第六十九話 届かぬ反撃
砕けた石畳を踏みしめ、ガルドは再び剣を構えた。
身体は限界に近い。それでも、目の前の女を通すわけにはいかなかった。
女の背後では、黒い翼が静かに広がっている。
「……まだ立つのね」
女は呆れたように呟いた。
「いい加減、諦めてくれないかしら。あなたたちでは、私を止められない」
「それを決めるのは、お前ではない」
ガルドは踏み込んだ。
炎をまとった剣が、女の胴を狙う。
黒い翼が動く。
刃と羽根がぶつかり、火花が散った。
ガルドは力任せに押し込まず、剣を引いて斬り返す。翼の動きに合わせ、わずかに生じた隙を狙った。
しかし、女の身体を包む黒い力が刃を阻んだ。
剣先が届かない。
「無駄よ」
女が手を振る。
黒い力が弾け、ガルドを襲った。
彼は剣を盾にして衝撃を受け流そうとしたが、勢いを殺しきれず、数歩にわたって押し戻された。
その間に、女の背後から風が吹きつけた。
「――そこよ!」
エレナが放った風が、女の側面へと鋭く走る。
女は翼を傾けて防ごうとした。
だが、風は直接翼を狙わず、地面を這うように回り込む。巻き上げられた石片が女の視界を遮り、黒い力の流れが一瞬だけ乱れた。
ガルドは、その一瞬を見逃さなかった。
「はあっ!」
炎の刃が走る。
女の腕を浅く斬り裂いた。
「……っ!」
赤い血が散る。
ほんのわずかな傷だった。
それでも、女の動きが止まった。
ガルドは追撃せず、すぐに距離を取る。エレナもまた、彼の横へ戻った。
二人の連携は、まだ生きている。
だが――。
「……本当に、鬱陶しい」
女の声が低く響いた。
傷ついた腕から血が滴る。
その血が石畳に落ちるより早く、黒い力が女の身体を覆った。
「何度、傷つければ気が済むの?」
赤い瞳が、二人を捉える。
「何度、私の邪魔をすれば……!」
黒い翼が大きく広がった。
周囲の空気が重くなる。
エレナは息を呑んだ。
力が増している。
いや、先ほどまで抑えられていたものが、さらに解き放たれようとしていた。
「ガルド、下がって!」
エレナが風を放つ。
だが、その風が女へ届く前に、黒い力が地面を走った。
石畳が持ち上がり、砕けた破片が嵐のように舞い上がる。
エレナは風の向きを変え、飛来する破片を逸らした。
その判断は正しかった。
しかし、彼女が防いだのは、あくまで周囲に飛び散った破片だけだった。
黒い力そのものは、すでにガルドへ迫っていた。
「くっ……!」
ガルドは剣を振るった。
炎が黒い力にぶつかる。
激しい衝撃が大通りを震わせた。
ガルドの足元に亀裂が走る。
踏みとどまろうとした足が滑り、彼の身体が後方へ押し出された。
剣を握る腕が痺れる。
それでも、彼は倒れなかった。
「……まだだ!」
再び剣を構えようとした、そのとき。
黒い力が正面から叩きつけられた。
ガルドの身体が吹き飛ぶ。
彼は剣を手放さなかったものの、石畳を転がり、崩れた壁のそばでようやく止まった。
「ガルド!」
エレナが駆け出しかける。
だが、女の力が彼女の進路を塞いだ。
「あなたも、もう終わりよ」
黒い奔流が迫る。
エレナは風を放ち、その軌道を逸らした。
直撃は避けた。
しかし、押し寄せる衝撃に身体が浮き上がる。風で勢いを殺そうとしても間に合わず、彼女は地面へと叩きつけられた。
息が詰まる。
視界が揺れた。
それでも、エレナは歯を食いしばって身体を起こした。
目の前では、女がゆっくりと歩み寄ってくる。
その足取りに迷いはなかった。
ガルドも、エレナも、もはや満足に動けない。
それでも女は、二人が倒れたことを確かめるように立ち止まった。
「……これで、ようやく」
女が呟く。
「邪魔者がいなくなる」
◇
町の中心から離れた通りでは、アルジェナが崩れた建物の前に立っていた。
救助は、少しずつ終わりに近づいている。
自力で動ける住民はすでに避難し、騎士たちも残された負傷者の搬送を急いでいた。
目の前の建物には、まだ人が残っている。
「中にいる人は聞こえますか!」
返事はなかった。
アルジェナは耳を澄ませる。
瓦礫の向こうから、かすかな物音がした。
「……誰かいます!」
近くにいた騎士へ声をかけ、二人で崩れた壁の隙間を確認する。
奥には、倒れた家具のそばで身を縮めている女性がいた。
アルジェナは慎重に瓦礫をどけ、女性の手を取る。
「もう大丈夫です。外へ出ましょう」
女性は震えながらも、うなずいた。
そのとき、町の中心から大きな衝撃音が響いた。
アルジェナは顔を上げる。
黒い光が、建物の向こうで膨れ上がっていた。
先ほどまでとは違う。
遠くからでも分かるほど、力が激しく荒れ狂っている。
ガルドとエレナが、まだ戦っているのだろう。
けれど、あの二人でさえ押し切られかけているのかもしれない。
アルジェナは剣の柄を握った。
戦いに戻れば、自分もあの力の前に立つことになる。
勝てる見込みはない。
それどころか、二人の足を引っ張りかねない。
それは、彼女自身が誰よりも理解していた。
「……こっちは任せてください」
アルジェナは騎士へ告げ、救出した女性を託した。
それから、次の救助現場へと向かう。
悔しさがないわけではない。
それでも、目の前に助けを必要とする人がいる。
今の自分ができることを、放り出すわけにはいかなかった。
◇
ベルネア町の外。
リリアは、避難してきた人々とともに、さらに町から距離を取っていた。
負傷者の手当てを手伝いながらも、彼女の意識は何度も町の方角へ引き戻される。
聞こえてくる音が、いつまでも止まらない。
「……アルジェナ」
小さく呟いた名前は、風に消えた。
自分が町へ戻れば、アルジェナはきっと守ろうとする。
だから、戻るわけにはいかない。
分かっている。
それでも、何もできないまま待つことは、思っていた以上につらかった。
リリアは両手を握りしめ、負傷者のもとへ戻った。
今は、自分にできることを続けるしかない。
◇
ベルネア町の大通り。
女は、倒れたガルドとエレナを見下ろしていた。
黒い力が、彼女の周囲で渦巻いている。
「……これで、邪魔はいなくなる」
女はそう呟き、片手を持ち上げた。
黒い力が一点に集まる。
狙いは、倒れた二人だった。
エレナは震える腕で身体を支え、ガルドは剣を握ったまま立ち上がろうとしていた。
だが、どちらもすぐには動けない。
この一撃を受ければ、もう戦えないかもしれない。
それでも、エレナは女を見据えた。
「……まだ、終わっていないわ」
女の表情が歪む。
「どうして……!」
黒い力が、さらに膨れ上がった。
「どうして、私の邪魔ばかりするの!」
その叫びとともに、力が解き放たれた。
大通りを黒い光が呑み込む。
砕けた石畳が舞い上がり、残っていた建物の壁が崩れ落ちた。
ガルドとエレナの姿は、土煙の向こうへ消えた。
その場に立つ女の背中で、黒い翼が揺れる。
彼女は、もう二人を見ていなかった。
ただ、自分の願いを邪魔するものを消し去るために、黒い力を振るい続けていた。




