(20)辺境伯夫妻のやり取り
ある日の昼下がり。コンラートは城内の庭園に足を向けた。晴れ渡った庭で咲き誇る花々の心地良い香りが、そよ風によって回廊まで届いており、その香りを感じたコンラートは無意識に表情を緩める。しかし、庭園に足を踏み入れてセーラの姿を視界に入れた途端、彼は表情を引き締めた。
「お疲れ様です、コンラート様。私と一緒にお茶が飲みたいと仰るとは、珍しいですわね。どうぞそちらにお座りください」
庭園の一角で椅子に座っていたセーラは、コンラートを認めると立ち上がり、テーブルを挟んだ向かい側の椅子を彼に勧めた。それに小さく頷いたコンラートは、椅子に座りながらさり気なく尋ねる。
「迷惑だったか?」
「とんでもありません。ぜひ気分転換していただきたくて、今日は庭園に用意してみましたの。周りの花々が見頃で、とても綺麗でしょう?」
「ああ、そうだな」
相槌を打ちながらも、コンラートは花にはさほど興味がなさそうに素っ気なく応じた。そして二人の前に菓子を載せた皿やお茶を給仕してから、アニーとヘレナが一歩下がって一礼する。
「それでは、私たちは向こうで控えております」
「何かありましたら、お声がけください」
「ええ、ご苦労様」
主君夫妻の語らいの邪魔をしないよう、二人は静かに歩き出し、少し離れた植え込みの前で待機した。しかし、その直後、アニーがテーブルで向かい合っているセーラたちから視線を離さないまま、背後にいる人物に向かって囁くように告げた。
「レオナルド様。そんなところで何をしておられるのですか?」
「え!?」
「ヘレナ、静かに! 動かないで!」
アニーの台詞に、ヘレナは驚いて背後を振り返った。しかし植え込みの陰にうずくまっていたレオナルドに小声で制止され、慌てて前方に向き直る。どうやら今のやり取りがセーラたちには聞こえていないのを確認したレオナルドは、安堵しながらアニーに声をかけた。
「アニー、どうして分かったのかな? そちら側から、見えないと思ったんだけど」
それを聞いたアニーは、声を潜めたまま応じる。
「気配を感じ取れましたから。それにしても、息子に心配される父親とか、不甲斐ないにもほどがあると思うのですが」
「僕が、セーラ様が父上にきついことを言われないか心配している、とは言わないんだ……」
「セーラ様はああ見えて、鋼のメンタルですから。レオナルド様が本気でそのようなことを懸念しておられるのなら、微笑ましい勘違いだと訂正して差し上げます」
「……なんとなく、そんな気はしていたよ」
植え込みの後ろで、レオナルドががっくりと項垂れる気配を察したヘレナは、思わず口を挟んだ。
「アニー。レオナルド様には手加減してあげて。セーラ様が鋼のメンタルなら、あなたは茨の毒舌だわ」
「子ども相手だもの。十分手加減しているわ」
「本当に手加減してるの?」
「そうなんだ。ありがとう」
疑わしげにヘレナが尋ね、レオナルドが顔を引きつらせながら礼を言っている間にも、セーラたちの会話は続いていた。
「本当に、眺めているだけで心が和みます。ジェレミーは良い仕事をしていますね」
周囲を見回しながらしみじみとセーラが口にした言葉に、コンラートは僅かに眉根を寄せながら尋ねた。
「ジェレミーとは誰のことだ?」
その問いかけに、セーラが意外そうな顔つきで言葉を返した。
「ご存じありませんのね。ジェレミーは庭師のまとめ役をしています。最近では毎日、ほどよく咲いた花をアニーに届けてくれるので、部屋に飾っておりますわ。とても華やかで、それを見ているだけで心が浮き立ちます」
「……そうか」
にこやかに説明してくるセーラに、コンラートは若干面白くなさそうに短く返した。そこで、彼がまだお茶しか飲んでいないことに気がついたセーラは、焼き菓子が載せられた皿を手で指し示しながら勧めてみた。
「ところで、こちらの焼き菓子はいかがでしょうか? コンラート様は甘すぎるものはお好みではないとカリナから聞きましたので、ガイナスに頼んで準備してもらいました」
するとコンラートは、再び問い返した。
「ガイナスとは誰だ?」
「厨房にいる、料理人の一人です。料理の献立やお菓子類の準備などで、色々と要望を聞いてもらっています。本当に腕の良い方ですわね」
「……そうか」
笑みを深めながら説明するセーラから、コンラートは僅かに視線を逸らしながら菓子に手を伸ばした。そして無言のまま一枚を食べ終え、茶で口を潤してから、おもむろに話を切り出した。
「……その、セラフィーナ。いくつか仕事を任せたが、特に問題なく進めることができていると聞いた」
それを聞いたセーラは、微笑みながら頷いてみせる。
「はい。皆さんから力を貸していただきまして、何とかこなしております」
「何人かに話を聞いたが、お前を非難するような者はいないようだ」
「そうですか? それは嬉しいです。ちなみに、どなたですか? 城内で顔を合わせてお話した方は、全員、顔と名前を一致させておりますが」
そこでコンラートは、思わず疑問に思ったことを尋ねた。
「全員? 何人くらいだ?」
「そうですわね……。ざっと二百人くらいでしょうか? まだそれくらいの方としか、お目にかかっていないはずですが」
それを聞いたコンラートは、若干疑わしげに問いを重ねる。
「ここに来て、まだ二ヶ月程度のはずだが。そんなに覚えているのか?」
「はい。人の顔を覚えるのは、得意なほうですから。王妃様からも『自分に仕える者たちに報いるためにも、顔と名前を可能な限り覚えておくように』と言われましたので」
「そうか……」
そこでコンラートは、どこか不機嫌そうに黙り込んだままカップを口に運んだ。その様子を眺めたセーラは、少し考えてから慎重に口を開いた。
「コンラート様は、グレンバル辺境伯領の頂点に立つ方ですもの。身近な使用人の顔を覚えておくより、もっと大事な役目がございます。ですからコンラート様の分も私が周囲に目を配って、使用人たちを把握するのは当然ですから。王妃様からも、そのように教えを受けております」
「いや、そういうことを言いたいわけではない」
「そうですか? なんとなく、コンラート様が気分を害しておられる気がしたのですが」
「気分を害しているというわけでもないのだが……」
「そうですか?」
面白くなさそうな表情で言葉を濁したコンラートを見て、セーラが困惑顔になる。植え込みの陰で二人の会話に耳を傾けていたレオナルドは、そこで盛大な溜め息を吐いた。




