第六十二話 届かない刃
黒い翼が広がる中、ガルドとエレナは女を挟むように左右へと展開した。
正面から攻めても、先ほどのように弾かれるだけだ。
ならば、異なる方向から攻撃を仕掛け、相手の防御を崩すしかない。
「エレナ、右を頼む!」
「分かったわ!」
ガルドが正面から踏み込む。
炎をまとった擬聖剣が振り下ろされ、女の身体へと迫った。
女は動かなかった。
背中の黒い翼がわずかに揺れる。
その羽根が剣の前に割り込み、炎をまとった刃を受け止めた。
「くっ……!」
ガルドは剣に力を込める。
しかし、刃は羽根を切り裂くことができなかった。
硬い何かに阻まれているようだった。
その隙を突き、エレナが側面から風を放つ。
鋭く圧縮された風が、女の死角から襲いかかった。
だが、女は振り返ることさえしなかった。
黒い翼の一部が広がり、風の刃を受け流す。
攻撃は女の身体に届くことなく、背後の建物の壁を削り取った。
「……今のも駄目なの?」
エレナが眉を寄せる。
ガルドも一度距離を取り、剣を構え直した。
二人の連携に問題はない。
互いの動きも理解している。
それでも、攻撃が届かない。
女は、まるで二人の攻撃など脅威ではないと言わんばかりに、町の奥を見つめていた。
「……あの子は、どこ?」
赤い瞳が、崩れた建物の向こうを探る。
「神の加護……。あの子の加護が必要なの……」
「こちらを見ろ!」
ガルドが声を張り上げた。
女の視線が、ようやく彼へと向く。
「……邪魔ね」
その一言とともに、黒い光が膨れ上がった。
「ガルド、避けて!」
エレナの声が響く。
二人は左右へと跳んだ。
直後、黒い力が地面を走り抜け、石畳を大きく砕いた。
衝撃で周囲の瓦礫が浮き上がり、近くにあった露店の残骸が吹き飛ばされる。
騎士たちが住民をかばいながら、崩れかけた建物から距離を取った。
「隊長! こちらの避難はまだ終わっていません!」
「分かっている! 救助を続けろ! ただし、危険を感じたらすぐに退避しろ!」
町の各所で、救助と避難が続いていた。
神官たちは負傷者を治療し、騎士たちは瓦礫の下に人が取り残されていないか確認している。
誰もが必死だった。
その努力を嘲笑うかのように、女の力は町を侵食し続けていた。
*
アルジェナは崩れた石畳を駆け抜けていた。
向かう先は、リリアが避難している場所だ。
女の目的は、リリアの加護。
その理由までは分からないが、あの女が町を破壊してまで探している以上、危険なのは間違いない。
アルジェナは周囲に目を配りながら、進路を選んだ。
倒れた木材が道を塞ぎ、石壁の一部が歩道へ崩れ落ちている。
遠くでは、まだ人々の声が聞こえていた。
助けを求める声。
負傷者を呼ぶ声。
互いの無事を確かめる声。
その一つ一つが、アルジェナの足を速めた。
かつて、自分の村も魔物によって破壊された。
何もできず、ただ失われていくものを見ているしかなかった。
だからこそ、今は違う。
目の前にある危険を放置するわけにはいかない。
リリアを守るためにも、まずは合流しなければならなかった。
やがて、避難場所として指定された建物が見えてきた。
入口付近では、神官たちが負傷者の手当てを続けている。
アルジェナはその中に、見覚えのある白い服を探した。
「リリア!」
呼びかけると、建物の奥から小柄な少女が顔を上げた。
「アルジェナさん!」
リリアはすぐに駆け寄ってきた。
「よかった……! 無事だったんですね!」
「うん。リリアも怪我はない?」
「はい、私は大丈夫です。それより、町の中心で何が……?」
アルジェナは短く息を整え、リリアの目を見た。
「さっきの女が、リリアを探している」
「……私を?」
「神の加護が必要だって言っていた。詳しい理由は分からない。でも、あいつはそのために町を壊している」
リリアの表情が曇った。
自分の加護が、あの女の目的に関係している。
そう考えれば、これまでの言動にも説明がつく。
「そんな……。私の加護を、いったい何に……」
「分からない。だから、今は近づかないほうがいい」
アルジェナは周囲を確認した。
ここも完全に安全とは言い切れない。
女の力がさらに広がれば、この場所にも被害が及ぶ可能性がある。
「神官さんたちと一緒に、もっと安全な場所へ移動して。私は周囲の状況を確認する」
「でも、アルジェナさんは……?」
「私は大丈夫。あいつを止める方法を探す」
そう答えながらも、アルジェナは女の力を思い出していた。
正面から斬りかかっても、刃は届かなかった。
自分一人でどうにかできる相手ではない。
それでも、何もせずにいるつもりはなかった。
まずはリリアを危険から遠ざける。
そのうえで、できることを考える。
「……分かりました」
リリアは不安そうにしながらも、頷いた。
「アルジェナさんも、無理はしないでくださいね」
「うん。約束する」
アルジェナはそう答え、再び町の中心へと視線を向けた。
黒い力は、まだ消えていない。
*
町の中心では、戦いが続いていた。
「はあっ!」
ガルドが踏み込み、炎をまとった擬聖剣を横薙ぎに振るう。
女は黒い翼を傾け、その一撃を受け流した。
すかさずエレナが風を操り、女の足元から突風を巻き起こす。
体勢を崩すことができれば、攻撃を届かせる隙が生まれる。
そう考えての一手だった。
だが、女は浮き上がる瓦礫にも、吹き荒れる風にも、ほとんど反応を示さなかった。
黒い翼が地面を覆うように広がる。
その瞬間、風が乱れた。
「っ……!」
エレナはすぐに風を引き戻し、体勢を立て直す。
ガルドもまた、攻撃を続けることを諦めて後退した。
無理に踏み込めば、反撃を受ける。
しかし、距離を取っているだけでは状況は変わらない。
「……どうして、分からないの?」
女が呟いた。
その声は、二人に向けられたものではなかった。
「私は、帰りたいだけなのに……」
赤い瞳が揺れる。
「白い翼で……あの場所へ……」
ガルドは剣を構えたまま、女の様子を窺った。
言葉の意味は分からない。
だが、女が何かを求めていることだけは伝わってきた。
「お前が何を望んでいるのかは知らない!」
ガルドが声を張り上げる。
「だが、町の人々を巻き込むことは許されない!」
女は、しばらく彼を見つめていた。
そして、ゆっくりと首を傾げる。
「……どうして?」
その問いに、ガルドは一瞬だけ言葉を失った。
「どうして、邪魔をするの?」
女の声には、怒りよりも困惑が滲んでいた。
本当に理解できない。
なぜ自分の目的を妨げられなければならないのか。
そんな疑問を抱いているようだった。
「……話が通じないわね」
エレナが小さく呟いた。
「ならば、力ずくでも止めるしかないな」
ガルドは擬聖剣を握り直した。
相手が何者であれ、ここで止めなければ町は壊され続ける。
それだけは確かだった。
女の黒い翼が、再び大きく広がる。
周囲の空気が重くなり、砕けた石畳がわずかに浮き上がった。
ガルドとエレナは身構える。
次の攻撃に備え、互いの位置を確認する。
まだ、突破口は見つからない。
それでも二人は退かなかった。
町を守るために。
そして、この脅威を止めるために。
黒い翼の前に立つ二人の戦いは、まだ終わりそうになかった。




