第二十話 守る者の背中
王都セレスティアで聖剣選別を受けてから、一年。
アルジェナは十二歳になっていた。
背丈は少し伸び、剣を握る姿も以前とは変わっている。
あの日、聖剣に選ばれなかった悔しさは、今でも完全に消えたわけではない。
それでも――
アルジェナは、毎日剣を握り続けていた。
「アルジェナ、行くぞ」
「うん!」
ヴァルドと共に、二人は森を歩いていた。
今日は町へ向かう日だった。
森で暮らす二人にとって、町へ行くのは食料や薬などを買うための大切な用事だ。
街道へ出ると、アルジェナは周囲を見渡した。
以前なら、ヴァルドの後ろを歩いていることが多かった。
今では、少し前を歩くことも増えている。
「ずいぶん歩くのが速くなったな」
後ろからヴァルドが言う。
「ヴァルドさんが遅いんじゃない?」
「……言うようになったな」
アルジェナが笑う。
そんな何気ないやり取りをしながら、二人は町へ向かった。
その途中だった。
森の奥から、低い唸り声が聞こえた。
ヴァルドが足を止める。
「……魔物だ」
「第五級?」
「いや」
ヴァルドは森の奥を見つめる。
「もう少し上だ」
木々の間から、大きな影が現れた。
四本足の魔物。
体長は三メートル近くあり、岩のように硬そうな皮膚に覆われている。
口からは太い牙が覗き、前足には長い爪が並んでいた。
「……第四級か」
アルジェナが息を呑む。
以前戦った第五級とは、明らかに大きさが違う。
魔物が二人を見つけ、低く唸った。
「アルジェナ」
「うん」
「下がっていろ」
ヴァルドが前へ出る。
「この魔物は俺がやる」
「でも……」
「よく見ておけ」
ヴァルドは剣を抜いた。
魔物が地面を蹴る。
巨体からは想像できないほど速い。
だが――
ヴァルドは動かなかった。
魔物が目前まで迫った瞬間。
一歩だけ身体をずらす。
爪が空を切った。
そのまま魔物の懐へ入り込み、剣を振る。
一閃。
魔物の動きが止まった。
ヴァルドはそのまま距離を取る。
魔物は数歩進んだところで、地面へ倒れた。
アルジェナは言葉を失った。
「……え?」
「終わった」
ヴァルドは剣を払った。
「……今の」
アルジェナは倒れた魔物を見る。
「一撃……?」
「ああ」
アルジェナは自分の剣を見る。
自分なら、あの魔物と戦ったらどうなるだろう。
第五級でさえ、何度も攻撃をかわして、ようやく倒した。
それより強い第四級を――
ヴァルドは、一瞬で倒した。
「……すごい」
「そうでもない」
「すごいよ!」
アルジェナは目を輝かせる。
「私も、あんなふうになりたい!」
ヴァルドは少し驚いたようにアルジェナを見る。
「……そうか」
「うん!」
「なら、もっと鍛えろ」
「分かった!」
アルジェナは強く頷いた。
その後、二人は町へ向かった。
町へ着くと、ヴァルドはいつもの店へ向かった。
「今日は何を買うの?」
「食料と薬だ。森へ戻る前に補充しておく」
「じゃあ、私も持つよ」
アルジェナが荷物を持ち上げる。
以前なら重そうにしていた荷物も、今ではしっかりと持ち上げられる。
「……頼もしくなったな」
「でしょ?」
アルジェナは嬉しそうに笑った。
その時だった。
町の入口の方から、騒がしい声が聞こえてきた。
「魔物だ!」
「子供を下げろ!」
「誰か、騎士を呼んでくれ!」
アルジェナの表情が変わった。
「ヴァルドさん!」
「行くぞ」
二人は声のした方へ走った。
町の外れでは、一匹の魔物が暴れていた。
第五級。
アルジェナがこれまで戦ってきた魔物と比べても、それほど強い相手ではない。
だが、問題は魔物の近くに人がいることだった。
逃げ遅れた町の人々。
そして、数人の子供たち。
魔物が唸り声を上げながら、子供たちへ近づいていく。
「ヴァルドさん、私が行く!」
アルジェナが剣を抜く。
「待て」
「え?」
「まず周りを見ろ」
アルジェナは辺りを見渡した。
逃げ道。
町の入口。
魔物の位置。
そして、子供たち。
「……あそこに逃げたら、魔物とぶつかる」
「そうだ」
ヴァルドは剣を抜かなかった。
「どうする?」
アルジェナは少し考えた。
そして、子供たちの方へ走った。
「こっち!」
「え……?」
「早く! こっちに来て!」
怯えて動けない子供の手を取る。
「大丈夫だから!」
アルジェナは子供たちを町の中へ誘導する。
「お姉ちゃん……怖い……」
「大丈夫。私がいるから」
その言葉に、子供たちは少しずつ動き始めた。
「走って!」
子供たちが走る。
アルジェナは最後尾に残った。
魔物がこちらへ向きを変える。
「……来る!」
アルジェナは剣を構えた。
魔物が突進してくる。
アルジェナは横へ飛んでかわす。
そのまま魔物の前へ回り込み、町から遠ざける。
「こっち!」
魔物が追ってくる。
アルジェナは走りながら、何度も後ろを確認した。
町から離れている。
人もいない。
「ここなら……!」
アルジェナは足を止めた。
魔物が唸る。
アルジェナは剣を構える。
「もう、誰も傷つけさせない!」
魔物が飛びかかってくる。
アルジェナは身体を横へ滑らせた。
爪が空を切る。
以前よりも速くなった身体が、自然に動く。
魔物の動きを見る。
攻撃をかわす。
距離を取る。
そして――
隙を見つける。
「そこ!」
アルジェナの剣が魔物を捉えた。
魔物が倒れる。
アルジェナは荒い息を吐きながら、剣を下ろした。
「……終わった」
「よくやった」
ヴァルドが近づいてくる。
「今回は、ちゃんと守れたかな?」
「ああ」
ヴァルドは町の方を見る。
そこでは、先ほどの子供たちが家族のもとへ戻っていた。
泣きながら子供を抱きしめる母親。
何度も頭を下げる父親。
安心したように笑う子供たち。
アルジェナは、その光景をじっと見つめていた。
「……よかった」
「ああ」
ヴァルドも静かに答えた。
帰り道。
夕暮れの街道を歩きながら、アルジェナは前を歩くヴァルドの背中を見つめていた。
さっき見た剣。
魔物を一瞬で倒した姿。
そして、いつも自分を守ってくれる大きな背中。
「ヴァルドさん」
「なんだ?」
「私、いつか……」
アルジェナは少しだけ笑った。
「ヴァルドさんみたいになりたい」
ヴァルドは足を止める。
そして、振り返った。
「俺みたいになる必要はない」
「え?」
「お前は、お前の剣を作ればいい」
「……私の剣」
「ああ」
ヴァルドは前を向く。
「俺が教えられることを、お前が全部そのまま使う必要はない」
「お前自身が考えて、お前自身のやり方で人を守ればいい」
アルジェナは、その言葉を聞いて少し考える。
そして――
「……分かった」
小さく笑った。
「じゃあ、私の剣を見つける」
「そうしろ」
二人は再び歩き始めた。
夕暮れの街道に、二人の影が伸びていく。
アルジェナはまだ知らない。
いつか、この背中を追うことができなくなる日が来ることを。
今はただ――
その背中に追いつくために。
そして、自分の剣を見つけるために。
アルジェナは剣を握りしめていた。




