(14)王妃の提案
「この馬鹿者が!」
「ぐあっ!」
「何もかも、貴様のせいではないか!」
「何をする! 止めろ!」
オリヴィエが椅子の背もたれを両手で掴み、罵倒しながらアレスを椅子で殴打した。何回かまともに殴られてから、アレスが怒声とともに片手を振ると、オリヴィエが振りかざしていた木製の椅子がいくつかの木片になって床に落下する。それを目の当たりにしたオリヴィエは、一瞬驚いた表情になったものの、恐れ入ったりはせず、不遜な様子でアレスを見下ろした。
「ほう? 一応、神らしいこともできるのだな」
「ふざけるな! 貴様、罰当たりにもほどがあるぞ! 神に向かって、こんなことをしていいと思っているのか!?」
アレスは憤怒の形相で、オリヴィエを叱りつけた。しかし彼女は、その叱責を鼻で笑う。
「はっ! 片腹痛いわ! 神と言っても、どうせ使い走りの下っ端に過ぎないのに、偉そうにするな! こんなのを使わなければいけない、上の者に同情するぞ!」
「なんだと! 貴様!」
「現に、私の攻撃をかわすこともできず、反論することもできない愚か者ではないか! 文句があるならセラフィーナの加護とやらをどうにかして、不遜な私に罰を与えてみろ! さあ、どうした!? どちらもできないのか!? この無能で粗忽で馬鹿で間抜けな神もどきが!!」
「……このっ、覚えていろ!!」
オリヴィエの糾弾で涙目になったアレスは、捨て台詞を吐いた直後、瞬時に姿を消した。
「すっきりした。全く、あんな愚か者のせいだったとはな」
「王妃様、大丈夫ですか?」
清々した様子でオリヴィエが独り言を呟くと、セーラが心配そうに声をかけてきた。それでオリヴィエは、不思議に思いながら彼女を見下ろす。
「セラフィーナ? 『大丈夫』とは、どういう意味だ? 私は怪我などしてはいないが」
「でも、私のせいで、王妃様が罰を受けるかもしれません」
先ほどの罰当たり云々を聞いて心配になったらしいセーラを、オリヴィエは笑顔で宥めた。
「私の心配をしてくれるのか。お前は優しいな。だが大丈夫だ。私は間違ったことはしていない。私の行いが本当に神の意に背くことであれば罰を受けるが、そうはならないだろう。もし罰を受けることになるのなら、神のほうが間違っている」
「王妃様……」
(王妃様、私を本当に心配してくれてる。すごく嬉しい)
堂々と言い切り、本心から自分を案じてくれているオリヴィエに対し、セーラの親近感はさらに増した。するとオリヴィエは、急に真顔になって話し出した。
「セラフィーナ。お前に、どうしてそのような能力が備わったかが判明したから、ここからは現実的な話をするぞ。とにかく授かってしまった能力はどうしようもない。今後の生活のために、まずそれを制御する方法を考えなければならん」
ここで聞き慣れない言葉を耳にしたセーラは、困ったように首を傾げた。
「『せいぎょ』?」
「ああ。つまり、その能力を、自分の思い通りに使いこなすということだ。使いたくない時には使わず、使いたい時だけ使えるようにする。分かるな?」
「はい。……でも、どうしたらいいのか分かりません」
本気で途方に暮れたセーラだったが、オリヴィエは真剣な面持ちで話を続けた。
「とりあえず、やってみるしかあるまい。まずは、心の中で壁を作ってみるのだ」
「壁?」
「この部屋を囲んでいる壁のように、他の人間がお前の近くにいても、見えないように、聞こえないように心の中で考えてみる。意味が分かるか?」
「見える人を、見えないようにする。心の中で、壁を作る……」
『このような子どもでは、口で説明しても理解できないかもしれないが、自力でなんとかするしか道はないからな』
ブツブツと呟きながら、セーラは考えを巡らせた。そんな彼女を、オリヴィエが心配そうに見守る。それを察したセーラは、なんとかやってみようと心に決めた。
「どうだ?」
「よく分かりませんけど、やってみます。でも、できないかも……」
不安でいっぱいになりながら、セーラが弱音を吐いた。しかし、オリヴィエは、そんな彼女に語気強く言い聞かせた。
「やる前から諦めてどうする! 何事も為せば成る! 自分が必ずやり遂げることができると、自分自身を信じなくてどうするのだ! それに、お前だったらきっとやり遂げると、私は信じているぞ!」
オリヴィエが、嘘偽りなく自分の成功を信じてくれているのが分かったセーラは、顔つきを明るくしながら元気よく言葉を返した。
「分かりました! いっぱい頑張ります!」
「よし、よく言った! お前だったらきっとできるぞ!」
そこでオリヴィエは、満面の笑みでセーラの頭を撫でた。するとノックに続いて、院長が控えめに声をかけながら入室してくる。
「失礼します。先ほど何やら大きな音が聞こえ……。あの、王妃様。そちらの椅子は……」
入ってすぐにバラバラになった椅子を認めた院長は、僅かに動揺しながら尋ねる。それにオリヴィエは、申し訳なさそうに言葉を返した。
「院長。申し訳ない。部屋の中をネズミが走り抜けたので、とっさに椅子を投げつけて壊してしまったのだ。この椅子の弁償として、金貨百枚を寄付するから許してほしい」
その申し出に、院長は驚愕して声を裏返させた。
「き、金貨百枚!? 王妃様! 椅子一脚でそんなに頂けません!」
「椅子の弁償はもちろんだが、この修道院はもう少し手を入れるべきだ。この際、その金で必要な補修をして、皆が快適に過ごせるようにしてくれ。それから改めて、この子の養育を頼みたいのだ」
オリヴィエが微笑みながら要請すると、院長は表情を緩めながら深く頷いてみせた。
「そういうことでしたら、ありがたく頂きます。セーラもきちんと養育いたしますので、ご安心ください」
「それから、今後、この子の教育のために定期的に教師を派遣したいのだ。部外者の出入りが増えるが、そこは了承してもらいたい」
「もちろんでございます。事前にご連絡いただければ、快くお迎えいたします」
「それなら安心だ」
そこでオリヴィエは、屈んでセーラと目線を合わせながら言い聞かせた。
「それではセラフィーナ。私はそろそろ失礼する。先ほど言ったことを少し頑張ってみろ。またひと月くらいしたら様子を見に来るので、その確認をさせてくれ。それから先ほどの事は、他の者には話さないようにな」
「はい、分かりました。今度、王妃様が来られるまで頑張ってみます」
「よし、いい子だ」
そこでオリヴィエからもう一度優しく頭を撫でられたセーラは、照れくさそうに微笑んだ。
それからセーラと院長は修道院の玄関までオリヴィエを見送り、警護されながら豪華な馬車が走り去るのを見送った。
「よかった……。目の前をネズミが走り抜けたというのに、怒るどころか、あんな寛大な言葉をかけていただけるなんて。しかも、大金を寄付してもらえるとは……」
しみじみとした口調で、安堵したように口にした院長に、セーラが同意を求める。
「院長様。王妃様は優しい方ですね」
「ええ、本当に。これからも失礼のないようにするのですよ?」
「はい、院長様」
そこで顔を見合わせた二人は、安堵したように笑い合った。




