ダンジョンがある現代、あるいは魔術塔の窓際
「それにしても、日本の就職氷河期みたいな話が、この令和の魔導社会でも起きているなんてねぇ……」
ミカルは、液晶画面のバックライトが淡く光るスマートフォンを片手に、ぽつりと呟いた。
先ほど呼び出してしまった『人生の迷子』たる青年は、ミカルが淹れた安物のハーブティーとクッキーですっかり落ち着き、いまは研究室のソファで深く寝息を立てている。
「何を今更なことを言っているのよ」
マリンは自身のスマート端末にタッチペンで複雑な数式を走らせながら、呆れたように視線を向けた。
「二十一世紀初頭に、世界各地へ突如として『ダンジョン』が出現し、そこから溢れ出た『魔力』や『モンスター』が既存の科学文明と融合してからはや数十年。いまや魔導産業は国家の基盤よ。ダンジョン資源の利権を巡る大企業の就職競争が激化するのは、経済学的に当然の帰結だわ」
そう、この世界は、私たちがよく知る現代社会とほとんど変わらない。
高層ビルが立ち並び、人々は地下鉄で通勤し、インターネットやSNSで情報を送り合っている。ただ一つ違うのは、その社会の裏側に、そして日常の隙間に、『魔術』と『ダンジョン』が完全に織り込まれてしまっている点だ。
かつて科学が担っていたエネルギー産業の一部は、魔物から採れる魔晶石の発電へとリプレイスされた。
かつての「軍隊」や「警察」には、ダンジョン内の治安維持や魔物災害に対応するための『国家公認ギルド』や、ミカルのような『魔導官(通称・冒険者)』というプロフェッショナルな役職が組み込まれた。
そして二人が今いる「魔術塔」も、古めかしいレンガ造りの塔などではなく、都市の中心部にそびえ立つ、最先端の魔導研究設備を備えた総合学術ビルのことだった。
「それは分かってるんだけどさ。でも、魔導産業のせいで従来の事務職やインフラ系の求人が減って、この子みたいに『適性検査の魔力値がほんの少し足りないだけ』で不採用にされるのは、世間一般の構造としてちょっと冷たすぎない?」
だらしない格好のまま、けれど世慣れた常識人としての視点で社会の歪みに眉をひそめるミカル。
「だから僕は、魔力値が中の上くらいの人でも、あるいは魔力がない普通の人でも、日々の生活がちょっと便利になるような汎用魔術を研究したいんだよね」
「志は立派だけど、あなたが組む術式はどれもこれも理論だけ一般用で、実質あなた専用のブラックボックスじゃない。……まあ、だからこそ国にバレたら大変なわけだけど」
マリンは眼鏡の位置を直しながら、ため息をついた。
「いい、ミカル。今の政府は、ダンジョンの深層を効率よく攻略できる『広域破壊魔法』や、戦力を倍化させる『ダブル召喚』のような、分かりやすい軍事・経済特許ばかりを優遇しているわ。もしあなたの、認識を無視して物品を強制転移させる『引き寄せ』や、異次元スキャンによる『コピー』なんていう、現代の物流システムと知的財産権を根底から破壊しかねないバグ魔術が公表されたらどうなると思う?」
「……特許庁と防衛省が、僕の身柄を確保しに突撃してくる?」
「正解よ。確実にこの魔術塔ごと国家機密として囲い込まれて、一生幽閉されて研究の奴隷にされるわね。だから、怪しまれた時の『とぼける作戦』は、私たちの生存戦略として徹底しなさい」
「うへえ……。やっぱり、僕たちの研究は、この窓際のボロ研究室でこっそりやるのが一番だね」
ミカルは苦笑いしながら、ソファの青年に風邪をひかないよう、手元の毛布を『引き寄せ』て優しくかけてあげた。
魔法と科学が混ざり合った、この窮屈で少し歪んだ現代社会の片隅で。
世界で唯一の資質を持つ召喚術バカの隠密ライフハック研究は、まだ始まったばかりだった。




