第五十四話 三級魔物
ベルネア町の北門。
城壁の上には、すでに多くの騎士たちが集まっていた。
弓を構える者。
巨大な弩――バリスタの準備を進める者。
城壁の下では、槍を手にした騎士たちが隊列を組み、住民たちを町の奥へと避難させている。
普段なら人の声や荷車の音が絶えない北門周辺は、今では張り詰めた空気に包まれていた。
「まだ来ないのか……」
「報告では、もう近くまで来ているはずだ」
騎士たちの間に、緊張した声が飛び交う。
そのときだった。
森の向こうで、木々が大きく揺れた。
――ズン。
地面が、僅かに震える。
「……来るぞ」
誰かが呟いた。
次の瞬間。
森の木々を押し倒しながら、それは姿を現した。
「……なんだ、あれ……」
誰もが言葉を失った。
巨大な四足の魔物。
その体高は五メートル近くにも及び、熊を思わせるほどに巨大な身体を持っている。
だが、その頭部は熊とは違っていた。
細長く、狼のような顔。
口元から覗く鋭い牙。
そして背中には、三本の太い角が突き出している。
額には、それらよりさらに大きな一本の角。
暗い灰色の皮膚には、黒い亀裂のような模様が走っていた。
その亀裂の奥からは、赤い光が僅かに漏れている。
魔物が一歩、前へ進む。
――ズン。
また地面が揺れた。
「……三級魔物」
騎士の一人が、震える声で呟いた。
三級魔物。
それは、普通の人間なら一生に一度も遭遇しないことすら珍しくない。
五級や四級なら、街道や村の近くで討伐されることもある。
だが三級となれば話は違う。
町の騎士団だけで対処するには、明らかに危険な領域だった。
「全員、配置につけ!」
「弓兵、構え!」
「バリスタ、準備完了!」
城壁の上で、一斉に弓が引き絞られる。
その下では、騎士たちが盾を構えた。
誰もが理解していた。
あの魔物を、町の中へ入れてはいけない。
「放てぇっ!」
一斉に矢が放たれた。
無数の矢が空を切り、魔物へと降り注ぐ。
何本かは皮膚へ突き刺さった。
しかし――
魔物は止まらない。
「効いてない……?」
「いや、効いてる! だが浅い!」
矢を受けた魔物が、低い唸り声を上げる。
そして、その巨体をさらに前へ進めた。
「次だ!」
城壁の上で、巨大なバリスタが向きを変える。
何人もの騎士が力を合わせ、巨大な矢を装填した。
「狙いを合わせろ!」
「――撃て!」
轟音。
巨大な矢が放たれた。
それは真っ直ぐに魔物へと飛び――
――ズドンッ!
巨大な矢が、魔物の肩へ深々と突き刺さった。
魔物の身体が大きく揺れる。
そして――
片膝をついた。
「やったぞ!」
「効いてる!」
「このまま押し切れる!」
騎士たちから歓声が上がった。
誰もが、勝てるかもしれないと思った。
だが。
魔物はゆっくりと顔を上げた。
「……?」
その口が、大きく開く。
「なんだ……?」
口の奥に、赤い光が集まり始めた。
赤い光が、次第に白く輝いていく。
「おい……待て」
「何をする気だ……?」
誰かが叫んだ。
「全員、伏せろ!」
直後。
魔物の口から、巨大な光線が放たれた。
――轟ッ!!
閃光が北門へ向かって一直線に走る。
「うわあああっ!」
「逃げろ!」
光線が城壁へ直撃した。
石壁が吹き飛ぶ。
大量の石片と土煙が空へ舞い上がった。
そのすぐ近くに設置されていたバリスタも、跡形もなく吹き飛ばされる。
「バリスタが……!」
「城壁が壊されたぞ!」
騎士たちが後退する。
先ほどまで頼もしく見えていた城壁には、大きな亀裂が走っていた。
「負傷者を確認しろ!」
隊長の声が響いた。
「動ける者は負傷者を城壁の内側へ! 重傷者を優先しろ!」
「了解!」
騎士たちが一斉に動き始める。
倒れている仲間を助け起こし、負傷の程度を確認する。
「こちらに負傷者三名!」
「一人は歩けません!」
「治療班を呼べ!」
「はい!」
「城壁の損傷は!?」
隊長が振り返る。
「北門西側、大きく崩れています! このままでは持ちません!」
「分かった! 崩れた場所には近づくな! 二次崩落に注意しろ!」
「了解!」
さらに別の騎士が駆け寄ってくる。
「住民の避難は?」
「北門付近の住民は、ほぼ避難完了です!」
「よし。まだ残っている者がいないか確認を続けろ!」
隊長は城壁の外へ視線を戻した。
魔物は、ゆっくりとこちらへ近づいている。
「弓兵はまだ撃てるか!」
「はい!」
「無理に前へ出るな! 魔物の動きを牽制しろ!」
「はっ!」
「バリスタ班は!?」
「一基が破壊されました! もう一基は無事ですが、再装填に時間がかかります!」
「なら、撃てる状態になるまで待て! 無理に撃つな!」
「了解!」
騎士たちは混乱しながらも、次々と指示に従っていく。
だが、状況は明らかに悪化していた。
城壁の一部は崩れ、バリスタは一基失われた。
負傷者も出ている。
それでも――
「怯むな!」
隊長が声を張り上げた。
「住民を逃がす時間を稼ぐんだ!」
騎士たちは再び武器を構えた。
恐怖で手が震えている者もいる。
それでも、誰一人としてその場を離れようとはしなかった。
魔物が、さらに距離を詰める。
――ズン。
――ズン。
一歩。
また一歩。
その巨体が、近づいてくる。
「……まずい」
誰かが呟いた。
「このままじゃ、町に入られるぞ」
隊長は剣を抜いた。
「絶対に入れるな!」
騎士たちが一斉に構える。
そのとき――
「――そこまでだ」
不意に、声が響いた。
騎士たちが振り返る。
町の奥から、二人の人影が走ってくる。
白を基調とした聖徒の衣装。
そして、赤い装飾が施された白銀の鎧。
《疾風の聖徒》――エレナ・セレス・ヴァルティア。
《火焔の聖騎士》――ガルド・アレイス・レグナ。
二人が北門へ到着した。
ガルドは魔物を見上げる。
「……三級か」
エレナも静かに魔物を見据えた。
「騎士団だけでは厳しそうですね」
「ああ」
ガルドが腰の擬聖剣へ手を伸ばす。
「ここからは――俺たちがやる」
その言葉と同時に、剣が鞘から抜かれた。
刃を包むように、赤い炎が燃え上がる。
エレナの周囲では、風が静かに渦を巻き始めた。
魔物が咆哮する。
その声が、ベルネア町全体を震わせた。
――人間と三級魔物。
町の命運をかけた戦いが、今まさに始まろうとしていた。




