第六十八話 崩れた防衛線
ガルドが地面に膝をついた。
鎧には亀裂が走り、呼吸も乱れている。それでも、手にした擬聖剣を離そうとはしなかった。
目の前では、黒い翼を広げた女が、傷ついた肩を気にする様子もなく立っていた。
「……まだ、立ち向かうの?」
女の赤い瞳が、ガルドを見下ろす。
「何度邪魔をすれば気が済むの。あなたたちが抵抗するから、余計なことをしなければならなくなる」
「町を壊しているのは、お前だ」
ガルドは剣を支えに、どうにか立ち上がった。
「これ以上の破壊を許すわけにはいかない」
「……そう」
女の表情から、わずかな感情が消えた。
「なら、あなたも消えて」
黒い力が膨れ上がる。
ガルドが剣を構えた、その瞬間だった。
「ガルド、避けて!」
エレナの声が響く。
ガルドはとっさに身を引いた。
直後、黒い奔流が彼の立っていた場所を呑み込む。石畳が砕け、破片が周囲へと飛び散った。
エレナは風を放ち、ガルドへ迫る衝撃を横へ逃がす。
しかし、女の攻撃は止まらなかった。
次の黒い奔流が、今度はエレナへと迫る。
彼女は風をぶつけ、攻撃の軌道を逸らした。
直撃は避けた。
だが、黒い力がすぐ脇を通り抜けた瞬間、凄まじい衝撃が全身を襲った。
「っ……!」
身体が宙に浮く。
エレナはとっさに風をまとったが、勢いを殺しきれなかった。地面を転がり、崩れた石壁の手前でようやく止まる。
肺から空気が押し出され、息が詰まった。
すぐに立ち上がろうとする。
しかし、腕に力が入らない。
「エレナ!」
ガルドが叫ぶ。
エレナは返事をしようとしたが、呼吸を整えるだけで精一杯だった。
直撃していれば、どうなっていたか分からない。
風で軌道を逸らしたからこそ、かろうじて直撃を免れたのだ。
それでも、すぐに戦線へ戻れる状態ではなかった。
ガルドは歯を食いしばった。
エレナを助けに行きたい。だが、ここで女から目を離せば、次の攻撃を防げる者がいなくなる。
傷ついた身体に力を込め、剣を構え直す。
「……これ以上、好きにはさせん」
女は答えなかった。
ただ、ガルドへ向けて手をかざす。
その指先に、再び黒い力が集まり始めた。
◇
町の中心から離れた通りでは、アルジェナが負傷者を安全な場所まで送り届けていた。
住民の大半は、すでに町の外へ避難している。
残っているのは、負傷して自力では動けない者や、崩れた建物から救い出す必要がある者たちだった。
「こちらは任せてください。次の場所へ向かってください!」
騎士の声を受け、アルジェナはうなずいた。
目の前の負傷者が別の騎士に引き渡されたのを確認し、次の救助現場へと走る。
その途中、町の中心から大きな音が響いた。
アルジェナは足を止めかけ、すぐに前を向いた。
戦いは続いている。
ガルドとエレナが、あの女を止めようとしているはずだった。
自分が加勢したところで、状況を好転させられるとは思えない。
先ほど対峙したとき、力の差は嫌というほど思い知らされた。下手に飛び込めば、二人の連携を乱し、守らなければならない相手を増やすだけだ。
今の自分では、足手まといになる。
その現実から目を背けるつもりはなかった。
「すみません! こっちに、まだ人が!」
住民の声が聞こえた。
アルジェナは振り返る。
「案内してください!」
迷いはなかった。
戦えないのなら、救える命を救う。
それが今、自分にできることだった。
◇
大通りでは、ガルドが女の攻撃を引きつけていた。
炎をまとった擬聖剣で黒い力を弾き、隙を見て踏み込む。
だが、女の黒い翼が刃を阻んだ。
火花が散る。
ガルドは無理に押し込まず、すぐに距離を取った。
今の状態で正面から力比べを続ければ、先に限界を迎えるのは自分だ。
それでも、退くことはできなかった。
背後には、まだ町がある。
「……しつこいわね」
女の声に、苛立ちが滲んだ。
「あなたたちは、どうしてそこまで私の邪魔をするの?」
「お前が町を破壊し、人々を危険にさらしているからだ」
「そんなこと、どうでもいいの」
あまりにもあっさりとした返答だった。
ガルドの表情が険しくなる。
「……何だと?」
「私は帰りたいだけ。神の加護を集めて、白い翼に戻るの。それ以外のことに、どうして構わなければいけないの?」
女は本気で理解できない様子だった。
町が壊れようと、人が傷つこうと、自分の望みとは関係がない。
それどころか、望みを妨げる者がいること自体が許せないのだ。
ガルドは剣を握り直した。
「お前の望みが何であろうと、他人を犠牲にしていい理由にはならん」
「……もういいわ」
女の声が冷たくなった。
「あなたと話しても、何も分からない」
黒い力が一気に広がった。
ガルドは防御の構えを取る。
だが、攻撃は彼だけを狙ってはいなかった。
黒い奔流が左右へ分かれ、周囲の建物へと襲いかかる。
「くっ……!」
ガルドは一撃を弾き、もう一方へ剣を向けた。
しかし、二つを同時に防ぐことはできない。
片方が建物の壁を砕いた。
崩れた瓦礫が通りへ散らばり、残っていた救助用の通路を塞いでいく。
ガルドは舌打ちした。
女は自分を倒すだけでなく、周囲への被害など一切顧みずに力を振るっている。
攻撃を防げば、その隙に別の場所が破壊される。
町を守りながら戦うという前提そのものが、崩れ始めていた。
◇
町の外へ続く避難路。
リリアは、避難してきた人々とともに歩いていた。
年老いた男性を別の信徒へ引き継いだあとも、彼女は何度も町の方角を振り返っていた。
遠くから、絶え間なく音が響いている。
戦いが続いていることは分かる。
けれど、アルジェナが無事なのか、ガルドやエレナがどうなっているのか、何も分からなかった。
「……アルジェナ」
小さく名前を呼ぶ。
返事があるはずもない。
それでも、無事でいてほしいと願わずにはいられなかった。
自分が戻れば、アルジェナは自分を守るために動かなければならなくなる。
だから、ここにいる。
彼女の判断を無駄にしないためにも、今は避難を続けなければならなかった。
リリアは顔を上げ、前を向いた。
◇
ベルネア町の大通り。
ガルドの剣が、黒い力を弾き返した。
だが、その反動で彼の身体が大きく揺れる。
限界が近い。
それでも、女の前から退くわけにはいかなかった。
そのとき、女の視線が町の外へ向いた。
「……あの子」
ガルドが反応する。
「何?」
「まだ、加護を感じる……」
女の赤い瞳が細められた。
リリアの姿が見えているわけではない。
それでも、彼女が持つ加護の気配を感じ取っているのだ。
「待っていてね。今度こそ、帰るから」
女は一歩、前へ踏み出した。
ガルドが立ちはだかる。
「行かせるものか」
「……邪魔をしないで」
黒い翼が広がる。
ガルドは剣を構えた。
傷ついた身体では、次の攻撃を防ぎきれる保証はない。
それでも、ここを通せば、女はリリアを追うだろう。
その先に何が起きるのか、考えるまでもなかった。
女の周囲で、黒い力が渦巻いた。
次の瞬間、石畳が大きく砕けた。
ガルドは迫る力を受け止めようと剣を振るう。
だが、その衝撃に足が耐えきれず、後方へ押し戻された。
崩れた石壁の向こうで、エレナがようやく身体を起こす。
彼女の視線の先には、再び攻撃を放とうとする女の姿があった。
二人はまだ倒れていない。
しかし、戦況は明らかに悪化していた。
ベルネア町の防衛線は、崩壊しつつあった。
インフルにかかったので投稿遅れます。すみません。




