第26話 星の怪盗の裏切りと、化け樹たちの助太刀
赤い火の玉が消えた後、ことりは、大泣きしたい衝動を必死に抑えて涙を拭った。
部屋に戻ると、複写の方を赤い封筒に入れて、丁寧に封をした。
そして、羽ペンを半ズボンのポケットに入れた。
黒いマントを引っ掴み、素早く羽織ると、再び窓を開けて身を乗り出した。
「一階で良かった。飛んで見つかったら、ことだから」
ことりは、芝生に足をつけた。
昨日は会えなかったが、小菊は、必ず待っている。
森に向かって、ことりは突っ走った。
月が夜道を照らしてくれたが、有り難いと思えなかった。
「闇じゃないと、マントも意味ないのに」
明日の夜には満月なので、うんざりするほど明るかった。
空を飛ぶにはリスクが高い。万が一を想定すると、地面を浮くにも危険である。
「昨日も今日も、走る定めかな……」
強張った表情に、乾いた笑みが浮かんだ。
森に着いた後、赤目守りの口添えで流れ星に乗せて貰えたが、赤目守りが見えなくなった途端、ジェラルドが、本性を現した。
ジェラルドは、ことりを突き落としたのだ。
「っ!?」
ことりは、瞬時に浮いた。
「どうして?」
訳が分からなくて目を見張ると、ジェラルドが、口角を上げて意地悪く笑った。
「流石、輝龍さまの子だね。でも、ゴメンね。僕は、爝火さまの味方でね。先程、頼まれたんだよ、君の邪魔をするようにって。だから、悪いけど、自力で頑張ってね。生きて帰れるように祈ってるよ、一応ね」
「父さんが?」
ことりは、一瞬呆然としたが、怒りが、ふつふつと沸き起こった。
「あなたも、裏切り者なの?」
鋭く睨みつけたが、ジェラルドは、爝火と同じく何も言わずに一瞬で消えた。
「そんな……」
ことりが、肩を落として途方に暮れた時、野太い声が聞こえた。
ことりが、ぎょっとして下を向くと、巨大な樫が、巨大な枝を伸ばして、ことりを捕まえた。
「輝龍の息子か、それなら手を貸そう。爝火が父なら、死ぬまいよ。しかし、口は閉じておけ。舌を噛むやもしれぬ」
忠告されて、ことりは、ぎくりとした。
「えっ?舌を噛む?ちょっと待って!僕は」
「超特急で、出口まで!ほーれ、パスじゃー。大急ぎじゃー」
化け樹が、掛け声を発すると、化け枝が、ことりを勢いよく前方に放り投げた。
心中で、ことりは、悲鳴をあげた。
(なんで、こうなるのおお!?)
向かい風が、ビュッヒュッと、ことりの耳元で唸るような音を立てた。
すると、重たい風が、青ざめた両頬をバッチンと叩いて通り過ぎた。
奥歯が、ずきずきと痛んで、胸は、ばくばくして、心臓が引っくり返るかと思った。
ことりは、地面に叩き付けられるのではないかと本気で危ぶんだが、先より高い化け樹が大振りの枝を広げて、ことりを受け止めた。
「ほい、キャッチ。ほい、ゆくぞー。大急ぎぞー」
(もう、やめてーーー!!!)
ことりは、再び前へ放られた。
脳ミソが、でんぐり返った気がした。
今度こそ振り落されると覚悟したが、今度は低い枯木を二本も超えられたので、パスとキャッチなしで進みも早かった。
こっちの方が、幾分かマシな気もした。
けれど、結局は、パスとキャッチの繰り返しなので、吐き気をもよおして目の奥が、ずきんずきん痛んだ。
心中で叫ぶ暇もなく、唾を飲み込むことさえ出来なかった。
「ハーイ、行くわよー。大急ぎーーー」
バカでかい掛け声は、樹々のざわめきと共に、波紋のように森中に広がって響き渡った。
巨大なクスノキの林に入ると、樹々が、ことりの襟首を掴んで、ぽいっぽいっと放り投げていった。
掴まれる度に、喉の奥から「グエッ」という濁音が漏れた。
右から左へ、左から右へ、ラグビーボールのようにパスが回って、猛スピードで進んで行った。
ここでも、むやみに目が回って、ことりは、猛烈に泣きたくなった。
(これ、絶対、死ぬ。今夜が僕の命日だ)
彼らのパス回しには、個性が出ていた。
低木から低木へ投げた方が、体への負担を減らせる、そう判断してパスを回す大樹もあれば、より早く進めるようにと、より高い大樹へパスを回す化け樹もあった。
慎重なクスノキは、落ちる心配がないように、枝が大振りの大樹へ、ことりを投げた。
また、自分が受け取るよりも、先へ回した方がいいと独断する大樹もいて、ことりは落下しかけた。
(ああ、終わった)
目が回って飛ぶ力が出なかった。体力を随分と消費してしまった。
故に、何度目を瞑って、胸中で御経を唱えたか分からない。
地面すれすれで、枝と枝に掬い上げられたが、ことりは、今度こそ自分の最期で、きっと心臓が破裂して胃は飛び出るのだと覚悟した。
そんなことが、五回もあったので、生き延びられた後も、生きた心地がしなかった。
「オッケー投げるねー。超特急―」
ざわめきは、森の出口まで絶えることがなかった。
「次、行くぞー。スピード全開、かっ飛ばせー」
ざわざわ、ざわざわ樹々が揺れ動き、森は大波のように揺れ動いて、ことりを飲み込み吐き出した。
今や森は風の海だ。大風にのまれて、ことりは、もみくちゃにされた。
ビューンビューンと、森が唸り続けた。
ことりは、鼓膜が破れるのではないかと、本気で心配した。
柊の林でも、ことりは、酷い目にあった。
柊の葉は、まるで剃刀だ。
ことりの顔を、化け枝が掠めると、ピシュッ・ビシュッと音を立てて、尖った青葉が頬を傷付けて行った。
樹々に悪気はなく、枝たちにも悪気はない。
一生懸命、ことりを受け止めてくれた結果である。
しかし、枝の先が当たると、葉の時と同じことになって、切り傷はどんどん増えた。
血は疎らに飛んで行ったが、運動神経が抜群なおかげで、大量出血だけは免れた。
松林に入っても似たようなことが起こって、両目の近くを槍のような松の葉が通り過ぎていくこともあった。
ことりは、動くことも出来ずに、ぐったりして一連の流れを全身で受け止めていた。
(長い人生、なるようにしかならない時も、沢山あるんだね)
心なしか、月は、ことりに焦点を合わせて、移動しているように見えた。
気の毒そうに、ことりを見下ろして、励ますかのように森の隅隅まで照らしている、そんな夜だった。
(地面を走れる喜びを初めて知ったよ。足があるって、なんて素晴らしいんだろう)
グラグラする頭で、ことりは、そんなことを考えた。
杉と檜が、長々と続く林道へも飛ばされたが、くしゃみと鼻水が止まらなかった。
(僕って、花粉症だったの?初めて知った)
まともな「くしゃみ」をする事も出来ない為、「アブシュッ、バブシュッ」と、喉の奥で濁音が鳴った。
大量に吸い込む空気が、鼻の奥から喉元に落とされて、喉を圧迫した。
途中、呼吸が、二、三度止まりかけたが、無事に息を吹き返した。
鼻水は、鼻の奥からダラダラと流れ出て、それが風でビュンビュン飛ばされ、見るも痛ましい姿だった。
息苦しさが脳まで伝わって、ことりは苦しんだ。
朦朧とする頭を、死ぬほど回転させて思った。
(明日、瀬奈に、地図を描いて貰おう。それがいい)
ことりは、白樺の林が一番楽だと感じた。
白樺の樹々は、立ち居振る舞いが上品に思えた。
言葉遣いも丁寧で、ことりを励ましながら気遣ってくれた。
「頑張ってね。それでは、行きまーす。大急ぎですよー」
出来るだけ優しく飛ばしてくれたのだ。
「応援しているわ。さあ、行きますよー。大急ぎでお願いねー」
ことりは、出口まで気力で耐え抜いた。
生きて辿り着けた時は、喜びを噛みしめた。




