第三十話 聖名を持つ少女
アルジェナが第四級と思われる魔物を目撃してから、数日が経っていた。
街道を歩き続け、ようやく次の町へと辿り着く。
町へ入ったアルジェナは、まず騎士団の詰所へ向かった。
「すみません」
「どうした?」
「魔物の目撃情報を伝えたいんです」
アルジェナは、森で見た魔物について詳しく説明した。
「……第四級か」
話を聞いた騎士の表情が変わる。
「場所は?」
「街道から少し離れた森です。大きな四足の魔物で、額に一本の角がありました」
「分かった。すぐに調査隊を出す」
「お願いします」
「一人で遭遇したのか?」
「はい」
「……よく逃げ切ったな」
アルジェナは少しだけ苦笑した。
「逃げるしかなかったので」
報告を終えたアルジェナは、町の中を歩き始めた。
四か月の旅で、宿代や食費には思った以上にお金がかかることを知った。
そろそろ、また仕事を探さなければならない。
そんなときだった。
通りの一角に、見慣れない建物があった。
入口には、木製の看板が掛かっている。
――傭兵組合。
「……ここか」
以前、旅人から聞いたことがある。
傭兵組合では、商隊の護衛や荷物の運搬、魔物の討伐など、様々な仕事を紹介している。
それだけではない。
旅先で得られた情報や、魔物の目撃情報なども集まる場所だった。
アルジェナは扉を開けた。
中へ入った瞬間、外とは違う空気が流れてきた。
大きな体の男が、壁に貼られた依頼書を睨むように眺めている。
その隣では、傷だらけの鎧を着た傭兵たちが酒を飲みながら話していた。
奥のテーブルでは、二人の男が依頼の報酬について言い争っている。
壁には剣や槍、弓などが立てかけられていた。
受付の前を通る傭兵たちも、アルジェナの姿を見て一瞬だけ視線を向ける。
十四歳ほどの少女が、こんな場所に一人で入ってくれば当然だった。
だが、アルジェナは特に気にすることなく掲示板へ向かった。
「……結構あるな」
商隊の護衛。
荷物の運搬。
村への物資輸送。
魔物の討伐。
様々な依頼が並んでいる。
その中には、魔物に関する情報もあった。
アルジェナは何気なく掲示板を眺めていた。
すると、一枚の紙が目に入った。
【魔物目撃情報】
【森林北部にて、第四級相当の魔物を確認】
「……これ」
アルジェナは思わず呟いた。
自分が見た魔物の情報だった。
騎士団から、すでに傭兵組合にも情報が共有されているらしい。
「ちゃんと伝わってるんだ……」
少しだけ安心した、そのとき。
「……すみません」
背後から、小さな声がした。
振り返る。
そこにいたのは、一人の少女だった。
アルジェナよりも小柄で、幼い顔立ちをしている。
白を基調とした、聖女教会の信徒用の服。
胸元には、小さな教会の紋章が刺繍されていた。
少女は両手で一枚の依頼書を持っている。
「これ……まだ、決まっていないんでしょうか?」
受付の男が依頼書を確認する。
「ああ。まだだ」
「そうですか……」
少女は困ったように俯いた。
アルジェナは依頼書を覗き込む。
【護衛依頼】
【セレフィア聖国・教会本部までの護衛】
【依頼人:聖女教会所属信徒】
【目的:各地の教会への物資輸送、および奉仕活動】
【報酬:規定額】
「セレフィア聖国……」
アルジェナが呟くと、少女が顔を上げた。
「はい。セレフィア聖国にある、教会本部へ向かいます」
「ここから結構遠いよね?」
「はい」
少女は小さく頷いた。
「ですが、神官になるための試練なんです」
「試練?」
「はい。私は今、神官を目指している信徒です」
少女は少しだけ胸を張った。
「教会の支部から本部まで、自分で旅をしながら、各地の教会や人々を助ける。それが今回の試練なんです」
「へえ……」
アルジェナは依頼書を見る。
「でも、なんでまだ誰も受けてないの?」
少女は少し困ったように笑った。
「……女性一人の護衛ですから」
受付の男が口を挟む。
「傭兵団は男所帯が多いからな。女性だけの傭兵団は珍しい。長期間、女性の信徒一人を護衛する依頼は、どうしても敬遠されやすい」
「そうなんだ……」
「それに、最近は魔物の目撃情報も増えている。報酬を考えると、割に合わないと判断する奴も多い」
少女は申し訳なさそうに依頼書を見つめた。
「教会の兵士にお願いすることは?」
アルジェナが尋ねる。
「教会兵の方々は、教会や聖徒の方々の護衛、それから各地の重要な任務があります」
少女は少し考えてから続けた。
「私一人のために、長い期間お力を借りるわけにはいきません」
「騎士団は?」
「騎士団も、町や街道の警備がありますから……」
少女は苦笑した。
「ですから、自分で護衛を探すことになりました」
「なるほど……」
アルジェナはもう一度、依頼書を見る。
セレフィア聖国。
自分がまだ行ったことのない場所だった。
「私、その方向に行く予定なんだけど」
少女が目を丸くした。
「……本当ですか?」
「うん。だから、途中までなら一緒に行けるよ」
「ですが……」
少女は少し迷った。
「あなたも、傭兵ではありませんよね?」
「うん。私は旅をしてるだけ」
受付の男が、そこで口を挟んだ。
「別に、傭兵じゃなくても依頼は受けられるぞ」
「そうなの?」
アルジェナが受付を見る。
「ああ。ここは傭兵だけが仕事を受ける場所じゃない。依頼人と組合が認めれば、未登録の人間でも依頼を受けることはできる」
「へえ……」
「ただし、未登録なら身元や腕前を簡単に確認する。危険な依頼なら、断ることもある」
「なるほど」
受付の男は、アルジェナの腰にある剣へ目を向けた。
「嬢ちゃん、本当に受けるのか?」
「はい」
「セレフィア聖国までは長いぞ」
「分かってます」
「途中で魔物に遭うこともある」
「それも分かってます」
アルジェナは少しだけ笑った。
「でも、私もそっちに行くから」
少女はしばらくアルジェナを見つめていた。
そして、ゆっくりと頭を下げる。
「……ありがとうございます」
「まだ一緒に行くって決まっただけだよ」
「それでも、です」
少女は顔を上げた。
「私は、リリア・セレスと申します」
「リリア・セレス……?」
アルジェナは、少しだけ首を傾げた。
「……二つ名前があるの?」
「はい?」
「この辺りだと、名前は一つだけの人が多いから」
アルジェナは少し考える。
「もしかして、貴族なの?」
リリアは一瞬きょとんとしたあと、微笑んだ。
「ああ……そういうことでしたか」
「違うの?」
「はい。セレスは、聖名です」
「聖名?」
「聖女教会の信徒になると、教会から授けられる名前です」
「へえ……」
アルジェナは、リリアの胸元にある教会の紋章へ目を向けた。
「じゃあ、貴族じゃないんだ」
「はい。私は普通の家の生まれです」
「そっか」
アルジェナは納得したように頷いた。
「じゃあ、リリアって呼んでいい?」
「もちろんです」
リリアは微笑んだ。
「私も、アルジェナさんとお呼びしますね」
「うん」
アルジェナは少し考えてから、首を傾げた。
「……でも、さんはいらないよ」
「え?」
「これから一緒に旅するんだし」
「アルジェナでいいよ」
リリアは少し驚いたように目を瞬かせ、それから微笑んだ。
「……はい」
「じゃあ、リリア」
「はい、アルジェナ」
「よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
こうして――
一人で歩いていたアルジェナの旅に、初めて同行者ができた。




