ある亜人の話、清澄な調べにのせて
ぶつり、と口内に弾けるような音だった。
まるで茹で上がった腸詰の、噛み切れば、熱々な肉汁が芳しい香草の香りと共に溢れて来るのを思いうかべてしまう、そんな音だ。
けれど、広がったのはむせ返るほどに臭い鉄の味。いやらしく絡み付いてくる、血の粘性。
舌に肌のざらついた感触がのり、生暖かくて、産毛が逆立っている。
目を転じると、首筋に噛みついた俺を呆然と見つめる男と目が合った。
まぶたの端に涙を浮かべて、無精ひげをたくわえた口をぱくぱくと開け閉めする。
さらに力を入れると、ぶるっと男の体が震えて、漏らした小便の匂いが鼻をついた。
血と共に、男の命が流れ込んで来るのを感じる。
男は、俺から目を逸らし、虚ろに空を見上げた。
神に祈っているのか?
母を呼んでいるのか?
それとも、俺を殺す瞬間を夢見ているのか?
力いっぱい、憎しみをこめて肉を引きちぎると、血が噴出して、男は無様に四肢を投げ出した。
-ギチギチギチギチ-
-ゲゲゲゲゲ-
狂ったような含み笑いが聞こえて、振り返る。
目の前では、亜人たちが、人間を喰っていた。
-!!!!!!!!!!!-
なんだ、これは。
こいつらは、何をしているんだ?
おい、止めろ、そんな、どうして・・・、俺たち、亜人は、獣じゃ、ない・・・、!?
思わず顔を覆った手の隙間から、食い殺した男の死骸が見えた。
・・俺は、何を?
いつものように畑に出て働いて、日がくれて、床に入って、それから、・・・それから?
なにか、外で音がして、誰かが叫んで・・・。
ひどい頭痛で思わず跪く。
「が、ぐ、ぎぎ、があああああああああああああ」
月夜に照らされた異教の教会が見えた。
妻と二人だけの結婚式。誰も祝ってくれないから、亜人が教会なんかに足を踏み入れていいはずがないから、夜ふけに二人で忍び込んだ。
俺は農奴で、綺麗な着物なんて持っていなかったし、まして貢物なんて用意できるはずもない。
けれど、せめて二人の誓いは聖なるものであると証付けたかったから、ここに来たんだ。
主神の社ではなかったが、神には違いない。
きっと祝福してくれるはずだと、二人で跪いた。
俺は蛇人で彼女は人間。
許されるはずがなくても、夫婦であることすら明かせなくても、彼女は二人で歩んでいくことを望んでくれた。
手を繋いで肩を寄せ合ったそのとき、上階に向かう扉が開き、固まった俺たちの前に、ろうそくを手にした老司祭が現れた。
謹厳で、主の名づけ親でもあった老人。もちろん亜人なんか塵程度にしか思っていないだろう。
あっけに取られた彼は、しかし微笑んだ。
怯える彼女の手をとって立たせ、聖油を施し、簡素な式を挙げてくれたんだ。
「なるほど、それはロマンティックだ」
「そうだろう?一生の思い出だよ、親父」
見渡すすかぎり、麦畑が広がる。
農道の脇にある石の上、俺は顔も見た事がない親父に妻との思い出を話して聞かせていた。
「まったく、うらやましい。私は亜人のくせに学を身につけたせいで、人間たちになぶり殺しにされてしまったよ」
ぐぐぐと笑い、斧でやられたのだと、ちぎれかけた右腕をプラプラさせた。
「えぐいな」
「まあ、私のことはどうでもいい。お前の話を聞かせてくれ。それで、どうなったんだ?」
「どう?」
「そうだ。そんなに幸せだったなら、どうしてこんな所にいる?苦しい生活だっただろうが、満ち足りていたんだろう?」
「わ、解らない。気付いたら、ここに・・・」
「おいおい、嘘をつくもんじゃない。私には全てお見通しだ。ここには、俺とお前の二人だけだ。何も心配することなんてないんだよ」
「嘘なんて・・・」
「まったく」
首を振って、ため息をつく。
「お前の娘は、母親に似たんだな」
親父の言葉に、思わず頬がゆるんだ。
亜人と人間のハーフ。生まれながらにして類稀な美を宿す。
蛇人から受け継いだ蛇目と尾、人から受け継いだ流線的で柔らかな肌。
肢体はすらりと伸びて、鱗がまるで宝石のように輝く。
艶かしくも神秘的な、自然が生み出した機能的な美の結晶。
けれど、そんな評判なんて関係なしに、俺にとっては誰よりも美しい。愛して結ばれた妻そのものの快活さと笑顔の眩しさは、世界一綺麗なんだ。
「名はなんといったか、そうだ、リール。人との間に生まれた、ありえるはずのない存在。・・・まあ、学者だった私はいくつもの例を見ているがな。お前は、笑っていてほしかったから、リール(笑い)と名づけたんだろう?その子はどうなった?」
「はじめは変わった亜人程度で何とかなっていたけど、脱皮するにしたがって人の特徴が現れてきた。そのせいで、そのまま村には置いておけなくなったんだ。主人に見つかってしまえば、帝国にでも売られてしまう」
「で、司祭に預けたんだったな。信用できる有力者は、結婚の秘密を守ってくれた彼だけだったうえ、つてを持っていたから、良い庇護者を探してくれると司祭自身が約束してくれたからだろう?
お前は不安がる妻に、司祭様が請合ってくれたから、娘はきっといい暮らしが出来るはずと説いた。
だが、な」
息子は顔を上げて、父を見た。
「死んだぞ」
言葉は、まるで稲妻だった。
「───────」
「帝国貴族に、切裂かれながら犯され、むごたらしく」
空が落ちてくる。
「生娘であれば、修道院に引き取ってもらえると司祭が言ったんだったか?
愚かな。あの子の純潔なぞ、お前が引き渡したその晩に、当の司祭によって奪われてしまったよ。
その後、帝国の変態御用達の売春宿に売られた」
穏やかだった景色に呪が混じった。
麦は枯れて、風はまるで慟哭のように吹き荒れる。
-よくも、よくも、よくも騙したな-
「それでもあの子に幸福な瞬間が無かったわけじゃない。売春宿の女将は人間にしてはできた女だったし、仲間たちもすぐにあの子を受け入れてくれた。字義通り身を削る生活の中で、笑い、泣き、生きがいを見つけて、懸命に生きた。
リールは、お前がそうあって欲しいと名づけたように、健気に笑い、愛された」
父は立ち上がり、息子の肩に手を掛ける。
「わかっているだろう、息子よ。これからお前の身に何が起きるか。
人を愛したお前には酷なことだ。耐えられるものではない。
だが、無理をする必要はない。ここからは全て私に任せるんだ。
歌姫の呪いから逃れる術はない。なぜならば、それは私たちの歴史から出たものだからだ。彼女は媒介しているに過ぎないのだ」
節くれだち、豆がつぶれて固くなった己の手を見た。
最後のあの日、懸命に笑って見せたくれたリール。
不安だったんだろう、握る手が震えて、それでも俺たちを元気付けるようにはしゃいで微笑んだ。
司祭に促されて、この手を離した。
俺が、離したんだ。
「妻は、流行病で逝ってしまった。もう、リールしかいなかった。あの子の幸せを思い浮かべて、それだけをよすがに生きてきたんだ。
親父、俺は、リールの父親だ。臆病で馬鹿でも、俺が父親なんだよ。
あの子の苦しみは、俺が引き受けなきゃならないんだ。
たとえ狂ってしまっても、あの子を抱きしめるのは、俺でありたい」
「そうか、それでこそ私の息子だ。
忘れるな、我ら蛇人は無意識の深遠で繋がっている。お前の嘆きも、そして私の苦しみも、すべては一つとなる。
怖がることはない。私たちは常に共にあるのだ」
父の言葉を背に立ち上がった。
美しかったがゆえに弄ばれた蛇人の少女、その父の目に、押し寄せる呪いの津波が広がる。
彼はそのしぶき、一つ一つが泣き叫ぶ亜人たちから成っていることに気付く。そして、その中にさっきまで隣に腰掛けていた父の顔を見た。その隣でもだえ、血の涙を流しているのは。
息子である父は、力強く両手を広げた。
「リール!!」
****
狂った亜人の軍団は、極大の呪いによって悲しき群隊となる。
虐待され続けてきた彼らの絶叫は、歌姫の霊歌によって力を得た。
歌姫の歌はまさに邪悪そのものだ。けれど、彼らが邪悪だとは言い切れない。もしそうだと言うのならば、亜人を排斥し続けてきた人は、悪魔と形容されることすらおこがましい。
だから彼らは戦い続けることが出来る。叫び続けた咆哮に喉が張り裂け、血を吐き出しても涙を流しながら、食い殺し続ける。吐き気を催すほどに不味くとも、血のにおいにむせ返りそうになっても、それが人を穢すためであるならば、咀嚼をやめてなるものか。
恨みは。
痛みは。
貴様らが植えつけたのだから。
父母と子らを養う幸せを。
追い求めた平穏を。
貴様らこそが踏みにじったのだから。
-人よ、絶対神の似姿を象った混沌の僕よ、貴様らこそが邪悪。ゆえに滅びされ-
そう、彼らの殺戮は、あるいは聖戦と呼ばれえるものであったのだった。
****
ただ人を殺す獣となった亜人たちは、ヤーヘン、ケルサスの区別無く襲い掛かり、切裂き、噛み殺し、捕食していった。
ケルサス軍内の亜人たちも、影響をのがれえずに暴走した。けれども、ヤーヘンが亜人をコントロールする技術を有していることが明らかになってから亜人たちを後方に移していたことが幸いし、影響は限定的で、軍内部の規律は保たれていた。
けれど、無事でなかった亜人も勿論いたのだった。
そんな彼らは、ためらいなく殺された。あるいは目覚める保障のない眠りにつかされた。
抵抗は無かった。
そう扱われるのが亜人であると、亜人である彼ら自身が理解していたからであった。
それに対し、陣内に多くの亜人たちを抱えていたヤーヘンは、長城の内部から食い破られ、軍は壊乱していった。脳を操作された恨みを晴らすかのように、むさぼり食い尽くされていったのだった。
ヤーヘンとケルサス、そして亜人。入り乱れた暴力により破滅的な様相を帯びる戦場で、ヤーヘンの損害は加速度的に増えていく。
彼らを守るために、竜人の放った無数の閃光が折り曲がりながら駆け巡り、次々に亜人たちを貫いていくが、亜人たちは怯むどころか、仲間の死によって猛り、その残虐性はより苛烈になった。
竜人の結界を呪いの力で無効化し、力を増した亜人たちの牙は柔らかな人間の体を容易く食いちぎる。
竜人の力もまた、高まっていく。皮肉なことに、亜人に殺された兵たちの無念が呪いとなって竜人に力を与えているのだ。
守りたいと誓った民の悲劇を糧に、竜人の呪力は洗練される。
呪の理を理解し、衝動的だった攻撃が体系的に整理されて、最適な効果を導き出す。
因果関係を把握し、基点となる彼女を、最悪の災厄を見る。
-だれだ、私が守る者らを殺めるのは-
「ふふふふ」
竜人から一筋の光線が放たれる。
途中、無数に分かれて、エンジェル・ボイスの周囲360度から着弾する。
「その程度?」
舞い上がったほこりを払って、エンジェル・ボイスは変わらずそこにいた。
-・・・-
「竜の涙」が光りだし、竜人は翼をさらに広げて呪いの吸収効率を高める。
尾の先にあったレプリカが消え、竜人の眼前に浮かび上がると、立方体に形を変え、極小の光点が現れた。
-くたばれ-
光点からブレスが放射され、射線上の岩石を溶解させながら、歌姫に迫る。
途上にいたヤーヘン兵の周囲には結界が張られ、逃げ惑うケルサス兵は蒸発した。
「ああ、そう」
つぶやいた歌姫は魔法陣を展開する。
形を成すと同時に、ブレスが彼女のいた周囲もろとも焼き尽くした。
軌跡には何もない。ただ、結界に保護されたヤーヘン兵が呆然と立ちつくしていた。
竜人が喉をならし、首の向きを変えたその先に、白い手の平が広がった。
「愚かな子」
顔面をつかまれ、長城に投げ飛ばされた。
粉煙とともに長城にめり込んだ竜人が二首、四つの目を開ける。
「女」
「ようやく、声の出し方を学習した?」
歌姫が嗜虐心に満ちた瞳で竜人を眺める。
「何者だ」
「解りきったことを。
あなた、まさか揺りかごを期待していたの?ママが優しく微笑んでくれるとでも?」
「もう一度、問う。何者だ」
微笑む歌姫をにらみつける竜人が体を起こそうとした瞬間。
腹に氷柱が突き刺さった。
一歩一歩近づいてくる歌姫に、氷柱をそのままになおも問う。
「何者だ。我らは、彼ら、友を守るために力を振るう。貴様なぞに時間を割いている暇はないのだ」
「友?友ですって?あなた、そういう奴?嫌い。いらない。目障りだわ」
「そういう貴様は、怖気を振るうほどに汚らしい」
「そうね。だから、殺さずにはいられないのよ」
小首を傾げた歌姫が揺らめいた瞬間、二人は鼻が触れ合う距離で向かい合っていた。
竜人の爪が歌姫の顎の下に伸び、歌姫の呪いの刃が竜人の頭上にある。
「ならば、死ね」
「いやよ」
二人は弾けて距離を取る。
「来なさい坊や。私達は馴れ合いじゃないの」
「だから、何を言っている?」
赤い呪いと、青い呪い。
咆哮と歌声。
竜人の体内から燃え盛った炎が腹の氷柱を溶かし、そのまま外気に漏れ出た。またたくまに酸素が消費され、急激に低下した気圧が嵐を呼ぶ。
けれど歌声が、強制された平穏を呼び込んで、気圧差がかき消される。気圧の変化によって訪れるべき鼓膜異常、意識の混乱、その他もろもろは引き起こされない。
歌姫が紡いだ、縁を切断する旋律は炎に乱されて、分子結合は切断されても刹那に活性化エネルギーを供給されて結合しなおされる。
結果、もたらされたのは凪。呪いの渦が生み出す副産物は、彼女たちの神の加護がかき消して、ただ二人がぶつかりあう音だけが響く。
「あははははははっ、可愛いわ!!そんな柔らかな牙で私を切裂こうなんて。頭を撫でてあげたくなっちゃう」
「・・・あばずれが」
竜の涙のレプリカが輝いて、無数の虚像を作り出す。
虚実が入り混じった多角的な斬撃が歌姫の体を切裂いた。
「あら?」
爪の跡に内臓を撒き散らし、ロンドを舞うように歌姫は回転する。
「褒めてあげたいけど、あなた、今、なんて言ったの?」
上空で亜人たちを眺めていた獣使いの男が、ギロリ、視線を転じた。
端正な顔が歪み、がちり、と歯をならした。
「ギッ!!」
極大の拳が竜人に落ちてきて、地面にめり込んだ。
ずたずたに切裂かれたはずの歌姫の体が巻き戻されるかのように修復する。
耐える竜人に向かい、嗤った。
-夜行、三の条、虹、青の一結び-
竜人の周囲の光りの波長が収斂する。網膜に強い吸収帯を持つ波長帯へと引き絞られる。
「ぐうぅ」
戯れるかのように光りの波長を弄び、竜人の瞳を焼いていく。
「こんな低級呪術、跳ね返せないでどうするの?
ほんと駄目ね。
すこし、レクチャーしてあげる」
基点となる事象があればいい。必要なエネルギーなんて、神様が補ってくれる。
「呪術とは、そういうことなのよ。欲しい現象を神様にお願いして、足りないものを補ってもらう。
祈りの仕方がものをいうの。強さ?ええ、大切よ。でも、神様も暇じゃないから、ちゃんと丁寧に説明しなきゃ駄目。
それが呪いなの。魂が破裂するほどの叫びで、きちんとご覧にいれるの。
それを理解しないから、貴方(魔術士)たちは何時までたっても、私に及ばない。
神様は誰よりも賢いから、全能だから、ただ祈りさえすれば何でも叶えてくれるですって?おめでたいわね」
魔術は己を起点にして世界を見る。
呪術は己を投企して神に会う。
賭けるものが違う。
世界を理解して、法則に働きかけるですって?
ほんと、馬鹿。
理解したところで何だっていうのかしら?
そもそもこの世界は不完全なのよ。不完全な世界からは不完全な魔術しか紡げないんだから、神様に完璧な世界を示してもらなわなくちゃ。
でも、法則を作っただけで満足しているマーテルなんかに期待しちゃ駄目よ。あの神は見守るのがその在り方なのを知っているでしょう?
だから、誰かが応えてくれるまで、頑張って祈りなさい。叫びなさい。誠心誠意、心をこめて、命を賭けて、それ以上のものを捧げなさい。
「でも、この世界では、どの神様もマーテルの法則に縛られて、仮初の姿しか現せないの。
つまり、あなたたちが祈っているのは偶像なのよ。
そんなものに祈っても、届きはしないわ。
ちゃんとイデアに祈りなさい」
手首をくるくる回して、亜人の体を焼き尽くしていく。
かと思えば、波長をたくみに変化させて、吸い上げる熱エネルギーで氷付かせる。
「結局何を言いたいかと言えばね、もっと真面目に祈りなさいってことなのよ。
いい?神様は暇じゃない。私たちの世界なんて、暇つぶし。
ごみでしかない私たちが望みを叶えてもらうには、まず目を引いて、それからお願いしなきゃ駄目なのよ。
全てをかけなければ、神様は振り向かない」
温度差に鱗がこぼれ落ちて、筋肉が軋みを上げ、噛み締めた歯に罅が入った。
「神、神だと?頭を垂れば救ってくれると貴様は言うのか?
惑わしの神、疑いの神、それが私たちにとっての神だ。
助けてくれたことなぞ、一度もない」
竜人の体のたんぱく質に、激烈な呪力によって圧力と熱が加えられる。
分子結合を変化させ、大地から窒素、硫黄を補って、外骨格の鎧を纏う。
獣使いのこぶしを持ち上げて、体に収束する光りを、色調を変えることで受け流す。
「あら?」
「ゆえに私たちは神なぞに頼らない。
己の足で踏みしめ、一歩も引かず、守りとなって、敵を討ち果たし続けるのだ。
炎のように自由に、己の存在だけが確かなのだ!!
邪魔するものは、神であろうが排除する!!
それこそが、竜の在り方だ!!」
その言葉に、世界が割れた。
-燃えさかる空が、おまえの上に、落ちかかる。
おまえの世界に亀裂が入る。
お前を守る魔術は、もうないのだ-
世界炎上の言葉と共に、閃光が、歪曲した多次元の世界から降り注いだ。
無限の世界の中で最多の体積を持つ世界。
古竜らが独立独歩し、それぞれ己の世界を占有して統治する最も自由な世界。
エネルギーとエントロピーを増大し続ける、世界の果てを掘削し続ける世界。
その深奥で、古竜の王がまぶたを開けた。
炎の王。
火の公方。
森羅万象、生み出す初源の竜。
神名、カグツチ。
かすかに瞳を揺らして、喉を鳴らす。
「なるほど、塵だ。虫唾が走る」
尾を打ち鳴らし、その風圧にいくつもの世界がはじけ飛ぶ。
喉を顫動させ、無数の世界がひび割れる。
「だが、なんだ?魂を震わせる。塵の分際で、目をこらさなければ、存在すら確かではないくせに」
炎そのものの舌を出して、見渡す瞳は異なる次元の宇宙を見渡す。
「なるほど、これか。カイが堕とされた世界。
眷族を生み出すためだけの、計画に支配された、つまらぬ箱庭。
理念も自由も操作された、どこまでも粘着してくるマーテルの魔術空間。
神の計画のために蛆虫どもが交配を繰り返す、淫靡な地獄。
おぞましい。
覗いただけで、目が穢れてしまいそうだ。
だが、しかし、クククっ、いいだろう、遊んでやるわ。
貴様だな、ホアン。
狐め、いつまでも夢を見おってからに」
そうして、竜人は肯定された。
与えられたのが無限小の力であっても、この世界にあっては逆の極限。
竜に炎が宿り、素粒子が振動する。
体現した理念は、自由。
与えられたと信じられていて与えられていなかった、命の礎。
引き出した理念は、運命。縁紡ぐ、遊女の理。
狐女が杯を傾けて、神酒のしずくが胸元をつたう。
剣神が封じられた己の世界から、一振りの剣を引きずり出して、殺意に唾液を引く。
月の女神が三日月に腰掛け足を組んで、法則を操る。
神々は箱庭を見つめる。
そして、嗤い、いぶかしみ、顛末を見守る。
-さあ、ヒトの望みの喜びよ-
そう呟いたのは、どの神か。




