パンツの食い込み
彼はその乾いた唇をどうにか動かしたそうにしていると、そう見て取れた。
ギギギと油の切れた機械を円滑に動かすには、油を注せばいい。彼のその唇も同じかと思い、先ほど舐めとった唾液を戻すような心持ちで、それに自分の唾液も混ぜるように、彼のその乾いた唇を舐めてみた。しかし目を閉じた彼は微かに反応するだけで、声は出ない。
そして代わりとでも言うように、弱く口角が上がった。
その卑しい顔がどうしようもなく、愛しく、そしてどうしようもなく、憎かった。
よくもスカートを捲ったな、と。
よくもパンツを。
よくも妹を。
よくも両親を。
よくも小海を。
よくも、よくもと恨みが、怒りが湧き上がる。
そして同時にどこかに隠れていた狂気じみた何かも肥大する。
その二つの、ごちゃごちゃに混ざった何かを、ナイフに乗せる。
彼への恨みも、憎しみも、愛も、ナイフに乗せる。
そして、ずぶり、と。
さっきとはまた違ったところに突き刺す。
それを引き抜き、少しずらして。
ずぶり。
またずぶり。
何度も何度も何度も。
ありったけの怒りも憎しみも、そして愛も込めて。
何度も何度も。
途中、どうにか立っていた彼が力なく後ろに倒れた。それを追うように、その倒れた彼に馬乗りとなって、また何度も何度も。
返り血が鬱陶しい。
臭く重い。
垂れる前髪に纏わりつき、滴る。
乾ききった彼女の血を上から塗りつぶすように、顔にもかかる。
そこからまた滴り、切り口に溢れる血と混ざる。
ナイフを持つ手にも、自分を支えるために彼の胸へと置いた手にも、纏わる。
それでも尚、収まらない。
同時に彼を想う。
彼はまだ見たりないだろう、とそう思った。
彼はそういう人だと、分かっていた。
だから私は一旦ナイフから手を離して立ち上がった。
そして彼の頭の上に足を広げて立つ。
血の纏わるその手で自分のスカートをたくし上げた。
上がっていた息を多少整えて口を開く。
「…これで、満足、ですか…?」
そう聞くと、彼は微かに口角をあげて、唇が震える程度に動いた。
しかし声は届かなかった。
それを見て勝手に彼が満足したということにして、再び彼の腰あたりに馬乗りになる。
そして再びナイフを握って突き刺した。
しかしすぐに気持ちよく刺せるところがなくなってしまった。
仕方なく、少し上る。
そして胸のあたりに、ずぶり。
引き抜いて、ずがっ。
骨に当たった。
引き抜いてずぶり。
またずぶり。
息が上がり、少し眩む。
もういいや。
彼の胸に刺さったナイフから手を離し、前かがみになっていた上半身を起こしてから腕を垂らす。
すると窓から差し込む夕日が眩しかった。
目を細めながら彼を見下ろす。その彼に突き刺さったままのナイフは温い血に濡れている。柄までも真っ赤。しかしその欠けた刃に少しだけ血のかかっていないところがあった。そしてそこは斜陽に眩しく輝いていた。それにもまた目を細める。
どこも赤く、そして眩しい。
しかしそんな赤い視界が揺れ始める。どこかに反射するように目映く、そして輪郭が歪む。
同時に頬の乾き始めていたその血の上をまるでそれを溶かすように、何か温かいものが通っていった。
それをまた血だらけの手で拭ってみて、そしてそれを目の前に掲げた。それは微かな血と混ざり、濁っていた。何とはなしに口に運んでみる。少し鈍くしょっぱい気がした。
そしてついでにとその真っ赤な手も見つめる。
弱く握ると僅かに固まっていた血がパラパラと落ちていった。
しかしそれを目で追っても、血だらけの彼の上に落ちてしまい、その落ちた血がどこにあるのかも、もう見分けがつかなくなっていた。
そうやって見下ろしながら彼から立ち上がる。
そうすると、中途半端に開けられていた窓からゆるく入った風が頬を掠める。日が陰りもう冷たくなったその風は、夕日に照る空を背景に血生臭い私の体を微かに震わせ、私を覆っていた黒い何かに、ナイフに乗せきれなかった彼への想いのその残滓さえも、固まった血の欠片と共に払い落とした。
そしてピンクのしましまパンツのその食い込みを右手で直した。




