(6)神出鬼没
結婚してから半月ほどが経過した頃。食事の席で、セーラが何気なく話題を出した。
「コンラート様、お尋ねしたいことがあるのですが」
「なんだ?」
「この城には、非常時の緊急脱出通路などは存在していますか?」
それを耳にした瞬間、コンラートの中で警戒度が一気に上昇した。
「……なぜそんなことを聞く?」
「王妃様が、『辺境伯の領地は、文字通り国境の防衛を担う重要な拠点である。ゆえに、あらゆる危険性や可能性に対して、策を立てておくものだ。滅多なことにはならないだろうが、機会があれば、辺境伯に脱出経路などを確認しておけ』と言われておりましたので」
理路整然と語るセーラを見て、コンラートは皮肉げに顔を歪めた。
「前々から思っていたが、お前は王妃の言葉には嘘偽りがなく、誰の言葉よりも信じられると思っているらしいな」
「その通りですわ。王妃様は、この国で一番聡明な女性ですから」
まったく皮肉が通じていないのに苛立ちながら、コンラートは端的に告げた。
「確かに非常時の脱出通路はあるが、お前に教える必要はないと思っている」
「そうですか。一応聞いてみただけですので、お気遣いなく」
そう言って自分に穏やかな笑みを向けているセーラを見ながら、コンラートは考えを巡らせた。
(確かに当主の執務室から続く部屋と、礼拝堂の祭壇の裏から城郭外にまで通じる非常脱出路は存在しているが、こんな得体の知れない女には、迂闊に教えられん。裏で妨害工作などは行っていないようだが、万が一にも外から余計な人間を招き入れられたりしたら厄介だ)
セーラは、そんな彼を少しの間無言で眺めてから、レオナルドに視線を向けた。
「ところで、レオはもう教えてもらっているの?」
その問いかけに、レオナルドは首を振る。
「いいえ。まだそのようなことは、父上に教えてもらっていません。僕は家督を継ぐ前に、そのようなことも教えてもらうのでしょうか?」
「ああ、そうだ。時期がきたら教える」
「分かりました」
息子との会話を終わらせた瞬間、コンラートはあることを思い出した。
(ちょっと待て。確か、この女、他人の表情で考えていることを読み取るとか、ふざけたことを言っていたな。先ほど脱出通路のことを考えたとき、私の顔を凝視していたようだが、まさかその内容を読み取ったのではないだろうな?)
慌ててセーラの様子を窺ったコンラートは、そんなことはあり得ないと思いながらも疑心暗鬼に陥った。そんな彼の心情などまったく察していないように、セーラは平然と食事を続けていた。
※※※
セーラが城からの脱出経路について尋ねた数日後。コンラートが執務室で領民代表者からの陳情書に目を通していると、慌ただしくヘレナが駆け込んできた。
「ご領主様、失礼します!」
「騒々しいぞ。どうした?」
反射的に彼が睨みつけると、ヘレナは狼狽しながら申し出た。
「申し訳ありません! 奥様とアニーさんが行方不明です!」
「何だと? どういうことだ?」
瞬時に表情を険しくしたコンラートが、ヘレナを詰問する。室内にいた彼の側近たちも、一斉に彼女へ視線を向けた。
「直前まで部屋にいたはずの二人の姿が忽然と消えて、テーブルにこれが残っておりました」
差し出された便箋をコンラートが受け取ると、そこにはセーラのメッセージが簡潔に記されていた。
《夕刻まで、城内を散策しています。お昼は適当に食べますから、ヘレナは私たちが戻るまで、お休みしていて構いません。 セラフィーナ》
それを目にしたコンラートは、一体、どこで何をしているのかと本気で腹を立て、八つ当たり気味にヘレナを叱りつけた。
「何だ、これは!? 姿が見えなくなって、どれくらい経った!?」
「一時間くらいです。今まで城のあちこちを探してみましたが、一向に見当たらないもので」
「馬鹿者! そういう場合は、さっさと知らせろ!」
「申し訳ありません!」
領主からの本気の叱責に、ヘレナは涙ぐみながら勢いよく頭を下げた。そこで側近たちが、すかさず動き出す。
「とにかく、まず各城門の警備担当者に連絡を! まさか易々と女二人を通してはいないと思うが、確認を取れ!」
「城内を、各部署ごとに分けて、奥様たちがいないか調べさせろ!」
「念のため、城下にも巡回の兵を出せ!」
それからは城内が一気に騒々しくなり、セーラたちの姿を求めて、多くの者が右往左往することになった。
結局、夕刻になってもセーラたちの所在は不明のままであり、さすがにコンラートたちの顔にも焦りの色が濃くなってきた。その頃にはレオナルドも話を聞きつけ、執務室に出向いて不安そうな顔で大人たちを眺める。すると、唐突にドアが開き、侍従が息せき切って報告してきた。
「ご領主様! 奥様がいらっしゃいました!」
「本当か! どこにいる!」
「食堂です!」
「…………」
報告を聞いたその場にいた全員が、虚を突かれたように黙り込む。その中で、いち早く気を取り直したコンラートが、疑わしげに問い返した。
「食堂だと? 城門や正面玄関ではなくてか? 城内の全員に、あの二人を目撃したらすぐに報告するように周知徹底させていたのに、誰にも見られずにいきなり食堂に現れるはずがないだろうが」
「いえ、ですが、どこからも報告がないまま、本当にいきなり食堂にお姿がありまして。夕食の準備のために食堂に入った者が、席に着いていた奥様から『今日は夕食の時間が遅れているのかしら?』と尋ねられたそうです」
「…………」
侍従が額の汗をハンカチで拭きながら説明するのを見て、他の者たちは一体どういうことかと困惑した顔を見合わせた。しかし、いつまでも呆けてはいられないと思い直したコンラートは、溜め息を吐いてから家臣たちに指示した。
「二人の所在が判明したから、捜索は打ち切ってくれ。城下の巡回も、通常通りに戻すように」
「了解しました」
「すぐに各所に伝達いたします」
そこでコンラートは、硬い表情のまま家臣たちに対して謝罪の言葉を口にした。
「皆、騒がせてすまなかった。今日は解散してくれ。私は食堂に出向いて、腹立たしい女の顔を拝むことにする」
「僕も行きます。もう夕食の時間ですし」
「そうだな」
怒りを隠しきれないコンラートを見て、レオナルドが慌てて父の後について歩き出す。
「ご領主様は、随分とお腹立ちのようだが、大丈夫だろうか?」
「レオナルド様も同席しているし、大丈夫ではないのか?」
「それはそうだろうが……」
連れ立って食堂へ向かった二人を、家臣たちは不安を隠せない様子で見送った。




