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偽国戦記  作者: ブレヒトさん
魔晶戦争
102/131

西の地で -剣聖ウラニアと騎士王エルネスト-

 ヤーヘンがケルサス王国に攻め入ったとの知らせを受けたカルブルヌス騎士団国国王、エルネスト・ノスタルヒア・デュルイは、すぐに他国との国境付近に騎士団を派遣した。

 南西に位置し、保持兵数は少ないながら強力な騎士団を持つ港湾都市国家群に対しては、使い魔と魔術師を主力とするアエス騎士団を派兵し、亜人と魔獣がはびこる東北方のステップ地帯には、防御力に秀でたカルクス騎士団を差し向けた。他にもケルサスに軍を向ける恐れがある国や重要な拠点に対して、牽制と防備のための兵を配置して守りを固めた。

 けれど、最も多くの兵を裂いていたのは自国北方の国境であった。

 ヤーヘンへの出兵を最小限にし、また、ケルサス王国の多くの領土が援軍を訴えてきたにもかかわらず(しりぞ)けて、天然の要害となっていた山脈にこそ陣取っている。

 そうする必要があるからだった。


 雪を被った山脈を超えたところにあり、大陸最大の人口と領土を有し、兵数も同様、騎士団にいたっては百を超えるかつての覇権国家。

 ケルサス最大の障害、当代剣聖が治めるヘリオス帝国。

 国権を一元化して王にゆだねる絶対王政を敷く超大国は、多くの国と平和条約を結んでいながら、自国を軸とする均衡をいまだ夢想している。

 君臨することがあたり前だと確信する獅子は、剣聖という最強の牙を大陸に突き立てるときを待っていた。

 

 ケルサス王国とヘリオス帝国は不可侵条約を結んでいるから、お互い派手な動きは出来ないはずであった。しかし、帝国はヤーヘンの動きと呼応するように、練兵を口実に兵を起こした。ケルサスの抗議を無視し、風と太陽の魔術によって強行軍で国境に迫ったが、カルブルヌスも直ちに兵を集め、国境を前ににらみ合っていた。

 ケルサス王国最強の軍事力であるカルブルヌス騎士団国、相対するのは大陸最大の超軍事力。大陸の三大国家のうち二つがぶつかり会おうとしているのだ、大陸の均衡が崩れかかっている、と見えるかもしれない。

 けれど、そうではないと、両国の内情を知る者は考えていた。脆いものであったとしても、ひとまずの平和は帝国も望んでいることに違いなかったからであった。無理な富国強兵策が国内を乱していたから、ケルサスと戦争なんて出来る状態にはないでのあって、軍を配備したのも体面からのこと。事実、このような両国の軍行動は、それまでに何度も繰り返されてきたことであった。

 ケルサス付近で何らかの変事が起こった場合は、例外なく帝国は軍を進めて、カルブルヌスと向き合ってきた。そして、お互いに斥候を走らせ、軍備を確認しあうのが通例だったのだ。つまり、儀礼的なものに過ぎなかったのである。

 だが、今回は事情が違った。ケルサスはヤーヘンが同盟国だったこともあって完全に不意を突かれ、帝国の動きもかつて無いほどに素早かった。

 躊躇すればケルサスは滅びる、そう考えたエルネストは、慎重に軍事行動を開始した。精確に、かつ素早く騎士団と兵を選び抜き命を下す。挨拶程度だった帝国への備えを完璧なまでに整え、自らが団長を勤める最強のカルブルヌス騎士団を国境の山脈にむけるのだった。

 

****


 エルネストが団長を勤めるカルブルヌス騎士団は、今、国境付近の城に入っていた。

 幾度となく帝国の侵略を受けてきたその城には、カルブルヌスが何百年もかけて作り上げた魔法陣がある。カルブルヌスの兵には魔力増強の補助が掛かる一方で、侵略者には魔力減退の効果があり、その城で迎え撃つかぎり、カルブルヌスには大きなアドバンテージがあった。

 魔法陣の効果により、強い風と雪が吹きすさぶ国境にあっても、兵には最適の温度と視界を提供されている。強化された結界がさいの目の様に張り巡らされ、森にいる獣の数すら正確に把握できるほどに探査魔術が走って、隠密行動する黒騎士の動をも把握することが出来た。敵の砲撃に対しては、城の尖塔に設置された魔法陣によって、弾にこめられた魔術の属性が明らかにされる仕組みになっていた。

 そのほかにも、数々の罠、仕掛け、回復装置などが設置され、まさに難攻不落、カルブルヌスは此処に一個の要塞を築いていたのであった。


 そこから、ずっと国境に近い場所、針葉樹が生い茂る森の中に迷彩魔術を施された一つの天幕があった。

 狩人どころかケルサス本国の魔術師とて見過ごしてしまうほどの高度魔術で隠されたその場所に、一人の重装備の騎士が足早に入っていった。


「入ります!!」


 薄暗い中に、人いきれがある。

 見えるのは十数人程度。しかし、一人ひとりのたたずまいは、数百の兵にも勝る。

 ただの斥候部隊にしては、精強すぎた。


「準男爵、なにか?」


 参謀らしき壮年の女魔術師が前に立った。


「急ぎ、ご報告したいことが」


「言え」


 声の主、最強騎士団の主は菩提樹の椅子に腰掛けたまま、顎でしめした。

 エルネストは防備が完璧に整えられた城ではなく、ここ、前線にいた。

 生まれてからほとんどの時間を戦場で過ごしてきた騎士王は、ヤーヘンと帝国の連動性に正しく危機感を持った。戦場を正しく認識するため、砦に影武者として副団長であった長男を置き、本人は斥候として前線に赴いていたのであった。

 彼や幕内の兵が国境警備騎士の装備をまとっているのも、目くらましのつもりである。

 

 一礼した準男爵が情報魔術師に座標を指示すると、魔術師は空中に映像を描き出した。


「国境で帝国の騎士がなにやら妙な動きをしています」


 映し出されたのは、国境から僅かに離れた小高い丘、カルブルヌスの砲撃と広域魔術がぎりぎり届かない場所。

 そこで、一人の若い女が大きく旗を振っていた。


「なんだ?」


 エルネストが眉をひそめる。


「もっと寄れるか?」


 頷いた魔術師は魔力を高め、映像が女に向かって引き絞られてゆく。

 簡単な魔術ではない。使い魔の眼を通じて映像を送り届けるだけではなく、その使い魔の眼を強化して、遠距離に焦点を合わせる。その魔術を実現させるために、魔術師は自らの目を潰し、使い魔の眼と同化させていた。


「なんだあの女は?」


「振っている旗にご注目を」


「ん?・・・ははっ」


 エルネストは、さもおかしそうに口元を押さえた。


 明瞭になった映像には、皇帝近衛の鎧を纏った若い女が映っていた。

 満面の笑みで、勢いよく旗を振っている。


「ウラニア、あの小娘」


 碧色の布地に七色の風車。神々の力を風とするならば、回る風車のごとく我らは在る。軸は帝国、羽は諸国を表す。神聖グローリア、ケルサス王国、西の大国、そして亜人たち。それは、帝国が隆盛を極めた時代のかつての旗。邪教徒を討つために、それぞれが手を合わせて連合軍を起こしたときの旗だった。


「なるほど、今こそ立ち上がり、共に敵を討とうって?

 くくくっ。面白い、・・・なあ!!」


 エルネストの眼が黄色に光る。

 カルブルヌスの魔力が巻き起こって、天幕を揺らす。

 身の丈をゆうに超える大剣を握り、立ち上がった。


「どの面を下げて、だ?俺の、あいつを、トドロフを殺した分際で!!

 ウラニア、あのガキ、ぶっ殺してやる!!」


 渦が巻起こり、剣気が天幕の結界をずたずたに切裂いて、その陣が露になる。

 しかし、天幕内の騎士たちは慌てるどころか、静かに殺気を滾らせた。

 彼らの思いは王と同じ。カルブルヌスの男子を汚い罠でハメ殺した帝国への恨みと、憎しみだけがあった。


 エルネストの魔力が臨界を迎える。

 そのとき、映し出された映像の中で、女騎士が身をすくませた。


「・・・なに?」


 参謀がつぶやき、エルネストは眼を細めた。


 旗の柄を抱きしめて、慌てた様子でこちらに向かって頭を何度も下げる。


「まさか、こちらが見えているのか?そんな馬鹿な・・・」


 参謀が言い終わる前に、入り口が開いた。

 薄暗い天幕に光りが差す。

 振り向いた先に、丘にいるはずの騎士が、背後には彼女がいた。


 藍色に流れる長い髪。

 凛とした目元を、そそと彩る薄いアイシャドウ。

 薄碧の胸当てには、最強の証、交差し互いを貫く逆さ十字。

 同じ色の手甲をつけて、ロングドレスの裾は魔力の風に吹かれ決して大地に汚れない。

 帝国の神器、剣神が鍛えし大太刀、神語(かんがたり)を腰に下げて、彼女は、皇帝はそこにいた。

 

「剣聖ウラニア・ホドース・ヘーリオス・・・」


 つぶやいたのは誰か。

 その声にまぶたを伏せた。


「その称号は、私には荷が勝ちすぎています」


 かすかに微笑んだ。


「皇帝ウラニア、まかりこしました」


 スカートの裾をつまんで、膝を曲げた。

 風が吹く。

 髪がふわり盛り上がり、ドレスが巻かれてたなびいて、空気が弾けた。

 大陸に誇るカルブルヌス本陣の結界が、パンっと音を立てて消し飛んだ。

 

「何ようだ?この首、取りに来たか?」


 びくっと、旗の柄を握る女騎士の肩が跳ねて、涙ぐんだ。


「まさか。理由がありません」


「そっちにその気がなくとも、俺にはある。知らないとは言うなよ」


 そう言って、エルネストは顎をしゃくった。

 その先では、いつの間にか場が整えられていた。

 結界もまた防御、迷彩を意図したものから、会談用のものに張りなおされている。


「座れ。だが、その前にその狂犬をどうにかしろ」


 ウラニアは女騎士のサーベルの柄に手を置いた。


「ゼーリャ」


「はーい」


 天幕の反対側、柱の暗がりから、笑うゼーリャが現れた。

 同時に、旗を握って泣いていたゼーリャが消え、倒れかかった旗を笑うゼーリャが掴んだ。


 ウラニアが腰掛けるのを見届けてから、エルネストは席に着いた。

 二人を眺めて、ゼーリャに視線をすえた。

 朗らかに、屈託なく微笑む女。


「下らない。黒騎士のくせに、騎士の真似事か?分を弁えろよ」


「あはっ♪」


 刹那の殺気。

 剣気の刃が投げつけられ、エルネストのマントを椅子に縫い付けた。次いで、天幕の支柱の一本が、エルネストの頭上に凄まじい勢いで落ちてきた。

 それを騎士の一人が居合いの衝撃派で弾く。


「おや?気に障ったようだ。妙だな、黒騎士は己の出自に誇りを持っているはずだが?

 ・・・若い娘だけあって反抗期かな?」


 エルネストが含み笑うと、ゼーリャが歯を鳴らした。


「・・・こいつ、切り刻んで豚の餌にしてやる!!」


「ゼーリャ」


 その静かな声で、狂った騎士は殺気を消した。


「この通りですから、からかわないでやって下さい」


「連れてきたのはお前だろう。交渉しに来ておいたとは、皇帝の騎士にしては礼儀がなってないな」


 ウラニアはにっこりと微笑んだ。


「でも、良い子ですよ」


 明け透けな笑顔だった。

 毒気が抜かれたように、エルネストはつられて笑ってしまった。


「そうか、そうなのか。じゃ、悪かったな。皇帝陛下のお言葉だ。無碍(むげ)には出来ない」


 片肘を着いて、再度二人を見た。

 依然エルネストを睨みつけるゼーリャ、そして窮屈そうに背筋を伸ばして微笑むウラニア。

 その様子に、何処か、懐かしさを覚えた。

 警戒よりも緊張があって、初めて母親抜きで茶会に臨んだ少女のようだ。


(馬鹿らしいな、本当に)


「なんとなくだがな」


「?」


 かつて見た光景。目の前の少女の緊張をほぐすために、下らない冗談を言った俺を睨みつける金髪の少女、そして困ったように微笑んだ銀髪の娘。


「陛下を見ていると、友人の娘を思いだす。あなたと違って力のない子で、似ているところはないのだが・・・」


「存じております」


「なに?」


「そうありたいと、願っておりました」


「それは!!」


「陛下!!」


 ゼーリャが叫んだ。


「時間がありません」


「そうでしたね」


 不覚と、居住まいを正した。


「このたびは、ヤーヘン進軍へのお許しをいただきたく参りました。帝国は不可侵条約の通り、ケルサスの地に足を踏み入れるつもりはありませんでしたが、私達は大陸の均衡を旨とします。黄金の山羊を生み出すに至ったヤーヘンを看過することはできません」


「それが通じると?そもそも、そんなことは、俺ではなくケルサス王にこそ伝えるべきことだ」


「無茶は承知しています。ですから、あなたのお口ぞえをいただきたいのです。

 あなたのお言葉なら、ケルサス王もお考えになると思います。

 どうか、帝国は平和を望んでいるのです。ケルサスが国土を失えば、大陸の均衡が乱れてしまいます」


 馬鹿で恐ろしいほどに物知らず、と断定することができれば、エルネストは思った。

 しかし、『天眼』、まことしやかに囁かれる真偽不明の噂話が判断をかっこに入れさせた。


「その通り。ケルサスが負ければ大陸は乱れ、邪教徒が喜んで布教にいそしむことになる。

 しかしだ、俺たちが負ける?ありえないことだ」


「ばーか」


 ゼーリャがにやりと笑った。

 エルネストは、ガウッと吼えて見せる。

 犬、貴様はそれだと、からかう。

 立ち上がろうとするゼーリャにウラニアは小さく咳をした。


「二首の竜人の力は私たちも存じております。その存在する理由まで」


「ご心配をおかけしたようだが、問題ない。強敵であることはたしかだが、ケルサスだけで対処可能だ」


 会談は終わりだと目で告げても、ウラニアは動こうとしなかった。

 エルネストが指で合図して、若い騎士が形式で出した茶を片付けようとしたとき、ウラニアが呟いた。


「エンジェル・ボイス」


 茶器を持ち上げた騎士の指が震えて、音を立てた。


「なんと言った?」


 エルネストは、頬が引きつるのを抑えられなかった。


「帝国の東南にある小国のとある村が壊滅しました。一人残らず、幼子に至るまで殺され、生存者はおりません。事変の前、旅の興行一座がその村に向かうのが確認されています」


 なんとか心の動揺を悟られないよう、口ひげを撫でる振りをして、口元を覆った。

 しかし、ゼーリャすら視線を下げてウラニアの言葉を待つ。


「その一座には、例えようもなく美しい歌声をした若い女がいると、以前その興行を見たものが申しております」


 周囲の騎士、魔術師が息を呑んで、皇帝の言葉に聞き入り、数人が結界の外に駆けていった。無作法で、形式破り。情報漏れの観点からしても、許されることではなかった。けれど、ウラニアは非難するどころか、情報魔術師に詳しい座標をしめした。


「残存する魔力の質は、邪まにして純。調査に入ったその国の魔術師たちは・・・」


「再起不能か、自害したか」


 ウラニアは頷いた。

 魔力という耐性を持たない者はより悲惨だった。異変に気付き様子を見に行った付近の村々の住民たちは、近づくにつれて思考を塗り替えられた。神の意思を否定的に捉え、罪を犯した。

 ある者は突如来た道を駆け戻り、家にたどり着くと、誉れを叫びながら笑顔で家族を惨殺した。別のある者は教会に駆け込み、賛美歌を歌いながら神父の頭に斧を振り下ろした。

 凶事に走った誰もが、それを罪から逃れる唯一つの道だと信じていた。雄弁に、論理立てて行為の正当性を訴えた。


「その後、一人の女がヤーヘンへ向かったのを確認しています」


「いつだ?」


 ウラニアは言い淀んで、エルネストから視線を外した。再びエルネストを見たとき、瞳には感情が無かった。


「黄金の山羊が誕生した、その日です」


 抑揚をつけずに、語った。


「会談は終わりだ」


 エルネストははっきりと告げて、立ち上がった。


「皇帝陛下のご提案は王に伝える。しかし、介入は不可能だろう。理解できるな?」


 嘲るゼーリャを押し留めてウラニアは頷いた。


「だが、陛下のお心使いには感謝する。それは、ルーメン王も同じだろう」


 ウラニアとゼーリャは立ち上がり、天幕の出口に向かった。そこでウラニアは立ち止まると、再びエルネストに向き直った。

 瞳が揺れて、口がかすかに開く。


 向き直ったエルネストは、聞くはずのない名を聞いた。

 思わず駆け寄り、肩を掴もうとして、断崖を見た。

 その眼、その華奢な体。隙だらけで、頬にすら触れることが出来そうなのに、どうして触れることが出来るのだろうか?


 経験から剣を抜こうと身を固めたその耳に、彼女は囁いた。


「─────」


 去って行く剣聖の背を眼で追いながら、エルネストは涙を浮かべずにはいられなかった。

 しかし、告げられた事実に気を取られて、彼は剣聖の表情には気が付いていなかった。その悲しげで、苦悶に満ちた嘆息を。


 ****


 ケルサス王への緊急通信が繋がるのを待つ間、エルネストは傍らに立つ参謀、二人いる副団長のうちの一人であるパメラに眼を向けた。


「あの娘、落人だな」


「ゼーリャとかいう娘がですか?」


 彼女は灰色になった髪を掻き揚げて、考え込んだ。


「そうだ、黒騎士かとも思ったが、魔力のようなものを感じた」


「旦那様の動きを封じたのは影縫(かげぬ)い」


「しかし、その後、柱を投げつけたのは、我らが知る黒騎士の技では説明がつかない。天地が反転する気配、あれが陰陽だろう。旗を持たせていた分身は幻影魔術などではないな」


「あれは式ですか?では、あの娘は東の大陸の支配階級、大名の親族であると?受け入れはご法度でありますが」


「ああ、現れたなら送り返すか、殺す。それが東大陸との協定だ」


「帝国は反故にしましたか」


「そのようだ。しかし、どうして帝国なんかに行った?正規のルートは辿れないのだ。逃れてきたにしても遠すぎる」


「道中には亜人の納める集落がいくつもあります。落人には、もってこいの隠れ場所になりましょうに」


「つまり、頼ってきたのだ。かつて自分たちが滅ぼした帝を。

 ・・・やはり、ワーカーホリックは帝国にいるな」


「なぜ、悟らせるような真似を?帝国にとって、頭の痛いことでは?」


 エルネストは苛立たしげに舌を鳴らすと、大げさな身振りで天を仰いだ。


「さっぱり解らん。ウラニア皇帝陛下、何を考えている?ここに来た理由は何だ?

 それに、どうしてレオーネを知っているんだ?皇帝の顔、まるで憧れているような。

 ・・・すべてを見通す天眼か、俺たちと違うものを見ている」


「ご心配ならば、殺してはいかが?」


「無理だ。イメージが浮かんでこない」


「毒殺などは?・・・気付かれますか。ならば、策動、裏切りなどはいかがでしょう。殺さずとも失脚を促せばよろしい」


「ありえんな。帝国の偏執じみた願いを知っているだろう?

 力への意志。

 ウラニア陛下を戴くことが、奴らの理想にかなっている。

 殺すしかない。

 しかし、そうなれば全兵力を当てねばならんが、それでも五分か、いや、二、三分といったところか?

 はっ!剣聖、それも神話に至る歴史上最強の人間かよ。帝国の触れ込みは嘘じゃない。

 慧聖といい、どうなっているんだ?これまでの歴史、邪教徒の経典通りじゃないか。

 神に見棄てられたヒトの放下だと?知ったことかよ!!」


 そのとき、通信用の水晶から燐光が漏れ出した。

 盗聴防止の結界が幾重にも起動して、天幕の一室はまるで一つの世界となる。

 

「エンジェルボイスに落人。

 ただでさえ皇帝に会ったことでケルサスの貴族たちの不信を招くことになったというのに、こんな曖昧な報告をせねばならないとは」


「ルーメン坊ちゃんの紅潮した顔が眼に浮かぶわ。わたくしは脇にどいておりますからね。坊ちゃんの御声は大層なものですから」


 かつて、教育係りを務めていたときの口調で笑うパメラを、恨めしげに睨み付けながら、エルネストは実はもう一つ、ウラニアに聞かされたことに心惑わせていた。

 むしろ彼にとってもっとも重要な案件、それを報告するか、決めかねていたのだった。


 ******


 オーギュントは、カルブルヌス騎士団国本陣の治癒魔法陣の中で胡坐をかいていた。

 新たなる邪教徒が現れたのだから、これからのことを話し合っておきたいと言う兄ルシアーノからの使いの言葉を信じて、のこのことカルブルヌスの陣地に戻ってきた彼を出迎えたのは、眼を三日月に歪めた兄、そしてカルブルヌス選りすぐりの魔術師たちだった。気付いたときには結界が発動し、オーギュントは陣内に閉じ込められてしまっていた。

 それからこれまで、筆頭騎士である自分がのうのうと傷を癒しているわけにはいかないと、結界を破るためにずいぶん暴れまわったものだが、それでは体力を消耗するばかりで、ますます出るのが遅くなってしまう。であるならばと、遺憾ながら御要望どおり回復に努めることにした。


「若様、もう少しで出られそうですよ」


 オーギュント付きのオブザルが無理に声を弾ませて、明るく振舞う。

 カルブルヌス騎士団国屈指の『眼』を持ち、将来、国の重鎮の座を約束された身でありながら、本来、隠し事が出来ない性質である。

 彼は、これ見よがしにため息をついて恨めしそうに見てくるオーギュントの視線を避けながら、魔法陣に新らしい魔石をはめ込むと、わざとらしくせきをした。


「戦場は、まあ、変わりありませんよ。サラ様はケルサス軍に付いて浄化に当たっています。最初はいろいろあって、我々が出張るところでしたが、無事受け入れられたようです。それどころか英雄として遇されています。ケルサスにも恥と言うものがあったようです。良かったですね」


「・・・」


「・・・・・・」


「・・・・・・・・・」


「・・・あの、なにか言ってくれませんか?」


「こんなにも腹が立つのは生まれて初めてかもしれない」


「え?」


「君はまた僕を騙すのか・・・。信じていたのに、がっかりだよ」


「えええええぇぇぇ」


「オブザルにあたらないでよ、みっともない」


 薄い羽衣に身を包んだ仮面の女が入ってきた。


「姉さん、まだいたんですか」


 女は仮面をはずした。


 オーギュントと言うよりも、その兄ルシアーノに似ていた。

 ブリュネット色の髪をポニーテールに結って、ナチュラルメイクでもその顔立ちの良さがわかる。

 焦れるオーギュントを尻目に、ゆっくりと椅子に腰掛けて、スリットから覗く足はすらりと伸びて、戦場にはふさわしくないヒールを履いている。


「もう飽きたし、帰りたかったんだけど、まだいなきゃ駄目なようね。

 それより、貴方のお友達、このままだと死ぬわよ」


 眼には刺すような鋭さがあったけれど、口調は軽やかで、やはり笑っていた。


「姫様!!」


 オブザルが慌てて説明しようとするが、オーギュントの魔力は高まり、結界が軋みを上げた。


「オーギュントはカルブルヌスの筆頭騎士なのよ?戦場の様子を隠すことは出来ません」


 オブザルに微笑んだ。

 彼女こそ、カルブルヌス騎士団国国王エルネストの次女で、『星浴びる舞姫』と称された魔術士。ダミアンの軍に随行して、パンデミックを防いでその弱点を暴いた鬼才、フォーネリア・ステッラ・デュルイ。


「誕生した新たなる『黄金の仮面』にたいし、ケルサスは防御を固めるため、力のある魔術士を前面に出すことにしました。貴方の大切なお友達たち、もちろんサラちゃんもいるわ」


「ケルサスは、グラナトゥムにそれほどの献身をもとめるのですか?」


 静かに問いかけながら、それでいて、結界の穴を探りながら体の調子を確認する。


「ここに至って、それしか手はないと踏んだのでしょう。馬鹿よね。さっさと逃げればいいのに」


 何度も試したとおり、結界に穴なんて見つからない。

 カルブルヌスのものならば当然だ。


「その気はないと?」


 なら、術式ごと斬ればいい。

 出来るはずだ。

 僕は、カルブルヌスの最も優れた切断機械だから。

 それだけを焦がれる鬼なのだから。

 

「手続きというものがあるのでしょうね」


 フォーネリアは、肩をすくめてオーギュントに笑いかける。

 瞳が言う。

 どうするの?


 決まっている。


「兄上は?」


「山羊さんの調査に忙しいわ。兵を引きたいでしょうけど、ルシアーノはカルブルヌスの騎士であると同時に、ケルサスの王宮騎士でもあるのよ。あまりケルサスに肩入れするようなら、指揮権は私がぶんどるつもりだけど、ケルサスを見棄てることは父様が許さないから、最期まで付き合わなければいけないわね」


「あ、あの姫さま・・・、オーギュント様が」


 オブザルがあたふた、結界の出力を上げる。けれど、もう遅い。


「なるほど。兄上のお立場ならばしようがないのでしょうね」


 でも。


「僕はそんなこと、どうだっていいんですよ」


 奔馬の太刀では切裂けない。

 僕のために作られた僕専用の結界だから、そりゃ僕の技で破れるはずがない。

 でも、それはこれまでの僕だろう?

 鬼であることを隠し続けてきた、サラさんに浄化される前の、中途半端な子鬼の僕だろう?


「そうなの?」


 驚き、きょとんとして、わざとらしく身を乗り出した。


「ええ、そうですよ。僕のことなんてお見通しの癖に、今さら何を言うんですか」


 闇に堕ちる。

 鬼で届かないなら、修羅になる。道徳を認めて、理解し納得して、それでも切裂いて泣き喚く。

 全て斬って、何も無くなってしまって、虚無が広がる。

 けれど、一筋の光りは手放さない。

 焦がれ、夢想するのは、純白。

 足跡一つ付くことのない、雪原。

 虚無の中に、穢れることない雪が、降る。

 導くのは、愛した百合。

 儚い雪が花びらに落ちて、揺らして、何処までも降り積もって、穢れた僕は白く染まる。

 それはまるで、春の雪が血まみれの戦道を覆い隠すように。


「僕は、ただ友人たちを救いたいんです。鬼であっても、それは変わらない」


 そうじゃない。鬼だからこそ執着して、徳を切り捨ててまで、追い求めるんだ。


 初めて振るう。

 穢れることのない剣筋を恐れて、僕には無理だと決め付けていた剣技。

 結界を張るうえで想定されていない技。


 -奥義、初段、春雪-


「あら?」


 剣気が無数の結晶となって体を包む。

 泣き声すら消してしまう雪のように、結界という世界を数多の刃で埋め尽くした。


「兄さん、謝らないよ!!」


 窓から飛び出して、友が待つ戦場に向かった。


 フォーネリアは腰に手を当てて、それを見ていた。


「まあ、上出来かな。ただの『春雪』ではないわね。穢れた先にあるからこそ、何よりも白くて、とっても綺麗」


 雑だけど、彼女は満足げに言うが、オブザルは顔を真っ青にしてたたずんでいた。


「どうしたの?」


「あああああああ、逃げました!!」


 悲鳴を上げて、崩れ落ちた。


「だから?」


「姫様が若に伝えたいことがあるからって言うから、お通ししたんですよ!!」


「そうよ。おかげで『春雪』を使えるようになったじゃない。そもそも、『奔馬の太刀』より簡単なのよ、あれ。今まで使えなかったことがおかしいの」


「何を言っているんですか!?なんで、逃がすんですか!!私には、さっぱり分りませんよ!!

 ああ、ルシアーノ様になんと言えば・・・」


「私が報告します。筆頭騎士は私が代理を務めるからそれでいいでしょう?」


「そんな、無茶な・・・」


「しつこいわね。ぐだぐだ言わないでよ。強くなればそれでいいの!!」


 うなだれるオブザルは、目の前にいる女がどれほどめちゃくちゃな姫様であったのか、今になって思い出していた。


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