第一話 銀髪の少女
――それは、今から数十年前のこと。
山々に囲まれた、小さな村があった。
大きな街からは遠く、商人が訪れることも滅多にない。
村の中央には小さな広場があり、その周囲に木造の家々が並んでいた。
広場から少し離れた場所には畑が広がり、麦や野菜などの作物が育てられている。
村の外れには家畜を飼うための小屋もあり、その先には山へ続く森が広がっていた。
村人たちは畑を耕し、家畜を育て、互いに助け合いながら暮らしていた。
そんな村に、一人の少女がいた。
名は、アルジェナ。
八歳の少女だった。
銀色の髪を持つ、少し活発な少女。
「お父さん! 今日こそ勝つからね!」
アルジェナは木剣を握りしめ、父親へと向ける。
「ははは。まだまだ早いぞ、アルジェナ」
父親も木剣を構えた。
その構えには、村人の遊びとは思えないほど無駄がなかった。
「いくよ!」
アルジェナが地面を蹴る。
「……!」
父親はアルジェナの一撃を受け流し、木剣を軽く返す。
「ほら、そこだ」
「わっ!」
木剣が弾かれ、アルジェナは尻もちをついた。
「また負けた……」
「まだまだだな」
「お父さんが強すぎるんだよ!」
「そうでもないさ」
父親は笑った。
「昔はもっと強かったぞ」
「知ってる!」
アルジェナはすぐに答えた。
「お父さん、昔は兵士だったんでしょ!」
「ああ」
「もう何回も聞いたよ、それ!」
母親が家の前から笑う。
「あなた、アルジェナに昔の話をするたびに同じところで終わるんだから」
「そうか?」
「そうよ」
アルジェナも笑った。
「でも、お父さんが兵士だった話、好き!」
「そうかそうか」
父親は嬉しそうに笑う。
「じゃあ、今日も一つくらい話してやるか」
「ほんと!?」
アルジェナが目を輝かせる。
「昔、街道で魔物が出たことがあってな」
「魔物!?」
「ああ。父さんたち兵士が何人かで討伐に向かったんだ」
「魔物って強かった?」
「強かったぞ」
父親は少し遠くを見るような目をした。
「だから、剣を振れるだけじゃ駄目なんだ」
「……?」
「仲間を守ること。逃げること。そして――戦わないことを選ぶこと」
父親はアルジェナを見る。
「それも、戦う者には必要なんだ」
アルジェナには、その言葉の意味がまだよく分からなかった。
それでも――
「じゃあ私も、強くなる!」
アルジェナは元気よく木剣を構え直した。
「お父さんみたいに?」
「いや」
父親は笑った。
「アルジェナは、アルジェナでいい」
「……?」
「さあ、もう一回やるか」
「うん!」
二人は再び木剣を構えた。
しばらくして、アルジェナは再び木剣を弾かれた。
「うぅ……また負けた」
「まだまだだな」
「ねえ、お父さん」
「ん?」
アルジェナは木剣を握ったまま、父親を見上げた。
「お父さんは、本物の勇者を見たことあるの?」
父親の手が止まった。
「……ああ」
「ほんと!?」
アルジェナの目が輝く。
「ああ。兵士だった頃に、一度だけな」
「どんな人だったの?」
父親は少し考えてから、昔を思い出すように空を見上げた。
「強かったよ」
「やっぱり!」
アルジェナが身を乗り出す。
「魔物をいっぱい倒したの?」
「もちろんだ。だが、それだけじゃない」
「?」
「俺たち兵士が魔物を食い止めている間、その勇者は逃げ遅れた村人のところへ真っ先に向かった」
父親は静かに続けた。
「自分が一番危険な場所へ行ってな」
「……怖くなかったのかな」
「怖かったと思うぞ」
「勇者なのに?」
父親は笑った。
「勇者だって人間だからな。怖いものは怖い」
「じゃあ、なんで行ったの?」
父親はアルジェナを見る。
「助けを求めている人がいたからだろうな」
アルジェナは黙って父親の話を聞いていた。
「その人は、強かったから勇者だったんじゃない」
父親は木剣をアルジェナへ渡した。
「人を守るために、怖くても前へ進んだから――俺は、あの人を勇者だと思っている」
アルジェナは木剣を見つめた。
「……私も」
「ん?」
「私も、そんな勇者になりたい」
父親は少し驚いた顔をした。
「魔物を倒すんじゃなくて?」
アルジェナは首を横に振った。
「魔物を倒して、みんなを守るの」
そして、小さな手で木剣を握り直した。
「私も、怖くても逃げない勇者になる!」
父親はしばらく黙っていた。
やがて――
「……そうか」
優しく笑った。
「なら、強くなれ」
「うん!」
「ただし――」
父親はアルジェナの目を見る。
「強さだけでは、勇者にはなれないぞ」
「……?」
「それは、いつか自分で分かるさ」
その様子を、家の前から母親が眺めていた。
「ふふ……二人とも、朝から元気ね」
「お母さん!」
アルジェナが振り返る。
「そろそろ朝ご飯よ。冷めちゃうわ」
「はーい!」
アルジェナは木剣を置くと、母親のもとへ駆けていった。
家へ向かう途中、村の広場を通る。
「おはよう、アルジェナちゃん」
声をかけてきたのは、近所に住むおばさんだった。
「おはよう!」
「今日もお父さんと稽古かい?」
「うん! でも、まだ一回も勝てないの!」
「そりゃ、お父さんは元兵士だからねぇ」
おばさんは笑いながら、籠から小さな焼き菓子を取り出した。
「ほら。朝ご飯の前だから、ひとつだけね」
「いいの!?」
「内緒よ」
「ありがとう!」
アルジェナは嬉しそうに受け取った。
その横を、同年代の少年が走っていく。
「アルジェナ! あとで広場に来いよ!」
「何するの?」
「みんなで遊ぶんだ!」
「わかった!」
「遅れるなよ!」
少年はそのまま走っていった。
「人気者ね」
母親が笑う。
「うん!」
アルジェナは嬉しそうに答えた。
その先では、村の老人が畑仕事をしていた。
「おや、また木剣を振っておったのか」
「うん!」
「お父さんに似て、剣が好きになったかのう」
「将来は勇者になるの!」
アルジェナは胸を張った。
老人は目を細めて笑う。
「そうか、そうか。楽しみにしておるぞ」
「うん!」
アルジェナは元気よく返事をした。
――この村では、誰もがアルジェナを知っていた。
小さな村だったからこそ、村人たちは家族のように互いを知っていた。
アルジェナにとっても、ここにいる人たちは大切な人たちだった。
昼になると、アルジェナは父親のもとへ向かった。
「お父さん!」
「ん?」
「私、勇者になったら魔物をいっぱい倒す!」
父親の手が止まる。
「……そうか」
「魔物を倒して、みんなを守るの!」
父親はアルジェナを見つめた。
「勇者になるには、神様に選ばれないといけないんだぞ」
「知ってる!」
アルジェナは胸を張った。
「私が強くて、優しい人になったら、きっと神様が選んでくれるよ!」
「……そうね」
母親も微笑む。
「アルジェナなら、きっと素敵な勇者になれるわ」
「でしょ!」
アルジェナは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ながら、父親は少しだけ複雑な表情を浮かべた。
――戦場を知る父親には、分かっていた。
剣を握るということが、どういうことなのか。
それでも。
娘が夢を語ることを、否定することはできなかった。
その日の夕方。
アルジェナは一人で村の外れにある広場へ向かった。
手には、昼間と同じ木剣。
「もっと強くならないと……」
何度も木剣を振る。
一回。
二回。
三回。
小さな腕が疲れても、アルジェナは止めなかった。
「私が、みんなを守るんだから」
その言葉を胸に刻むように、何度も木剣を振り続けた。
やがて空が暗くなり、アルジェナは家へ戻った。
夜。
家の中では、家族三人が食卓を囲んでいた。
「今日は頑張ったから、ちゃんと食べなさいよ」
母親がアルジェナの皿に料理をよそう。
「ありがとう、お母さん!」
「明日も木剣の稽古するのか?」
父親が尋ねる。
「もちろん!」
「ほどほどにしなさいよ?」
「大丈夫!」
母親は笑いながらも、少し心配そうにアルジェナを見る。
「……無理はしないでね」
「うん!」
食事を終え、アルジェナは両親に挟まれるように布団へ入った。
「お父さん」
「なんだ?」
「私、本当に勇者になれるかな?」
「……なれるさ」
父親は優しく答えた。
「アルジェナなら、きっとなれる」
「お母さんもそう思う?」
「ええ」
母親も微笑む。
「アルジェナは優しい子だもの」
「じゃあ、約束!」
アルジェナは小さな指を立てた。
「私、絶対にみんなを守れる人になる!」
父親はその指に、自分の指を絡める。
「約束だ」
母親も二人の手に、自分の手を重ねた。
「私たちも、ずっとアルジェナを応援してるわ」
「えへへ……」
アルジェナは嬉しそうに笑った。
そして――眠りについた。
静かな夜だった。
虫の声が聞こえる。
風が木々を揺らす。
いつもと変わらない夜。
――そのはずだった。
「……ドン」
遠くから、何かが響いた。
父親が目を覚ます。
「……?」
もう一度。
「ドン……」
今度は、地面がわずかに揺れた。
父親はすぐに起き上がった。
母親も目を覚ます。
「あなた……?」
「静かに」
父親は窓の外を見る。
遠くの村の方角から、赤い光が見えた。
「……魔物?」
その直後。
「グオオオオオオオオオッ!!」
人間のものではない咆哮が、夜の村に響き渡った。
村のあちこちから悲鳴が上がる。
「魔物だ!」
「逃げろ!」
「子供たちを家の中へ!」
昼間まで笑い合っていた村人たちが、恐怖に駆られて走り回る。
父親はすぐに立ち上がり、壁に立てかけていた古びた剣を手に取った。
母親が息を呑む。
「あなた……」
「アルジェナを頼む」
その声には、先ほどまでの穏やかさがなかった。
かつて兵士だった男の声だった。
広場では、昼間アルジェナに声をかけた少年が母親に抱きかかえられていた。
「お母さん! 何が起きてるの!?」
「大丈夫よ! 大丈夫だから!」
畑にいた老人も、杖をつきながら村の奥へ逃げていく。
「こんなところに……魔物が……」
そして――
アルジェナの家にも、魔物の咆哮が近づいていた。
父親は剣を握りしめる。
「……アルジェナ」
母親が娘を抱き寄せる。
「逃げるわよ!」
「……ああ!」
父親はアルジェナを抱き上げた。
「お父さん……?」
眠そうな声。
まだ状況を理解できていないアルジェナ。
母親は娘の手を握った。
「大丈夫よ。お母さんがいるから」
「うん……」
三人は家を飛び出した。
しかし――
目の前に広がっていたのは、いつもの村ではなかった。
赤く染まった夜空。
逃げ惑う人々。
燃え始めた家々。
そして、村へと迫る無数の魔物。
アルジェナは、ただ呆然とそれを見つめていた。
昼間、一緒に笑っていた村人たち。
焼き菓子をくれたおばさん。
「勇者様かのう」と笑ってくれた老人。
一緒に遊んでいた友達。
その全てが、今は悲鳴と炎の中にあった。
「……いや……」
アルジェナの身体が震える。
「お父さん……お母さん……」
両親は、アルジェナを強く抱き寄せた。
「大丈夫だ」
父親が言う。
「父さんたちが、お前を守る」
父親は剣を握り直した。
かつて兵士として戦った時と同じように。
家族を守るために。
その夜。
アルジェナの日常は、終わった。
誤字あったらおしえてほしんだ!
読んでくれてありがとなんだ!




