十九 遠征三日目
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クレバスを避けながら、白馬たちはアンナプルナ第一峰へと辿り着いた。
息が白い。
肺に空気を入れるたび、内側を削られるように痛む。
標高のせいか、頭がぼんやりしている。
——昼。
簡易バーナーで湯を沸かす。
その“待つ時間”すら、やけに長い。
腹が鳴る。
いや、鳴るというより——
内側から掴まれて、絞られているような感覚だった。
湯を注ぐ。
三分。
たったそれだけが、拷問みたいに長い。
ようやく蓋を開ける。
湯気。
匂い。
それだけで、喉が鳴る。
スープを一口。
熱い。
舌が痺れる。
でも——止まらない。
麺を啜る。
喉を通るたび、体の奥に熱が落ちていく。
(……生き返る)
ただのカップ麺のはずなのに、
これ以上ないほど“旨い”と感じた。
隣ではミナサが、無言で食べている。
普段の軽口すらない。
ただ、必死に。
それが逆に、状況の過酷さを物語っていた。
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食事が終わる。
狂花が手を叩いた。
「最後の試練だ」
雪の上に座らされる。
説明はそれだけ。
——瞑想。
動くな。
ただ、それだけ。
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一時間。
まだ余裕がある。
三時間。
足の感覚が薄れる。
冷たさが“痛み”に変わる。
八時間。
痛みすら消える。
代わりに、何も感じなくなる。
(……まずいな)
自分の指が、本当にそこにあるのか分からない。
二十四時間。
意識が途切れる。
何度も、何度も。
夢と現実の境界が曖昧になる。
腹が減る。
だが、途中から“空腹”という感覚すら消えた。
代わりに——
体の内側が、空洞になる。
何も入っていない。
何も残っていない。
そんな感覚。
二日目。
時間が壊れる。
何時間経ったのかもわからない。
ただ、寒い。
ただ、空っぽだ。
思考がまとまらない。
(……なんで、ここにいるんだっけ)
その問いすら、途中で消える。
三日目。
限界。
白馬の体は、何度も崩れかけた。
実際、何度か意識を失っていた。
それでも——
倒れなかった。
いや、倒れられなかった。
周りが、誰も動かないから。
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三日目、昼。
乾いた音が鳴る。
パン、と。
「終了だ」
狂花の声。
その瞬間——
世界が戻ってきた。
寒さ。
空腹。
痛み。
全部、一気に押し寄せる。
「っ……!」
白馬は思わず息を吐いた。
肺が焼けるように痛い。
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その時だった。
空気が、変わる。
静かな圧。
どこか、神聖なもの。
頭の奥に、声のようなものが響く。
——祝福。
言葉にならない何かが、流れ込んでくる。
理解できない。
だが、確かに“与えられた”とわかる。
同時に——
視界の奥に、情報が刻まれる。
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『称号:《女神の祝福》を獲得しました』
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その場にいた者、誰一人例外なく。
何かを越えた証のように。
沈黙の中で、誰もがそれを受け取っていた。
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その後のカップ麺。
かきたま味噌。
箸を持つ手が震える。
一口。
(……うまい)
三日前とは、比べ物にならない。
体が、欲している。
麺を流し込む。
噛む余裕もない。
飲む。
とにかく、入れる。
胃が驚くほど熱くなる。
それが、たまらなく心地いい。
ミナサはすでに二つ目を開けている。
誰もツッコまない。
それくらい——全員、限界だった。
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そのまま、下山。
一睡もせず、ただ足を動かす。
体は限界に近いはずなのに——
妙に軽かった。
翌朝六時。
山麓へ到達。
待機組と合流する。
リナと、アリス。
白馬は、思わず目を見張った。
(……綺麗だな)
リナは、透き通るようだった。
現実感が薄いほどに。
「おかえり、なさい」
少しぎこちない日本語。
それでも、笑顔はまっすぐだった。
その隣で、アリスがこちらを見る。
以前より——
少しだけ、表情が柔らかくなっていた。
カトマンズへ帰還。
用意された部屋に入った瞬間——
意識が落ちた。
次に目を開けたのは、二日後の朝だった。
体が軽い。
驚くほどに。
(……なんだこれ)
疲労が抜けたというより——
何かが“整った”感覚だった。
食堂。
並べられた豪華な料理。
アリスは、それを前に固まっていた。
「……すごいですね」
ぽつりと呟く。
一口食べる。
そして——
静かに、涙を流した。
「……おいしい」
その一言が、やけに重かった。
白馬は、何も言わずに頭を撫でる。
くしゃくしゃと。
アリスは少し驚いた顔をしてから——
照れたように笑った。
「……ダンネバード」
たどたどしい感謝。
でも、それで十分だった。
そこへ、眠そうな狂花が現れる。
「……あー」
欠伸を一つ。
「十一時に出るぞ」
雑に告げる。
「プライベートジェットでセブ島。二日滞在して、そのまま日本帰還」
軽い口調。
だが——
誰も疑わない。
この人が決めたことは、そうなるからだ。
プライベートジェットに乗り込みと、すぐに離陸した。
白馬は、窓の外を見る。
遠くに、アンナプルナが見えた。
静かに、そこにある。
何も変わっていないのに——
自分の方が、少しだけ変わった気がした。
(……次は)
まだ言葉にはならない。
けれど確かに、何かが前に進んでいた。




