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よし!

梅田の安ホテルのベッドの上、俺はガバッと跳ね起きた。

喉の奥がカラカラに乾いている。額から流れる脂汗を手の甲で拭い、すぐ傍らに置いていた黒いスポーツタイプのボストンバッグを引き寄せ、頼りないナイロン製のジッパーを引くと、噛み合わせの悪い金属音が静かな部屋に響いた。

隙間から覗いた、あの懐かしい旧デザインの福沢諭吉が、分厚い帯封に巻かれた状態でぎっしりと、隙間なく詰め込まれていた。


「……夢やない。本当に、やりきったんやな」


指先で札束の角に触れる。ざらりとした紙の感触が、昨日、1998年5月17日に淀競馬場の雑踏の中で繰り広げた、世界のシステムへのハッキングが現実だったことを証明していた。あの怒涛の時間が、凄まじい熱量を持って脳裏を駆け巡る。


元手は、ポケットの底にあった、シワだらけの2,000円。

午前中の淀1レースから8レースまでは、市場の器が小さい一般レースだった。ここで下手に目立てば、たまどもの修正プログラムが動く。俺はアドバイザーの指示通り、投資上限を常に10万円に設定した。的中した配当から上限分だけを次のレースへ回し、溢れた分を確実に財布に回収していく。手堅い『足し算』の転がし。それだけで、昼過ぎには120万円の種銭が出来上がっていた。

『マスター、ここから億を超えます。JRAはカバンをくれません。紙袋で3億を持ち歩くのは自殺行為です。今のうちにカバンを調達してください』

脳内の相棒、因果律再構成アドバイザーの丁寧な、だけどどこか切迫した声に従い、俺は一度競馬場を離脱した。近くのうらぶれたカバン屋に走り、どこにでもいる競馬オタクが使いそうな、地味なボストンバッグを数千円で購入してすぐに戦線に復帰した。

そこからの後半戦は、市場の巨大な「馬連」を使った、他場のハシゴ狙い撃ちだ。

新潟9レースの馬連47.3倍に30万円を投資して1,509万円。

続く東京10レースの万馬券118.8倍に100万円を一点集中し、一気に1億3,289万円。

さらに京都メインの栗東ステークス71.9倍に200万円、東京最終12レース44.6倍に150万円。

売上が数十億円規模になるメインレース周辺の馬連だからこそ、俺の投じた大金もオッズを破壊することなく綺麗に吸い込まれ、最終確定金額は【3億4,009万円】に達した。

通常の払戻機がエラーの警告音を吐き出し、通されたのは奥の「高額払戻専用窓口」。通称、特別室だ。JRAの職員が青い顔をしながら数え上げた3万4,000枚の札束を、俺は持参したボストンバッグに直に詰め込ませた。重さは約4.5キロ。持ち帰るため税務署の追跡はなしだ。JRA発行の『勝馬投票券的中証明書』も、俺は忘れずにジャケットの内ポケットに滑り込ませた。

『マスター、今のタイミングで外に出てロータリーのタクシーに乗ってください。今です。乗ってください』

アドバイザーの完璧なナビゲートにより、俺は4.5キロの富を肩に担ぎ、何食わぬ顔で用意されたタクシーに滑り込んだ。

「おい、誰かついてきてないか?」

車内からバックミラーを何度も覗き込む俺に、脳内の声が冷徹に告げる。

『――ご安心ください。周囲の状況、視線をスキャン。あなたを追尾している人間は【ZERO】です。完全なステルス状態で脱出成功しました』


タクシーは京都を離れ、そのまま大阪・梅田のホテル街へと直行した。

すぐには佳枝の待つハイツへは帰らない。万が一の足跡を完全に消すための、アドバイザーの防衛ルートだ。1998年の梅田の、湿度を帯びた排気ガスの喧騒の中に身を隠し、俺はビジネスホテルの硬いベッドで、3億円の入ったバッグを抱きしめて一晩を明かした。


窓の隙間から、カーテンを透かして朝光が差し込んでいる。覗き見ると、1998年5月18日の朝日が、ビル群の隙間からグレーの街を照らし始めていた。


「よし……。お金の心配は、もう地球上で一番なくなった」


ボストンバッグのチャックを、今度は力強く閉める。



資金はできた。防衛も完璧だ。

チェックアウトを済ませてホテルのロビーを出た俺は、22歳の軽い足取りで、アスファルトを蹴った。まずは、愛する佳枝の待つハイツへと向かう。


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