迷子召喚
「――よし、それじゃあ『迷子引き寄せ召喚術』の実験を始めるよ!」
ボロい研究室の床にチョークで真新しい術式を描き終え、ミカルは嬉しそうにポンと手を叩いた。
男でも女でもないフラットな体型に、少し着崩したローブを纏った姿は相変わらずだらしない。だが、その指先が描いた数式は、既存の魔術体系を無視した恐るべき美しさを持っていた。
「……ミカル、今度は何? 迷子って、あの物理的に道を見失った子供のこと?」
机の上で分厚い魔導書を開きながら、親友のマリンが怪訝そうに尋ねる。彼女はドレスの裾を一切汚すことなく、優雅に眼鏡を押し上げた。
「そう! ほら、お祭りの日とかに親御さんと離ればなれになっちゃう子供っているでしょ? 術の索敵範囲をこの街全体に指定して、『近くにいる迷子を一人、目の前に引き寄せる』っていう構成にしたんだ。これがあれば、衛兵さんや迷子センターの人たちがすっごく楽になると思うんだよね!」
「なるほどね。対象の『衣服の特徴』や『魔力波長』を個別指定せず、空間に存在する【迷子】という一時的な状態の人間をランダムで一人抽出する……というロジックかしら。確かに誰かの役には立ちそうだけど、数式の定義が少し曖昧じゃない?」
「大丈夫だよ、理論は完璧! それじゃあ、発動――『引き寄せ召喚術・迷子指定』!」
ミカルが魔力を流し込むと、眩い魔方陣の光が研究室の床を包み込んだ。
次の瞬間、光の粒子が収束し、輪郭を持った人影がぽつんと現れる。
「……えっ?」
ミカルとマリンは思わず声を揃えた。
そこに立っていたのは、泣きじゃくる幼い子供――ではなかった。
よれよれのスーツを着て、ひどく思い詰めた顔をした、二十代半ばほどの人間の青年だった。青年は、右手に「不採用通知」と大きく書かれた羊皮紙を握りしめ、虚ろな目で床を凝視している。
「あ、あの……君、迷子……なのかな?」
ミカルが少し戸惑いながらも、世慣れた穏やかな声で尋ねる。
すると青年はハッと我に返り、周囲を見渡した次の瞬間、大粒の涙をボロボロと流し始めた。
「……はい、迷子です……。大学を卒業して、就職活動に五十回連続で落ちて、俺はこれから人生のどこへ向かえばいいのか、完全に道を見失いました……」
「人生のほうの迷子だったー!?」
ミカルの叫びが部屋に響き渡る。
青年は「ここはどこだ……俺の心を救うためのカウンセリングルームか?」と呟きながら、自分の不条理な現状と世界の厳しさを泣きながら語り始めてしまった。
ミカルは常識人なので、「まあまあ、辛かったね。とりあえず落ち着いてお茶でも飲みなよ」と、お茶請けのクッキーを差し出して優しく背中をさすり始める。
その横で、マリンはまたしてもこめかみを押さえて固まっていた。
「ミカル、あなた……。衣服や空間の物理ログじゃなくて、人間の【精神の在り方(概念)】をトリガーにして空間を繋いだの? そんなの召喚術じゃなくて、運命の糸を手繰り寄せる因果律魔術の領域よ……!」
「ええっ!? 僕はただ『道に迷ってる人』って指定しただけなのに! なんで人生の道まで含めちゃったのさ世界のシステム!」
「そりゃあ、あなたの術式がバカ正直に『迷子』の本質を検索しちゃったからに決まってるでしょ! ……はぁ。でも、どうするのよこの人。今すぐ元の場所に送り返せる?」
「うーん、座標を指定して戻すのは魔力を消費するし、せっかく僕のところに来たんだから、ちょっと話をきいてあげるよ。僕のだらしない生活習慣を反省する話でもして、『こんな奴でも生きていけるんだ』って少し自信を持たせてあげる。もしギルドの人とかに怪しまれたら、『これは、たまたま部屋のドアの鍵が壊れて入ってきちゃった近所の人です』ってとぼけるから!」
「入ってこられるわけないでしょ、ここ魔術塔の最上階よ! 窓から飛んできたとでも言い張る気!?」
理知的だからこそあり得ない言い訳に憤慨するマリンを余所に、ミカルは青年と楽しそうに「面接のコツ」について世間話的なアドバイスを始めていた。
無欲でだらしないが意外と世間を知っている常識人のミカルと、理知的だがちょっと浮世離れしたマリン。
この日から、ミカルの研究室が「なぜか人生の救いがある秘密のお悩み相談室」として、世間の意外な人物を呼び寄せてしまうことになるのだが――二人がそれを知るには、まだ少し時間がかかるのだった。




