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第五十一話 訪れた者

翌朝。


まだ村が完全に目を覚ます前の、静かな時間だった。


教会の窓から朝の光が差し込み、白い壁を淡く照らしている。


遠くから鳥の鳴き声が聞こえ、外では誰かが井戸から水を汲む音がしていた。


アルジェナは、その音で目を覚ました。


「……朝か」


ゆっくりと身体を起こし、窓の外を見る。


昨日は暗くてよく見えなかった村の様子が、朝の光の中ではっきりと見えた。


村はそれほど大きくない。


木造の家が二十軒ほど並び、それぞれの家の近くには小さな畑が広がっている。


畑では麦や野菜が育てられており、家の裏には薪を積んだ小屋や、家畜を飼うための簡素な建物も見えた。


村の中央には小さな広場があり、その一角には井戸がある。


昨日二人が泊めてもらった教会も、広場に面して建っていた。


街道は村の端を通っており、旅人や商人が時々立ち寄る。


そのため、村の規模にしては教会があり、旅人を泊めるための部屋も用意されているようだった。


朝になると、少しずつ村人たちが動き始めていた。


畑へ向かう者。


井戸から水を汲む者。


家の前を掃除する者。


小さな村には、小さな村なりの朝が始まっている。


「……こういう村もあるんだな」


アルジェナは、しばらく窓の外を眺めていた。


隣のベッドでは、リリアがまだ眠っている。


アルジェナは起こさないように静かに立ち上がり、旅の荷物をまとめ始めた。


しばらくすると、リリアが身じろぎする。


「……ん」


「おはよう、リリア」


「……おはようございます」


リリアは眠そうに目をこすりながら身体を起こした。


「もう準備してるんですね」


「うん。そろそろ出ようかなって」


「分かりました。私も準備しますね」


二人は荷物をまとめ、部屋を出た。



一階へ降りると、昨日の女性が教会の掃除をしていた。


「おはようございます」


リリアが声をかける。


「あら、おはようございます。よく眠れましたか?」


「はい。ありがとうございました」


リリアは荷物から小さな袋を取り出した。


「それと、こちらを」


「これは?」


「昨日のお部屋と食事のお礼です。教会への献金として受け取ってください」


女性は少し驚いた顔をした。


「まあ……そこまで気を遣わなくてもいいのに」


「泊めていただいたうえに、食事まで用意していただきましたから」


「そうですか……」


女性は少し迷ったあと、袋を受け取った。


「ありがとうございます」


「こちらこそ、ありがとうございました」


リリアは頭を下げた。


アルジェナも続いて頭を下げる。


「お世話になりました」


「旅の途中ですからね。困ったときは、お互い様ですよ」


「はい」


二人は教会を出た。



朝の村には、少しずつ人の姿が増えていた。


畑へ向かう人。


井戸から水を汲む人。


家の前を掃除する人。


小さな村にも、いつもの朝が始まっている。


「今日は、次の町まで行こうか」


「はい」


二人が街道へ向かって歩き始めた、そのときだった。



「すみません」


後ろから声がした。


二人が振り返る。


そこには、一人の女性が立っていた。


年齢は二十代前半ほどに見える。


腰まで届く淡い色の髪が、朝の風に揺れていた。


旅人らしい簡素な服装で、大きな荷物も持っていない。


整った顔立ちをしている。


けれど、アルジェナが気になったのは、それだけではなかった。


ただ立っているだけなのに、周囲の空気から少しだけ浮いているように見える。


「少し、お尋ねしたいことがあるんだけど」


女性は穏やかな笑みを浮かべた。


「何ですか?」


リリアが答える。


女性は二人をじっと見た。


そして――


わずかに目を細める。


「……君」


「はい?」


「教会に泊まっていたよね?」


「はい」


「そう」


女性は小さく頷いた。


その視線が、再びリリアへ向く。


「やっぱり、君だったんだ」


アルジェナが眉を寄せる。


「……何か用?」


「いや」


女性はアルジェナを見る。


「少し気になっただけよ」


そして、もう一度リリアを見る。


「あなたから……神の加護を感じる」


リリアが驚いた顔をする。


「私の加護を?」


「ええ」


女性は目を閉じる。


まるで何かを確かめるように、静かに息を吐いた。


「こんなに近くで感じるのは……久しぶり」


「……そうなんですか?」


「そうね」


リリアは困ったように笑った。


「でも、私の加護はそれほど強くありませんよ」


「……そうなの?」


「はい。まだ小さな傷を治したり、少し疲れを和らげたりするくらいです」


「なるほど」


女性はリリアを見つめる。


その瞳には、興味だけではない何かがあった。


「それでも……」


小さく呟く。


「確かに感じる」


アルジェナは、その様子を黙って見ていた。


何かがおかしい。


この女性は、リリアの加護を知っている。


それだけなら問題はない。


教会関係者や、加護を持つ人間なら知っていてもおかしくない。


けれど――


「あなたは、何者なの?」


アルジェナが尋ねた。


女性は少し驚いたように目を開いた。


そして、くすりと笑う。


「私?」


「うん」


「ただの旅人よ」


「……本当に?」


「本当よ」


穏やかな声だった。


けれど、アルジェナはなぜか納得できなかった。


女性はそんなアルジェナを見て、少し楽しそうに笑った。


「警戒するんだね」


「知らない人だから」


「それもそうね」


女性は素直に頷いた。


「君たちは二人で旅をしているの?」


「はい」


「そう」


女性は少し考えたあと、リリアへ向き直った。


「一つだけ聞いてもいい?」


「はい。何でしょう?」


女性は、静かに尋ねた。


「あなたは――神様に選ばれたいと思ったことがある?」


リリアは、少しだけ目を丸くした。


「……あります」


「そう」


女性はそれ以上何も言わなかった。


ただ、その表情には先ほどまでとは違う、かすかな喜びが浮かんでいた。


「……そうなんだ」


その声は、とても小さかった。


そして女性は、空を見上げる。


「まだ……可能性はあるのかもしれない」


アルジェナには、その言葉の意味が分からなかった。


「何か言った?」


「ううん。何でもないわ」


女性は笑った。


けれど、その笑顔の奥には――


長い間抱えていたような、かすかな寂しさが見えた。


「それじゃあ、気をつけて旅をしてね」


「……はい」


女性は二人の横を通り過ぎる。


そのまま村の中へ歩いていく。


アルジェナは、しばらくその背中を見つめていた。


「……変な人だったね」


「そうですか?」


「うん。なんとなく」


リリアは少し考える。


「でも……悪い人には見えませんでした」


「それは、まだ分からないよ」


「ふふっ。そうですね」


二人は再び街道へ向かって歩き始めた。


その背後で――


女性は誰にも見られない場所まで歩くと、静かに空を見上げていた。


「神の加護……」


その言葉を、もう一度だけ口にする。


「もし、本当にそれで戻れるのなら……」


女性は目を閉じた。


「今度こそ……」

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