狂乱の学園と、壁になりたい僕の観察記録~あるモブ男子生徒の悲痛な独白~
僕の名前はトビー。
王立星降る学園の二年生で、家柄はしがない子爵家の次男だ。
将来の夢は、領地に戻って父親の文官の仕事を手伝い、適当な年頃になったら近所の優しい娘さんと結婚し、日当たりのいい庭で犬を飼いながら穏やかに暮らすこと。
要するに、僕はどこにでもいる「完璧なモブ生徒」である。
だが、そんな僕の平穏な学園生活は、今年度から完全に崩壊した。
原因はただ一つ。
今年度、八歳という異例の若さで飛び級入学してきた、あの「悪魔的な可憐さを持つ幼女」——リナ・ド・バレンタイン令嬢の存在だ。
◇
「……はぁ。今日も生き延びなきゃな」
僕は教室の窓際、最後列の「もっとも存在感が薄い席」に座り、深くため息をついた。
この席は、学園で巻き起こるさまざまなドラマを「高みの見物」するには最適の場所だが、同時に「いつ爆風に巻き込まれてもおかしくない最前線」でもある。
ガタタッ!
教室のドアが激しく開き、学園のトップスターたちが一斉に入ってきた。
「おはよう、リナ! 今日の朝食の焼きおにぎり、僕の分も用意してくれたと聞いて飛び起きてしまったよ!」
輝く金髪を揺らし、眩しい笑顔を振りまくのは我が国の第一王子、エドワード殿下だ。
「リナ。君の作ったあのハーブの湿布、本当に肩こりに効くな。……今度、僕の父上(伯爵)にも分けてくれないか?」
氷の貴公子と恐れられる銀髪の美少年、ルーカス様が、リナ令嬢にだけ見せる甘い表情で追従する。
「リナ様〜! 本日のハーブティーのお湯加減、完璧に調整させてまいりましたわ! さあ、こちらへどうぞ!」
公爵家の高貴な悪役令嬢だったはずのクラリス様が、まるで忠犬のようにリナ令嬢の身の回りの世話を焼き始める。
「師匠! 昨日の『元素周期表』という概念について、さらに三つの仮説を立てました! ご指導をお願いします!」
人間嫌いで図書室に引きこもっていたはずの天才魔導師シオン様が、ノートを手に目を血走らせている。
「おいリナ! 今日の昼飯もあのタルトにしてくれ! ついでに俺の国の王妃になる準備も進めとけよ!」
留学生の野蛮系王子ガゼル様が、窓から身を乗り出して叫ぶ。
(……地獄か?)
僕は机に突っ伏したくなった。
国家の未来を担う超ハイスペックな美男美女たちが、たった一人の八歳の少女を巡って、毎日毎日バチバチと火花を散らしているのだ。
しかも、その中心にいるリナ・ド・バレンタイン当人はというと——
「あらあら、皆さんおはようございます。朝から元気で何よりですわねぇ。エドワード殿下、廊下は走ってはいけませんよ。ガゼル様も、窓から入ると制服が汚れますわ」
まるで「近所の幼稚園のベテラン園長先生」みたいな落ち着きと慈愛の笑みを浮かべて、ハーブティーをすすっている。
(おかしいだろ! なんで八歳のお子様が、あの癖の強い十〜十三歳の怪物たちを完全に手玉に取ってるんだよ!?)
僕ら一般生徒は、彼らの放つ凄まじい「主役オーラ」と「過剰な好意のぶつかり合い」の爆風に耐えるため、毎日死に物狂いで壁になりきっているのだ。
◇
その日の昼休み。
僕は食堂の隅っこで、静かにパンをかじっていた。なるべく目立たないように、気配を消して。
すると、食堂の入口が騒がしくなった。
「ちょっと! そこを退きなさいよ!」
現れたのは、転校生の特待生、マリアンヌ・フォン・ルチアだ。
露出度の高い改造制服を身にまとい、ピンクゴールドの髪をなびかせている。彼女は「光の魔法」を持つ希少な存在らしいが……正直、僕らモブ男子生徒からの評判はすこぶる悪い。
わざとらしく転んで「痛ぁい」と泣き真似をしたり、男子生徒の腕に胸を押し当てておねだりしたり……前世で言うところの「あざとい」を通り越した「痛い女」なのだ。
マリアンヌは、エドワード殿下たちのテーブルにまっすぐ向かっていく。
(うわ……またやるのか、あの人)
僕は冷や汗を流しながら、パンを食べる手を止めた。
「エドワード様ぁ〜! 私、今日はお弁当を自分で作ってきたんですぅ! とっても上手にできたから、エドワード様に食べてほしくてぇ!」
マリアンヌが差し出したのは、なんだかカラフルで派手だが、少し焦げ目の目立つクッキーのようなものだった。
エドワード殿下はあからさまに嫌そうな顔をして、素っ気なく言った。
「結構だ。僕はリナの手作った『おにぎり』と『お漬物』をいただく約束になっている」
「そんなぁ! 私の方がお姉さんだし、可愛いのにぃ! なんでそんな子供の作った地味なご飯がいいんですかぁ!?」
マリアンヌがキーキーと叫ぶ。
いつもの光景だ。そして、いつものようにリナ令嬢が口を開く。
「マリアンヌさん」
リナ令嬢は静かにハーブティーのカップを置くと、前世のPTA役員みたいな「圧倒的おふくろ感」を漂わせてマリアンヌを見上げた。
「お料理を自分で作られたのは、とても素晴らしいことですわ。……ですが、人様にお食事をお勧めする時は、まず『衛生面』と『火加減』に気をつけなければいけませんわね」
「は……? 衛生面!?」
「ええ。そのクッキー、少し表面が焦げておりますけれど、中は生焼けではありませんか? お砂糖の量も多すぎて、これでは召し上がった殿下の血糖値が急上昇してしまいますわ。それに……お料理をする時は、その長いお袖をしっかり捲り、髪の毛をおまとめになるのがマナーです。毛髪が入ってしまったら、せっかくの食事が台無しでしょう?」
淡々と、しかし極めて正確に「主婦の衛生管理」を叩き込むリナ令嬢。
「な……なによそれ! 私、愛情を込めて作ったのに!」
「お料理に必要なのは、過剰な情熱よりも『適切な火加減と衛生観念』ですわ。愛だけでは、お腹を壊した人を救えませんのよ?」
「〜〜〜〜〜〜ッッッ!!」
マリアンヌは顔を真っ赤にし、本日もまた「キーーーッ!!」と金網を引っ掻くような悲鳴をあげて食堂から逃げ出していった。
(強い……強すぎる……!)
僕は心の中でリナ令嬢に拍手を送った。
どんな「あざとい攻撃」も、リナ令嬢の持つ「圧倒的な主婦の正論」の前には手も足も出ないのだ。
◇
だが、平和な時間は長く続かなかった。
午後、学園の大演習場で【異種魔法組手(模擬戦)】の授業が行われることになった。
これは生徒同士が魔法で戦い、実力を競い合うという、モブにとっては「怪我をしないように適当に負ける」のが正解の危険な授業だ。
教壇に立つバルト教授が叫ぶ。
「では次の組手! バルバロス王国留学生、ガゼル・フォン・バルバロス殿下! 対するは……トビー生徒!」
「……はい!?」
僕は自分の名前を呼ばれて、耳を疑った。
(なんで僕!? 相手はあの『バルバロス王国の野生児肉食王子』だぞ!? 殺される!!)
僕がガタガタと震えながら演習場の中央へ進み出ると、ガゼル様が巨大な大剣を肩に担ぎ、ギラギラとした琥珀色の瞳で僕を睨みつけてきた。
「おい、モブ。手加減はしねぇぞ。俺は今、リナにカッコいいところを見せたくてウズウズしてるんだ!」
「ひぇぇぇぇぇっ!?」
勝ち目なんてあるわけがない。ガゼル様は十三歳にして我が国の近衛騎士すら凌駕する剣の天才だ。対する僕は、生活魔法で小さな火を点けるくらいしかできない子爵家の文官志望だ。
「始め!!」
バルト教授の合図とともに、ガゼル様が地響きを立てて飛び出してきた。
速い! 目にも留まらないスピードで、巨大な大剣が僕の首元へと振り下ろされる——!
(死んだ! 僕の穏やかな老後がぁぁぁぁ!!)
僕が目を瞑った、その瞬間。
「——ガゼル様、そこまでですわ」
凛とした、しかしどこか「お母さん」の威厳に満ちた声が響いた。
静寂。
恐る恐る目を開けると、僕の目の前に、小さな影が立ち塞がっていた。
リナ・ド・バレンタイン令嬢だ。
彼女はガゼル様の振り下ろした大剣の直前で、ちょこんと手をかざしていた。
その手には、魔法陣も、莫大な魔力も纏われていない。ただ、小さな『鏡のようなガラス板(前世の実験用プリズム)』が握られていた。
「なっ……何だ!? 体が動かねぇ!?」
ガゼル様が巨体を硬直させて叫んだ。
見れば、ガゼル様の足元には、太陽の光が集中的に収束された「超高熱の光点」が照射されていた。
リナ令嬢は、自作のレンズとプリズムを使い、演習場の天井から差し込む太陽光を集光・屈折させ、ガゼル様の足元のアスファルトを瞬時に溶かして、彼の靴底を粘着固定していたのだ!
魔力など一切使っていない。ただの『小中学校の理科・虫眼鏡で光を集める実験』の応用である。
「ガゼル様。演習相手は手加減を知らない敵ではありません。身の丈に合わない大技を振るえば、足元がお留守になりますわ」
リナ令嬢は前世の体育の先生のように、淡々と諭した。
「それに、トビーさんは戦う意思のない生徒です。力なき者に過剰な暴力を振るうのは、真の強者とは言えませんわ。バルバロス王国の武士道とは、そのような軽率なものでしたかしら?」
「ぐ……っ……あ……」
ガゼル様は顔を真っ赤にし、大剣を収めた。
「す……すまん。俺が……俺が熱くなりすぎていた。トビー、悪かったな」
「えっ……あ、はい! 大丈夫です!」
あの横暴で野性的なガゼル様が、八歳の少女の一言で素直に謝罪した!?
演習場全体が、唖然とした空気に包まれる。
リナ令嬢は僕の方を振り返ると、極上の「おばあちゃんスマイル」を浮かべて言った。
「トビーさん、怪我はありませんでしたか? 怖かったでしょう。はい、こちらの『自家製・気付けのハーブキャンディー』をお召し上がりなさいな。心が落ち着きますわよ」
手渡されたのは、ほんのり甘く、ハッカの香りがする小さなキャンディーだった。
一口口に含んだ瞬間、僕の全身の緊張がふっと解け、温かい気持ちが胸いっぱいに広がった。
(あ……あかん)
僕の中で、何かが音を立てて崩れ去った。
エドワード殿下が彼女に惚れる理由が分かった。
ルーカス様が彼女を守ろうとする理由が分かった。
クラリス様が信奉者になり、シオン様が師と仰ぎ、ガゼル様が求婚する理由が——痛いほど分かってしまった!!
この人は、ただ可愛いだけじゃない。
ただ頭がいいだけじゃない。
圧倒的な「母性」と「常識」と「優しさ」で、傷ついた僕らの心を包み込んでくれるのだ!
(リナ様……! リナ様ぁぁぁぁぁ!!)
僕の中のモブ魂が、歓喜の悲鳴をあげていた。
◇
演習が終わり、放課後。
僕は学園の中庭の陰から、そっとリナ令嬢の姿を見つめていた。
彼女はベンチに腰掛け、自作のハーブティーを飲みながら、小さく肩を叩いていた。
「はぁ〜……今日も疲れたわねぇ。男の子って、どうしてあんなに元気が余ってるのかしら。前世の息子を思い出しちゃうわ……。今夜はお風呂にゆっくり浸かって、腰に湿布を貼って寝ようかしらねぇ」
一人でボソボソと「おばさん丸出しの独り言」をつぶやくリナ令嬢。
見た目は八歳の天使のような美少女。
中身は五十三歳の中年主婦。
そのギャップがあまりにも凄まじいが、僕にとっては、彼女こそがこの狂った学園における「唯一の癒やし(オアシス)」だった。
「おい、モブ」
不意に、後ろから声をかけられた。
振り返ると、そこには第一王子エドワード殿下、氷の貴公子ルーカス様、公爵令嬢クラリス様、天才魔導師シオン様、そしてガゼル様が揃い踏みしていた。
「ひえっ……! 殿下方!?」
エドワード殿下が真剣な顔で僕の肩に手を置いた。
「トビーと言ったな。先ほどはガゼルが失礼した。……ところで、君に頼みがある」
「た、頼み……ですか?」
ルーカス様が冷たい、しかし確かな熱を帯びた瞳で僕を見つめる。
「君はリナと同じクラスで、最も気配が薄い。……つまり、リナを影から見守る『警護役(モブ兼任)』として最適だ」
クラリス様が扇子を胸元に当てて頷く。
「リナ様が変な虫に絡まれないよう、何かあったらすぐに私たちに報告しなさい。報酬は我が公爵家から出しますわ!」
シオン様がノートを差し出す。
「師匠の何気ない『独り言(科学理論)』を全て記録して僕に提出するんだ。いいな?」
ガゼル様がニシシと笑う。
「リナが美味いお菓子を作ったら、真っ先に俺に教えろ!」
(……断れるわけがないだろぉぉぉぉぉ!!)
僕の「平穏なモブ生活」は、こうして完全に終わりを告げた。
僕は今日から、リナ令嬢を守る【公式モブ観察員】として、この狂乱の学園生活を生き抜くことになったのだ。
◇
「ふぅ……なんだか視線が増えた気がするけれど、気のせいかしらねぇ」
遠くのベンチで、リナ令嬢がのんびりとハーブティーをお代わりしている。
彼女の無自覚な「主婦の知恵」と「お母さん力」は、今日も学園の平和(?)を守り、新たな信者(僕を含めて)を生み出し続けている。
僕の名前はトビー。
夢見た平穏な人生からは遠く離れてしまったけれど……。
(リナ様のためなら、喜んで最強のモブになって見せますよ!!)
僕はポケットの中のハーブキャンディーをギュッと握りしめ、今日も今日とて、リナ令嬢の後ろで静かに「壁」になり続けるのだった。




