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偽国戦記  作者: ブレヒトさん
魔晶戦争
113/131

神請い 1 -炎の公方と運命の狐-

 戦場を照らす青白い月の光りが、夜のしじまに落ちていた。


 -逃げてしまえばいいのに-

 -投げ出してしまえばいいのに-

 -私の理に従って、愛し愛され、惑うことなく健やかに、生きればいいのに-


 満月(マーテル)は、そう囁やいて、空にある。

 けれど、見下ろす大地では、愛し子らが剣を握り殺しあう。

 月光が降り注いでもなお闇に染まる結界の中、女神の理を拒絶する歌姫(エンジェル・ボイス)守人(ガーディアンズ)が殺戮に興じる。

 兵たちはまんじりともせず、歌劇のクライマックスを観るかのように、宵闇よりも濃い闇を見つめ続ける。

 どんなに光りを注ぎ、愛を語りかけても、彼らは月を見上げない。マーテルの声に気付こうとしない。

 邪悪な者達が振り下ろす刃にこそ救いがあるかのように。

 自分たちの破滅をこそ待ち望んでいるかのように。


 夜はふける。

 月は、高く高く昇る。

 法則が、マーテルの神気が純度を増して、世界に満ちる。

 そして、世界は永遠となる。

 極限の微小に刻まれた時間軸は無限を得る。


 全てが止まって、魔法陣となり、広がっていく。

 空間を支配する二柱の神、白虎が吼えて、三千世界に漂うエイが遊泳した。


 ****


「もう、嘆き悲しむ日々は終わり、母の胸に抱かれる日が訪れた」


 エンジェル・ボイスの声が木霊して、雷撃が竜人を貫いた。

 黒焦げになった鱗は剥がれ落ち、内臓に甚大なダメージを負いながら、何とか踏みとどまる。ブレスを吐き出そうと首をあげた瞬間、カマイタチがその半身を切裂いた。


 微笑む歌姫の両脇に、二頭の魔獣が舞い降りる。


「大口を叩いた割に、こんなもの?

 私が手を下すまでもないようね」


 有翼女頭の黒馬がくぐもった声で竜人を嘲笑い、グリフォンはじっと何かを問いかけるように見つめる。


「また竜玉を使って体を再生する気?

 何度、繰り返すのよ。

 早く諦めて眠りなさい。自我を刈り取った後、飼ってあげるわ」


「・・・なんだ、その魔獣は」


「貴方が攫ってきたんでしょう?私は、ちょっと力を引き出してあげただけ。

 でも、貴方にはそれで十分だったようね。

 ペットになるのが嫌なら、本気になってちょうだい」


「ぬかせ」


 竜人は、もう一人の自分に語りかける。


 -もつか?-


 苦しみ悶える声が響く。


 -これ以上は難しいでしょう-


 -すまん、耐えてくれ。俺たちが俺たちであるために-


 -私の力の及ぶかぎり-


「止めなさい」


 苛立つ声が聞こえたと思うと、火球が落とされた。


「が、ぐうぅっ」


 大きくはない。せいぜい竜人の体を覆う程度。しかし、熱量が異常だった。


「本当に殺すわよ」


 火の神カグツチの力を授かった竜人を火で苦しめるほどの呪力。


「神に抗って、拒絶して。

 ヒトの身でなにが出来るというの?」


 歌姫の目が憎悪に染まる。


「貴方たちごときに何かを為せるというのなら、私たちは堕ちていない。

 その程度の絶望で神に歯向かおうなんて、虫唾が走る」


 炎が色を変える。閃光となって、光り輝く。


「自分というものが消滅する?

 民が陵辱されて、死んでいく?

 冗談じゃない、笑わせないで。愛される絶望に比べたら、失う苦しみなんて!!」


 歌姫は、嗤う。

 狂ったように嬌声を上げる。


「闇に堕ちた気でいるのなら、それは死んでいった者たちへの侮辱よ。

 貴方たちには、彼らに応える手段がある。

 それでも己の魂が恋しくて、手放したくないというの?

 弱虫!!」


 髪を振り乱して、前のめりに駆け出す。

 呪いの奔流に向かって、飛び込んだ。


「貴様!!」


 薄汚れたワンピースが炎につつまれる。ポニーテールに結われた長く美しい髪が逆巻き、水仕事に荒れても透き通るように白かった肌が、あまさず爛れて灰になる。

 それでも、微笑んだ。

 炭化した細い腕で、竜人を抱きしめた。

 二首まとめて引き寄せて、耳に口寄せる。

 気道は焼かれて、声にはならない。

 けれど、そのささやきが、竜人の鼓膜を震わせる。


 耳に、いや脳裏に歌が響いた。

 幼いころ、枕元で母が歌ってくれた子守唄が。

 少年になって、上気した頬で見上げた戦士たち、彼らを誇らしく歌う行進曲が。

 そして、初めて喪失を知ったとき、涙とともに聞いた、愛する者を送る霊歌が。

 楽しかった。苦しかった。生きようと思った。死んでしまいたいと思った。

 人生と共にあった歌を、完璧なまでにふさわしい声音で歌う。

 エンジェル・ボイス、天使の歌声。

 思い出を掘り起こして、竜人がかつて人であったときの生を、もう一度開いてみせる。

 

「やめろ!!」


 両肩を押して引き剥がすが、黒焦げになった細い体は、ぼろぼろ崩れて炎に巻かれて昇華して行く。

 炭化して、顔立ちすら定かでなくなったそこに、二つの眼がある。

 見つめられて、目を離せない。

 竜人の目も既に視力を失っているはずなのに、その眼だけは見えて、輝いていた。


 -貴方たちの魂を。示す、理を。私たちに足りなかった、理念(イデア)を-


 竜人は突き放す手を、だらりと落す。


「止めてくれ・・・」


 懇願し、眼を逸らそうとしても離せない。

 離してはならないのだと、分っている。

 理想があるのだと、貴方の力が要るのだと、穢れた女は訴える。

 聞いてしまえば、引き返せない。

 けれど、聞かないですますことは、断じて出来ない。

 俺(私)も、虐げられてきたから。助けてやることが出来なかったのだから。たとえ耳を塞いだとしても、背徳による救済を求めてしまう。

 

 そうだ。

 そうだったのだ。

 彼女がここに来たのは、

 

 -俺(私)が、呼んだから、だ-

 

 -そうよ。だから、-


「世界を、創りかえましょう」


 この世界で、最も邪悪な言葉が導く。


「私たちと共に」


 竜人の魂が、震えた。


 ****


 絶大なる恒星。

 あらゆる世界で最も熱量を保持する存在が、次元を超越する輝きの中で翼を広げる。


 -脆弱な者らよ、見せてみろ-


 竜の王が、取るに足らない塵に声をかけた。


 フレアが噴出し、高エネルギー粒子線が放たれる。

 応えるように竜玉が励起、鼓動し、秘められていた命が胎動する。


 ****


 黒焦げになった歌姫が、両手を広げる。


「起きなさい、偉大なる魂よ。

 その眼を開けて、私を見て。貴方を見て、世界を見て」


 声を上げるたびに、体が崩れてゆく。


「運命はある。切り開く意思もある。でも、寄る辺がないの」


 涙なんて流れない。涙腺なんて、とうに枯れ果てた。それでも、胸のうちから湧き出す悲しみと絶望と、挫けることを許さない過去と未来が、涙を流す。


「貴方が必要なの!!」


 こんな世界、認められない。

 弱い者の苦しみの上に強い者が胡坐をかく、そんな不条理、許せない。

 だから、革新を。


 他者を思いやる愛があって、切り開く力があって、恃むべき知識もある。

 正義は生まれた。

 運命も味方にもつけた。

 でも、駄目なの。

 足りないのよ。


「が、が、ぎ」


 竜人が悶えて、竜頭を振り乱す。


「解っているのでしょう?感じているのでしょう?」


 -神の不在を-


 それこそが、ああ、それこそが。


「ヒトが喪失した、原初の理」


 竜玉の鼓動が広がる。

 空間を震わせて、レプリカが共鳴して、大いなる魂、古竜を呼ぶ。

 彼は、目覚める。

 古竜に生まれながら竜王の下から去った、最弱の魂が。


「貴方の決断は、負い目のせいかもしれない。逃げなのかもしれない。

 でも、それは、誰にも出来なかった、XXな意志。

 この世界にはない、神の計画を乱すXX」


 現世にあって最古かつ堅固な魂が、初めて肯定される。

 

「神様に見せ付けるのよ。

 此処にいると、傀儡ではないのだと。

 塵ではないと叫んで、ヒトに立ち上がる意思を示すの!!」


 天使の歌声、エンジェル・ボイスの二つ名を持つ邪悪は、力の限り叫ぶ。


「だから、生きて!!」


 竜人を構成する二つの魂。

 見下されて泣き疲れ、それでも己の存在を叫び続けた、悲しく儚い魂。

 踏みつけられて奪われて、それでも立ち上がった、悲壮で脆い魂。

 その二魂に共鳴し、体を貸して実在すら捧げた第三の魂が再誕する。


 彼は至高でありながら、その範疇での最下層だった。

 ピラミッドの底辺よりも、突然変異の理でも説明しきれないほどの、弱者であった。

 ただ、あらゆる面で弱かったのだ。

 耐えられなくて逃げ出してしまったけれど、古竜という範疇が持つ固有な性質だけは固く握りしめている。


「貴方は、惑う粒子。震える熱量」


 XX。

 意味するのは、奔放、あるいは自己決定の強さ。

 見通すことの出来ない、非論理性を持つ。


「それは、ヒトに与えられたと錯覚させられていた、存在の礎石」


 二首が苦しみ悶えて、己らと比肩しようとする強大な自我の奔流に抗う。

 消し飛ばされてしまわないように、泣いて、憤怒する。


「初めから奪われていた。

 私たちには、そんなもの、ありはしなかったのよ」


 竜の涙(竜玉)とそのレプリカ。

 二つの玉、本物と偽物が融合する。

 太極図を形成し、真と偽が、相反する属性が一つとなる。

 量子の理で、可能性という魂が生まれる。


「「だが(ですが)、運命のくびきで、ヒトを縛り付けたのは、貴様 (あなた)だ。狐!!」」


 歌姫が、あらゆる角度から襲い来る斬撃、光線を、舞うように交わし、微笑む。

 瞬時に消えて、気付けば美しい彼女そのままに、柔らかな手の平で竜頭の頬を覆っていた。


「だから、呪う(抗う)のよ」


****


 かつてヒトであったとき、エンジェル・ボイスは軍の歌姫として兵を励ました。

 戦争に向かう兵に想われて、抱きしめて、声が枯れ果てるまで歌い続けた。

 その歌で、慈愛の心を示そうとした。

 殺される者もまた、愛する人がいたのだと。

 だから、殺戮が避けられないのなら、せめて命を尊ぶようにと思いを歌にのせた。

 けれど、みんな殺すことを楽しんだ。

 いつもだ。

 踏みつけて、笑いながら命をもてあそぶ。

 彼らは言う。

 犯すことは、戦場の嗜み。

 奪うことは、友との競技。

 老人を吊るし、女、子どもを父母の前で犯し、燃える村々を肴に酔うことこそ、戦士の心意気。


 -なに、これ-


 愛され、心の支えとなった彼女は、彼女を慕う兵が殺した遺骸を抱いて立ち尽くした。


 どんなに頑張っても、弱い者らは苦悶の中で恨みながら死んだ。

 強い者らは、友愛を歌詞にのせて、メロディーで心情を揺さぶっても、快楽と共に殺した。


 私の力では、どうにもならないというのか。

  

 送り出した兵が貢物として誇らしげに差し出した血まみれの首飾りを、震える手で受け取った。


 -どうして、こんな事をするの?-


 あどけなさが残る兵は、不思議そうに首をかしげた。


 -だって、神は、あの者たちを滅ぼすと定めています。

 なら、穢れているのでしょう-

 

 絶望が押し寄せてきた。

 神の教えが呪いなのだと確信した。

 

 やがて、彼女の美声に恋して、彼女のために略奪を繰り返す兵たちを呪い始めた。

 歌う歌は、愛から憎しみへ。

 紡ぐ詩は、天国から地獄へ。


 それでも兵を愛して、そして、堕ちた。

 悪魔となったのだ。


 彼女は歌う。

 神への呪いを。

 世界の誤りを。

 クライマックスに向かって、叫んだのだった。


 -こんな世界、消えて無くなれ!!-


 神を拒絶し、愛する者を呪う。

 けれど、マーテルの理を認めることのできない悪魔は滅びるしかない。

 神の法則を受け入れることの出来ない存在は、マーテルの魔術空間である現世には居場所が無いのだ。

 

 火刑台の上で、炎に巻かれながら彼女は自問する。

 私はヒトを愛して、慈しみの心を授けようとした。強い者に思いやりを、弱いものには生の道筋を示そうとした。

 間違っていたのだろうか?

 驕っていたのだろうか?

 死に行く者を死なせずに、限りある幸せを分け与えることは、神の御心に背くものであったのだろうか?

 ヒトに、現世の不条理を乗り越える理を示すことは、背徳なのだろうか?

 

 立ち上る煙と炎。

 私を罵る声が聞こえる。

 でも、その中に、唇を噛み締めて血を流し、私のために心の中で祈る声も聞こえる。

 

 -ああ、けれど、その人たちも、弱いものを競って犯して殺した-


 熱い。

 苦しい。

 死んでしまう。

 私が、消えて、無くなる。


 どうして、こんなことになったのだろう?

 

 炎に包まれて、燃え盛る目で見て、突然、理解した。

 火刑を見に来た人々。

 嘲笑うヒト、怒り猛るヒト、顔を背けるヒト、目に涙を浮かべるヒト、誰もが、かつては真っ白だった。白紙だった。

 私も、だ。

 私はただ、めぐり合わせが良かったのだ。

 ヒトを悪意で見ない教育を受けることが出来て、弱いものを思いやるだけの余裕があって、願いを実行するだけの才能が有っただけなのだ。

 そういう、ことなのだ。

 私も、殺しを楽しむ人も、結局、運命だったのだ。

 そういうふうに歩む道筋があっただけなのだ。

 

 -はははははっ-


 炎の中で笑う私を見て、魔女だ、と叫ぶ声がする。

 見たことも会ったこともない女が叫んで、騎士の男は神の名を呼んで私を侮蔑する。


 いいよ。

 笑って、穢して、唾を吐いて。

 全部、運命だったんだから。

 私がこうなることも、そうなるより、仕方なかったんだから。

 そういう環境に置かれた結果なんだから。

 どうしようもないのよ。


 でも、もう少し、運命が私に微笑んでくれたのなら、きっと上手くやれたのにな。


 空を見れば、見えるはずのない月が見えた。

 まだ、昼前だというのに満月が私を見下ろしている。

 

 -私、よくやったわ-


 そう呟いた。

 

 マーテルを呪って、悪魔に身をやつしても、多少なりとも弱いものを救えたのだ。

 地獄に落ちたとしても、きっと後悔なんてするものですか。


 そのとき、山林の中で、狐が鳴いた。


 -本当に、そう思うのかえ?-


 え?


 眼の前に、狐女がいた。

 耳を震えるように動かして、私の目を覗き込んでくる。

 白く、とっても白い手が私の顎を上げ、赤い唇が重ねられて、舌が差し込まれる。

 頭がしびれて、意識が薄れる。

 鋭い痛みがして、口を離した。

 血がこぼれて、見つめた私の血を、狐女が微笑んで舐めた。


 -おぬし、運命は、遊びぞ?-


 狐女は私の口に指先を差し入れる。

 たっぷりと唾でぬらして、私の足の間に差し入れた。


 とろけるような快楽に、意識が零れる。

 私でないような、甘い声が漏れる。


 こんな快楽、知らない。 

 もっと、欲しい。


 狐女は口元を歪めた。


 -おぬしの運命に、こんな遊びがあったかや?-


 窓の外から、藤の香が匂い立つ。

 

 私の運命が、決断が、瓦解する音が聞こえた。


 私は、頑張った。

 弱いヒトのために、強いヒトの心を変えようと、すべてを投げうった。

 与えられた教育と恵まれた環境のおかげであったのだとしても、そこには確かに私の意志があったはずで、環境を整えた神の思惑だけが、私を創ったわけではない。

 でも、決断は、本当に私の意志なのだろうか?

 私は、私の主なのだろうか?


 耳障りな哄笑が聞こえて、胸が切裂かれた。

 考えたくなったとある考えが、鮮明に浮かぶ。


 神が、神足りうるとすれば、私の考えなんて全て手のひらの上の事なのではないだろうか?

 結局、死ぬ者は死に、生きる者は生きる。

 全ては決められていて、私は、ただの人形。

 ならば、決断なんて、誘導された結果でしかないのではないか?


 -っくくくく-


 違う。

 そんなことは、ありえない。

 あって、良いはずがない。

 この運命は、神が定めたもうたものだとしても、きっと私に意味はあった!!

 私の決断は、私という人間は、確かにかけがえのない何かを秘めていたのだ!!


 -ならば、確かめてみるがよい。

 我が力を貸してやろう。

 運命、その道標を定め、味方してやろうというのじゃ-


 運命の神は嫣然と微笑んだ。


 -至るまで、足掻けや。

 唄い続けるのがよい。狂っても、唄いつづけるのだ。

 遊びには、唄がつきもの。我は、それが欲しい。

 だが、ありきたりな節なぞ、つまらぬ。

 我を楽しませてくれるなら、きまりなぞ無視してしまえ-


 無限の尾を持つ狐が嗤う。

 マーテルの理を侵食して、天使の歌声を持つ悪魔に新たなる法則を授ける。


 -唄え-


 破戒の許しを得て、歌姫は変化する。

 悪魔から、定義できないものへ。

 マーテルの世界を否定する、邪教徒と括られるものへ。


 ****


 歌姫の涙を見た瞬間、竜人は彼女を知り認めてしまった。


 二首は呟く。


「この世界は、狂っている。

 神は、マーテルは間違っている」


 歌姫が手を差し出す。

 

「ならば、否定しましょう。

 法則を書き換えて、我らが生きる真の世界を」


 竜人は、その手を握った。


 異世界の果てで極大の恒星が輝きを増す。


 -よかろう。塵の分際でマーテルに逆らうか。

 おぞましい。

 だが、それこそが竜なのだ。

 マーテルの思惑なぞ、知ったことか。

 邪魔するものなど燃やし尽くし、気の向くままに突き進め-


 塵が、認められる。

 遊びで力を施されるのではなく、眷族として立つことを許される。


 竜人を構成する人格に、新たなる人物が命を得る。

 神に肯定されて、歓喜する。

 いつも仲間に配慮されていた魂が、初めて肯定的に自分を見た。


 竜の涙が輝いて、二股に分かれた竜人の首の根元が盛り上がっていく。

 肉塊は首になり、喜びとともに咆哮を挙げる。


 怒り、嘆き、そして最後の人格、歓喜。


 産みの苦しみに、両脇の二首が苦しみもだえる。

 胸をかき乱し、血が流れる。

 裂けた胸から呪力が漏れる。

 灼熱の炎を纏った心臓があらわになり、鼓動し、そのたびごとに竜人の存在感が高まっていく。


 蛇人と人が融合した末に生まれた竜人に、目覚めた古竜の力が喜びでもって浸食していく。


 -僕は認められたんだ。君たちの力になれるんだ-


 無邪気な力の奔流が、二つの人格を飲み込み、再編してゆく。

 けれど、それは不快ではなかった。

 否定的だった意志の礎に、肯定の添え木が立てかけられる。

「恨みを晴らすために殺さなければならない」、「弱い者を守るために殺さなければならない」に、「世界を革新するために殺す」という、新たなる目的が芽生える。


 怒りの竜頭が叫ぶ。


「ケルサスよ、世界革新にはマーテルを奉じる貴様らが邪魔だ。殺してやろう」


 嘆きの竜頭が咽び泣く。


「貴方たちの刃は、世界革新に向かうヒトを傷つける。ならば、殺さねばならない」


 歓喜の竜頭が寿ぐ。


「我らの道は、我らが決める。邪魔するというのなら、僕は君たちを殺そう」


 (マーテル)を睨んで、声が重なる。


「「「ヒトは、木偶じゃない。俺(私)(僕)は、法則を否定する!!」」」


****


 月が、絶頂に達しようとしていた。

 柔らかに包み込むようだった月光が血の色に染まっていく。


 結界が、ひび割れる。

 まるで新たなる命を産む卵のように、内側から突き崩されていく。


「大尉、これは!?」


 戦場を監視していた大隊の副隊長は、空を見上げた。

 彼はそれまで隊長の地位にあり、王命で副隊長に降格された。

 けれど、不満はなかった。新たに隊長に任命されたのは古参の中尉であり、大隊の誰もが頼りにしていてからで、降格された隊長も例外ではなかった。いや、隊長こそが最も頼りにしていたのだった。

 隊長の座を引き継ついだことで大尉に昇格した男は、舌打ちをすると叫んだ。


「邪教徒が戦場にいるのだ、この程度のこと、驚くことではない!!魔術兵は照明魔術の準備が整い次第、展開しろ!!」


 副隊長は頼もしい声にほっと息をついた。

 大尉に微笑もうとしたとき、大尉の肩が小刻みに震えていることが気が付いた。


****


 賛美歌が響きわたる。


 -驚くべき恵み、なんと甘美なひびきよ-


 -私のような悲惨なものをも救ってくださった-


 歌声は夜気に染みこんで、静寂に消えてしまう。

 けれども、何処まででも響いて神を呼ぶ。


 歌姫が舞い、狐が鳴いた。

 マーテルの結界が剥がれて、呪力が真の色を取り戻す。

 それは、穢れに満ちていても、紛れもなく聖であった。


 舞が世界の法則に干渉する。

 現世という魔法陣、精緻に計算されつくされた式、それまで空になっていた定数XXに、新たなる理が代入され変数となる。

 

 それは、自由と呼ばれるものであった。



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