第25話 燃やされた手紙と、覆い隠した顔
ベッドの三段目に上る前、ことりは、勉強机の引き出しから、ノーカーボン紙付きの便箋と、水色と赤色の封筒を一枚ずつ取り出した。
水色の封筒には、予め金色の文字で宛名が書いてある。
そして、藍色の羽ペンと一緒に、机の上に置いた。
椅子の背もたれには、闇夜と一体化できる黒いマントを掛けておいた。
そして、木の葉と奏が寝入るまで、目を瞑って待ったのだ。
木の葉と奏の寝息が聞こえると、ことりは起き上がった。
そして、物音を立てないように、ふわりと飛び下りた。
(こういう時、飛べるのは便利だよね)
ことりは、念の為に、二人の寝顔を確かめた。
(うん、ぐっすりだ)
ほっとして引き出しに近付くと、そっと開けて、ゆっくりと着替えた。
運よく、ことりの勉強机は、窓に面している。
窓辺に近寄ると、ことりは、月明かりを頼りに手紙を書いた。
時刻は十二時を回って、日付けが変わっていた。
ノーカーボン紙付きの薄緑色の便箋は、焼のり一枚ほどの大きさで、化け狐の一族から入手したものだ。
見た目も厚さも、普通の便箋と変わらない。
複写と本物の見分けがつかない便箋だ。
藍色の羽ペンは、別の化け狐の一族から貰った一級品である。
書く度、二つの羽が、くるくる回りながら、筆記の内容をペンに取り込む。
筆記帳とも呼べる羽ペンである。
『静花お姉ちゃんへ
僕は、ランちゃんと結婚しません。
だから、星川家には戻りません。
僕は、母さんや、静花お姉ちゃんみたいな奉公屋になりたくて、内緒で鍛練してきたのに、どうして結婚しなくちゃいけないんですか?
僕だけ養子に出された理由は、何ですか?
伯母さんと伯父さんは優しいけど、結婚は、絶対に嫌です。
伯父さんの伝で、西野小学校に転入して、小守寮に入りました。
お盆の森で、赤目守りという妖怪に出逢いました。
良い妖怪だったので、友達になったけど、もしかして、お姉ちゃんの友達ですか?
僕は、ミステリー・スイーツ園芸部に入部しました。
部のモットーは、『花とスイーツは、事件を握る鍵』だそうです。
来週、先生たちは、森を潰すそうです。
大事な友達の居場所を、奪おうとする悪者たちを許せません。
僕たちは、今晩、満月が昇る頃、学校に侵入します。
母さんには、内緒にして下さい。
きっと、僕たちだけでは、敵いません。
だから、一緒に闘って欲しい!
僕たちの味方になって下さい。
お願いします。
この手紙は、天代の使い、小菊さんに託します。
ことり』
ことりは、写しじゃない方を、水色の封筒に入れて丁寧に封をした。
窓を開けると、夏の夜風が、青色のカーテンを揺らして入り込んだ。
ことりが、封筒を差し出すと、風は、それを呑み込んで夜空へ昇った。
「これで昼までには届く。普段はね」
ことりは、森を出た辺りから、実父の気配を感じていた。
それに加えて、帰り道、オオヨシキリの兄妹が、鳴いて知らせてくれたのだ。
「爝火が来たよ、気を付けて」
「爝火は敵だ、油断するな」
連れ戻しに来たのかと焦ったが、姿を見せないので、ことりは、ひとまず安心した。
けれど、小守寮に戻ってからも帰る様子が見られない。それで、ピンと来たのだ。
(結婚が嫌になって逃げたんじゃなくて、僕が、何らかの目的で、西野小に転入したと思ってるのかもしれない。父さんは、母さんのことを怨んでるし、僕を母さんの差し金だと睨んで、見張りに来たのかもしれない。少なくとも、心配でじゃない……)
ことりが四歳の時、母親が、水色の封筒を何枚かくれた。
「この中に、書いた手紙を入れて、風に差し出しなさい。風が封筒を拾って、空へ届けてくれます。宛名のもとに、半日で届くでしょう。相手がどこにいても、風は運んでくれます。この空は、世界と繋がっていますから。たとえ、その相手が、過去にいたとしても。きっと、この封筒が、必要になる時が来るでしょう。さあ、この羽ペンと便箋も、無くさないように気を付けなさい」
封筒は、母親の妖力で作られたので、父親も、知っている。
今回は、それを逆手に取ろうと考えたのだ。
水色の封筒を囮にして、早々に引きあげて貰おうと思った。
ことりは、そっと窓を閉めて、カーテンを引いたが、片目で覗ける程度は開けた。
外の様子を左目で伺うと、イチョウの枝の上で、赤い火の玉が揺らいだ。
音もなく現れた妖怪は、枝に腰掛け、両足をぶらぶらさせた。
浮遊力は、保持妖怪の十羽に劣らず優れ、妖術師と違って、マントを必要としない。
四季を通して半袖の白シャツに、銀のデニムだ。
極度の暑がりで、シャツのボタンは、いつも全開、留めているのを見た者はいない。
「オオヨシキリの兄妹に感謝しなきゃ」
ことりは、落胆して呟いた。
実の父と最後に目が合ったのは、いつだったか思い出せない。
やはり今日も、包帯の下は見えなかった。
小柄なことりと違って、背は二メートルを超える。
首から上は覆い隠されて、目鼻も口も見えないのだ。
しかし、凛と響く声だけは、しっかり聞こえた。
「兄さん宅を出たと聞いて様子を見に来たが、一体何をやらかす気か」
封筒が夜空へ昇りきる前に、爝火は、ぱしっと捕まえて封を開き、さっと目を走らせた。
「困るなあ、こんな事されちゃあ。学校に喧嘩を売るなんて、馬鹿な息子に育ったなあ」
読み終わると、爝火は、右手で手紙を握り潰した。
爝火の掌から薄い桜色の炎が、昇り竜のように踊り出ると、手紙を喰らって、あっという間に消えた。あとには何も残らなかった。
ことりは、窓から飛び出した。
「父さん!」
ことりは、拳を握り締めて、激情を呑み込んだ。
本当は、今すぐにでも、ぶん殴ってやりたかった。
「父さんは、先生たちの味方なの!?新校舎の建設は、カモフラージュだって知ってるんだよね!?どんな顔をして、息子の手紙を燃やしたの?恥ずかしくない!?」
爝火は、驚いて、ことりを見つめた。
まさか、飛び出して来るとは思わなかったのだ。
「久しぶりだね、ことり」
そう言うと、包帯を、クルクルと解いた。
今度は、ことりが、驚いた。
「父さん?」
いつの日からか、素顔を見せなくなった大妖怪は、整い過ぎる目鼻立ちと、極めて白い肌が相俟って、彫刻のように美しい。
銀色の長髪が、夜風にたなびいた。
青みがかったグレーの瞳は、今夜も抜け目なく光っているが、ことりを見る目は、柔らかい。
口元に微笑が浮かんでいた。
「どうして顔を」
家族にさえ見せなかった男が、素顔を晒したのだ。
その美しい顔に、老いは全く見られない。
「どうして?おまえが、聞いたんだろう?どんな顔をして、息子の手紙を燃やしたの?こんな顔だよ」
ことりは、一発でも二発でも可能な限り、ぶん殴ってやりたいと思っていたのに、どうしていいか分からなくなった。
「父さんは、味方なの?」
今にも消え入りそうな弱々しい声で、ことりは、切なる望みを抱いて問い掛けた。
「味方?それは、おまえが、自分の目で決める事だ」
それだけ言うと、爝火は、赤い火の玉に姿を変えた。
「待って、父さん!僕は、父さんの答えが聞きたいんだ!本当に、母さんを裏切ったの!?僕は、父さんを信じたいんだ!答えてよ!次は、いつ会える?」
胸が潰れるような思いで絞り出した言葉は、暗闇に溶け込んで終わった。
爝火は、何も言わずに、ぱっと消えたのだ。
その瞬間、涙が、頬を転がり落ちた。




