第七話 初めての実戦
ヴァルドのもとで暮らし始めてから、半年が過ぎた。
季節は巡り、森の木々も少しずつ姿を変えていた。
半年前には木剣を振るだけで息を切らしていたアルジェナも、今では長時間の鍛錬に耐えられるようになっていた。
「……はぁっ!」
アルジェナが木剣を振り下ろす。
「遅い」
ヴァルドの木剣が、アルジェナの剣を弾いた。
「っ!」
アルジェナは体勢を崩しながらも、すぐに立て直す。
「もう一度!」
「来い」
アルジェナは地面を蹴った。
正面からではない。
少し横へ回り込み、ヴァルドの隙を狙う。
「そこだ!」
木剣を振る。
ヴァルドは身体を僅かに動かして避けた。
「悪くない」
「まだ当たらない……!」
「当てる必要はない」
「え?」
「今のお前に必要なのは、相手を見ることだ」
ヴァルドは木剣を下ろした。
「力任せに振っても、相手には当たらない」
アルジェナは頷いた。
この半年間。
アルジェナは何度も同じことを教えられてきた。
剣の振り方。
足の運び。
相手との距離。
攻撃を避ける方法。
そして――
「戦う前に、相手をよく見ろ」
それがヴァルドの口癖だった。
「今日はここまでだ」
「え?」
「少し休め」
ヴァルドは木剣を置いた。
アルジェナも木剣を置き、額の汗を拭う。
「……私、強くなった?」
「ああ」
ヴァルドは即答した。
「半年前とは比べものにならない」
アルジェナは嬉しそうに笑った。
「……そっか」
「だが――」
ヴァルドは続ける。
「実戦は、稽古とは違う」
「……実戦?」
アルジェナが顔を上げた。
「ああ」
ヴァルドは立ち上がると、部屋の隅へ向かった。
そこには、何本かの剣が立てかけられていた。
ヴァルドはその中から一本を取り出す。
鞘から抜かれた剣は、少し古びていた。
刃には長年使われてきた跡がある。
それでも、手入れはされていた。
「今日は、これを使え」
ヴァルドはアルジェナに剣を差し出した。
「……私が?」
「ああ」
アルジェナは両手で受け取る。
「……重い」
「お前にはまだ少し重いだろうな」
ヴァルドは剣を見る。
「古い剣だ。だが、まだ十分使える」
アルジェナは剣を握り直した。
木剣とは違う。
ずっしりとした重みが手に伝わってくる。
「……お父さんの剣は?」
アルジェナが尋ねる。
「それは大切に持っておけ」
ヴァルドは答えた。
「今日使うのは、実戦用の剣だ」
アルジェナは頷いた。
そして、腰に剣を差す。
「……分かった」
ヴァルドはアルジェナを見た。
「半年間、木剣で学んだんだ」
「うん」
「そろそろ、自分の剣がどこまで通じるのか知っておくべきだ」
アルジェナは剣に手を添えた。
「……魔物を倒す」
「そうだ」
ヴァルドは剣を腰に差した。
「お前も来い」
「うん!」
二人は森の中へ入っていった。
しばらく歩くと――
ヴァルドが足を止めた。
「……いるな」
「え?」
アルジェナも周囲を見る。
何も見えない。
だが――
ガサッ。
茂みが揺れた。
「……!」
アルジェナが身構える。
次の瞬間。
一匹の小さな魔物が、茂みから飛び出してきた。
四本の脚を持った獣のような姿。
大きさはアルジェナより少し小さい。
「……魔物」
アルジェナの手に力が入る。
身体が強張る。
怖い。
半年間、何度も鍛錬を続けてきた。
それでも――
本物の魔物を前にすると、身体は正直だった。
ヴァルドは魔物をじっと見つめた。
「……第五級か」
「第五級……?」
アルジェナが聞き返す。
「ああ。魔物には危険度による等級がある」
ヴァルドは魔物から目を離さない。
「基本的には、身体の大きさを見れば大体の等級が分かる。大きな魔物ほど、危険度も高いことが多い」
「じゃあ……弱いの?」
「第五級だからな。魔物の中では、もっとも危険度が低い部類だ」
アルジェナは魔物を見る。
小さい。
それでも、牙を剥き出しにして唸っている。
「……じゃあ、簡単に倒せる?」
「そう思うな」
ヴァルドの声が低くなる。
「魔物の中には、見た目で人を欺くものもいる」
「見た目で……?」
「ああ。稀に、自分の強さを隠すような魔物もいる」
ヴァルドはアルジェナを見る。
「だから、等級だけを見て判断するな」
「……」
「よく見ろ」
ヴァルドは魔物へ視線を戻した。
「大きさだけじゃない。動き、呼吸、目の動き……相手をよく観察しろ」
アルジェナは魔物を見つめる。
「それが、半年間教えてきたことだ」
「……相手を見る」
「そうだ」
ヴァルドは一歩下がった。
「自分の目で確かめてみろ」
アルジェナの喉が小さく鳴る。
怖い。
それでも――
「……分かった」
アルジェナは剣を抜いた。
魔物が唸る。
アルジェナの身体が僅かに震える。
それでも、一歩前へ出た。
魔物が飛びかかってくる。
「っ!」
アルジェナは横へ飛んだ。
魔物の爪が目の前を通り過ぎる。
「避けられた……!」
ヴァルドは黙って見ている。
魔物が振り返る。
アルジェナも構え直す。
父から教わった構え。
ヴァルドから教わった足運び。
その二つを意識する。
魔物が再び走ってきた。
「……!」
アルジェナはギリギリまで引きつける。
そして――
横へ踏み込んだ。
魔物の攻撃を避ける。
そのまま身体を回し、剣を振る。
「やあっ!」
剣が魔物を捉えた。
魔物が地面へ転がる。
「……!」
アルジェナは驚いたように剣を見る。
魔物はまだ動いている。
「まだだ」
ヴァルドの声が飛ぶ。
「油断するな」
アルジェナはすぐに構え直した。
魔物が起き上がる。
そして再び飛びかかってくる。
「……来る!」
アルジェナは逃げなかった。
今度は自分から踏み込む。
魔物の動きを見て――
一歩。
二歩。
そして――
「これで……!」
剣を振り抜いた。
魔物は地面に倒れた。
今度は動かなかった。
森に静寂が戻る。
アルジェナは剣を握ったまま、しばらく動けなかった。
「……終わった?」
「ああ」
ヴァルドが答える。
アルジェナはゆっくりと剣を下ろした。
「……私が?」
「ああ」
アルジェナは倒れた魔物を見る。
勝った。
初めて、自分の力で魔物を倒した。
けれど――
嬉しいだけではなかった。
「……怖かった」
ヴァルドは頷いた。
「そうだろうな」
「手も……震えてた」
「それでいい」
「……いいの?」
「ああ」
ヴァルドは静かに答えた。
「怖さを知らない剣士ほど、危ういものはない」
アルジェナは黙って魔物を見つめる。
「怖くても、逃げずに戦った」
ヴァルドは続けた。
「それがお前の今日の一歩だ」
アルジェナは自分の手を見る。
まだ少し震えている。
それでも――
「……もう一度、やれるかな」
ヴァルドは少しだけ笑った。
「次は、今日より上手くやれるさ」
アルジェナは剣を握り直した。
半年前には、ただ木剣を振ることしかできなかった。
けれど今は――
自分の足で立ち、自分の剣で魔物と戦った。
まだ小さな一歩。
それでも確かに――
アルジェナは、勇者へ向かって歩き始めていた。




