(25)怒りの矛先
庭園から執務室に戻ってから、コンラートは黙々と仕事をこなしていたため、時折出入りしている家臣たちが補佐官たちと囁き合っているのに気がつかなかった。
そして午後も遅い時間になってから、歩み寄ったダレンが神妙な面持ちで声をかけてきた。
「ご領主様。実は先ほどから、城内のあちこちで噂になっているようなのですが……」
「何がだ?」
「庭園でご領主様とお茶を飲んでいたセラフィーナ様が、ご領主様に理不尽な言いがかりをつけられた挙げ句に怒鳴りつけられ、ショックのあまり号泣しながら私室に駆け戻って閉じこもっているという噂なのですが」
「…………」
思わず顔を上げたコンラートに、補佐官たちの視線が突き刺さる。それを自覚したコンラートは、ダレンから微妙に視線を逸らしながら弁解した。
「言っておくが、理不尽な言いがかりをつけたり、怒鳴りつけたりはしていない。セラフィーナが盛大に泣き出したのは事実だが」
「奥様が泣かれたのは、ご領主様のせいではないとおっしゃるのですか?」
「それに関しては、私に全く非が無いと言えば、嘘になるかもしれないが……」
「何をしていらっしゃるのですか。せっかくお二人で、和やかに話をしていたと思っておりましたのに」
午後の休憩時間に、コンラートを庭園へ送り出したダレンは、疲労感を漂わせながら愚痴を零した。それにコンラートが、苛立たしげに言い返す。
「そもそも、あんなところにあいつが出て来なければ、セラフィーナが泣き出すことにはならなかったんだ」
「あいつとは誰のことですか?」
「アレスとかいう、王妃が言うところの神もどきだ」
「……なんですって?」
不審そうに尋ねたダレンだったが、予想外の答えを聞いて顔色を変えた。そこでノックもなしに、勢いよく執務室のドアが開かれた。
「失礼いたします!」
「え?」
「奥様、どうされました?」
いつものセーラとは異なる大声での挨拶に、室内にいた補佐官たちは一体何事かと、反射的に腰を浮かせた。そんな彼らには構わずセーラはまっすぐ足を進め、コンラートの机の前に立つ。
「コンラート様、お話があります。少しお時間をいただけますか?」
そこでコンラートが何か言う前に、ダレンが気を利かせて申し出ようとした。
「あ、それでは私たちは、ご遠慮しますので」
「すぐ終わりますので、そのままで結構です!」
「……はい」
セーラから鋭く制止されてしまったダレンは、中途半端な体勢で動きを止めた。そんな微妙に緊迫した空気の中、コンラートが座ったまま神妙に謝罪の言葉を口にする。
「その、セラフィーナ。先ほどは済まなかった」
しかし、セーラはそんな彼に対し、冷静に要求を繰り出した。
「私に対する謝罪は必要ありません。アレス様に対する、暴言と攻撃に対する謝罪を要求します」
「それは受け入れるが、具体的にどうすればいいのだ? 奴は滅多に現れないのだろう?」
「『奴』ではありません! アレス様です!」
即座に大声で駄目出しをされてしまったコンラートは、言いたい言葉を飲み込みながら言い直した。
「……分かった。アレス様はいつ現れるか分からないのに、どうすればいいのだ?」
「アレス様に対する謝罪文を、誠意を込めてこれにしたためてください」
そう告げたセーラは、持参した便箋と封筒を机の上に置いた。それを眺めたコンラートは、重なった便箋の枚数に目を見張る。
「ちょっと待て。ずいぶん枚数が多くないか?」
コンラートは思わず問いを発したが、セーラは平然と言葉を返した。
「正直に言うと、百枚書き連ねていただいても不満なのですが、『いつアレス様が現れてもすぐお渡しできるように持ち歩くとなると、百枚では多すぎて封筒に入りません』と、アニーが冷静に指摘してくれました。ですから三十枚だけで結構です。試してみたら、この量であれば何とかこの封筒に入りましたので大丈夫です」
「…………」
明らかに顔を強張らせたコンラートに、ダレンを始めとする補佐官たちは憐憫の眼差しを向けた。そんな微妙な室内の空気をものともせず、セーラは淡々と話を締めくくった。
「それでは謝罪文の作成を、よろしくお願いします。アレス様は頻繁には来られないお方なので、急がなくても結構です。執務の空き時間にでも少しずつ書き進めてください。それで、今回のことは私もさすがに腹に据えかねておりますので、謝罪文が提出されるまではコンラート様のお顔を見たくありません。お食事はすべて部屋に運んでもらうように、先ほどカリナにお願いしました。それでは失礼いたします。皆様、お仕事中にお騒がせして、申し訳ありませんでした」
一気にまくし立てたセーラは、最後は補佐官たちにいつも通りの笑顔を向けてから、足取り軽く執務室を出て行った。そして室内が静まりかえってから、補佐官を代表して、ダレンがコンラートにいかにも疑わしげな目を向けた。
「コンラート様。一体、何をやらかしたんですか?」
「何も聞くな」
片手で顔を覆ったコンラートは、部下からの視線を避けながら、中断していた仕事を再開した。
※※※
夕食の時間になり、コンラートが食堂に出向くと、テーブルにはレオナルドだけが着いていた。そしてレオナルドは、席に着いた父親に向かって、遠い目をしながら報告する。
「父上。今日は偶然庭である方をお見かけしましたので、ヘレナと一緒に、アニーから諸々の説明を受けました。思っていた以上に、世の中は不思議に満ちていますね」
「そうだな」
迂闊に給仕の者たちに余計なことを聞かれないよう、詳細を濁しながら息子が告げた内容に、コンラートは短く言葉を返した。レオナルドはここで話を止めるつもりはなく、冷静に話を続ける。
「父上がセーラ様から、謝罪文の作成を要求されたことを、ダレンから聞きました」
「……そうか」
「ついでに、謝罪文の提出が済むまで、セーラ様が自室で食事を取ることになったのも、カリナから聞きました」
「…………」
そこまで話を聞いたコンラートは、無言になった。彼が目の前に運ばれてきた料理にも手をつけずに溜め息を吐いていると、レオナルドが憐憫の眼差しを父親に向けながら口を開く。
「つい先ほどまで、父上に少し意見しようかと思っていたのですが、気の毒なのでやめておきます」
「レオナルド。いっそ叱責してくれ……」
息子が真顔でかけてきた言葉を聞いたコンラートは、とうとう両手で顔を覆って項垂れたのだった。




