魔晶 1 -鬼姫は鳥篭に淀む悪意を憎悪する-
ケルサスは、邪教徒である竜人とエンジェル・ボイス、二人の争いの中にあっても、撤退するか交戦するか決めきれないでいた。
そのとき、再度、今度は王命により軍議を開くとの知らせを受ける。
苛立ちながらも軍議に臨む将官たち。
しかし、そこで彼らは思い知る。
真に恐れるべきは誰であったのかを。
トン、トン、トン。
降りしきる雪の中で、一人の少女が毬を蹴っていた。
見渡すかぎり雪原が広がって、音もなく、静寂が命の痕跡すらもかき消して、ただ、少女だけが世界にいるよう。
トン、トン、トン。
少女の幼い目元には薄紫の紅が引かれ、小さな唇にも、顔色はとても白いから際立って、蟲惑的な微笑が咲く。
紅より赤い瞳孔に、それを包む虹彩は血のように濁って、虹の色より透いている。
身を切るような寒さに吐息を吐き、闕腋袍を翻して、遊ぶ少女はただ一人、世界の中心で毬を蹴る。
一心不乱に、何かに憑かれたように。
そうすることしか、知らないように。
そのとき風が吹いて、毬が思わぬ方に跳ねた。
追いかける少女は高く跳ぶ。
流れる髪に雪を受けて、風に頭巾が飛んでいった。
露になった額には、二本の角が。
足袋は履かずに小さな爪で、つま先から降り立った少女は大事そうに毬を抱く。
上気だった桃色の頬、息を切らす口元には、牙が覗いた。
いつか雪が止んで、雲が晴れた。
宵闇が降りてきて、月光が降り注ぐ雪原は白く輝いた。
佇む少女の腰には一振りの太刀。
ぼんやりと、月を眺める。
遊ぶその場は、大伽藍たたずむ内庭。
白虎まします、修験の極地。
陶然として、口を開く。
-血、血、血、血が、こぼれる-
見上げる鬼に応えるように、月が紅く染まる。巨大な眼になる。鬼を覗いて、またたいて、血の涙が溢れでる。
無限の修練の果て、決して至る事のできない悟りを目指し足掻く世界、暁の寺。
その障害こそが鬼の少女。
白き虎の対神、白き鬼姫。
その名を、『雫』という。
ヒトから漏れた欲望を一身に引き受ける鬼神は、その穢れを浄化することなく、まして地獄に送ろうともせず、そのまま世界に帰す。
ほとばしるのは、怒り、恨み、恐怖、そして哀切。
(どうして悟りにいたらぬ?まだ足りぬのか?この私は、どれほど煩悩にまみれている)
修験者の自問は少女にさらなる暴力を要求する。
-欲しいか?ならば、与えよう。僕の務めだ-
(もう生きたくない。この世界には、苦しみしかない)
修験にすら至らず、ただ生き惑う声は消滅という安らぎを求める。
-そうはいかない。もう一度だ、悟りにいたるまで、万億、那由他の果てまで繰り返すんだ-
繰り返される暴力と、殺戮という再起動。
無表情で巨眼を見上げる少女は祝詞を唱える。
毬から血が染み出て、別世界への扉を開く。
遥かなる異世界。月の女神が創り出した、鬼姫たち神々の駒を生じさせるためだけの鳥篭。その中で、餌として囚われた蟲どもが叫ぶ。
(私たちにも命が、生がある。ただ眷属を生み出すための生贄になれというのか、神よ)
(ああ、許せない。こんな世界、消えてなくなれ!!)
鬼姫は、耳を塞いで毬を落す。
ひるがえって、伽藍の奥、白虎のもとへ駆けていく。
繰り返しすら許されず、良と不良とだけを判断基準として弁別される、祝福された世界。
響く声は、神への怨嗟だけ。
鬼姫は、肩越しに視線を投げる。
けれど、そこに同情や情けは無い。
穢れを、生まれながらの悪徳を見て、身震いとともに、軽蔑だけを眼に宿す。
「汚げなり」
雪原に残った足跡が黒く染まり、呪が立ちぼる。
月の巨眼は、走り去る鬼姫の背を見送る。
溢れる血の涙は、何時までも止まることはなかった。
****
「もはや、一刻の猶予もありません」
痩せさらばえた男は、落ち窪んだ目をらんらんと輝かせて言った。
ヒルのようにのたくる赤い唇を舌でひとなめすると、聴衆をゆっくりと見渡す。
「『魔晶』の使用、他に手段はない。汚らわしい侵略者に王国の力を見せつけるのです!!」
王の命で急遽開かれた軍議は、居てはいけないはずの狂人の叫びとともに始まった。
撤退に向けて軍を動かそうというとき、邪教徒エンジェル・ボイスが現れ、同じ邪教徒である竜人を攻撃した。
思いがけない事態に本営は混乱しかけたものの、さすが大国ケルサス、各部隊は指揮を失うことなく落ち着いて対処した。竜人に保護されたヤーヘン兵を結界で押し込めて、亜人だけに標的を定めた。対竜人用の一点強化型結界から、流れ弾による被害を抑えるための広域用の結界に切り替えることで攻守のバランスを取りつつ、撤退の足を速めるために必要のない物資を破壊し、兵站部隊に補助魔術をかけて一回に運べる物量を多くすることで退却の準備を早めた。
化け物たちを目に入れず、あくまで撤退を目的とする。争っている隙をついてと、愚かな功名心を抱きそうなものだったが、ケルサスの各部隊は正しく軍内部の状況を把握し、逃げ出すことを選択した。それは、必ずしも本営の命令とするところではなかったのだが。
しかし、重い砲や攻城兵器を破棄した直後、再度軍議を開くとの王命が下った。
何故、今さら?
各将達は困惑し、あるいは苛立ちつつ、部隊の指揮を副官に預けて議場に集った。
そして彼らは、王の招きを受けて登壇した男を見て驚き、失望し、怒りに身を染めることとなった。壇上でこぶしを振り上げるその男は、狂王の下で危うい実験を繰り返していた、内乱での粛正対象にほかならなかったのだから。違法な人体実験で数百もの人民を殺害し、いくつもの村々を重篤な魔術汚染に沈めた重罪人、狂王の死と共に幽閉され、とうに死んだと思っていた。
「魔晶、完成、したのか。・・・させてしまったのか」
それの恐ろしさを知る老兵は、呆然とつぶやいた。
『魔晶』というものは、かつて狂王が面白半分に作り出そうとしたものだった。
神の御技を再現しようと、ケルサスから出土した魔石と予算の大部分をつぎ込み、結局失敗した。
いや、失敗と言うよりも、制御できずに暴走し、破滅的な汚染を引き起こしたのだった。その威力、あるいは成功と言っても良かったのかもしれない。
「あれの後始末に何人の魔術士が命を落としたと・・・」
試し撃ちだと言った狂王がとある街に設置して、繰り広げられた悲劇。
部下を死地に送った無念さを思い出して歯を噛み締める将官たちを尻目に、男は自らの主張を書き記した書類を壇上にたたきつけて叫んだ。
「他国の連中は私を指差し、背教者と罵りました。神の地位を脅かす、邪教徒の前身である『神の知』に連なるものであると見なしたのです。
しかし、皆様方にならご理解いただけるはずだ。私は、決して傲慢ではない。神にとって変わろうなどとは微塵も思っていない。
ただの愛国者に過ぎないのです!!
祖国を守るために、強い力を求めただけなのです!!
恐れるお気持ちはわかります。しかし、魔晶は遅かれ早かれ、誰かが作り出す。そして、そうなれば、使わないで済ますことが出来る国など存在しない。新たなる技術を手にしたとき、使用する誘惑に耐えられる者などいないのです。それは歴史が証明している。たとえケルサスであっても例外ではない」
クリトンは男の背後、玉座に座る主をうかがい見た。
表情を変えないルーメンだったが、クリトンには笑って見えた。
「しかし、魔晶の絶大な威力、疑ってかかるのも当然です。いえ、疑わなければならない。その破壊力の裏にある不利益から、目を背けてはならないのです!!
古代から施政者や学者たちは、それを誤魔化し見えないものにしてきた。非難されて初めて気付いたと、目を丸くして驚き、涙ながらに悔いてきたのです。
しかし、私は誤魔化しません!!
学者として、説明責任を果たすためにここに居るのです。創り出した物がどんなものであるか、それが世界に及ぼすだろう影響、それらを解りやすく伝える責任を果たすために、みなさんの前にいるのです!!
そう、学者だからわかる。文献をあさり、計算して予測するからこそ、それがどんなに恐ろしいか、希望に満ちているのかを、客観的に判断できるのです。
その学者である私が主張させていただく。進歩の歩みを止めるには、使うしかない。恐怖でもって押し留めるしかない。それが、私の結論です!!
力は、使われてはじめて認識され、その恐ろしさを実感できるのです。
誰かが魔晶の威力を実証し、世界に示さなくては、探求は止められないのです!!
ならば、その虐殺の罪、誰が背負うべきか。
ケルサス以外にはないでしょう!?
技術にたいする規範を作り、協定を結ぶ。それこそが技術大国ケルサス、法則神マーテルに仕えるものの役目ではありませんか!!」
参謀長のニコライの怪訝そうな視線を感じても、クリトンは見返してやることが出来なかった。
若い者らが知らないケルサスの暗黒面であり、確かに戦争を終わらせることが出来る兵器の存在。どうして今まで使わなかったのだと、責められるのが怖かったのかもしれない。
けれど、クリトンら老兵は、確信を持って言えるのだった。
(あれは、ヒトの手には余るものだ)
クリトンはかつて目にした惨状と、そのときこみ上げてきた嘔吐感を思い出した。暴走した魔晶が数百年は人が住めない汚染を引き起こし、その灰色の大地を指差す狂王の耳障りな高笑いを。
この男は、それを兵器として人にぶつけるという。正気だとは思いたくなかった。軍人であれば、嫌悪感どころの話ではない。それが失敗した際、被害をこうむるのは軍人なのであり、成功しそれを運用するとなったとき、自分たちは人として健全でいられるのだろうか。
けれど、男の言うことに理がないわけではない。ケルサスが魔晶を封印しても、きっと誰かが創りだし、兵器として運用することは容易く予測できることであり、それを向けられるのがケルサスではないという保障はどこにもない。ならば、先にケルサスが用いてしまったほうが良いだろう。他国からは責められるだろうが、規制を主導することで国際的なアドバンテージが得られるだろうし、なにより、その威力を眼にしてしまえば、誰もケルサスに攻め入るものはいなくなる。
壇上で息を切らす男は、脇に置かれた水を一気に飲み干した。目は血走って、整えられた髪は乱れていたが、どこか誇りすら感じられる様子で議場を見渡した。
純粋な男、クリトンはそう思った。愛国者であると自称しながら、研究のためならば街一つ滅ぼしても哀悼の言葉一つで済ませてしまう。幽閉されながらも研究をやめず、塔の暗い一室で理論を練り上げた。妄執に取り憑かれても、男に不利な証拠であるはずの使った側の被害予測、世界に与える影響、技術的に解決できていない問題点、すべてを明らかにもする。
「どこにも嘘は無いのだ。愛国者であるということすらも」
だからこそ危険なのだ、クリトンは誰にも聞こえないように呟いた。
「兵の被害も最小限ですむのではありませんか?」
若い少佐が意を決したように発言した。
通信をはさんで向こう側、国もとの者らは一応神妙な顔をしていたが、それがもたらすだろう事態を実感として理解できていなかったからだろう、『魔晶』に対しての嫌悪感が揺らいでいるようだった。失われる命の数、兵士の倫理、それらは机上では計れない。戦場を知っていても、今、この場にいないのならば、彼らは部外者に過ぎなかった。
その一方で、こうして戦っている軍人たちにも以前とは異なる変化があらわれていた。先の規格外の火炎弾により被害をこうむった隊の将兵たちは、報復をあきらめることが出来なかったがゆえに、ヤーヘンを殺しつくす誘惑に打ち勝つことは難しかったのだった。
「私たちは兵を生きて祖国へ帰さねばなりません!!」
誰かが叫んだその言葉を聞いて、クリトン以下、数人が気色ばんだ。
「誰が責任を取れるというのだ!!これから先、虐殺の歴史を作り上げようとしているのだぞ!!」
一度使ってしまえば世界は恐れ、その技術を封印しようとする。しかし、それは楽観というもので、それどころか各国の技術開発に拍車がかかるのではないだろうか?魔力を重視する貴族主義の国々であっても、技術を排斥するとは限らない。たとえ貴族たちがその特権を脅かされるとしても、支配されるよりはましだと考えるだろう。
反論もまたそれなりの説得力を持っていたから、議場は混乱するかに見えた。
しかし、その空気を王が飲み込んだ。その一瞥は鉄球のような圧力となり、居並ぶ全ての者たちに、のしかかった。
「有用だな。クリトン、他に邪教徒とヤーヘンを止める策はあるか?」
「現状では、ありません」
「ならば決まりか」
「しかしっ!!」
クリトンは、しっかりと王を見据えて立ち上がった。
「恐れながら、あれはヒトの為してよいことではありません。あのような地獄と罪を、ケルサスが背負おうと仰るのですか!?」
クリトン元帥は、胸にしまってあった細君の小さな肖像画を握り締めた。
「ほう」
皮肉に微笑んだ王の冷徹な視線を受けて、汗が雫となって落ちた。
「マーテルの法を守護するのが、ケルサスでございます!!
御用学者殿の言うことにも理があることは承知しております。しかし、あれは、魔晶は、神の御技を解析して作り出されたもの。神の力を模倣するなど、そのような背徳、マーテルが許すとは思えません。
なにとぞ、ご再考を!!」
「言うじゃねえか、クリトン」
空になっていたはずの席が輝いた。
帝国の盗聴を防止するために会議に参加していなかったカルブルヌス騎士団国国王、エルネストが足を組んでいた。
「ヒトがして良いことじゃない?
ならば、おとなしくヤーヘンの追撃を受けて兵を殺すか?馬鹿かお前は」
「必ずしもそうなるとは限りません!!邪教徒どもは争い、竜人が張ったヤーヘンを保護する結界は弱まっております。竜人の目的があくまでヤーヘン兵の保護であれば、追撃を抑えこむことは可能でございます!!」
「クリトン、貴様、本気で言っているのか?これまでの戦いぶりから明らかだろうが。ヤーヘンは、俺たちを皆殺しにする気だ。奴らは竜人となった王子を信じている。あいつがいる限り、最後の一兵まで攻め続ける気だ。
それに万が一、パンデミックを起こされればどうなる?撤退しながら対処できるか?無理だ。壊滅しかねない。だが、魔晶を使えば兵は死なない、だろう?」
「それは、そうですが・・・」
「なら、元帥閣下よ、後ろを向いてちゃんと言えよ。くそみてえなヤーヘンに洗脳された可哀想な亜人どもに殺されてくれってよお!!」
カルブルヌスの黄色の魔力、太陽の閃光が殺気となって議場を包む。
「何様なんだ、お前は!?敗戦の将ならば、兵を生かすことだけを考えろや!!てめえの弁神論なんかに興味はねえんだよ!!
いたずらに兵を損耗させやがって。邪教徒が出てくる前に決着をつけること、この兵力ならば出来たはずだ!!
兵の経験が足りない?増援が足りない?商会がヤーヘンにくれてやった技術の情報が足りない?
アホか!!
一番足りねえのは、貴様らの指揮能力じゃねえか!!」
「私の能力が不足していることは認めます!!敗戦の責も負いましょう!!
しかし、『魔晶』の使用だけは、なにとぞ!!」
「・・・命の責任を負う、だと。貴様、出来もしないことを、このエルネストの前で」
大剣が引き抜かれ、水晶を通した幻影であることを忘れさせるほどの極大の魔力が、議場の結界に亀裂を刻む。
「痴れ者が、死んで詫びろ。
奥義、滅段、」
「やめてください、エルネスト」
静かで、たしなめる声が響いた。
もう一人の実力者、もう一人の王。ケルサス王に請われて出兵し、多くの被害を被っていながら、これまで静観を決め込んでいたグラナトゥムの公王が口を開いた。
クリトン以下、魔晶の恐ろしさを知る老兵たちは、コラードならば二人の王を止めてくれると期待を持って彼を見た。
「魔晶、私もその恐ろしさを知っています。あれは、気安く用いて良いものではない。今、ヤーヘンに使用するのはいかがなものか」
魔術学者の男は書類を手に前に出ようとするも、衛兵に抑えられる。
クリトンは安堵し、コラードに目配せを送った。
しかし、コラードは、決して彼の方を見ようとはしなかった。
「ところで話は変わりますが、グラナトゥムはこの戦場で多くの兵を失いました。王宮には彼らの安否を尋ねる国民が押し寄せ、訃報を知り、泣き崩れている。
せめて亡骸を、と縋る母や父に、否と答えざるをえないこの気持ち、まさかこの程度の戦争で味わうことになるなんて、予想していませんでした。
私はケルサスの軍運用に疑問を持って良い立場にありませんが、それでも国民の求めには応じなくてはなりませんから、是非、この場で尋ねたいのです」
瞳を閉じたコラードは、ゆっくりと頷いた。
再び目が開き、蒼い眼、瞳孔が拡大する。
豊饒の王は、這い寄る獣のように、菩提樹の玉座から身を乗り出した。
「ケルサスよ、私の民に、何をした!!」
銀色の髪が盛り上がり、豊饒の女神マイヤの裏面、冥界の狼王の眼が見開かれて、殺戮の咆哮が響き渡った。
「まさか、見棄てたのですか!?そんなはずはないですよね?友ですから、ヒトですから、そんな破廉恥、出来るはずがない。
ですが、戦闘記録からはそうとしか読み取れないのです。
こんなにも尽くして、見上げているのに?穢れを引き受けて、かけがえのない友人の命を捧げたのに!?」
豊饒の息吹、過剰な命が爆発して、耐えられないほどの腐臭が議場を包む。
「そうであるなら、許せない。
グラナトゥムの献身を無碍にするなんて。ああ、グラナトゥムの恵を享受しておきながら裏切るなんて、冥界の王に身を引き裂かれなければならない。
いえ、サイレスの裁きを待つまでもない。この現世で、私の毒で腐り落ちるがいい!!」
穢れた現世に花開いた命。
ありふれているけれど、それでも、一つ一つが紛れもない奇跡。
大切に育んで、萎れてしまわないように己の力を注ぎこむのがグラナトゥム。
やがて枯れ落ちて、冥界にいたった先で迎え入れるのは、彼らの祭神、豊饒の女神マイヤ。
その民を、神へと至る殉教の道を、戦で穢すばかりか謀って恨みを植えつけたという。
いつも穏やかな表情を浮かべていたコラードが、肉食獣のように猛る。その背後には、いつの間にか、秘められているはずの宝石が立っていた。この世界、四大陸で最も高貴な女が、氷の微笑を浮かべ、夫の肩に手を置いていた。
衛星国家の妃でありながら、陛下と呼称される太古の王女、ベリル・アルケー・グラナトゥム。決して多くの目がある場所に出ることのなかった宝玉が、簡素なドレスに身を包み、将官たちを冷酷に見下していた。
彼女の囁きで、コラードは魔力を抑え、恥ずかしそうに議場を見渡す。
そうして、いつもの屈託のない笑みで語りかけた。
「まあ、そういうわけです。こんな悲しみ、誰も背負っていいはずがありません。
何をなすべきか、今、我々が打てる手は全て打つべきでしょう。もはや議論の余地はないと私は思います。
恨み、憎しみは、戦争が生み出すものですから、ヤーヘンのためにもそろそろ止めてやろうじゃありませんか」
豊饒の王、血に刻まれた聖が、言葉ではなく目で告げる。
見下して、断罪して、有無を言わせずに。
-立ち上がれ、さもなくば、這いつくばれ-
太陽の魔力を宿した騎士王が大剣を地面に突き刺して、体からほとばしる闘気でもって示す。
-決断しろ。そして誇りを見せろ-
そして、頂に座す王が彼らの不出来な将どもに口を開いた。
「諸君、この期に及んで命の奪い方を選択する贅沢がケルサスにあるとは、私は思わない。
カルブルヌス王は、あのように言ったが、逃げるだけなら容易だろう。精強を誇るケルサスの兵ならば、最小限度の犠牲をもって成し遂げることが出来ると信じている。
だが、私は懸念してもいるのだ。兵どもが最善を尽くして命を預けるだけの働きが、諸君らに可能なのか?
これだけの損害を出しただけではなく、撤退するのか、戦うのかすらも決められない。あげく、とうに前線を退いていなければならないグラナトゥムの姫君に、最前線に立って兵を鼓舞してもらおうとさえ、のたまう。
・・・たまらんな、貴様ら。
これは本当にケルサスの軍議か?それとも幼稚園か?
見かねた帝国は、援軍を出してやると言って寄越したぞ?」
「まさか!?」
ざわめきが起こり、帝国に恨みがある指揮官達は机にこぶしを打ちつけた。
クリトンは顔面を蒼白にして、それを見ていたダミアンは苦しげな表情を浮かべ、アンナ憲兵大佐は鼻で笑った。
「無様だな。全世界が注目する戦争で、兵は士気軒昂であっても、指揮官はその足を引っ張り、宿敵に情けをかけられる。
すべては俺の責任とはいえ、ここまで失望させられるとは夢にも思わなかった。
国で政変を起こしたのは、いつまでも権力争いばかりしている貴様らの目を覚ますためだ。内乱からこのかた着飾るのに必死で、改革の精神を忘れてしまった貴様らを、どうしてやろうか、夢の中で何度も、何度も、剣で貫きながら考えた結果だ」
ケルサスの淡い水色の魔力、根源たる水の流れ、ヒトが見上げる空の色。
優しく、心を落ち着かせる神の抱擁を現す。
けれど、すべてを押し流してしまうのも水であり、突き放して孤独を味わわせるのも空の青。
莫大でありながら、消失を表す狂王から受け継いだ魔力があふれ出す。
「いい加減にしろ、愚かしい貴族どもが!!
尊敬されたければ、行動で示せ!!
今、何をすべきか。魔晶を拒絶するならば結構、それもまた一つの選択だ。
しかし、そうだというならば納得させてみせろ。この国父たるルーメンを説き伏せて、大事な子らを見殺しにするだけの大義を示してみせるのだ!!
下らん道徳心なぞ聞かんぞ?神の名を持ち出しても無駄だ。忘れたのか?狂王を滅ぼそうとしたとき、司祭どもらは王権神授を持ち出して我らを止めたのだ。
だが、神の命に逆らった我らは負けなかった。神は、俺の親殺しを認めたのだ!!」
ルーメンは言葉を区切ると、議場の右前方、一人の青年に目をやった。
涼しげな顔で彼を見上げるアンダルシアの次期当主候補で、ミミの弟。
深緑に染まる瞳を持つ神樹の一族の末を。
「神と我慢比べをしろと言うつもりはない。そんなのは俺も御免こうむる」
玉座から立ち上がる。
ぶつけられた侮辱に失意と反感を表す指揮官たちに、受け入れるかのように両手を広げて見せる。
「お前たちがどんな選択をしようとも、兵たちはお前たちの選択を尊重するだろう。
たが、兵を救う手段があって、時間は差し迫っている。兵どもはお前たちの命を待っているのだ。
神の怒りが恐ろしいか?俺も恐ろしい。だが、救える兵たちを救わないことのほうが、俺には何倍も恐ろしい。
神は、マーテルは俺たちを罰するだろうか?罰しないだろうと、俺は思う。マーテルはヒトを神のその似姿として作ったのだから、我々がその力を模倣し、手を伸ばすことを予想しているだろうからだ。
兵を救わないという選択肢を選ぶことで、マーテルの怒りに触れることが恐ろしいか?問題ない。マーテルは見守る神だ。その選択を尊重し、理解してくれる。兵を見殺しにしてまで保ち続けた私たちの信心を、マーテルはきっと褒めてくれるだろう。
そうだ。結局、俺たちに突きつけられたのは、マーテルの涙を、敵のために流させるか、我々のために流させるかだ。
ならば民を助け、虐殺の罪を背負う、それが俺の選択だ」
三王の意志。
内乱以来、忘れていた魔力の共鳴。民を狂王への反逆に向かわせた、跪かざるをえない絶対令。
彼らがいなければ狂王に歯向かうことすら出来なかった。その彼らの魔力が、彼らは変わっていないのだと示す。将官たちは、今度は自分たちが恐れる番だということを理解した。内乱が終結してから豪華な宮廷衣装に身を包むことを選択した彼らは、いつしか国ではなく権力に奉仕していたことを知った。かつて粛正した旧体制派と、自分たちが同じものになってしまっていることに気付いたのだ。
もはや彼らは、ルーメンというカリスマが示す意志に寄りかかることしかできない。あんなにも激情を駆り立てられた革命の志を容易く忘れてしまったのだから、自分たちに失望し、卑下することでしか自らを保てなくなったのだ。
誇り高い革命の騎士はもういない。浅ましくご機嫌を伺うことしかできない木偶だけがのこった。
誰も反対など出来るはずがない。尊崇の念よりも、負い目、自らの軽薄さを見せ付けられて将たちは押し黙った。
そんな有様をみて、失望を隠してルーメンは玉座に座り込むと、片肘をついた。
「クリトン、急ぎ作戦を立案しろ」
うつむいていたクリトンは顔を上げた。
作戦など、軍議が始まる前、すでに王の使いからクリトンだけに伝えられていた。クリトンの立案であるとしたのは、決して情けではない。
「ご命令とあらば」
出陣前に言葉を交わした、一際美しく、そして無力な娘。
支え、見守る黒騎士の青年。
優しげに微笑むコラードを見た。
今では、それが邪悪にすら見える。
(私は彼女から、全てを奪うのか)
豊饒の王の背後で、この世、最高の宝石が眉をひそめ、ドレスの裾を握り締めた。
「数千年を経ても、変わらない」
彼女の嘆きは、誰にも聞こえることはなかった。
****
「キサラギ様、いかがするおつもりですか?」
フードの騎士、トドロフは師に声をかけた。
剣聖にも勝る剣技を持つ邪教徒ワーカー・ホリックは、物言わず戦場を眺めている。
後ろに控えたトドロフにはその顔を伺い知ることは出来ない。
そうしているうちに、戦場は見る間に状況を変化させていく。
亜人の狂乱に竜人の呪術が放たれて、亜人はその数を減らす。けれど、ヤーヘンの兵たちは戦列を立て直せずに血にまみれていく。対してケルサスは体制を整え、何とか防御線を築く。
「ケルサスは軍を建て直しつつあります。きっとヤーヘンを砲撃する気でしょう。決着がつきそうです。エンジェル・ボイスは竜人を回収できれば、それでいいのですから」
キサラギは振り向いた。
「竜人はともかくとして、エンジェル・ボイスがそれで引き下がると、お前は考えているのか?」
「これまでの戦闘記録から判断すれば、そうなります。無秩序に見えてエンジェル・ボイスは無駄なことはしません。呪いを振るうことを恐れているふしがありますから。
ケルサスも当然それを知っているでしょう。ならば、一気に決めにかかるはずです」
「トドロフ、帝国に染まったな」
「それは、どういう?」
呪いの基点に、極大なブレスが放たれた。
大地が揺らぎ、土煙が舞い上がる。
次の瞬間、竜人の姿が消え、長城に叩きつけられた。
「なっ!!」
「エンジェル・ボイス、あいつは可哀想な女でかつ毒婦だ。世界を自分の悲劇に引きずりこもうとしている。
使えそうなものは拾うし、気に入らなければ、殺す。確かに呪いを使うことを嫌ってはいるが、目的のためなら、躊躇するような女ではないよ。
その点、あの竜人は駄目だ。ヤーヘンを守るためだけに堕ちるなぞ、あの女の許せることではない。そんな絶望では、あの女の神は満足しない。
もっとも、俺は好きだがな。
お前らは、俺たち邪教徒を群隊のように考えているようだが、それは違う。崇拝者がそう振舞っているだけで、俺たち自身は、お互いにどうでも良いと思っている。なかには、憎みあっている奴らもいる」
「では・・・」
「好きでつるんでいると思っていたのか?剣を教えてやったというのに、まったく。
俺たちを少しでも理解すれば、二人が争っているときに、ちょっかいをかけようとは思わんよ。見ろ」
指差した先では、ケルサスが陣形を変化させている。
「あれは?」
「逃げる気だ。気まぐれな邪教徒を相手に全滅覚悟で挑む発想はケルサスにはない。
お前はケルサスが砲撃すると言ったが、それは帝国の軍略だ。ケルサスでは兵の命の値段が高すぎて、反撃では博打が過ぎるのだ」
ケルサスは陣を整えていく。
装備を破壊しているのだろう、いたるところで魔術の発動を意味する閃光がはじけ、爆発音が続いた。
カルブルヌスも同様に、指揮系統が乱れた魔獣をしとめながら、兵站を急いで後方に下げる。
トドロフの目には、ケルサス軍は国境をハイデンベルグ城付近、あるいはナハト川まで下げて、防御線を引き、砦を築いてヤーヘンの侵入を防ぐ、そう思われた。なるほど、内乱で国力が低下したケルサスにはそれしかない。
しかし、不意に何かが、獣が起きた、ドロフはそう感じた。
軍という生き物がぶるっと震え、頤を開いた。猟師に追われていた肉食獣が、にやりと振り向いた、そんな気配がした。
ケルサスは下げていた魔術歩兵を前に出して、敵を受け止める陣形へと変化させる。前線から漏れてきた亜人をしとめながら、邪教徒の争いによる被害を防ぐための結界を張る。
「騎士隊は、遊撃戦で亜人と結界がはがれたヤーヘン兵をしとめる。魔術士は結界を張り、撤退する気配がない。一体、何を考えているのか。
これは、これまでのケルサスの指揮系統ではありませんね。撤退するのか、攻めるのか、どっちつかずの愚策のようにおもいますが、どうしてか殺気が濃い。
ん、・・・これは?
ああ、そうか、っく、すごい」
含み笑いをもらす。
「ふん」
キサラギは、マントを目深に被った。
「本性を表したなケルサス。この殺意、ルーメンだな。
ようやく、狂王を殺したその実力、見せてくれるか」
トドロフは、満面の笑みを浮かべた。
ケルサスの殺気に当てられて、隠していた黄金の、太陽の魔力がこぼれる。
「なんて、素晴らしい。まるで軍隊が一匹の魔獣のようだ。
ばらばらだった四肢が統一され、法則のように整えられる。規約に過ぎなかった命令が、本質から湧き上がる意志に統合されていく。
これが、ケルサス。いや、三王の反逆」
カルブルヌスの血、戦場を求めて這いずり回るトドロフに向かい、キサラギは腰に下げた刀の鍔を鳴らした。
「さあ、騎士国の王子様、仕事の時間だ」




