第二十三話 初めての一人
朝。
いつもの訓練を終えたアルジェナは、木剣を片付けていた。
「アルジェナ」
「はい?」
ヴァルドが森の奥へ視線を向ける。
「今日は、少し違うことをする」
「違うこと?」
「ああ。森の奥に、魔物が出た」
アルジェナの表情が引き締まる。
「第五級?」
「そうだ」
ヴァルドはアルジェナを見る。
「今日は、お前一人で行ってみろ」
「……一人で?」
「ああ」
「分かった!」
アルジェナは剣を握り直した。
「任せて!」
ヴァルドは頷いた。
「ただし、無理だと思ったら戻ってこい」
「うん!」
アルジェナは森の奥へ向かった。
一人で戦う。
それは初めてではない。
今までにも、ヴァルドの見守る中で魔物と戦ったことは何度もある。
けれど――
今日は、ヴァルドが手を出さない。
それだけで、いつもとは違う緊張があった。
しばらく歩くと、鳥の声が聞こえなくなった。
風も弱い。
森の中が、妙に静かだった。
アルジェナは足を止める。
「……いる」
木々の向こうから、低い唸り声が聞こえた。
アルジェナはゆっくりと剣を抜く。
一匹。
灰褐色の毛。
額から伸びた一本の角。
第五級の魔物だ。
「……一匹なら」
アルジェナは構えた。
魔物が飛びかかってくる。
アルジェナは横へ避ける。
爪が空を切った。
そのまま魔物の横へ回り込み、剣を振る。
一撃。
魔物がよろめいた。
アルジェナは距離を取る。
「……よし」
だが――
ガサッ。
背後の茂みが揺れた。
アルジェナが振り返る。
「……え?」
もう一匹。
同じような魔物が姿を現した。
アルジェナの表情が変わる。
「二匹……?」
最初の魔物も立ち上がった。
二匹の魔物が、アルジェナを挟むように動き始める。
「……一匹ずつなら」
アルジェナは剣を構え直す。
二匹が同時に動いた。
「っ!」
アルジェナは横へ飛ぶ。
一匹目の爪を避けた直後、二匹目が襲いかかってくる。
「危ない!」
身体を低くする。
頭上を爪が通り過ぎた。
アルジェナは距離を取る。
「……一匹だけ見ちゃ駄目だ」
二匹。
両方を見る。
片方だけを見ていれば、もう片方に襲われる。
アルジェナは呼吸を整えた。
――見る。
足。
身体の向き。
目。
二匹の位置。
そして、自分が逃げられる場所。
「……そうだ」
アルジェナは少しずつ後ろへ下がる。
二匹を一直線に並べる。
「これなら……」
一匹が飛びかかってくる。
アルジェナは横へ避けた。
すると、その後ろにいたもう一匹の動きが一瞬止まる。
「今!」
アルジェナが踏み込む。
一匹目の横を抜け、そのまま二匹目へ向かう。
剣を振る。
魔物が後退する。
アルジェナは追いかけない。
すぐに一匹目へ視線を戻す。
「まだ……!」
一匹目が襲いかかる。
避ける。
振り返る。
二匹目が来る。
また避ける。
一匹ずつ倒そうとするのではなく、二匹の位置を常に意識する。
少しずつ。
少しずつ。
アルジェナは二匹の動きをずらしていく。
そして――
一匹目が大きく身体を開いた。
「そこ!」
アルジェナの剣が、その身体を捉える。
魔物が倒れた。
残った一匹が怒ったように吠える。
アルジェナは剣を構え直した。
「……あと一匹」
最後の魔物が突っ込んでくる。
アルジェナは真正面から受けない。
身体を横へ滑らせる。
そして――
一閃。
魔物が地面に倒れた。
静寂が戻る。
アルジェナはしばらく動かなかった。
やがて、ゆっくりと息を吐く。
「……終わった」
自分の剣を見る。
手が少し震えていた。
怖かった。
一匹の時とは違う。
どこを見ればいいのか分からなくなる瞬間が何度もあった。
それでも――
「……できた」
アルジェナは小さく笑った。
森の入り口まで戻ると、ヴァルドが待っていた。
「どうだった?」
「……怖かった」
「そうか」
「一匹なら、前よりずっと戦える。でも二匹になると、全然違った」
ヴァルドは頷く。
「それが複数戦だ」
「一匹だけ見てたら、もう一匹に襲われる」
「ああ」
「だから……二匹とも見ながら戦った」
「それでいい」
ヴァルドはアルジェナの剣を見る。
「よく戻ってきたな」
「……?」
「勝てたことだけを考えるな」
「……うん」
「一人で戦うなら、自分で判断しなければならない」
「危ないと思ったら逃げることも必要だ」
アルジェナは頷く。
「今日は、逃げなかった」
「そうだな」
「でも……もし、もっと強い魔物だったら?」
ヴァルドは少しだけ考えた。
「その時は逃げろ」
「……」
「一人で戦えることと、一人で何でも倒せることは違う」
アルジェナはその言葉を黙って聞いた。
「自分の力を知ることも、強さの一つだ」
「……分かった」
アルジェナは剣を鞘に収めた。
そして、ヴァルドの隣に並ぶ。
「でも」
「なんだ?」
「今日は、ちょっとだけ分かった気がする」
「何がだ?」
アルジェナは前を向いた。
「一人でも、戦えるんだって」
ヴァルドは何も言わなかった。
ただ、アルジェナの隣を歩いた。
森の木々の間から、夕方の光が差し込んでいる。
アルジェナの銀色の髪が、その光を受けて輝いていた。
まだ、師の背中には遠い。
それでも――
少女は少しずつ、一人で歩けるようになっていた。




