(5)セーラの奇行
日中はほとんど接点がない夫婦であっても、朝晩の食事のときはレオナルドを含めて三人が顔を揃えていた。
その日も食堂で、大きなテーブルを囲みながら夕食を食べていたが、レオナルドがなんとなく迷うような口調でセーラに尋ねた。
「あの、セーラ様。お尋ねしてもいいですか?」
「もちろんよ、レオ。どうかしたの?」
「その……間違っていたらすみません。セーラ様が侍女と一緒に、鍛錬場で腕立て伏せやうさぎ跳びをしていたと聞いたのですが、本当ですか?」
「ええ、その通りです。それがどうかしましたか?」
セーラからあっさりと返されてしまったレオナルドは、慎重に問いを重ねた。
「……あの、それはもしかして、王家の伝統とか、そういうものなのでしょうか?」
「レオナルド! 馬鹿なことを言うな!」
「すみません!」
コンラートは反射的に息子を叱りつけたが、セーラがやんわりと意見してくる。
「コンラート様。子どもをいきなり怒鳴りつけてはいけませんわ。王妃様から贈られた《継母の心得》の第三条に、そのように書いてあります」
「誰のせいだと思っている!?」
「……え?」
何が《継母の心得》だと、コンラートは腹立ち紛れに叫んだ。それを聞いたセーラはきょとんとした顔つきになったが、すぐに真顔になって謝罪した。
「もしかして、私のせいなのでしょうか? 申し訳ございません。辺境伯家では、女性は鍛錬をしてはいけないという家訓でもあったのでしょうか? 王妃様から『辺境伯家は代々武芸に秀で、戦闘に参加する女性も存在していた』と伺っていたのですが」
「いや……確かに、鍛錬をしてはいけない決まりなどはないが……。現に私の妹も、相当な跳ねっ返りだし」
「そうなのですね」
どう言えばよいのかと、コンラートは頭を抱えたくなった。ここでレオナルドが、控えめに尋ねる。
「セーラ様。どうして腕立て伏せやうさぎ跳びをしていたのか、聞いてもいいですか?」
その問いかけに、セーラは笑顔で答えた。
「ええ。私に欠けているものを身につけるためです」
「欠けているもの、ですか? ちなみに、何でしょうか?」
「威厳です」
「威厳……。あの、ですが、腕立て伏せで威厳が身につくとは、思えないのですが……」
レオナルドは、ますます困惑しながら意見を述べた。セーラは笑みを深めながら、その疑問に答える。
「もちろん、それだけで威厳が備わることはありません。身体の鍛錬は、いわゆる準備段階にすぎませんから。後日、明らかになりますので、その時に見てもらえれば納得できるでしょう」
そんな説明をされたレオナルドは、まだ若干納得しかねる顔つきをしながらも、セーラを気遣う台詞を口にした。
「はあ……そうですか。ですが、あまり無理をしないでくださいね?」
「心配してくれるの? レオはやっぱり優しいわね」
「……いえ、当然のことですから」
優しく微笑まれたレオナルドは、照れくさそうに笑い返した。そんな二人のやり取りを眺めたコンラートは、理由が分からないながらも不愉快さを覚えた。
(あの王妃が、何か妙なことをこの女に吹き込んだのか? それにしても、虫も殺さないような顔をして、早くもレオナルドを懐柔するとは。ますます油断できんな)
内心で苛立ちながらコンラートは食事を終わらせたが、そんな彼には構わず、彼の妻子は終始笑顔で食事を楽しんでいた。
※※※
「あの……セーラ様? お尋ねしてもいいですか?」
挙式から一週間ほど経過した日。
その日の夕食の席で、レオナルドが控えめにセーラに声をかけた。それを聞いたコンラートは、今度は何事かと思ったが、無言で食べながら二人の会話に耳を傾ける。
「ええ、レオ。何かしら?」
「今日は鍛錬場で、腕立て伏せやうさぎ跳びに加えて、左右それぞれの手に握った棒を、奇声を上げながら一心不乱に振り下ろしていましたよね?」
「は?」
今、何か聞き間違えたかと思ったコンラートは、間抜けな声を上げた。しかし、セーラは事もなげにそれを肯定する。
「ええ、そうです。それがどうかしましたか?」
「その……。他の人たちに呼ばれて、鍛錬場にセーラ様の様子を見に行ったのですが、『とりゃぁ―』とか、『ほぅあぁ―』とか、『ぎぃゃぁ―』とか、尋常ではない叫び声を上げておられたので。いろいろな意味で、大丈夫なのかと思ったものですから……」
それを聞いたセーラは、笑みを深めながら言葉を返した。
「あら、鍛錬場に来ていたのなら、声をかけてくれればよかったのに」
「なんというか……。とても声をかける雰囲気ではなかったので……」
「心配いりませんから。今日のあれは、どんな掛け声だと調子がよいかいろいろ試行錯誤していただけです。今日一日で、随分とコツが掴めました」
話の筋がまったく見えないレオナルドは、途方に暮れた表情で再度尋ねた。
「あの、コツというのは、何についてのですか?」
「腕を振るときの、気合の入れ方です。最初はどうしても勢いが弱かったのですが、アニーが『いろいろな掛け声をしながら振ってみれば、感覚が掴めるかもしれません』と、助言してくれたので」
「そうでしたか……」
「アニーの話では、慣れてくれば、無言でひたすら勢いよく振り回すことができるそうです。徐々に声を出さなくても、腕を動かせるようになるはずですので、あまり心配しないでくださいね?」
「……分かりました」
自信満々に言い切ったセーラを見て、レオナルドは何と言えばよいのか分からないまま、曖昧に頷いた。そんな息子から、もの言いたげな視線を向けられたものの、コンラートはそれに気づかないふりをしながら無言で食べ続ける。
(王妃は、仮にも辺境伯夫人に、一体何をさせているんだ。例の、威厳を身につけるとかの関係だとは思うが。それとも、我が家を馬鹿にしているのか?)
内心の苛立ちを面には出さないように注意しながら、コンラートはその日も何事もなかったかのように夕食を終えた。




