第六十話 迫り来る脅威
町の中心部から立ち上る煙は、少し離れた場所からでも確認できた。
崩れた建物。
逃げ惑う住民。
負傷者を運ぶ騎士たち。
ベルネア町は、もはや三級魔物との戦いを終えた直後とは思えない惨状に包まれていた。
「こちらの負傷者は任せろ! 動ける者は避難誘導を続けろ!」
騎士団の隊長が声を張り上げる。
三級魔物を討伐したことで、町に安堵が広がったのも束の間だった。
今度は町の中心部で、正体不明の何者かによる破壊が始まっている。
ただの事故ではない。
被害の規模も、発生した場所も、あまりにも異常だった。
「隊長! 中心部で戦闘が起きています!」
「相手は魔物か!?」
「分かりません! ですが、建物が次々と破壊されています!」
報告を受けた隊長の表情が険しくなる。
「救助と避難を優先しろ! 動ける騎士は俺に続け!」
命令とともに、数人の騎士が駆け出した。
町を守るのが騎士の務めだ。
相手が何者であろうと、放置するわけにはいかない。
その頃、聖女教会の支部でも異変を察知していた。
「エレナ様、中心部で大規模な破壊が起きているとの報告です!」
報告を受けたエレナは、すぐさま表情を引き締めた。
「負傷者の救護は?」
「神官たちが対応しています。ただ、被害が広がっており、人手が足りません」
「分かりました。救護に人員を残し、私たちは現場へ向かいます」
エレナは迷わず立ち上がった。
隣にいたガルドも、すでに剣の柄へ手をかけている。
「また魔物か?」
「まだ分かりません。ですが、先ほどの三級魔物とは別の問題が起きているようです」
「……厄介だな」
ガルドは短く息を吐いた。
先ほどの戦いで、二人も消耗している。
それでも、町で何かが起きている以上、見過ごすことはできなかった。
「行きましょう」
エレナの言葉に、ガルドが頷く。
二人は教会の支部を飛び出した。
――その頃。
アルジェナは、女の攻撃を避けながら必死に距離を詰めようとしていた。
しかし、近づくたびに見えない力が行く手を阻む。
剣を振るっても届かない。
足場が崩れ、瓦礫が飛び交い、まともに立っていることさえ難しかった。
「くっ……!」
横から迫った石片を剣で弾く。
その隙に踏み込もうとしたが、女が片手を動かしただけで、アルジェナの身体は押し戻された。
背中が崩れた壁にぶつかる。
「かはっ……!」
息が詰まった。
痛みを堪えながら、アルジェナはすぐに立ち上がる。
まだ動ける。
まだ、戦える。
女はそんなアルジェナを見つめることもなく、虚空へ視線を向けていた。
「……神の加護を集めなきゃ」
ぶつぶつと呟く。
「そうすれば……帰れる……白い翼で……」
その声は、周囲の悲鳴にも、崩れる建物の音にもかき消されないほど、はっきりとアルジェナの耳に届いた。
しかし、意味は分からない。
何を求めているのか。
どこへ帰ろうとしているのか。
問いかけても、まともな答えは返ってこない。
それでも、女がリリアを狙っていることだけは分かっていた。
「……リリアには、絶対に近づけさせない」
アルジェナは剣を握り直した。
そのときだった。
「そこまでだ!」
通りの向こうから、複数の足音が響いた。
騎士たちが現場へ到着したのだ。
先頭の隊長は、崩れた建物と散乱する瓦礫を目にして息を呑んだ。
そして、その中心に立つ女と、剣を構える少女を見つける。
「何が起きている!?」
「分かりません! あの女が町を破壊しています!」
アルジェナは声を張り上げた。
「気をつけてください! 普通の相手じゃありません!」
隊長は一瞬だけアルジェナへ視線を向け、それから女を見据えた。
「全員、警戒しろ! 住民を巻き込むな!」
騎士たちが散開する。
負傷者が残っていないか確認する者。
退路を確保する者。
女の動きを警戒しながら、武器を構える者。
彼らは混乱しているわけではなかった。
目の前の状況を把握し、できることから動いている。
だが、女は騎士たちが現れても、驚く様子すら見せなかった。
「……まだ足りない」
小さな声が漏れる。
「もっと……神の加護を……」
女の周囲で、再び力が渦巻いた。
「全員、下がれ!」
隊長が叫ぶ。
次の瞬間、地面が大きく揺れた。
石畳が割れ、瓦礫が持ち上がり、騎士たちの足元へと飛来する。
「うおっ!」
騎士たちは盾を構え、攻撃を防ぐ。
だが、衝撃は想像以上に重かった。
何人かが踏ん張りきれず、後方へ押し戻される。
「なんだ、この力は……!」
隊長が歯を食いしばった。
人間なのか。
魔物なのか。
見た目だけでは判断できない。
ただ、並の相手ではないことだけは明らかだった。
そこへ、別の足音が近づいてくる。
「皆さん、下がってください!」
エレナの声が響いた。
彼女は風をまといながら現場へ入り、周囲の状況を瞬時に見渡した。
破壊された町並み。
負傷した騎士。
そして、女と対峙するアルジェナ。
エレナの表情が引き締まる。
「ガルド、住民の避難を援護してください!」
「分かった!」
ガルドは燃えるような赤い光を宿した擬聖剣を構え、騎士たちの前へ出た。
「無理に攻めるな! まずは住民を守れ!」
エレナもまた、風を周囲に巡らせながら女を見据えた。
「あなたは何者ですか?」
問いかけに、女はゆっくりと顔を上げた。
その瞳がエレナを捉える。
だが、答えはなかった。
「……神の加護……」
女は呟いた。
「白い翼……帰らなきゃ……」
エレナは眉をひそめた。
言葉の意味は分からない。
しかし、女の周囲を渦巻く力は、これまで対峙してきた魔物とも、人間とも違っていた。
ただならぬ気配に、エレナは自然と身構える。
「ガルド、油断しないでください」
「ああ。分かっている」
ガルドもまた、剣を構えた。
騎士団。
聖徒。
擬聖剣使い。
町を守るための力が、ここに集まりつつあった。
それでも、女の力は衰える気配を見せない。
むしろ、周囲の空気は先ほどよりも重くなっていた。
アルジェナは、女から目を離さなかった。
ここで止めなければならない。
リリアを守るためにも。
町の人々を守るためにも。
しかし、彼女たちはまだ知らなかった。
目の前にいる存在が、人間の尺度では測れない力を持つ存在ということに。




