念そのままに行動したにしすぎない。
しかし、私がただ出奔したのでは、あの情け深い父上のことだ、兵を帝国に差し向けかねない。それは皇帝陛下の望むところではなかった」
「貴方が、カルブルヌスの名を騙るな!!」
ルシアーノが骨の見えた腕に、魔石の魔力を纏わせて衝撃派を繰り出す。合わせて動いたザイオンがトドロフに肉薄し、首に向かって雷光と豪炎が絡み合う一撃を放った。
トドロフは踊るようにして衝撃波を体捌きで弾き、同時に上半身を仰向けに折り曲げて、ザイオンの一撃を交わす。輪舞のように一回り、足を滑らせて前を向いた。
「ザイオン!!」
ルシアーノはザイオンを睨みつけた。
「殿下、捕縛しようなどと思いますな。手を抜けば、こちらの首が飛びます」
「だが・・・」
「ルシアーノ、いい加減にしろ。
そもそも、お前らが二人揃ったところで私に敵うはずがないだろう?」
「いかにも」
ザイオンの手から血が滴り落ちた。
「まっこと、お強くなられましたな」
微笑むザイオンの左腕が、ぼとりと落ちた。
******
カルブルヌス本軍、撤退に急いでいたはずの陣中では、オブザルから邪教徒の知らせを受けたことにより作戦は中断され、幕僚たちがフォーネリアを取り囲んでいた。
「教導騎士団の現在位置は!!」
フォーネリアは叫んだ。
「ザイオン男爵が先発として単独奥地に向かい、残りは伏兵に備え、索敵しながら進んでおります」
(ザイオン一人で!?)
「合流にはどれだけかかる?」
「幻術と索敵魔術が破られているようで、森林内の状況が確認できません。男爵のスピードならば、もう合流していても良い頃ですが、教導騎士団がたどり着くまではもうしばらく、一時間はかかる見込みです。撤退を補佐していましたから、集合が遅れました」
「一時間・・・」
それも、邪教徒がヤーヘンや亜人と示し合わせて動いていなければ、という希望的な観測で計った時間だ。オブザルは敵と遭遇していないが、だからといって敵が潜んでいないという証拠にはならない。敵に遭遇すれば、もっと時間がかかるだろう。
もし伏兵がいなかったとしても、邪教徒から弟たちを連れて逃げることが出来るとは限らない。むしろ、生きて帰る見込みは薄い。
それは弟たちも理解している。であるならば、教導騎士団を含め弟らは全滅を覚悟で時間を稼ぐ道を選択するに違いない。もし本軍に迫ることを許せば、退却が送れるどころか、対処を誤れば大打撃を受けることになる。
-弟たちを、諦めるべきだ-
脳裏に浮かんだ考えに、フォーネリアは唇をかんだ。
カルブルヌスであればそうするべきだ。
命をかけて、本軍撤退の時間を稼がせるべきなのだ。
それしかない。
きっと弟たちも理解してくれるし、父もそうするだろう。
今なすべきことは、教導騎士団に邪教徒らを足止めするためのトラップや結界を敷設させる命を出すことだ。
でも、本当にそれで良いのだろうか。
才能溢れる弟たちを犠牲にして、自分たちのような凡愚が生き残ることが、果たして正しい道なのだろうか?
私にはカルブルヌスとしての才がない。一軍を率いることは出来ても英雄となることは出来ない。戦況を変えうる才能を持つ弟二人を犠牲にして、私たちが生き残ることが国のためになるのか?
英雄となりうるの命と、決して歴史に刻まれることのない命、その差を埋めるのにどれだけの犠牲がいるのだろうか。
兵たちの顔がよぎり、瞳を閉じた。
-私は凡人だ。だからこそ、英雄というものを知っている-
フォーネリアは、撤退中の軍の足を止めて防御線を構築、精鋭部隊を選び出して邪教徒に向かわせるべく、指示を出そうとした。
「フォーネリア様、陛下から通信です」
「何ですって!!」
フォーネリアは、勢いよく椅子から立ち上がった。
邪教徒が居ることを確認した後、急いでケルサス本営に連絡しようと伝令を走らせた。
通信を使わなかったのには訳がある。距離があったことと、竜人とエンジェル・ボイスが張った結界が邪魔をして、こちらからの通信は簡単なものしか送れなかったのだ。そしてなにより、盗聴の危険があったから、邪教徒の存在にカルブルヌスが気付いたことを伝えることが出来なかった。
機密を伝える暗号魔術の使い手はいたものの、父王が超長距離魔術通信で連絡を寄越したために、疲弊していて使えなかった。どれほどの距離があろうとも、たった一度で消耗してしてしまうほど柔ではないはずなのに、どうしてか、三人いた魔術士は昏倒してしまっていたのだった。
フォーネリアは、急ぎ不完全な暗号魔術を発動させた。
「陛下、このような平文での通信は困ります!!」
「そうか?」
フォーネリアの心配を軽く見るかのように微笑むケルサス国王ルーメンに苛立ち、つい叫んでしまった。
「今は急ごしらえな暗号を用いています。いつヤーヘンに知れるか分りません。
中継地点を設置するための兵が向かっていますから、今しばらくお待ち下さい」
ルーメンは呆れたように、ため息をついた。
「そんなことをしている暇はない。
貴様も暗号魔術を止めろ。魔力が尽きてしまうぞ」
「しかし!!」
「命令だ」
鉛色の目に射すくめられて、フォーネリアは暗号魔術を解いた。
ルーメンは動揺するフォーネリアに向かって薄く笑った。
「ルシアーノとの連絡が途絶えたようだな」
「どうしてそれを・・・」
「ケルサスにも目はある。で、状況は?」
フォーネリアは、オーギュントが単独で邪教徒を追っていること、ルシアーノも少数の部下と共に向かっていること、教導騎士団団長のザイオンが神器ポイネーを携えて駆けつけようとしていること、そして、教導騎士団本隊が一時間もすれば彼らに合流するだろうことを伝えた。
「まだ他に邪教徒がいるとは想定していませんでした。今、精鋭部隊を組織し、彼らの救出に向かわようとしていたところです」
片肘をついてフォーネリアの報告を聞いていたルーメンは、
「いらん」
そう言った。
あっけにとられ、しばらく言葉を発することが出来ないでいたフォーネリアだったが、その意味を理解すると、立場を忘れてルーメンを睨みつけた。
「弟たち二人は逸材でござりますれば、カルブルヌスにとって欠かすことの出来ない宝でございます。見捨てることなど出来ません!!」
「案ずることはない。お前は私と父の命に従い、撤退を完遂させよ」
「罰剣ポイーネーもあるのですよ!!あれが奪われるようなことがあれば・・・」
「くどい」
鉄球のような魔力がフォーネリアにのしかかる。
耐えかねて膝を付き、見上げた主君の目は黒く染まっていた。
ルーメンの顔が、仮面に覆われるのを見た気がした。
-この魔力-
「承知、しました・・・」
恐怖で体が痺れ、思わず口にした言葉がフォーネリアの自尊心に罅を入れた。
切れた通信の、突き放すような青色の残光の中で、フォーネリアはルーメンの顔に重なって見えた幻覚をかき集めるようにして、まぶたの裏に探した。
-そんなはずはない-
結ばれたイメージに眩暈がする。
なんとか振り払おうとして、顔を上げた先に、水晶がある。
三王は、一心同体。
-どうして強化通信兵は父と連絡を取った後、昏倒したのだろう。
その強化した目で、父になにか見てしまったのだろうか-
そう意識したフォーネリアの自我が、ヘドロにまみれる。
トドロフという最愛の兄を失ったことで、ようやく自分たちに振り向いてくれた思い出の中の父は、照れたような表情を浮かべた。
それは、私がどうしても手に入れたかった幸せだった。
幼い頃、父が母を見ないことに恐怖を覚えて、ザイオンとザイールに父は母を愛していないのだと泣きついた。
そのときザイオンは、大げさに辺りを見回し、とんでもない秘密を明かすかのように私の耳に口寄せて、とても小さな声で教えてくれた。
父が母を愛するあまり、ケルサス城からさらってきたこと。宵闇の中、二人で手を取りあって、ケルサス王国首都にあるカルブルヌスの屋敷に飛び込んできたこと。頬を紅く上気させて理想を語る、二人の生き生きとした瞳の輝きを。
母のぬくもり、父の勇気。彼らは何をよすがに重なりあったのだったか。
私の一番の思い出。大切なあの日、鬼に堕ちたオーギュントを家族みんなで守ろうと誓い合った日、暖炉を前に姉弟を集めて語ってくれた。
殺しを強いる世界を否定して、もうカルブルヌスが人を殺さなくても良い新しい世界を創ろうと二人は一緒になったのだと。
思い出の中の幼い私たちが二人に駆け寄って、無骨な手で頭を撫でてくれた父の顔の誇らしさ。
抱き寄せられて、額に感じた母の唇の力強さ。
父の勇姿が、もたれかかる母の小さな体が、炎に包まれる。天上すら焦がすように高く高く昇る。
燃える、父が、母が、私の愛の根源が。
でも、その業火は、二人の深奥から沸きあがってくるものだ。
その炎は、呵責のない、恨みの業火だ。
幻覚の中で、燃え尽き崩れたはずの二人が立ち上がる。
その顔には、黄金の仮面が。
そこまでが、フォーネリアの限界だった。




