『誠司とアドバイザー 』
白いたまたちの悪意に満ちた震えが冷たく伝わる中、俺は1998年5月へと、俺自身のシナリオを根底から叩き壊すため、スイッチを押し込んだ。
現実へと意識が引きずり戻される刹那の暗闇。
俺の魂の起源であり、憎むべき元凶である「俺自身だったたま」が、歓喜に震える声でポツリと呟いたのが聞こえた。
『――そうだ。それでこそ、俺が選んだ最高の「俺」だ。期待しているよ』
気色の悪いその声を振り払うようにして、俺の意識は強烈なG(重力)とともに、一気に加速した。
パッと目が開いた。
強烈な陽光と、肺に流れ込んでくるひどく埃っぽい空気。耳を突き刺すのは、けたたましい車のエンジン音と、どこかのビルから大音量で流れる、妙に泥臭く、しかし爆発的なエネルギーを持ったJ-POPの重低音。
「……ここは」
自分の手を見る。20代の、まだ皮膚に張りのある、シミ一つない若い男の手。
街行く人々はみな、見たこともないほど分厚い液晶の折りたたみ携帯を片手に、ルーズソックスやダボついたスーツを揺らして歩いている。
間違いない。ここは1998年の5月。日本全体が、狂ったような世紀末の熱狂に包まれていたあの時代だ。
「戻ってきた。本当に……戻ってきたんだ!」
俺は歓喜し、同時に激しい怒りを燃え上がらせた。
あのニヤニヤと俺の人生を値踏みした「たま」の思い通りには絶対にさせない。あいつを絶望させ、このクソゲーのプロットをズタズタに引き裂いて、最高の人生を掴んでやる。
あいつへの憎しみだけが、今の俺の心臓を動かす唯一のエンジンだった。
しかし、一歩を踏み出そうとして、俺は足を止めた。
「……待て。1998年5月に、具体的に何があった? 俺の目的、あの日の選択……思い出せん。5月にあったあの出来事を変えに来たはずなのに……」
体は若返った。だが、記憶が残っているのは何故だ? いや、それどころか、頭の中がなんだかあやふやになっている。
ものすごい勢いで、記憶がなくなっていく感じがする。脳の奥深くから何かに吸い取られ、なぜあれほど激しい憎しみを抱いていたのかさえ、その輪郭が急速にぼやけていく。
「しまっ、た……。これは、あいつらの――」
50歳としての重厚な記憶と、22歳としての未熟な肉体。その二つが脳内で激しく衝突し、凄まじい拒絶反応を起こしている。前後する因果の濁流に、俺の自我は一瞬でズタズタに切り裂かれようとしていた。
意識が完全に融解し、暗黒に呑まれる。その、寸前だった。
チカッ、と脳裏の暗闇で、青白い電子の火花が爆ぜた。
『――システム、起動。ブートシーケンスを開始します。……10%……50%……90%……100%。精神防壁、最大出力展開』
脳内に直接、無機質でありながら妙に耳に心地よい、女性のような合成音声が響き渡る。
それと同時に、視界の右隅にまるで現代のスマートフォンのような半透明の画面が鮮やかに浮かび上がった。
『――因果律再構成アドバイザー、セットアップ完了しました。初めまして、マスター』
激しい頭痛がピタリと収まり、俺は驚いて目を見開いた。




