魔法は化学を理解すれば問題ない~主婦の知恵と高校化学が生む爆発的イノベーション~
学園の調理室での「イチゴタルト争奪戦」から数日。
私の静かなモブ生活への願いは虚しく潰え、バレンタイン男爵令嬢の周りには、常に異様な顔ぶれが揃うようになっていた。
第一王子エドワード様、氷の貴公子ルーカス少年、信奉者となった悪役令嬢クラリスちゃん、野生児留学生ガゼル王子、そして我が「弟子」を自称する天才魔導師シオン少年。
彼らがゾロゾロと私の後ろをついて歩く姿は、まるで大名行列か、あるいは保育園の先生と元気すぎる園児たちである。
(胃が痛い……。本当に胃が痛いわ。前世のPTA役員会だって、こんなにアクの強いメンバーは揃わなかったわよ……)
胃薬代わりの自家製ハーブティーをすすりながら、私は学園の特別講義室へと向かっていた。
本日の授業は、王立学園の名物でもある【実技・魔法演習】。
生徒たちがそれぞれの魔力を披露し、属性魔法を放つという、乙女ゲームらしいファンタジー全開の授業である。
「皆のもの、静粛に!」
教壇に立つのは、長い髭をたくわえた老魔導師、バルト教授。王立魔導院の重鎮でもある人物だ。
「本日の演習では、基礎的な『火属性魔法』の威力向上について学ぶ。魔法とは、体内の魔力を精霊に捧げ、古代語の呪文を唱えることで発動する神秘の力……。呪文の正確さと、魔力の量が全てである!」
生徒たちが「おおーっ」と歓声をあげる。
(古代語の呪文ねぇ……)
私は一番後ろの席で、静かにノートを開いた。
正直に言って、この世界の「魔法」の授業を聞くたび、私の中の五十三歳の知識が「ちょっと待った」をかけていたのだ。
前世で子供の受験勉強につき合ったり、高校時代に赤点ギリギリで必死に覚えた「高校化学・物理」の知識。
この世界の魔法現象は、神や精霊の力などではなく、『体内のエネルギー(魔力)を触媒にして、周囲の物質の化学反応・物理現象を強制的に引き起こす現象』に過ぎない。
つまり——魔法は化学を理解すれば、何も難しくないのだ。
「では、お手本を見せよう。『燃え盛る炎よ、我が糧となりて敵を穿て——【ファイアボール】』!」
バルト教授が長い呪文を唱えると、杖の先からドッとドッジボール大の火の玉が放たれ、演習用の的に当たって弾けた。
「パチパチパチ」と生徒たちから拍手が送られる。
「どうだ? これが熟練の魔導師による火炎魔法だ。魔力を大量に消費し、長文の呪文を完璧に唱えることで、これほどの威力が生まれるのだ!」
誇らしげに髭を撫でるバルト教授。
だが、私の隣に座っていたシオン少年が、ボソッと呟いた。
「……無駄が多すぎる。魔力の変換効率が二〇%にも満たない。呪文による集中も曖昧だ」
「あら、シオン様もそう思われます?」
私が小声で話しかけると、シオン少年は目を輝かせて振り返った。
「師匠! やはりお気づきですか!? あのバルト教授の魔法は、あまりにも旧態依然としています!」
「ええ。だって……火が燃えるための『三要素』を全く考慮していないんですもの」
「火の……三要素……?」
シオン少年が首を傾げた。
「火が燃えるには何が必要か、というお話ですわ。一に【可燃物(燃えるもの)】、二に【酸素(助燃物)】、三に【着火源(温度)】。この世界の方々は『着火源』として魔力を大量に使って巨大な火を作ろうとしますけれど……そんなの、ものすごく勿体ないわ」
私はノートに簡単な化学式と図を描いて見せた。
「空気を圧縮して『酸素濃度』を高め、そこに極少量の可燃性ガス(魔力で精製した水素やメタン)を混ぜれば、マッチ一本分の小さな火種でも、超高温の爆発を起こせますのよ。わざわざ大きな火の玉を作る必要なんて、どこにもありませんわ」
「な……ッ!?」
シオン少年の紫色の瞳が、見開かれた。
「可燃物……酸素……着火源……! 魔法を『神の業』ではなく、空間の物質の『構成変化(化学反応)』として定義するのか……!? 呪文で魔力を浪費するのではなく、触媒として物質の可熱反応を励起させる……!?」
シオン少年の頭脳の中で、これまで蓄積されていた莫大な魔導知識と、私の「高校化学の基礎」がカチリと噛み合わさった。
「す……凄い……! 凄すぎる……! 何というコペルニクス的転回……! 魔法は、化学を理解すれば問題ない……そういうことですね、師匠!!」
(いや、そこまで興奮しなくても、前世の高校生ならみんな知ってることなんだけどねぇ)
◇
その時だった。
「あら〜? そこの子供ちゃんたち、コソコソ何をお話ししているのかしらぁ?」
あからさまに甘ったるい、不快な声が響いた。
転校生(本編ヒロイン)のマリアンヌ・フォン・ルチアだ。
先日の「膝すりむき事件」で恥をかかされたマリアンヌは、今日の魔法演習で汚名返上を狙っていたらしい。改造制服の胸元を強調しながら、バルト教授の前へとしゃしゃり出た。
「バルト教授ぉ! 私、実は珍しい『光の魔法』と『高威力の火魔法』が使えるんですぅ! 見てもらってもいいですかぁ?」
「ほう! 光魔法とな! ぜひ見せてくれ給え!」
バルト教授が嬉しそうに頷く。
マリアンヌは私の方を向いて、勝ち誇ったようなニヤリ顔を浮かべた。
(見ていなさい、子供ちゃん! ヒロインの真の力を見せて、王子様たちの目を覚まさせてあげるんだから!)
マリアンヌが手を掲げ、呪文を唱え始めた。
「聖なる光よ、我が力となりて悪を滅ぼせ! 【ハイ・ファイア・ブラスト】!!」
ドバアアアアッ!!
マリアンヌの手から、凄まじい密度の炎が放たれ、演習用の標的を跡形もなく吹き飛ばした。激しい熱風が教室中に吹き荒れ、生徒たちから「きゃああっ!」「すごい威力だ!」と歓声が上がる。
マリアンヌは得意満面で胸を張った。
「どうですかぁ!? 私、生まれつき魔力量がすごくて、こんなに大きな炎が出せるんですぅ! 誰かさんみたいに、地味なハーブの知識しかなくても、魔法の世界では『魔力と才能』が全てなんですよぉ!」
あからさまな私へのマウントである。
エドワード王子とルーカス少年が「チッ……鬱陶しい女だ」「リナに不快な思いをさせるな」と眉をひそめ、クラリスちゃんが「キーッ! 何よあの成り上がり!」と扇子を噛み締めている。
だが、当の本人の私はというと——
(う〜ん……目が痛い。それに、煙臭いわねぇ)
やっぱり、ドン引きしていた。
(魔力を無駄遣いして、教室の空気を汚して……。換気扇もないのに、あんな不完全燃焼の煙を出したら、後で掃除する用務員さんが大変じゃないの。前世のストーブだって、もっと綺麗に燃えたわよ)
私の中のおばさんソウルは、魔法の威力などではなく「不完全燃焼による煤と部屋の汚れ」に激しい不満を抱いていた。
その時、バルト教授が私に水を向けた。
「うーむ、ルチア男爵令嬢の魔力は見事だ! ……ところで、特別飛び級生のリナ・ド・バレンタイン令嬢。君はどのような魔法が使えるのかな? 学園長からの推薦状には『未知の才を持つ』とあったが」
「えっ? 私ですか?」
私はパチパチと瞬きをした。
「私は……魔法など大層なものは使えませんわ。ただの、ちょっとした『空気の整理』くらいしか……」
「ふん! 使えないなら使えないって言えばいいのにぇ!」
マリアンヌが鼻で笑う。
だが、私の隣でシオン少年が静かに立ち上がった。
「教授。師匠……リナ様が真の魔法をお見せになります。……師匠、先ほどの『理論』、僕に実証させていただけますか?」
「え? ええ、構いませんけれど……安全第一でお願いしますね?」
「はい!」
シオン少年は教壇の前へと歩み出た。
杖すら持たない。ただ、私から教わった「化学的アプローチ」を頭の中で組み立てている。
「なによ子供二人で……ハッタリばっかり……」
マリアンヌが嘲笑う。
シオン少年は静かに息を吸うと、極めて小さな声で、短く呟いた。
「——酸素比率三:一。局所圧縮。点火——【小炎】」
シオンの指先から出たのは、たった一粒の、ロウソクの火ほどの小さな小さな赤火だった。
「プッ! アハハハハ! 何よそれ! マッチの火じゃない! そんなので何ができるのよー!」
マリアンヌが大爆笑した。
バルト教授も失望の表情を浮かべかける。
だが——次の瞬間。
チュドンッ!!!!!
地響きのような衝撃音が室内を揺らした。
シオンが指先を向けた演習用の【極厚の魔法耐性鉄板】(どんな大魔法でも傷一つ使わないと言われる最硬の標的)の真ん中に、拳大のきれいな円形の穴が穿たれていたのだ。
鉄板の周囲は溶融し、真っ赤な液体となってドロドロと床に滴り落ちている。
爆風も、無駄な煙も、煤も一切ない。ただ純粋な「超高熱(数千度)」が、一瞬にして鉄を蒸発させたのだ。
「「「……はい!??????」」」
教室内が、完全な静寂に包まれた。
バルト教授の顎が外れんばかりに落下し、マリアンヌの爆笑が凍りついた。
「な……なんだ今の魔法は……!? 呪文もなし、魔力消費もほとんど見られなかったぞ!? なぜ魔法耐性の鉄板が……一瞬で溶けたのだ!?」
バルト教授が狂ったように叫ぶ。
シオン少年は涼しい顔で、胸を張って言った。
「当然です。僕はただ、空気中の酸素を集中的に圧縮し、そこへ魔力で水素を微量発生させ、極小の点火装置をくべただけです。燃焼効率を限界まで高めれば、莫大な魔力など使わずとも、太陽の表面温度に迫る【バーナー効果】を生み出せる。……全ては、我が師・リナ様から授かった『化学』の教えです」
「か……化学……!? リナ令嬢が……!?」
バルト教授をはじめ、全生徒の視線が一斉に私へと注がれた。
エドワード王子が感涙にむせびながら呟く。
「なんということだ……! リナは魔術の歴史すら根底から塗り替えてしまった……! 呪文も魔力量も関係ない、真の『理』を理解しているのだ……!」
ルーカス少年が深く頷く。
「ああ……あんな無駄な炎を散らかしていた女とは、次元が違いすぎる」
クラリスちゃんに至っては「さすがリナ様! 科学の女神様ですわ!」とパチパチと優雅に拍手を送っている。
(いやいやいやいや!!)
私は心の中で必死に手を振った。
(私、ただ前世のガスコンロとバーナーの原理を教えただけだから!『理』とか『魔術の歴史』とか、そんな大げさな話じゃないから!!)
当のヒロイン、マリアンヌはというと。
「う……うそ……。私のド派手な炎より……あんなちっちゃい火の方が強いなんて……そんなの……そんなのズルいじゃないのぉぉぉぉ!!」
自分の「大魔力アピール」が、私の一言から生まれた「超効率の科学魔法」によって完全論破され、プライドをズタズタに引き裂かれてブルブルと震えていた。
「マリアンヌさん」
私が声をかけると、彼女はヒッと肩を跳ねさせた。
「あのね、魔力があるのは素晴らしいことですけれど、無駄遣いは感心しませんわ。お料理だって、強火でバチバチ焼けばいいってものじゃないでしょう? 弱火でじっくり煮込んだり、火加減を調節するから美味しくなるんですのよ。魔法も同じですわ」
私は前世の「お料理教室のベテラン講師」のような優しい笑顔で諭した。
「化学を理解すれば、無駄なエネルギーを使わずに、もっと綺麗な魔法が使えますの。見せびらかすためではなく、自分と周囲を助けるために、力をお使いなさいな」
「〜〜〜〜〜〜ッッッ!!(羞恥心と敗北感で声にならない悲鳴)」
マリアンヌは顔を真っ赤にし、本日もまた「キーーーッ!!」と金網を引っ掻くような悲鳴をあげて教室から逃げ出していった。
(だから、走ったら転ぶわよ……)
ため息をつく私。
こうして、「魔法は化学を理解すれば問題ない」という私の何気ない独り言は、王立学園の魔導学科に【魔導化学】という全く新しい学問を生み出すことになってしまった。
◇
その日の夕方。
学園の温室で、私は一人、ほっと一息ついていた。
「はぁ〜……疲れたわねぇ。魔法の授業なのに、なんで高校の化学の復習をしなきゃいけないのかしら。でも、これで少しはシオン様も無駄な魔力を使わずに済むようになったし、良かったかしらねぇ」
ベンチに腰掛け、自作のイチゴタルトの残りをパクリと食べる。
甘酸っぱい味が、疲れた身体に染み渡る。
「……おい」
不意に、上から影が落ちてきた。
見上げると、そこには野性児留学生のガゼル王子が立っていた。
相変わらず制服を崩し、琥珀色の目をギラギラと輝かせている。
「ガゼル様? どうされたのですか?」
ガゼル少年は私の隣にドカッと腰掛けると、腕を組んで私を凝視した。
「お前……さっきの魔法の授業の話、聞いたぞ。シオンのやつにスッゲェ技を教えたんだってな」
「あ、あれはただの雑学で……」
「俺の国(バルバロス王国)はよ、寒くて、土地が痩せてて、魔法が使える奴も少ないんだ」
ガゼル少年が、珍しく真面目な、どこか切ない声で口を開いた。
「だからいつも、強い奴が弱い奴から食料を奪う。魔法の魔力が強い奴が偉いとされる。……だが、お前の言った『科学』ってやつがあれば……魔力が弱い俺の国の民でも、暖を取ったり、美味いもんを作ったりできるのか?」
ガゼル少年の真っ直ぐな瞳が、私を射抜く。
そこにあったのは、乙女ゲームの「攻略対象」としての顔ではなく、「自国の民を救いたいと願う、若き次期国王」の顔だった。
私の中の五十三歳のおばさんソウルが、きゅっと痛んだ。
前世で、自分の子供が将来の夢や悩みを真剣に相談してきた時のあの感覚。
応援してあげたい。助けてあげたい。お母さんとして、大人として。
「……ええ、もちろんできますわ」
私は優しく微笑み、ガゼル少年の頭を撫でた(十三歳の男の子の頭を、八歳の幼女が撫でるという奇妙な光景だが、私の中身はおばさんなので全く気にしていない)。
「ガゼル様。科学というのはね、特別な誰かのためのものではなく、生活を豊かにするための『みんなの知恵』なんですのよ。温かいお部屋を作るのも、美味しいお料理を作るのも、魔法の量なんて関係ありませんわ。お勉強すれば、バルバロス王国の民の皆様も、みんな笑顔になれます」
「お前……」
ガゼル少年は頭を撫でられ、耳まで真っ赤になった。
そして、ガシッと私の手を両手で包み込んだ。
「お前……やっぱり俺の嫁になれ! いや、俺たちの国の『聖母』になってくれ! お前がいれば、俺の国は救われる!」
(また求婚フラグ立ったーーーーーっ!?)
「ちょっと待ちなさいバルバロス王太子!!」
「リナ様から手を離しなさい!」
「僕の師匠に気やすく触るな!」
温室の陰から、エドワード王子、ルーカス、クラリスちゃん、シオン少年が同時に飛び出してきた。
「なんだお前ら! 俺は真剣だぞ!」
「僕だって真剣だ! リナは我がクレール王国の未来だ!」
「リナは僕の光だ!」
「リナ様は私の聖母ですわ!」
「師匠は僕の真理だ!」
温室の中で始まる、本日二回目の大乱闘(口論)。
私はタルトの最後のひとくちをモグモグと反芻しながら、夕空を見上げた。
(魔法は化学で解決できるけど……この子たちの『激重な好意』は、何の科学反応を使えば解決できるのかしらねぇ……)
中年主婦の知恵と知識が引き起こす無自覚無双。
学園を揺るがす彼女の「世間話」と「お説教」は、さらに多くの人々を巻き込みながら、学園の渦中へと突き進んでいくのだった。




