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君に会いに  作者: 伊簑木サイ
アリィ編
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エピローグ 約束のとき

 そこは清らかな光にあふれた場所だった。美しい場所。安らぎに満ちた場所。

 冥界の女神が腕を広げ、アリエイラを迎えてくれていた。

 女神は確かにそこにいるのに、その御姿をアリエイラは認識できなかった。自分と同じくらいの背の女性にも思えたし、天を衝くほど大きくも思えた。

 『存在』の次元が違う。それだけはよくわかった。

 姿が見えないと同様に、声も聞こえなかった。けれど女神が言わんとしていることは理解できた。

 肉体を脱ぎ捨てた魂は、皆、女神の御許で生きているうちに負った傷を癒す。深い眠りにつき、すべてを拭われて、いつかまっさらな姿に戻る。そうしたら、また地上へと生まれいずるのだ。

 ああ、そうだった、とアリエイラは思い出す。生きている間はそれを忘れていた。冥界は死者の住処ではない。生まれる前の魂の揺り籠であった。

 彼女は自分が今までも、何度も生まれ変わっていたことを思い出した。どんな生を送ったかまでは忘れてしまっていたが、確かに何度も女神の腕に抱かれたのだった。

 そして、今度も。

 さあ、いらっしゃい、と女神が仰る。よく頑張りましたね、と。安らかな眠りをあげましょう、と。腕をさらに大きく開かれて。

 けれど、女神に抱かれるのは、アリエイラがアリエイラではなくなるということ。あの人を忘れるということ。

 アリエイラは後ろを振り返った。

 そこにはなにもなかった。なにもなにもなかった。光も。それだけではない、天地さえ。上も下もない、ぼんやりとした薄闇に感じる空間。

 ただ、ずっとずっと遠くの一点に、針でつついた穴から漏れる光がある。

 行ってはいけませんよ、と女神が仰る。一歩でもそちらへ踏み出せば、私に至る道は失われる。二度とあなた自身が私へと続く道を見つけることはできない。あなたは永遠に虚無をさ迷い歩くことになる。

 行ってはだめ。

 行ってはだめ。

 でも、あの光は。あそこに、あの人がいる。

 アリエイラは光に目をこらした。光はちらちらと揺れ、今にも消えてしまいそうだった。

 そう、あなたの言うあの人はあそこにいる。だけど、あなたはあの世界には、戻れない。あなたの器はなくなってしまった。あそこへ行きたいのなら、私の手を取りなさい。魂を癒しなさい。そうしたら、新しい器が用意されるでしょう。

 アリエイラは泣きそうに微笑んだ。

 それではだめなのです、女神様。

 そして一歩前へ踏み出す。とたんに温かい気配は消え、どこもかしこも虚ろな闇に取り囲まれた。

 アリエイラは怯まずに光へ向かって走った。あの光を見失ったら、彼女は本当に迷子になる。あの光、現世から漏れるあれだけが、彼女の道しるべだった。

 どのくらい走ったのか、魂は息切れもおこさなかった。ただ、長い長い孤独を感じた。やがて、はっきりと現世を覗ける場所にたどり着いた。

 そこから見える彼の姿に、アリエイラは思わず手を伸ばした。彼の名を呼んだ。けれど、手は届かず、声は虚無に飲み込まれた。こんなに傍に見えるのに、アリエイラの存在は、けっして彼に届かない。アリエイラは、ただ、彼を見ているしかできないのだった。

 だから、彼女はひとときも目を離さず、彼を見守った。

 彼の慟哭を。戦う姿を。何十人という女を抱き、何万人という人間を殺し、何十年と休む間もなく、ただひたすらに冥界の門を探し続ける、彼の生き様を。

 それに、どのくらい心を痛めただろう。しかしそれは同時に喜びなのだった。

 どんな美姫を抱こうと、彼の目は相手を見てはいなかった。どれほどその手を血に染めようと、彼は微塵の躊躇いも見せはしなかった。

 それはすべて、アリエイラのため。彼女のために、彼は苦しみ続けているのだった。

 迎えにいく。

 迎えにいく。

 彼の声は聞こえなくても、繰り返し、誓う声が耳に甦った。

 彼が虚空に視線を彷徨わせる度に、まるでアリエイラを見つめているかのようだった。

 愛してる、と瞳が語る。

 私もです、と彼女は何度も囁いた。あなたを愛しています、と。

 それが彼の助けにならないと知っていても、最早世界の何にも影響を及ぼせない存在になってしまっていても、口にせずにはいられない。今のアリエイラは、ただ、そういう存在、彼を愛するだけのモノなのだった。

 彼女が見守る先で、彼は次々と人の世に醜悪な絵図を描き出していった。力ある者がなき者を虐げ、搾取し、殺す世界。彼はそこを支配する絶対の王になった。

 けれど、アリエイラの目に、彼は何をしようと醜悪には映らなかった。

 人でなくなったアリエイラは知っていた。神は、いや、この世界は、生き貫いた者を寿ぐ。

 何を成したかではない。為したかですらない。そこに『人の』善悪は関係ない。ただ、命の尽きるその時まで、その生でしかできぬ道を生きればいい。

 世界を巡る創世の神々の息吹は、時にその透徹した生に反応して、震え、輝きを放つ。神々が、そうあれ、と望んでこの世界に吹きかけた力が、波紋となって、ゆっくりと世界に広がっていく。

 そうしてこの世界は、活力を得て、輝きを増すのだ。

 アリエイラは、彼の生に触れ、神の息吹が力を取り戻すのを、確かに見た。

 それは、二人の恋が、交わした愛が、世界を変えた瞬間だった。


 ようやく、彼がその長く厳しい生を終え、女神の許へやってくる。

 アリエイラは彼の魂の輝きを追って走った。

 彼の魂の軌跡が、女神の許へと導いてくれる。

 それが、彼の苦しみを我が事のように感じながらも、彼から一瞬たりとも目を逸らさず、魂を呑みこもうと迫りくる虚無を退け続けた彼女が、自ら呼び寄せた奇跡だった。


 さあ。

 約束のときは、すぐそこ。

  

ヒスファニエ視点 「エピローグ」君に会いに

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