目が覚めたらヒロインのベッドで変質者扱い?はは、ご冗談をw
その日から彼、下笑 雷太の生活は崩壊した。今まで辛うじて耐えていた糸がぷつりと切れた。普段から己を酷評する世間に彼は愛想を尽かしていた。無学無才の凡人が唯一情熱をかけて取り組んだ魂の作品は一笑に付され、彼の世間体という名の人間性はあっけなく倒壊した。アパートの自室からついに出る事はなく、ただひたすらパソコンのモニターを見つめ、キーを永遠に叩き続ける世界に沈んでいったのだった。
「ありえないありえないありえないありえないィッ!イヒッ!何が足りない何がおかしい何がつまらないィーーッ?!馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿なアァーーッ!」
否、傍から見れば正気を失った、狂気の世界に足を踏み込んだと感じるそれは、しかし彼の考えからすると幾分違っていた。それは引き篭もりとか世間体とかどうでもいい、彼にとって今一番欲して止まないのは事態の検証だった。この作品の一体どこにつまらないなどという下等で無能な判断を下せる理由が存在するというのか。バグの指摘も実に取るに足りないものばかり。武具を合成強化させると奇形魚という、ビキニ姿に下半身が魚の尾ひれをつけた、所謂人魚の格好をしたキャラクターだけ反則的に強くなるというものだった。それはスクリプトを急ごしらえの継ぎ接ぎでコピー&ペーストした際、初期の武具合成の所に間違って、並行して打ち込んでいた最高ランクの武具のスクリプトをペーストしてしまった所から発生した。彼本人も意図せずそうなってしまっていたがそれがつまらない、という結論に至るとは到底思えなかった。他にも『敵を倒した後上の階へ進む階段が現れない』とか『ゲームが起動できない』とか。階段は一旦セーブしてロード、つまりゲームを再起動すれば自然に表示されるようになる。スクリプトがこんがらがって修正する暇がなかったが、それに気づくまでにレベル上げして楽しんで試行錯誤してもらえばいい話だ。むしろ上の階は段違いに強い敵が待っている。一旦回復ポイントのあるスタート地点に戻ってセーブ、は必須のはずだった。人間誰しも休憩はするのだ、一旦ゲームを中断してロードする機会は絶対にあるはずだ。ゲームが起動できないとむやみやたらと書き込んでくる奴がいたが、そんなものパソコンを買い換えろの一言に尽きる。ただでさえハイセンスハイクオリティなゲームを制作しているのだ。投稿規定容量の限界ぎりぎりまで絵の解像度をあげ、音質も最高品質で保存した。多少重くなるのは当然だ。それでも動く人も多少なりといるのだからバグではない。
「フウゥーーッ!ウフフゥーーッ!」
いくつもの昼夜は巡り、それでも彼は躍起になって答えを求め続ける。自分の作ったゲームにこの世界の誰よりも深い、深い愛情をもって。深い、深い悲しみを携えて。彼は幾度も幾度も自分のゲームを起動し穢れのない答えを求め続けた。
瞼を開く。いつものように寝落ちしていたらしい。彼は掛け布団を払いのけ、ふと周囲がやたらと眩しい事に気づき、反射的に目を細める。この時点で彼に最初の疑念が生じた。朝になったにしても彼の部屋は北向きの間取りであり、その分に見合う家賃ではあったが、こんなに眩しいのは異常な事だった。頭を数回振り、意識を覚醒させる。おかしい。こんなに小奇麗なベッドだっただろうか?彼の使っているベッドはお菓子やジュースの染みに彩られた、カビくささのする万年床であった、はずだった。
「こんな、フリルふりふりだったっけ?」
掛け布団は厚みの割にとても軽い。カバーシーツの縁どりには幾重にも重なったフリルがふんだんにあしらわれていて、ほのかに甘く心地良い香りがする。明らかに彼の物ではない事を確信した瞬間跳ね起き、床に飛び降りた。素足が馴染みのフローリングの床ではなく、タイルを敷き詰めたひんやりした感触である事に驚き、思わず尻餅をついた。そこで彼を取り巻く今の空間全体を見渡し、完全に別世界のものである事に戦慄した。その部屋というには広すぎる、学校の体育館ぐらいの広さがある空間の壁際の片隅に、今しがた彼が眠っていたベッドが無造作に配置されていた。そしてその壁際には常人には理解出来そうにない複雑に配置された何がしかの計器と操縦桿らしきハンドルやレバー、キーボードがそのメタリックな外装の筐体に取り付けられていて、ずらりと並んでベッドの頭側にあたる壁全体に設置されていた。そしてその機械の中央には人一人がゆうに入れるほどの巨大な真空管が3本並んでおり、その中は薄緑色の液体で満たされていて上部から伸びる管を伝い人の形をしたものの口元にマスクで覆われて繋がっていた。その人型はいずれもぼろぼろに傷ついており、この装置が治療もしくは生命維持装置らしきものである事が想像できた。
「間違いない、な・・・」
彼、雷太は確信した。この装置に見覚えがあった。否、実際に見るのは初めてだが、知っていた。あまりに特徴的な装置。3体のぼろぼろに傷ついた少女の治療装置。これは彼女らを上位互換のランクのキャラクターに覚醒させる装置である。この空間の間取りも知っていた。雷太が作っていたのは2D、所謂二次元描写で作ったゲームであったから、3次元の世界となったこの空間では面食らっていたが今の治療装置を見て疑念が確信に変わった。空間の中央に突飛に並んでいる本棚は魔道書やこの世界の存在する生命についての書籍である。彼の考えた設定ではこの世界は電子によって生成されている仮想空間のため、生命という言い方は喩えであり、この世界での生命体は「ウイルス」と呼ばれている。ここは巨大な塔の内部の最下層フロアであり、端的に言ってしまえばこの塔の最上階に潜んでいるであろう、世界を死滅に追いやる存在、ウイルスバグを倒すのがゲームプレイ目的である。感無量といった感じで胸に手をあてて力強く握りこぶしを作り、思わず緩んだ涙腺から涙が零れ落ちそうになるのを天井を仰いで懸命に堪える。自分の思い描いた世界、完全に自分の意思が反映された世界。それは自分の存在があったればこその世界。彼、雷太はこの瞬間、この世界を生み出した神として降臨した実感を文字通り噛み締めたのだった。夢なのではないだろうか、などという発想は、有頂天になった者の思考から発生する事はまずありえない。まさしく今この瞬間、雷太は幸福の絶頂にあった。だがその感慨の余韻に浸る間も許さず、ベッドの方でギュオンッという耳を劈く様な音とともに空間が歪み、おびただしい量の光が明滅し、視界が奪われた。
「微笑ちゃん、大丈夫?」
雷太は何事かと目を庇っていた左腕をわずかに下げてベッドの方を見やると、そこには満身創痍で苦痛にのたうちながらベッドに横たわる黒髪の少女と、その横に一緒に付き添う青い聖衣を羽織る白銀の髪の少女が現れた。白銀の髪の少女が目を閉じて満身創痍で横たわる少女の胸元に掌を翳す。怪我を案じてか閉じて瞑想している睫はより深く翳を差して憂いを帯びている。それは色白の面立ちの彼女をより一層神秘的に映し出していて、心底から傷ついた少女を心配しているのが理解できた。次いで白銀の髪の少女は小さな口元から歌うように言葉を紡ぎだした。その様子を息を殺して見守っていた雷太に詠唱、という単語によって認識が及ぶか及ばないかのほんの僅かの間の後、白銀の少女の全身から淡く揺らめくような光が発現し、その光が両腕を伝い掌へと集まって、横たわる黒髪の少女の胸元にはっきりと見てとれるほどの輝きとなった光の塊が添えられ、ゆっくりと全身に染み渡るように注がれていった。その神秘的な、非現実的な光景に目を奪われ、雷太は呼吸さえ忘れて見守り続けていた。しばらくの後、光が消える。詠唱をやめた少女の顔には安堵の色が浮かんでいる。傷ついて横たわっていた少女を見ると怪我は完全に治癒し、苦悶を浮かべていた表情は今はなく、安らいだものに変わっていた。治癒、という言葉で喩えたがより具体的な言葉で表すなら修復、である。この世界の生命はすべからく電子によって存在する世界。破損した部位の形状を再構築するよう干渉する詠唱を精神力で送り込んだのがさっきの『治癒魔法』の正体だった。そう雷太が設定したのだから間違いない。
「うう、ありがとう姉さん、油断したわ・・・」
怪我が治り、お礼の言葉を口にして微笑と呼ばれた少女は体を起こそうとした。艶のある手入れの行き届いた長い黒髪が彼女の肩からさらさらと零れ、彼女の華奢な身体をより一層繊細に感じさせた。二人とも甲乙つけがたい美少女である。白銀の髪の少女は起き上がりかける微笑に向かって慌てて嗜めた。
「まだ無理しちゃ駄目だよ微笑ちゃん?傷は癒えても精神力はゆっくり休まないと回復しないからね?」
白銀の髪の少女は微笑が身に付けている鹿撃ち帽、所謂シャーロックハットと薄手のマントを脱がせると、純白のブラウス姿の身軽になった彼女を優しく寝かしつけた。それに倣うようにして微笑は素直に横になり、疲れを癒すべくベッドの中で眠りについた。白銀の髪の少女は微笑が寝付くのを見届けるとゆっくりと席を立った。そして背中に流した白銀の長髪とともに、厚手の羽毛で作られた青い聖衣の裾をふわりと翻らせると、いつの間に気づいていたのか、雷太の方を振り返り真っ直ぐ視線を合わせた。
「ドラゴン、明らかな不審者がさっきから私の背後にいるのだけれど、何故拘束しないの?」
雷太は彼女が言う『明らかな不審者』というのが自分である事はすぐにわかった。今の自分の姿は現実世界と全く同じ、半袖ランニングシャツにライトブルーのトランクスという、さながら不審者という単語に対する模範解答のいでたちだった。だが彼女は『ドラゴン』に向けてその台詞を放っていた。そのドラゴンという人物が見当たらないのだが。そう訝しんで辺りを見回すため後ろを振り向こうと首を左に回しかけた直後、自分の顔の真横に何の気配もなくその『ドラゴン』と呼ばれる人物は立っており、雷太は心臓が口から飛び出しそうな勢いで仰天して、飛び跳ねて尻餅をついた。『ドラゴン』は頑健さを思わせる重々しい銀色の肘付近まで覆われている篭手を両手に嵌め、幾層にも渡って細工の施された黄金に光り輝く鍔を支えにして、鞘に納めたままの両刃の大剣の柄を両手で握り、地面に向けて立てたまま悠然と佇んでいた。深紅の革鎧を身に纏い、二つに束ねて背中に流している金髪のみが微かに揺れている以外、全く動きがない。つまりは一分の隙もないという事なのだろう。それほどに常人を逸した佇まいである事が雷太の素人目にも手に取るようにわかった。『ドラゴン』、そう呼ばれた彼女はやや伏し目がちに白銀の髪の少女の方を見やり、ゆっくり口を開いた。
「留守を預かる身でありながら不審者の立ち入りを許してしまい申し訳ありません、美命様」
ドラゴンはしばし視線を雷太に向ける。その目は値踏みする、というにはいくらか譲歩した、雷太が人畜無害な一般人が迷い込んだと既に把握している素振りだった。
「彼が10分ほど前に突然ベッドに眠ったままの状態で転移して現れたものですから、てっきり微笑を助けに行った美命様が途中で送っていらした遭難者か何かだと思い、お戻りになるまで気取られぬよう怪しい動きをしないか監視するのが良策だという考えに至りました」
そうだった。雷太はゲーム開始の時点で、話しかけると物語の進行具合によってヒントを提示したり、セーブ、ロードなどのシステムを実行する存在として姉である美命をこのフロアに設定していた。そしてもう一人、美命の護衛役としてこの世界で最高ランク『G』のドラゴンを設定していた。ランクは種族分類上においての強さの目安であり、一番弱いのがCの『コウモリ』、そこから順にB、A、AA、S、SS、Gの順に強くなっていく。このドラゴンは過去に美命の仲間となり、今も忠義を尽くしている、という設定である。条件を満たすと武具や防具を練成強化してくれたり、後半のイベントでは仲間を引き連れて指揮を執って戦う参謀役でもある。詰まる所、美命にとって妹の微笑を除けばドラゴンこそ最も信頼の置ける仲間、という事である。
「美命様がご存知ない人物であれば気遣う必要もありませんが、先程から見るにやたら尻餅をついたり、こちらが手を差し伸べてやらなければ寝つきが悪くなるのではないかと錯覚するほど哀れなまでに不安がる様子、加えて手ぶらの身。彼自身ここに転移させられた事に身に覚えがないように見受けますが。・・・其の方、説明してもらえるか?」




