ヒロインの激怒と焦燥~完璧なはずの私のシナリオを壊す『あの子供』~
「キーーーーーッ!! なんでよ! なんでなのよぉぉぉぉぉ!!」
学園の女子寮、一番奥にある個室。
マリアンヌ・フォン・ルチアは、自室のベッドに置かれた高級なシルクのクッションを、狂ったように拳で叩きつけていた。
ドスッ! ドスッ!
「あり得ない! 絶対にあり得ないわ!! 私はヒロインなのよ!? この世界の『主人公』なのよ!?」
息を荒げ、手鏡をひっ掴む。
鏡に映る自分の顔を見る。
桃色の大きな瞳、ふわふわとしたピンクゴールドの髪、愛らしく揺れる長いまつ毛。前世の自分が死ぬほど憧れていた、乙女ゲーム『星降る学園と七つの恋』の主人公・マリアンヌそのものの完璧なビジュアルだ。
前世の彼女は、冴えない日常を送るごく普通の女子生徒だった。
だが、事故で命を落とし、目を覚ますと大好きな乙女ゲームの世界に転生していたのだ。しかも、稀少な「光の魔法」を持つ貧乏男爵家の特待生ヒロインとして。
(勝ち組のはずだった……! 完璧な人生になるはずだったのに……!)
ゲームの知識は全て頭に入っていた。
学園に入学し、可憐で守ってあげたくなる「ドジっ子ヒロイン」を演じれば、第一王子のエドワード様も、氷の貴公子のルーカス様も、公爵家のクラリスに苛められる私を庇い、次々と私に落ちていくはずだったのだ。
それなのに——。
「なんであの『八歳のちんちくりん』が、全員の好感度をカンストさせてるのよぉぉぉぉ!!」
手鏡をベッドに放り投げ、マリアンヌは髪をかきむしった。
おかしい。何から何まで狂っている。
本来なら、学園の頂点に君臨するツンデレ悪役令嬢・クラリスは、私をゴミのような目で睨みつけ、イジメを主導して王子たちに断罪される存在のはずだった。
それが今やどうだ。
あの高飛車な公爵令嬢が、まるで小型犬のようにリナ・ド・バレンタインの後ろをついて回り、「リナ様のお肩揉みの準備はバッチリですわ!」などと甲高い声で世話を焼いているのだ。意味が分からない。気持ち悪すぎる。
さらに、攻略対象の男性陣にいたっては目を覆いたくなる惨状だ。
エドワード王子は、私があざとく転んでも「品がない」と一蹴し、あの子が握ったただの「おにぎり」を神の食べ物のように崇めている。
ルーカス様にいたっては、私に話しかけられただけで殺菌スプレーでもかけられたかのような汚物を見る目を向け、あの子の自家製湿布の効能について熱弁を振るい出す。
引きこもりの天才魔導師シオンも、野生児のガゼル王子も、みんなあの子を「師匠」だの「聖母」だのと呼んで拝んでいるのだ。
「あんな子供のどこがいいのよ!? 色気もない、胸もない、ただの八歳の子供じゃないの!!」
マリアンヌは爪を噛んだ。
「……ううん、違うわ。あの子供、何か変よ」
マリアンヌの瞳に、悪意に満ちた疑念が宿る。
あの子の言動。
「衛生管理」だの「火加減」だの「酸素濃度と可燃物」だの。
八歳の貴族の幼女が口にするような言葉ではない。
(あいつも……まさか『転生者』なの……!?)
ハッと息を呑む。
そうだ、そうに違いない。あいつも前世の記憶を持っていて、ゲームの知識を使って攻略対象たちを先回りして落としたのだ!
「ズルい……ズルいわ! ヒロインの私を差し置いて、知識チートで男たちを侍らせるなんて……不公平よ! 絶対許さないんだから!!」
マリアンヌは嫉妬と激怒で顔を歪ませた。
「待っていなさい、リナ・ド・バレンタイン。あなたが『知識』で勝負するなら、私はヒロインだけに許された真の力——【光の魔法】で、あなたをギャフンと言わせてやるわ!」
◇
数日後。
学園では、年に一度の【全校魔法適性・大演武会】の準備が進められていた。
これは生徒たちが学園の中央広場に集まり、自らの魔力を大樹のクリスタルに注ぎ込んで、その威力を競い合うという大規模なイベントだ。全校生徒はもちろん、王都の貴族たちや王立魔導院の重鎮たちも観覧に訪れる。
(ここよ……! ここが私の復権の舞台になるのよ!)
マリアンヌは中庭の木陰から、生徒たちに囲まれているリナを見つめ、不気味に口元を歪めた。
「光の魔法は、この世界で私しか使えない最高位の属性。どんなに科学だのなんだのと知ったかぶりをしても、本物の『聖なる魔力』の前にはひれ伏すしかないわ!」
マリアンヌは懐から、怪しげな黒い小瓶を取り出した。
裏取引で手に入れた、一時的に魔力を十倍に増幅させる禁断の魔薬『魔導の蜜』だ。
副作用として体が激しく疲労するが、そんなことはどうでもよかった。
大演武会の壇上で、圧倒的な光の魔法を放ち、全校生徒と王子たちの前でリナ・ド・バレンタインを完全に敗北させ、スポットライトを取り戻す。
「ふふふ……楽しみにしていてね、リナちゃん?」
◇
そして、大演武会の当日。
晴れ渡る秋空の下、学園の中央広場には数百人の生徒と観客がひしめき合っていた。広場の中央には、魔力を測定するための巨大な「魔導クリスタル」が鎮座している。
「次、ルヴァン公爵令嬢、クラリス殿!」
バルト教授の声とともに壇上に上がったクラリスは、見事な氷の薔薇をクリスタルの中に咲かせ、会場から大きな拍手を浴びた。
「リナ様! 私の氷魔法、ご覧になりましたか!?」
壇上から降りてきたクラリスが、真っ先にリナの元へ駆け寄る。
「ええ、クラリス様。とっても綺麗でしたわ。まるで氷の彫刻のようねぇ」
リナは前世で孫の発表会を見るおばあちゃんのように、優しくパチパチと手を叩いた。
「へへ……リナ様に褒めていただけるなんて、光栄ですわ!」
公爵令嬢としての威厳などどこへやら、クラリスは顔をほころばせている。
その様子を、マリアンヌは物陰で歯の根が噛み合わないほど噛み締めながら睨みつけていた。
(何が『綺麗でしたわ』よ! 上から目線でムカつくのよ! 今に見ていなさい……!)
マリアンヌは誰も見ていない隙に、懐の『魔導の蜜』を喉奥へと流し込んだ。
ドクンッ!!
体中を駆け巡る、狂暴な魔力の濁流。血が沸騰するような感覚とともに、彼女の瞳が赤く発光する。
「次! ルチア男爵令嬢、マリアンヌ殿!」
「はぁぁぁっい!!」
マリアンヌはハイテンションな声をあげ、壇上へと駆け上がった。
その異様な雰囲気に、観客席のエドワード王子やルーカス、そして実況のバルト教授も眉をひそめる。
「ルチア殿……顔色が悪いようだが、大丈夫か?」
「問題ありませんわぁ! 今から、私が『真のヒロイン』の力をお見せしますからぁ!」
マリアンヌは広場の中央、魔導クリスタルの前で両手を大きく広げた。
禁薬によって極限まで跳ね上がった魔力を、体内の「光属性」の回路へと流し込む。
空気が重く振動し、広場全体に眩いばかりの金色の光が溢れ出した。
「見なさい! これが、選ばれし者にしか使えない【聖なる極大光魔法】よぉぉぉぉ!!」
ゴォォォォォォッ!!
クリスタルが激しい光を放ち、空に向けて巨大な光の柱が打ち上がった。
凄まじい光量と魔力の圧力に、会場の生徒たちが「うわっ!?」「眩しい!」「なんだこの魔力は!?」と悲鳴をあげて目を覆う。
マリアンヌは光の柱の中心で、高らかに高笑いした。
「アハハハハ! どう!? すごいでしょう!? これが私の力よ! 科学だの知恵だのと言っていた子供ちゃん、見ているかしら!? あなたにこんな真似ができる!? できないでしょう!!」
マリアンヌは勝ち誇った顔で、観客席の最前列にいるリナを指差した。
「さあ! エドワード様、ルーカス様! どちらが真に価値のある女性か、これで分かったでしょう!? 私を選びなさいよ! 私を讃えなさいよぉぉぉ!」
叫ぶマリアンヌ。
薬の過剰摂取により、彼女の精神は半ばトランス状態に陥っていた。
(勝った! これで私が正ヒロインとして認められる! あんな子供、一瞬で過去の遺物にしてやったわ!)
だが。
光が収まり、会場の静寂が訪れた時。
マリアンヌが期待していたような「喝采」や「感嘆の嵐」は、どこからも巻き起こらなかった。
代わりに広場を包んでいたのは——絶句と、痛烈なまでの「ドン引き」の空気だった。
「……な、何よ……? なんでみんな、黙ってるの……?」
マリアンヌはパチパチと瞬きをした。
生徒たちの視線は、マリアンヌの魔法の凄さに圧倒されているのではない。
ただただ、「十五歳にもなって、壇上で狂ったように叫び散らす痛々しい姿」に、言葉を失っていたのだ。
エドワード王子は心底呆れたように溜息をついた。
「……目障りだ。魔薬を使って一時的に魔力を底上げし、威張るなど……浅はかにも程がある」
ルーカスも氷のように冷たい声で吐き捨てた。
「不快だな。光が眩しすぎて目が痛むだけだ。何の情緒もない」
シオンは冷静に分析する。
「魔力の放射効率が最悪です。ただの無駄遣い。師匠の『効率的化学魔導』の足元にも及びません」
ガゼル王子は欠伸をした。
「なんだ、ただ光っただけか。食えねぇもんに興味はねぇよ」
「な……な……っ!?」
マリアンヌの顔から、急速に血の気が引いていく。
なんで……?
なんで誰も私を褒めてくれないの……!?
私が光の魔法を使ったのよ!? ヒロインなのよ!?
その時。
「あー……」
広場の最前列から、あのお馴染みの、あまりにも落ち着き払った声が響いた。
リナ・ド・バレンタインが、小さな溜息をつきながら歩み出てきたのだ。
「マリアンヌさん」
リナは壇上にいるマリアンヌを見上げると、前世で「授業中に奇行を走らせた生徒を心配するベテラン保護者」のような、生温かく、哀れみに満ちた目を向けた。
「お薬の乱用は、お体に良くありませんわよ?」
「っ!?」
マリアンヌがビクッと肩を揺らした。
「顔が真っ赤で、呼吸が荒くなっていらっしゃいます。魔力増強剤の類をお使いになりましたね? そのようなものに頼って過剰なエネルギーを放出すると、後で猛烈な低血糖と倦怠感に襲われますわ。……若いからと言って、無茶をしてはいけません」
リナは前世の主婦の知恵(と、薬箱の知識)から、マリアンヌが禁薬を使ったこと、そしてその後の健康被害を正確に見抜いていた。
「それに……」
リナは前髪をそっと直しながら、優しく続けた。
「そんなに眩しい光を突然出されたら、周りの方々の目が眩んでしまって危険ですわ。光というものはね、闇を照らし、人の足元を温かく守るために使うものですの。見せびらかして他人を威圧するためのものではありませんわよ?」
「〜〜〜〜〜〜ッッッ!!」
正論。
圧倒的かつ完璧な正論。
マリアンヌが血を吐く思いで放った「渾身の光魔法」は、リナの「健康への懸念」と「光の使い道に関する道徳の授業」によって、完全に『ただの危険な奇行』へと昇華されてしまったのだ。
「ほら、マリアンヌさん。これをお飲みなさい」
リナはポケットから、自家製の『ポカリスエット風・電解質補給ハーブ水』の小瓶を取り出し、壇上のマリアンヌへと差し出した。
「薬の毒素を早く体外に出すために、お水をたくさん飲んで、今日は保健室で静かに横になりなさいな。……お勉強も、魔法も、健康な体があってこそですわよ?」
前世のお母さんが、熱を出した子供にスポーツドリンクを渡すような、どこまでも暖かく、どこまでも無慈悲なまでの「母性」。
「あ……あ……ああ……」
マリアンヌの瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
悔しい。
恥ずかしい。
惨めだ。
自分が「ヒロイン」として輝こうとすればするほど、この八歳の子供(中身おばさん)の圧倒的な「大人としての器」と「品格」の引き立て役にされてしまう。
自分が必死に作った「毒薬と見栄の光」に対し、あの子は「慈愛とポカリスエット」で返してくるのだ。勝てるわけがない。次元が違いすぎる。
「キーーーーーッ!! 覚えていなさいよぉぉぉぉぉぉん!!(大号泣)」
マリアンヌは薬の副作用でガクガク震える足で、本日もまた爆速で(泣きながら)逃げ出していった。
(だから、走ったら危ないって言ってるのにねぇ……)
リナは小瓶を持ったまま、困ったように首を傾げた。
◇
大演武会は、結果として「リナ・ド・バレンタインの圧倒的な慈愛と医療知識」が全校生徒と観客に知れ渡る結果となった。
観客席の貴族たちからは「なんと素晴らしい令嬢だ……!」「八歳にしてあの包容力、まさに聖女……!」と大絶賛の嵐。
マリアンヌは自室に引きこもり、敗北感と薬の反動で三日間寝込むことになったという。
「……はぁ。疲れちゃったわねぇ」
その日の放課後。
リナは誰もいない中庭のベンチで、ぽかぽかと温かい日光を浴びながら、伸びをした。
「やっぱり、若い子たちのパワーについて行くのは大変だわ。マリアンヌさんも、もっと肩の力を抜いて普通に学生生活を楽しめばいいのにねぇ」
リナは前世の「近所のちょっと痛い女子高生」を温かい目で見守るおばさんの顔で、おせんべい(のような香ばしい焼き菓子)をポリポリとかじった。
「おい、リナ」
不意に、影が差した。
振り返ると、そこには第一王子エドワード様、ルーカス、クラリス、シオン、ガゼル王子、そして「公式モブ観察員」となった男子生徒トビーが揃って立っていた。
「皆さん?どうされたのですか?」
エドワード王子が、決意に満ちた真剣な表情でリナの前にひざまずいた。
「リナ。本日の君の振る舞いを見て、確信した。君はこの国の、いや、この世界の宝だ。……僕たちは誓う。君がどのような知恵を放とうと、どんな存在になろうと、全力で君を守り抜くと!」
「「「「異議なし!!」」」」
ハイスペックなメンツが全員、リナに向かって深々と頭を下げる。
「え……? いや、私、ただお茶飲んで、お説教しただけなんですけど……?」
リナが困惑してパチパチと瞬きをする中、モブのトビーだけが後ろで「リナ様……今日も最高でした……!」と感動の涙を拭っていた。
見た目は可憐な八歳の令嬢。
中身は五十三歳の元・中年主婦。
本人の「平穏に引きこもりたい」という切なる願いとは裏腹に、彼女の放つ圧倒的な「主婦の知恵」と「お母さん力」は、痛すぎるヒロインの野望をも粉砕し、学園の最高権力者たちをさらなる信者へと変えていく。
リナ・ド・バレンタインの意図しない「無双生活」は、まだまだ終わる気配を見せないのだった。




