魔晶 2 -あなたのために、私は何度だって繰り返す-
邪教徒の出現によって撤退を決めたケルサス軍であったが、ルーメン王ら三王は大量殺戮兵器である魔晶使用の命を下す。
反発するクリトン将軍を押さえつけ、軍の実権を握ったルーメンは、今、行動を開始する。
「大隊長を入れ替える。リストにあるものを野戦任官で大尉に昇進、それまで隊長だった者は新隊長を補佐し、部下たちの混乱に対処しろ。
ただし、今から名を挙げる者は解任するゆえ、ただちに本営に出頭せよ」
ケルサス国王ルーメンの命を受けた隻眼隻腕の騎士、アザール大佐が水晶を通して各部隊に伝える。
各大隊で、ルーメンが最も適任と思った者らが強引に指揮権を握り、それまで部隊を指揮していた隊長は副隊長に降格された。頭を入れ替えられたのは大隊の三分の一にも及び、土壇場での再編成に各隊からの伝令が押し寄せる。
「王命だ、やれ」
アザールが短く言うと、ルーメンが口元をゆがめる。
「手空き魔術士は通信魔術を展開、連携部隊との連絡を密に。敵は連携なぞ取れぬのだ。恐れるものは何もない。
我らはケルサス、魔力の温存なぞ考えずに連絡を取り合ってさえいれば、戦場はコントロール出来る。
軍行動には入念な下準備が必要などという戦術家の戯言は、いっさい忘れろ。戦場でものをいうのは、所詮、中隊、大隊の水準の高さだ。
我らの魂には、そのための全てが遺伝として刻みこまれている。これまで生き残ってきた己を信じ、戦い抜け。
新たなる隊長どもは下士官の言うことによく耳をかたむけ、細心の注意を払い大胆に行動しろ。
ただし、迷うときは勘で行ってかまわん。後始末は、こちらでつけてやる」
隻腕をサーベルに置いたアザールが大雑把に命を下し、各部隊は行動を開始する。
軍がぎこちなくはあるが陣形を変化させるのを確認して彼は王に振り返った。
「抗命は無いようですが、成熟には時間がかかります。よろしいですか?」
「なわけないだろう?待っている暇があるか。ある程度傷つけば最適化される。
クリトンが立案した作戦を実行できるよう場を整えるのが最優先だ。
当分のところは、結界を維持させ、抜けてきたヤーヘン兵、亜人らを皆殺しにできればいい。
作戦内容が伝われば兵は混乱する。そのすきに乗じた貴族派が行動を起こすのを防ぐことこそが、指揮官を入れ替えた理由だ。指揮官が変わり、ある程度忙しくしてやれば反抗する余裕もなくなる」
「承知しました」
アザールは通信将校に向かい、目的部隊へのチャンネルを開かせた。
「重装魔術歩兵第一大隊、貴様らは部隊内に亜人が多い、前に出るな。魔獣討伐に当たるカルブルヌスの補助に入れ。
・・・なんだと、戦いたい?命に従わん奴はいらん、抗命の咎で首を落とされたくなければ、行動しろ。ああ、貴様の勇気は覚えておく。なんなら文章にして残してやる。分ったなら、さっさと行け。
第二大隊はニコライ・メクレンブルグ参謀長の命に従え。アマゾフ少佐、貴様が反王族派なのは知っている。妙な動きを見せたなら、俺が直々に殺してやる。部下の年金は無いと思え。だが、王は貴様のことを買っている。指揮権を剥奪しない陛下の御期待に応えて見せろ。
・・・陛下、ところで、ニコライ大佐は使えます。このままクリトン将軍とともに責を負わせるのは軍のためにならぬかと」
「勿論、処遇は考えている」
ルーメンはグラスを持って立ち上がり、従卒が慌てて水差しを差し出すのを手で制し、通信が映す範囲から出ていった。
次に映ったとき、ルーメンのグラスには深い紫色の液体が注がれていた。
「やってもらいたいことがある」
一気に飲み干した。
「大佐にグラナトゥムの姫君に作戦を伝えさせろ」
(グラナトゥムに、ニコライ、メクレンブルグの息子を!?)
「どうした?さっさとしろ」
「はっ!!」
それまで一瞬たりとも迷うことなく命を下していたアザールだったが、水晶が像を結び、映し出されたニコライが敬礼しても佇んだままで、しばらく言葉を発することができなかった。
*****
「父様たちが動いたわよ」
「・・・のようですね、姉さん」
カルブルアヌス軍指揮官ルシアーノ少将は、にこにこしながら天幕に入ってきた姉を緊張した面持ちで迎え入れた。
「これで一安心。無駄に兵を殺すこともないし、私がケルサスの貴族たちを粛正する必要もなくなったわ」
ルシアーノは、まじまじとフォーネリアを見た。
「そんな命を受けていたのですか・・・」
「ええ、そうよ。本当は、陛下の懐刀の憲兵隊の大佐の役割なんだけど、まだ動かしたくないっておっしゃるから、私が手を挙げたの」
「その対象には、もちろん、私も入っていたのでしょうね」
フォーネリアは、にっこりと頭一つ大きい弟を見上げた。
「最上位よ、馬鹿。父様に頼んで、私がそうしてもらったの」
くりっと愛らしい眼が、獲物を狙う鷹のように見開かれる。
「素質があるくせに、いつも貴族たちに遠慮して。ルーメン陛下に対する貴族たちの反感を抑えるため?弁えなさいな。そんなの求められていないって分らない?
その結果、どうなった?この有様よ。
貴方は、ケルサス内でカルブルヌスのために動いていればいい。陛下は貴方がそうすることを求めて側に置いているというのに、軍人が政治に首を突っ込むなんて。
あなたに心配されなくもケルサスは揺らぎません。
あまり陛下を見くびらないことね」
フォーネリアは両手に魔力の剣を作り出し、母から受け継いだ暗殺術シャドウ・ウォークを起動する。
ルシアーノは両手を上げて見せた。
「私としても御期待に沿いたいところでしたが、忙しかったもので」
「ん?」
フォーネリアは、小首をかしげる。
「父上が言っていたでしょう?まず、伴侶を見つけろと。オーギュントに先を越されたと思ってあせっていたのですが、この戦場に来て、ようやく良い子を見つけたんですよ」
「まあ!!」
フォーネリアは剣を消し去って、胸の前で両手の平を打ちつけた。
それまでの殺気は何処にいったのか、眼を輝かせる。
カルブルヌスの至上命令、それは子を成して次代に繋げること。
騎士道を歩む夫につくす妻を見つけ、愛で持って結びついて、後顧の憂いなく戦場に散る。
「ああ、ようやく。本当に、良かった。いつもいつも、やれ家柄がとか、心根がとか、頑是無いことばかり言っていた貴方が!!
こうしてはいられません。ええっと、日没まではしばらく時間があるわね・・・。その子を夕食に呼びなさいな。
直ちに兵に命を!防御線を下げて。魔獣は教導騎士団が受け持つわ!!」
「命は既に下してあります。引き続き、魔獣は戦場を限定することで対処可能です。場所の目処はついていますから、本営から連絡があり次第、作戦は実行可能です」
「あらあらあらあら、やれば出来るじゃない!!
これも愛の力ね!!」
そこの貴女、と側付きの女騎士を指差す。
「着替えを手伝って。・・・いえ、その前に、私が出て魔獣をしとめてきます。
のんびりと本営の連絡を待つ必要はありません。急ぎ、ザイオンに連絡を!!」
慌てて天幕を出る姉を見送りながら、ルシアーノはほっと胸を撫なで下ろした。
そうして、もう一つの懸案事項、適当な理由をつけて天幕内に留めていたクシェルが訳を聞いた際に上げるだろう怒声を想像して、ため息をついた。
「まあ、なんとかなるか」
つぶやいたルシアーノは、どこか楽しそうであった。
*****
オーギュントはぼんやりと、サラがいるレオーネの天幕の前で秋空を眺めていた。
「僕は、何をしているんだろう」
カルブルヌスの軍を飛び出し、こうして戻ってきたものの、果たして自分がここでこうしていて良いものなのか。筆頭騎士でありながら軍を捨て、前線に出ることなく時間を潰していることなんて、とても許されることではないと分っていながら、これで良いのだと強く思う自分に戸惑いを覚えていた。
「どうして、兄上は何も言ってこないんだろう」
姉、フォーネリアの策ともいえない茶番によって『春雪』を使えるようになった。
全て彼女が僕をここに送り込むためにたくらんだことだとは分っているけれど、それでも義務を果たさずに皆のところに居て良い理由にはならない。
「どうなっているんだろう・・・」
自分がここに居ることはばれているはずなのに、兄は何も言ってこない。姉がどんな密命をうけていようとも、軍の実権を握っているのは兄、ルシアーノなのだ。堅実な兄が有力な手駒である自分をみすみす放っておくはずがない。
「なにをしているの、あなた」
中からブリギッタが顔を出した。
「入ったら?・・・サラを押し倒したこと、気にしてるの?」
「それもあるけど・・・」
(そうだ。ここにいれば、僕は人を殺さなくてもいい。鬼は眼を覚まさないんだ)
ブリギッタは気の無い返事をしたオーギュントの腕をつかむと、引きずるようにして強引に中に入っていった。
暗かった室内に突然差し込んだ光り。
ベッドから起き上がっていたサラは、眩しそうに手でひさしを作った。
オーギュントが慣例どおりの挨拶をすると、サラは着ていたガウンを引き寄せ、慎ましく返礼した。顔を上げたオーギュントと目が合うと、ばつが悪そうに目を伏せる。それを見たオーギュントは、あの時、ベッドの上で胸元をあらわにして、驚き怯えた表情を見せた彼女の涙を思い出した。
「それじゃあ、私は少しシュナイデル家と話があるから」
「ちょっと!!」
ブリギッタはオーギュントを椅子に座らせると、慌てるサラを無視して、ひらひらと手を振って何処かに行ってしまった。
ブリギッタが出て行くと、室内に重い沈黙が広がった。
オーギュントの背に汗がつたって、サラは胸元を直した。
上目遣いにサラが見つめてくるのに後ろめたさを感じて、オーギュントは眼を合わせることが出来なかった。
沈黙が、恐怖と期待が、苦痛になる前。
「このたびのこと、なんとお礼を言ったら良いか」
サラは口を開いた。
「あなたは軍よりも、私やレオーネ様の身を案じて戻ってきてくださいました。ブリギッタやグローリアが思うように動けぬ以上、あなたが居てくださることは、ケルサスへの牽制にもなります。
おかげでブリギッタも私も、レオーネ様、グラナトゥムのために尽くすことが出来るのです。このこと、感謝しても、しきれるものではありません」
「は?」
オーギュントはサラを見つめた。
「・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・忘れてあげるって言ってるの!!」
「いや、え?そんな、それは困ります!!」
立ち上がって、両手を広げる。
「せっかく、もう少しで・・・」
言いかけたとたん、サラがきつくオーギュントを睨みつけた。
「もう少しで、なんなの?」
「いえ、それは・・・」
顔を伏せて、上気したサラの顔を盗み見た。
やつれていながらも、意志の強さを秘めた瞳。
その柔らかそうな頬は桃色に染まって、後れ毛が汗に張り付いている。
強く引き結ばれた唇は赤く、その中にある舌の弾力を思い出す。
眼を下げ、顎に至って、その下にある白い首。
男としての欲望は、けれど。
-なんて、華奢で、脆くて、とても簡単に斬れてしまえそうな・・・-
所詮はヒトの本能、上位存在である鬼の欲望には勝てるものではない。
-あの女、紅い月の女神さえ邪魔しなければ、彼女は僕の刃で・・・-
自意識の深奥にある井戸の底。
闇に包まれた水面から、鬼面が浮かび上がる。
ガチリ、と牙を鳴らす。
石壁に爪を立てて、生臭い吐息を吐く。
昇って来る。
消えてしまったはずの鬼が。
ずるずる這い上がってきて。
今にも、僕の心を食い尽くそうと。
雪原で、少女が毬を蹴る。
(さあ)
-止めろ-
(さあ)
白虎が、目を開く。
-頼むから、止めてくれ-
(さあ、起きろ)
-僕を呼ぶな-
毬を手に取った鬼姫の側、白虎が忍び寄る。
(愛する者の血を)
-ああ、こんな衝動-
微笑む鬼姫に、飛び掛った。
鮮血が広がり、むさぼり骨を砕く音が雪原に響き渡る。
ぐったりと身を横たえた鬼姫が、その首をくわえた白虎が、オーギュントを見た。
((啜れ))
雪原に広がるのは誰の血か。
髪をかきむしり、喉が張り裂けるほど叫ぶのは誰の声か。
社会病質者の嘆きが、新たなる眷属の誕生を寿ぐ、そのときだった。
手を引かれた。
ケラケラ笑う鬼姫の嬌声が欠き消えて、懐かしいワルツが聞こえる。
手を握るのは、仮面の少女。
胸元に輝くのは、百合のマジックフラワー。
彼女に手を引かれて、僕は幸福だった。
彼女の側にいれば恐れなくていいって、きっと、戦っていけるって思えたんだ。
「大丈夫?」
眼をあけると、サラが心配そうに覗きこんでいた。
「・・・あ」
漂う魔力の残滓は、神聖。
「僕は・・・」
手に何か握られている感触がして目を落すと、重ねられたサラの手が開かれる。
カルブルヌスの護符魔術が施された魔石があった。
「これを渡したかったの。ブリギッタにお願いして、私が神聖魔術を重ねたものよ」
そう言うサラは微笑んではいたけれど、口元は引きつって、指先は震えていた。
「ぼ、僕は、なんてことを・・・。せっかく、貴女が浄化してくれたのに」
後ずさり、口元を押さえた。
吐き気がして、目の焦点が合わなくなる。
-僕は、どうしようもなく、穢れている-
サラから逃げようと、後ろを振りむいたとき、抱きしめられた。
「大丈夫よ。護符がなかったからよ。貴方はとっても気高いの。鬼なんかに負けないわ」
勢いよく、そして、しゃくりあげる声はとても弱かった。
-お願い。私、もっと強くなるから。どうか、いなくならないで-
「僕は・・・」
「はーい、お茶の時間なのでーす」
突然、オルディナが天幕を開け放って、駆け足で入ってきた。
声音とは裏腹に機嫌が悪いようで、あとに続くブリギッタとライラは、彼女の眼に留まらないよう、しずしずと音を消して入ってきた。
「恥知らずも良いとこなのです。こんど邪魔したら、とっちめてやるのです!!」
「どうしたの?」
涙を拭いて、サラがブリギッタに問いかけた。
ブリギッタは何か言いかけたが、それには触れなかった。
「・・・さあ?」
「糞猫と小娘が、またちょっかいかけて来たのです!!
でも、もう心配要らないのですよ。怖い人が叱りに行ったのです!!」
「そ、そう、それは安心ね」
ブリギッタたちは訳がわからずに、肩をいからせたオルディナの小さな背中を見ていた。
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オルディナはお茶を淹れ、菓子を並べる。
サラは落ち着きを取り戻し、静かにベッドに腰掛けていた。その一方でオーギュントは、いまだ物憂げに考え込んでいる。
ライラは、そんな二人をいぶかしんでいたものの、クッキーを目にすると、どうでもよくなったのか勢いよく口に放りこみ始めた。
「レオーネとカイは、まだ帰ってこないわね」
ブリギッタは心配そうであったが、眼は笑っていた。
彼女にも軍がすでに実質的にルーメンの手に移っていることは知らされていたのだから、いつもの自分を取り戻すだけの余裕が生まれていたのだった。
「私が寝ている間に、マリヤさんもどこかに行ってしまったようだけど、なにかあったのかしら?」
「ん、マリヤなら、グローリアでコール叔父さんのところにいるよ。治癒魔術士が足りないから、妊娠してても、お呼ばれすればこき使われるだろうからって、グローリアに移ることにしたんだ」
「そうなの?私たちはともかく、マリアさんやライラとレオーネ様は早く下がらせてもらわないと。このままじゃあ、撤退戦にまきこまれるわ」
「心配いらないんじゃない?もうルーメン陛下が直接指揮しているんだもの。レオーネやライラはもうすぐ帰れるわよ。
私も本営からここに戻ってこれたし、貴女だって無茶な任務から解放されて、こうして休めているじゃない?」
「そうだけど・・・」
外に馬車が着く音がして、レオーネとカイが天幕に入ってきた。
オルディナが紅茶を淹れようと立ち上がり、ブリギッタは足を組みなおした。
差し込む光りに眼を細めたサラが微笑みかけようとし、振り向いたオーギュントはレオーネに椅子を譲ろうとした。
ライラは食べていたクッキーを、レオーネが焼いたそれを褒めようと満面の笑みで手を伸ばして、皿ごと床に落としてしまった。
レオーネの異変に、皆の表情が一瞬にして氷ついた。
青ざめた顔で口元には仄かな微笑を浮かべて、目は何も映していなかった。
かつて造花姫と形容されていたときのように、作り物の微笑という仮面を被り、世界を諦めていたのだった。




