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第三十九話 旅の準備

アルジェナが傭兵組合を出ると、グランセルの通りは夕方の色に染まり始めていた。


昼間は多くの人が行き交い、活気に満ちていた大通りも、少しずつ人の流れが変わっている。


店先では店員たちが商品を片付け始め、代わりに食事を求める人たちが酒場や食堂へ向かっていく。


通りのあちこちから、夕食の準備をする音や、料理の匂いが漂ってくる。


昼間よりも少しだけ涼しくなった風が、建物の間を抜けていく。


アルジェナの銀色の髪も、その風に揺れた。


「……もう夕方か」


空を見上げると、昼間の明るい青空は薄い橙色へと変わり始めていた。


大通りの建物にも、夕日の光が差し込んでいる。


昼間とは違う街の姿に、アルジェナは少しだけ足を緩めた。


「昼と夜で、こんなに変わるんだな……」


グランセルでは、まだ多くの人が動いている。


けれど、昼間の忙しさとは違う。


一日の仕事を終え、家や宿へ戻る人。


これから食事をしに行く人。


夜の仕事へ向かう人。


それぞれが、それぞれの目的へ向かって歩いていた。


アルジェナはそんな街の様子を眺めながら、宿へ向かって歩き始めた。


しばらく歩くと、二人が泊まっている宿が見えてきた。


建物の一階には食堂があり、二階より上が宿泊用になっている。


入口から中へ入ると、木の床が広がり、その奥には食事をするためのテーブルがいくつも並んでいた。


壁にはランプがいくつも取り付けられ、夕方になった店内を柔らかく照らしている。


食堂にはすでに何人もの客がいて、料理を運ぶ店員の姿もあった。


話し声や食器の触れ合う音が、店内に響いている。


「……昼とはまた違うね」


アルジェナは食堂を眺めながら呟いた。


昼間よりも人が増えている。


旅人だけではなく、仕事を終えた人たちも食事に来ているようだった。


二人はそのまま階段を上がり、自分たちの部屋へ向かった。


部屋には二つの寝台と、小さな机と椅子が置かれている。


壁際には荷物を掛けるための木製のフックがあり、窓からはグランセルの大通りを見下ろすことができた。


部屋そのものは簡素だったが、床や家具はきれいに手入れされている。


余計なものは置かれていないものの、旅人が過ごすには十分な部屋だった。


「……きれいだね」


アルジェナは部屋を見回した。


「そうですね」


リリアも荷物を置きながら頷いた。


「グランセルは大きな町ですから、宿もしっかりしているんでしょうね」


「そうかも」


アルジェナは荷物を置き、椅子に腰を下ろした。


「おかえりなさい、アルジェナ」


「ただいま」


リリアは先に戻っていて、机の上に荷物を置いていた。


「傭兵組合はどうでした?」


「大きかったよ」


アルジェナは椅子に腰を下ろしながら答える。


「前に見たところとは、全然違った」


「そんなにですか?」


「うん。受付もいっぱいあったし、依頼もたくさんあったよ」


「グランセルは大きな町ですからね」


「そうみたい」


アルジェナは今日見た傭兵組合を思い出す。


依頼の種類も多かった。


長距離の護衛や、魔物討伐だけではない。


捜索や情報収集など、様々な仕事があった。


「でも、今日は見ただけ」


「依頼は受けなかったんですね」


「うん。ちょっと気になっただけだから」


「ふふっ」


リリアが小さく笑う。


「アルジェナらしいですね」


「そう?」


「はい」


リリアはそう言ってから、机の上に置いてあった荷物を整理し始めた。


「私のほうも、教会でいろいろ話をしてきました」


「どうだった?」


「次の旅について、少し相談してきました」


「何か決まったの?」


「セレフィア聖国へ向かう途中にも、いくつか教会があるそうです」


「そこにも寄るの?」


「はい」


リリアは頷いた。


「旅の途中で教会に立ち寄って、手伝えることがあれば手伝うようにと言われました」


「それなら、今までとあまり変わらないね」


「そうですね」


リリアは少し安心したように笑った。


「それと、今のうちに必要なものを揃えておいたほうがいいとも言われました」


「食料とか?」


「はい。薬も少し」


「じゃあ、明日買いに行こうか」


「いいんですか?」


「うん。私も必要なものがあるし」


アルジェナは自分の荷物を確認する。


旅を始めてから何度も買い足してきたが、消耗するものは少なくない。


食料。


水。


火を起こすための道具。


簡単な傷の手当てに使うもの。


旅を続ければ、それらは少しずつ減っていく。


「こういうのも、自分で考えないといけないんだよね」


「そうですね」


「師匠と旅をしてた頃は、あまり気にしてなかったな」


アルジェナは少しだけ苦笑した。


ヴァルドと一緒にいた頃は、必要なものが足りなくなればヴァルドが教えてくれた。


危険な場所を避けることも。


どこで休むかも。


何を持っていればいいかも。


今は、それを自分で考えなければならない。


「……少しずつ慣れてきたけど」


「一人で旅を始めた頃より、ずっと慣れましたよね」


「うん」


アルジェナはリリアを見る。


「今は二人だからね」


「……はい」


リリアも笑った。


しばらくすると、一階の食堂から料理の匂いが漂ってきた。


「……お腹すいた」


アルジェナが呟く。


「ふふっ。夕食にしますか?」


「うん」


二人は部屋を出て、一階の食堂へ向かった。


食堂は昼間よりも賑わっていた。


テーブルには料理が並び、あちこちから楽しそうな話し声が聞こえてくる。


二人も空いている席に座り、夕食を注文した。


食事を終えて部屋へ戻ると、二人は明日の買い物について話していた。


「これで大丈夫かな」


「たぶん大丈夫です」


「じゃあ、明日は買い物だね」


「はい」


二人はそれぞれ明日の準備を済ませると、ベッドに入った。


窓の外には、グランセルの夜が広がっている。


大きな町だけあって、夜になっても人の気配が消えることはない。


通りには街灯が灯り、店の明かりもまだいくつか残っている。


昼間とは違う静かな賑わいが、窓越しにも伝わってきた。


アルジェナはその景色をしばらく眺めていた。


ここに来てから、まだ一日しか経っていない。


それでも、小さな町とは違うものをいくつも見た。


大きな傭兵組合。


大きな教会。


そして、夜になっても人の流れが途切れない街。


「……明日も忙しくなりそうだね」


「そうですね」


二人は笑い合った。


グランセルでの時間は、まだ始まったばかりだった。

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